26

 この目に映る事実。
 この目に映らぬ真実。
 正しいのはどっちだろう?
 信じられるのはどっちだろう。

 

 今まで自分が見てきた、ラットロテス大聖堂内にいる人間のヴィノバーに対する態度を、ありのままで嘘を交えずに俺は司教に全て話した。誰がどう見ても明らかに彼を嫌っていること、むしろ嫌いすぎなほど嫌悪していること、何でもないのにいちいち文句を言ってくることなど、まだ数時間しか共に過ごしていないはずなのに、話すことが山ほど出てきたので少し驚いてしまった。そんな俺の話を司教は黙って聞いていた。大聖堂内に入ってきたステンドグラスの光を浴びながら、決して美しいとは言えない事実を、突然現れた過去から来た人間の口から聞いて、とても冷静に受け止めているようだった。
「そういうことだったのか」
 俺の知っている限りを話し終えると、司教は一つため息を吐いた。もっと驚くかと思ってたけどそうでもないらしい。司教様はいたって落ち着いた様子で、ただとても悲しそうな顔をしていた。
「実は昔にも同じことがあってね――」
 誰もいなくなった広間の中で、司教は手に持っていたヴィノバーの残した本を開く。そしてそれを俺とキーラに向かって差し出してきた。なんだかよく分からなかったが、とりあえず素直に受け取ってみることにした。
 本に視線を落とすとまず驚いた。この本、確か表紙が手書きだったけど、なんと中身も全て手書きだったんだ。ぱらぱらとページをめくってみるとよく分かる。几帳面さがうかがえるような字で、ページいっぱいにびっしりと文字が書かれてある。まあ俺には理解できない言語だったけど、日記とかそういうのではないらしかった。
「とても綺麗な字だな」
「そーなの?」
 キーラはこの字を綺麗と言う。しかし俺にはさっぱり分からないので、肯定することも否定することもできない。
「その本はヴィノバーが子供の頃に作った聖書なんだ」
 ほお、これは聖書だったのか。しかし子供の頃に作っただなんて、そんなに聖書が好きだったのかね、幼き日のヴィノバーくんは。
 さらにページをめくっていくと変なものが見えた気がした。思わず顔を前に向け、司教様の顔を見てしまう。
「これは落書きか?」
 隣で空気を読まない大僧正様が声を上げた。変なものが見えたページをまじまじと見つめながら、司教に対して質問しているのだろう。俺はもう一度視線を下に落としてみた。そこには確かに、キーラの言う「落書き」のようなものがページいっぱいに書かれてある。
「……ヴィノバーはいつもこの本を持ち歩いていた」
 呟きのような声が上から降ってくる。
「まだ幼い子供だった頃、ヴィノバーは突然私に聖書の内容を全て覚えたと言ってきた。最初は私は冗談だと思ってまともに相手をしなかったが、それを見て怒ったヴィノバーは、部屋にあった紙とペンを私の目の前に持ってきて、聖書の内容をその紙に書きつけていった。一言一句間違えずに、少しも止まって考えたりせずに、結局多くの紙を費やして彼は最初から最後まで全ての文章を紙に書いてしまったんだ。その時に書いたものが、その本なんだ」
 司教様はとても面白味のあるお話をしてくださった。おいおいマジかよ、と言いたくなる。こんな分厚い本を子供時代のヴィノバーが書いたって? しかも聖書まる写しだと? どういう記憶力してんだよ、あの死体運びの兄ちゃんは。全然そうは見えないのにな。
「だからヴィノバーはその本を大切にしている。いつも懐に入れて持ち歩き、誇りを持ちながらその本を他人に見せている。中身を書いたのは彼、そして表紙を作ったのは私だ。だからだろうか、修行僧たちの中には、ヴィノバーが私に贔屓(ひいき)されていると思った人がいたらしくてね」
