24

 確かにそこには正義があった。
 それなのに、彼らはそれを破壊するんだ。

 

 分かりそうで分からない問題ほど気色の悪いものはない。しかし皮肉なことに、俺がたった今ぶち当たっているのは、そういった類の問題だった。
「こら、ヴィノバー! 廊下を走るな!」
「うっせーな、これのどこが走ってるんだよ! ただ歩いてるだけじゃねーかよ!」
 人に会う度に飛び交う罵声。しかも決まって叱られるのは死体運びの兄ちゃんだけ。大聖堂の人々は司教様の客人にはたいそう興味がないらしく、俺と大僧正様のことなんか眼中にないと言わんばかりの無視っぷりである。いや俺はそれでも構わないんだけどさ、ここまで気持ちよく無視してくれるとさすがに凹むわ。「俺って存在感ないの?」って感じで。
 まあそれだけならいい。それだけなら、とっても心の広い白石豊君の悩み事には及びはしない。しかし俺は今、とんでもなく困っているのだ。なぜならヴィノバーが叱られる理由がまるで見当もつかないからだ。
 つーかやっぱりここの大聖堂の奴らは集団でいじめをしているようにしか見えない。司教様はこの惨状を知らないんだろうか? ヴィノバーはもうすっかり慣れているのか、何を言われてもちょっと怒るだけでお終いだ。その理由を問いただそうとも、根に持って後から愚痴を言ってくることもない。ただ俺たちによく分からん大聖堂の歴史を延々と語ってくれて、正直言って鬱陶しかった。
「よーしじゃあ町の方まで下りてみようか」
 敵陣からようやくおさらばできるらしく、俺たちは無駄にでっかい扉の前に辿り着いた。なんというかここにいると小人になったような気分になる。何もかもが大きすぎて、それだけで疲れちまうんだ。
 ってちょっと待て。町の方まで「下りる」ってどういうことやねん。
 無口な仮面門番の隣を通り過ぎ、俺とキーラはヴィノバーに引っ張られて大聖堂の外へ出る。あたたかい光が体を包み、風の抱擁が俺を出迎えた。この感じは、墓地でも味わったことのある自然の息吹きだ。大聖堂の中とは打って変わって周囲に草の薫りが漂い、本当に自然の豊かな場所なんだなぁと感心してしまう。これであの邪魔者大聖堂連中がいなければ幸せなのになぁ。
「ほう、この大聖堂は山の上に建てられているのか」
 隣でのんきな大僧正様が何か言っている。ああもうどうでもいいからさ、寝れるところに行きたいんだ俺は。よく考えてみたら、あの腹の立つ穴から出てから立ちっぱなしだ。一度も座ってない。それなのにこの人々は、俺にとんでもなく酷なことを要求してきやがるんだ。うう、もう嫌だ。日本に帰りたい。誰か助けてくれ。
「この山道では魔物に出くわすかもしれないけど、まあ大丈夫だろ。そん時は俺が倒してやるからさ。さあ、もう行こうぜ!」
「……魔物?」
 死体運びの兄ちゃんの口からやけに懐かしい単語がポンと出てきた。魔物。魔の生物。なんかよく分からんけどいる生き物。わけもなく俺たち人間を襲ってくる、ゲームにおける永遠の敵役。そんな彼らがこの山道にいるんですって。まあまあそれは、恐ろしいことですわねぇ。……。
「ってちょっと待て!! そんな話は聞いてねーぞ!!」
「あ? 聞いてないって、そりゃ言ってないからな。でも今聞いたから大丈夫だろ?」
「何が大丈夫なんだよ、何が! ちくしょー、お前ら俺を疲れさせて楽しんでるんだろ! もう泣くぞ、泣いてやるぞ、本気で!」
「えっ、ちょっと待てよ!」
 力の限り反発してやると、ヴィノバーは何やらかなり焦ったような表情を見せてきた。ちょっと予想外だ。きっと俺が何を言っても引きずって行くんだと思っていたのに、少々やりすぎてしまったらしい。しかしもう後には引けないのが現実であって。
「二人とも、何をしているのだ。早く町へ行かなくてもよいのか?」
 そうかと思ったら偉そうな声が響いてくるから困る。やっぱりこいつ、俺の心配なんてこれっぽっちもしてないんじゃねーかよ。自分だけで勝手に話を進めちまってさ、俺が泣いてもいいって言うんだぜ。
 なんだかもう疲れてきたので、どうにもしないことに決めた。どうにもできないことをどうにかしようとしたって、もとよりどうにもできないんだから、やるだけ無駄ってことだもんな。寝たいけど自らを奮い立たせねばならない。いつ魔物に襲われてもいいように、細心の注意を払って進まなければ。
 ……あれ、そういえば、俺の体は鋼鉄なんじゃなかったっけ。
 妙な疑問を抱きながらも俺は、早く進めと促してきた大僧正様のお言葉に従って山道とやらに足を踏み入れた。空気や風は俺たちを歓迎してくれる。それなのに俺の心の中は曇っていて、晴れる気配などどこにも見当たらなかったんだ。

 


 俺たちって大聖堂を追い出されたみたいだ。特別そんなことを示唆してきた人はいなかったが、俺にはそうだとしか思えなかったんだ。まずヴィノバーはかなり厄介者扱いされてたし、俺とキーラなんてもう見事なまでに無視られてたし。
 そりゃそれが真実だとは思いたくないけどさ。ああいう状況じゃ、この意見もあながち間違ってないかもしれないじゃないか。
「ここがラットロテスの町だ。結構賑やかだろ?」
 白い歯を見せて笑いかけてくるヴィノバー。はいはい、君はとっても明るい子だね。そんなことはもう分かってるんだよ。だから余計に分からないっていうのにね、君はなんにも教えてくれないんだからね。俺をいじめてんのかよ。
 あの魔物が出るかもしれないと噂されていた山道では、何もなかった。驚くほど何もなかった。拍子抜けという言葉はこの為に作られたのかと疑ってしまうほど何もなかった。せっかくの覚悟が無駄になり、ただ歩いて坂道を下りていっただけで、そんなに用心するようなものなんかじゃなかったんだ。
「よかったではないか、アカツキよ。魔物に出会わなくてすんだのだから」
「だったら最初からあんな脅しみたいなことを言わないでほしかった」
「脅しじゃないだろ。あれは警告だ」
「警告って、お前――」
 さっきまでにこにこしていた死体運びの兄ちゃんは、今度は目をまん丸にして真面目に俺の言葉に反応している。ころころとよく表情が変わる奴だ。でもこういう奴って、俺の世界にも結構いるよな。どこの世界でもいつの時代でも、人間ってのはそう簡単には変わらないんだろうな。
「まあせっかく町まで来たんだ。この機会にやりたいことがうんとあるんだよ、俺には」
 どうにも話を聞いていると、ヴィノバーは大聖堂からあまり出してくれなかったらしい。本人は外に出たくて仕方がないようだが、外出を禁止しているのは他でもないあの司教様だとか。あの人は唯一の常識人だと思ってたけど、これじゃなかなか酷いおっさんだな。
 おっと、司教様に「おっさん」は失礼だったか。ヴィノバーは平気でそう呼んでるけど、あの人はそこまで年上なわけじゃない。まだまだ若そうなのに司教だなんて偉そうな地位について、きっといろんな苦労を抱えているに違いないぞ。うーむ、そう考えてみると親近感が湧いてきた。そうなったらもう、駄目なんだよな、俺は。
「よし、まずは本屋だ!」
「えー」
「えー、じゃねえよ!」
 修行僧であるヴィノバー殿はやはり本がお好きらしい。反面、俺は別に興味ない。
「いいではないか、アカツキよ。この時代のことを知るにはまずは書物からだ」
 うお、こんな所にも俺の敵がいた。何だよそれ、多数決で明らかに負けてるじゃないか、俺。
「まぁまぁ、俺の用事はすぐ終わるからさぁ」
 そして自己主張の強いヴィノバーとキーラに引きずられ、俺はどこだか知らない本屋とやらに連れて行かれることになってしまった。っつーてもさぁ、ここって異世界だろ。俺の読める本なんかありゃしないんだよ、絶対に。きっとわけの分からん文字が並んでる本しかないんだろうから、俺が行っても何の意味もないんじゃねーの?
 こうなってしまってはもう、俺にできることといえば、本屋に椅子か何かがあることを腹の底から祈ることだけであった。

 