「だからあんなことを?」
 司教の表情は穏やかとは言えない。それでも穏やかに感じられるのはなぜだろう。
「それも、ないとは言えない。しかし」
 次の言葉を聞くのが怖い。
「皆が彼を避けている理由は、本当はそんな単純なものなんかじゃないんだ」
 見えない何かに突き飛ばされた心持ちがした。
 何らかの理由があるんだろうとは思っていたけど、実際にそうだと言われると違和感を感じずにはいられなかった。だってそうだろ、たとえ何か恐ろしい理由があったとして、たったそれだけでこの場所で生活している人すべてに嫌われるようなことが、はたしてあってもいいことなんだろうか? そもそも日本では理由もなしに避けられたりいじめられたりすることが多い。そういうのって大抵いじめられてる本人に非があるわけじゃなく、ただいじめている人たちが優越感に浸りたい、または憂さ晴らしをしたいという欲望から生まれるものだ。俺はそういうのを間近で見てきたからよく分かる。後からよく聞けば相手側の言い分は、ほんの些細なことだったということが常だ。そんなものに俺たちはいつだって翻弄されている。大勢の前ではなすすべもなく、一人で立ち向かうこともできずに、誰かに知られることを非常に恐れ、傍観している人間を臆病者だと恨む。そんなことでは解決できないとも知ってるのにさ、そうすることしかできないから仕方がないと諦めてるんだ。
「その理由というものは?」
 キーラは司教に率直に聞く。こいつのことだからまた興味がなくなって別のことを考えてるんじゃないかと思ったが、一応は今の話について来られているらしい。反面、俺はなんだか、事実に近づくにつれてだんだんと理由を聞きたくなくなってきた。だって、またつまらない回答が返ってきそうで怖いんだもん。
 心なしか穏やかな表情をしている司教は、俺とキーラの顔を交互に見てきた。相手の方が背が高いので俺たちは見下ろされる形となってしまう。それ以前に相手は世界的に有名な司教様だ。目線だけでなく、その地位からも見下ろす立場になっているんだろうな。それはそれで可哀想かもしれない。
「それは私の口から言うべきことではない。ヴィノバーから直接聞いてほしい。だが……その理由を知れば君たちも、彼のことを避けるようになるかもしれない」
 最後に何やら不愉快なことを言って、司教は話を終わらせてしまった。また最初に見せてきた悲しげな顔に戻り、意味深に胸で十字を切ってその場を去った。
 残された孤独感が無駄に大きく感じられる。
 こんな話を聞かされて、俺は何をすればいいのだろう。

 

***

 

 客人用の部屋で椅子に座ってぼんやりしていると、キーラが何やら大量の本を持って俺の隣に座ってきた。明らかに何かするつもりだ。まさかとは思うが、読書大会なんか始めるんじゃないだろうな?
「アカツキよ、この時代には素晴らしい話が多く残っているようだぞ」
「俺そんなの興味ないもーん」
「しかし残念ながらアカツキのことは残っていないようだ。あれほど素晴らしい英雄なのに、この時代で語られる英雄は一人のみ。その者の名は分からないそうだが、まだ大人にもなっていない少年が英雄と呼ばれているようだ」
「…………」
 相変わらずの無視っぷりである。まったく、こいつめ。本当に一方的に喋るのが好きだよなぁ。もう返事なんかしてやらないぞ。
 それにしても英雄ってのはいつの時代にもいるんだな。日本での英雄って誰だろう? そもそも現代社会じゃ様々なジャンルがある。誰もが認める英雄なんて存在しないんじゃないだろうか。
「ほら、ここに書いてあるぞ。過去のあらゆる大戦を平和的に終結させ、多くの世界の争いを止めるために走り続けた少年がいる、と」