 本屋には椅子がなく、限りなく長い時間を立ち続けなければならなかった。もう死にそうだった。本気で泣いてやろうかと思った。
 それなのに奴らはピンピンしたままで、次は道具屋に行こうだとか飯屋に行こうだとかぬかしやがるんだ。俺はもう面倒臭かったし、何より疲れ果てていたので、あいつら二人を自由にさせて町の片隅で休憩することにしたんだ。ちょうど人気のない広場みたいなものがあったので、地べたに座り込んで二人が帰ってくるのを待っていた。
 俺のすぐ近くには誰かさんの家の壁と、何やら古めかしい女神像みたいなものが見える。おまけに赤と青のお花が交互に植えられており、居心地だけはまあまあだった。誰かが来る気配もないし、来たってどうせ俺なんか無視するだろう。別にその方がずっと楽だからいいんだけどさ。
 でもつくづく思う。俺はこんな異世界の未来に来て、一体何をしてんだろうって。そもそもなんで俺が未来に飛ばされなきゃならなかったんだ――ってそれはあのルイスのせいか。畜生、あの野郎、次に会った時はぶん殴ってやる。
 ……とは言え、俺の連れにはあの情けないモヤシなキーラしかいないからなぁ。無事に元の時代に帰れるかどうかも怪しい。もしかしたら一生この時代で過ごして、栄えあるタイムトラベラーとして死んでいくってことになるかもしれんぞ。うむむ。肩書きだけは妙に格好いいが、そんなの冗談じゃねえや。なんであのルイスの独断だけで俺の人生を操作されなきゃならないんだよ。
「――ん?」
 俺が暇な時間を持て余していると、近くに誰かが近寄っていることに気づいた。ぼーっとしてたので今の今まで全然気づかなかった。なんかびっくりしちまったじゃん。
 相手は可愛らしい女の子だった。俺と同い年か、少し年上くらいか。茶髪を一つに束ねており、清楚そうな白いワンピースを着ている。どうやら俺のことはどうでもいいらしく、こっちを気にしている素振りは皆無だ。そしてなぜだか知らないが片手に大きな弓を携えている。
 なんだなんだ、観光客か何かか? 弓を持ってるってことは俗にいう旅人ってヤツ? まあどっちにしろ可愛いから許せる。
 その女の子はすたすたと歩いて俺の前を通り過ぎていった。あれ、何してんだろうと思う。だってその先にあるのは古めかしい女神像だけで、そいつの奥には塀があってそこから続く道はない。もしかして迷子とかかな。
「なあ、君」
 可愛いので話しかけてしまった。笑いたきゃ笑えばいい。
 しかし女の子は俺の言葉を無視。ひ、酷い。しかもそれだけならいいのに、女神像の前でぴたりと足を止め、ゆっくりとした動作で大きな弓を構え始めたから焦る。おいおいちょっと何してるのそこのおねーさん。町の中で危ないことしちゃ警察に捕まっちゃうよー。……って、この世界に警察なんているのか?
 なんてことを考えながら俺が何も言えないでいると、女の子はそのまま弓を放ってしまった。放たれた矢はすごいスピードで飛んでいき、古めかしい女神像をいとも簡単に壊してしまった。
 今の世の中じゃ人のものや町のものを壊しただけで罪に問われる。いやそれが当然っちゃあ当然だけどさ。やっぱ俺、止めた方がよかったんじゃないのか? もしかしたらこの場にいたからグルと思われちまうかも! うおお、いくら相手が可愛いっていってもそれだけは勘弁!
 ……逃げようかな、いっそ。うん、それがいいに決まってる。
 腹の底で俺にとって最も都合のよさそうな結論を出すと、とりあえず目撃者がいないか確認してみた。周囲に人間の影はなく、本当にこの場には俺と女の子しかいないようだ。よしよし、いい感じだ。今のうちに逃げちまおう。
 すっくと立ち上がると女の子が回れ右をし、元来た道を歩き出した。俺より先に逃げるつもりか。へっ、負けるものか。
 妙な負けん気を燃やしながら思いっきり地面を蹴る。女の子が角を曲がって消える前にダッシュで追いかけ、気合いで相手より先に曲がることができた。俺の勝ちだ。どう考えたって俺の勝ちだ。相手はフライングまでしたんだからな。ふふふ、俺の実力を思い知ったか、この!
「おや、アカツキではないか。こんな所で何をしているのだ」
 勝利に酔いしれていると背後から偉そうオーラを纏った声が。たったそれだけで勝利の高揚感はどこかに去ってしまった。
 振り返りたくねえなぁ。
 俺が渋い顔を作っていると、その隣をすたすたと女の子が通り過ぎていく。よく見てみると相手は一つも表情を変えていなかった。可愛いのにもったいない。それからどこに行くのか気になったので迂闊にも振り向いてしまった。そしたら当然、さっきの声の主の顔が見えてしまうわけであって。
「さあアカツキよ、大聖堂へ帰ろうぞ」
 相変わらずなキーラはものすごく嫌なことを言ってきた。
「やだよ。俺、あの大聖堂嫌いだ」
「そんなことを言ってはヴィノバーが悲しむぞ? おっとそうだ、アカツキ、君に渡したい物があったんだ」
「は?」
 キーラが気の利いた物をくれるわけがない。そこんところだけには無駄に確信がある。ああもうあの女の子はどっか行っちゃったんだろうなぁ。せめて名前だけでも聞いてりゃよかった。
「さあ、受け取るがいい」
 とか何とか言いながら無理矢理押し付けてくるのが大僧正様と呼ばれるゆえんである。何を渡されてるかも確認できてないうちに、ぐいと押し付けられた物をとりあえず手に持ってみた。そしてゆっくりと視線を下におろすと、おやこれは、いつか見たことのあるトンネル用製品ではないか。
「ソルから聞いたぞ、君はそれを使ってアナを追い払ったそうではないか」
 いやそれ何の話?
 俺が握っているのはつるはしだった。コクの家に置いてあったのを勝手に使った記憶がある。そして無謀にもそれでアナに戦いを挑んだ。でも実際にこれで殴ったりした覚えはない。
「で、これを俺にどうしろと?」
「もうすぐこのラットロテスで戦争が起こるかもしれないではないか。その時の為の準備だ」
「何だよそれ」
 つまりこれを武器に戦えと言いたいのかこいつは。とことんむかつく野郎だな、おい。
「では帰ろうぞ」
 俺の考えをさっぱり察してくれない大僧正様は俺の腕を掴み、さっさと歩き出してしまう。なんだかもう反発するのも面倒だったので、そのまま引きずられるようにラットロテスの町を後にしたのであった。
 ……あれ、そういやヴィノバーはどこに行ったんだろう?

 

 

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