 別に見たくもないのに本を押しつけられ、仕方なしにそいつを見てみることにした。しかしその本には文字しか書かれてなかった。こんなもん読めるか。
 だけどキーラは気にしない。つーかきっと気づいてない。こいつはすでに俺が異世界から来た人だということを忘れてるんだろう。何でもかでも自分の都合のいいように解釈して、車を持ったら一瞬で事故を起こすようなタイプの奴だ。
 ああ、俺、なんでこんな奴と一緒にいなきゃならないんだろう。なんだか泣けてきた。俺って可哀想。
「おや、こっちにも面白いことが書いてあるぞ。ほらアカツキ、読んでみたまえ。新しい精霊が現れたらしいぞ」
「セイレイ? 興味ねー」
 やたらファンタジーな単語がポンと出てきた。そんなファンタジックな世界に慣れてる大僧正様にとっては違和感などないのかもしれないが、俺にとってはもう聞くだけでも疲れそうな内容である。
「ふむ。この本に書かれてあることが本当ならば、この時代に闇の精霊はいないらしいな。それと源属性の精霊は行方不明らしい。また精霊たちは誰かの元に集っていて、契約をするにはその誰かの所まで行かなければならないのか……」
 説明口調の独り言ほどむかつくものはない。だったら口に出すなよ、と言いたくなってくる。それがわけの分からない内容なら尚更。
 キーラはまだ何やら喋っていたが、俺はもうとことん無視をすることに決めた。こいつの独り言にまで付き合っていたら身が持たない。いやマジで。
 客人用のキラキラした豪華な部屋の中、無駄に装飾の多い椅子に腰をかけ、シャンデリアのぶら下がった天井を見上げる。
 見た目だけならどこにも負けないだろう。しかしここの住民は、僧侶のくせに他人に厳しい。何が面白くて彼を避けるのか、どんな理由があって彼を苛(さいな)むのか。
 考えれば考えるだけ頭がこんがらがってくる。おまけにむかむかしてくる。別に俺は彼の友達ってわけでもないし、彼が俺に助けを求めているわけでもない。俺は決してお人好しになりたいとは思わないし、周囲の人間もそれを望んだりはしないだろう。なのに、むかむかする。本当にわけが分からなくて、やるせない気持ちが一気にどっと押し寄せてきた。
 俺はどうすればいい。
 彼を救う、なんて大げさなことをしたいとは思わない。だけどなんだかこのままじゃ嫌だった。俺はキーラみたいにすぐに何でもかでも水に流せるほどのんきじゃないし、妙なところでお人好しになってしまうということも分かっているつもりだ。コクが家で倒れた時と同じように、また走り出そうとしている自分が見える。だけどまだ躊躇してる。このまま走ってしまって、その先にあるものは、本当に俺や彼の為になることなんだろうかって。こんな赤の他人である俺が首を突っ込んだところで、彼の為にしてやれることなんかあるんだろうか。むしろ余計なお世話だと怒られるかもしれない。また司教が言っていたように、彼の中にある恐ろしい理由を知って、大聖堂の連中と同じように彼を避けるようになるかもしれない。今でこそ彼の為に頭を悩ませているが、事実を知った時の反応なんて誰にも分からないものだから。どうすることが一番の得策なんだろう。何事もなかったかのように付き合うこと? 彼に直接理由を聞きに行くこと? それとも、それとも――もう彼とは関わらないように、大きな距離をあけること?
 ……気色悪い。
 あーもう、おかしい。変だ。これ以上は考えるだけ無駄。そしてきっと、俺は自分の考えが可笑しいことに気づいている。
「よしキーラ、行くぞ!」
「どこへ」
 勢いよく立ち上がってガッツポーズまでしたのに、隣に座り込んでいる大僧正様は本から目を離さずに一言だけで質問をしてきた。あのねぇキーラくん。それが人に質問する時の態度なのかなぁ?
 再度キーラを叱ってやろうと口を開きかけた時、廊下の方から悲鳴のようなものが聞こえた。いや、これは「ようなもの」じゃない。明らかに悲鳴だ。サスペンスドラマでよくあるような、恐怖に彩られた多少わざとらしい男の悲鳴。
「むっ、何事か!」
 急に元気になる大僧正様。お前さっきは俺の言葉を無視してたのに、一体どういう神経してんだよ。本当に自由な奴だな。
「さあ様子を見に行くぞ、アカツキよ!」
「あ、ちょっと――」
 気を抜いていたらまた服を引っ張られた。このヤロ、お前が毎度毎度引っ張るせいでどんどん服が伸びていくじゃないか。しかも掴むのは決まって左腕だ。このままだと左の袖だけが妙に長くなるという悲劇が訪れるぞ。
 なんとかキーラの拘束から抜け出そうともがいたが、結局さっきの悲鳴の主の所まで引きずられてしまったのであった。大僧正様ってこんなに力が強かったっけ? いっつも不健康でモヤシなイメージしかないから、ちょっと驚きものだ。うん。
 そこにはすでに人だかりができていた。そりゃそうだ、あれだけ大声で叫んでたんだから。
 人々の集まりの中心に、二人の人間の姿が見える。喧嘩でもしたのか両者とも体じゅう傷だらけで、今は一人がもう一人の胸ぐらを掴んでいた。
 胸ぐらを掴まれ殴られそうになっているのは若い青年修行僧。そして彼を掴み、同時に睨みつけているのは、他でもないあのヴィノバーだった。
「ま、待て、やめてくれ、ヴィノバー!」
 どこか悲痛な声が周囲に響く。そんな懇願を死体運びの兄ちゃんは、ちゃんと冷静に聞いていられるだろうか。
「お前の聖書を燃やしたってのは嘘だ! きっと司教様が持ち帰ったんだよ! だから、だから――殴らないでくれ!」
 どうやらまたヴィノバーに嫌がらせをしていたらしいな。しかも今度のネタはあの聖書か。そりゃヴィノバーは怒るだろう。だって司教の話だと、彼はあの聖書を持つことに誇りを持ってたみたいだから。
「嘘、だと?」
「ああそうだ、だからさ、ヴィノバー……」
 鈍い音が強く響いた。そして床に飛び散る赤いもの。
 思わず目をそらしたくなる。でも見てしまったから、もう駄目だ。
 ヴィノバーは思いっきり相手を殴ってしまった。殴られた相手はそのまま飛ばされ、背後にあった壁に打ちつけられる。それでもまだ気がすまないのか、死体運びの兄ちゃんはすたすたと歩いて相手の目の前に立ち、再び同じことを繰り返した。
 なんだよこれ、血みどろの世界じゃないか。暴力反対! 誰か助けて!
「こら!」
 俺の祈りに応えるかのように制止の声が上がる。ああきっと心優しき人が喧嘩を止めようと割り込んできたんだね。期待を覚えながら振り返ってみると、そこには見慣れた偉そう大僧正様と野次馬連中の姿しかない。
「喧嘩はやめるんだ、みっともない!」
 一瞬キーラが出しゃばってきたのかと思ったが、そういうわけではなかったらしい。二人の喧嘩を止めているのは修行僧の誰かさんだった。別に大した特徴もない修行僧なので、なんだか裏がありそうな気がしてきたぞ。ここの住人は本当に、ヴィノバーに対してだけは非常に意地が悪いんだから。
「みっともないだと? みっともないのはこいつの方じゃねえか! こいつは、俺の聖書を燃やしただなんて嘘を言ってきたんだぞ! こんな嘘つきの方がよっぽどみっともないだろ!」
 やはり人の好いヴィノバーは嘘をつかれたことを気にしているらしい。それで殴るのはどうかとも思うが、彼にとってあの聖書は特別だったんだろう。そんな大事なものを嘘の題材にされたりしたら、きっと彼じゃなくても怒る人はいるだろう。
「でも先に手を出してきたのはお前の方じゃないか、ヴィノバー」
「それがどうしたんだよ」
「お前の方が悪いって言ってんだ!」
 再び鈍い音が耳に届いた。もういい加減にしてほしい。
 今度は殴られたのはヴィノバーの方だった。吹っ飛ばされてちょうど俺の右側に転がる。って危ねぇな、もうちょっとで俺まで被害を受けるところだったじゃん。でもこれで頭が冷えたかもしれない。とにかく喧嘩を始めたら冷静さが皆無になるんだ、そのせいで事件を起こすのが一番みっともない。
 それでもヴィノバーは立ち上がろうとした。まだ続けるつもりなのか? これだけうるさくしてたら司教様だって気づくと思うんだけど、あの人は本当に気づいてないんだろうか?
 空中にのばしかけた手は空気しか掴まない。よろめきながらも立ち上がろうとするヴィノバーの姿は、少年漫画のありがちなシーンを再現しているようだった。まさかこんなものを間近で実際に見ることになるなんて思わなかった。いつも「ああ、またか」と思っていた場面なのに、今は他の何よりも痛ましく感じられ、腹の底から彼を応援したくなってくるんだ。俺はしゃがみこんで彼に手を差し出した。ヴィノバーはそれを見た刹那、目を丸くして少しのあいだ固まってしまった。
 不思議に思いつつ彼の顔を見ていると、ヴィノバーは俺の手を掴もうと手をのばした。しかしそれは俺に触れる前にどこかへ連れていかれてしまう。びっくりしてヴィノバーの姿を探すと、先ほど二人の喧嘩を止めに入ってきた修行僧が、彼の腕を掴んでそのまま体ごと引きずって歩いていた。
 あの怪しい修行僧の奴、一体何をするつもりなんだ? ちゃんと二人の喧嘩を止めてくれるのか、それとも他の連中と同じように、一方的にヴィノバーが悪いと決めつけるんだろうか? 立ち上がってそいつの後を追う。相手は俺が追いかけてるのを知ってるのか知らないのか、無言で傷だらけのヴィノバーを引きずっていた。
「アカツキ、一人では危険だ」
「危険ってお前、別にここは悪の帝王の屋敷じゃないんだから」
 俺の行動を見てか、大僧正様が後ろから走ってきた。修行僧の後を追いかけながらコソコソとばれないように話をしたものの、通常なら相手はもう俺たちの存在に気づいているだろう。それでも振り返ってこないのは、自分に強い自信があるとでもいうのだろうか。そんな自信なんか壊れてしまえ。
 そうしてしばらく歩いていたが、急に相手がぴたりと足を止めた。はっとしてどこか隠れられそうな場所を探したが、そこは廊下のど真ん中。植木鉢すら置いてない。やばいよやばいよ、見つかっちゃうって絶対!
「……司教様」
 ん? 司教だって?
 よーく前方を観察してみたが、どこにも司教様はいらっしゃらない。こいつ幻でも見てんじゃないのか?
 不審に思ってキーラの顔を見てみると、こちらもまた頭上に疑問符を浮かべているような表情をしていた。この時ばかりは意見が一致しているようだ。珍しいこともあるもんだな。
 なんてのんきに構えていると、相手はぐるんとこっちを振り返ってきた。ああ、なんてこった。俺たち全然駄目じゃん。
 しかし相手はどうやら俺たちを見ているわけではないようだった。ありゃ、もしかして俺たちの後ろに誰かがいるとか? 疑問に対し正直になって後ろを振り向いてみると、そこにははたして、黒いローブを身にまとった司教様が立っていらっしゃった。俺に続いてキーラも振り返る。
 司教様は少し偉そうな様子で歩き、俺とキーラの隣を通り抜けていった。そしてヴィノバーを掴んでいる修行僧の前でぴたりと足を止める。
「化けていないで正体を現すんだ、リザ」
 なんと、あの修行僧は敵意丸出しな銀髪少女だというのか? しかも化けるって、一体何を考えてるんだろう。
 司教様に命令された相手はそれに従い、ヴィノバーの腕を放して元の姿に戻った。本当に一瞬のことで、ぱっと光が見えたと思ったらもう別人の姿になってたんだ。ねえこれって明らかに魔法じゃないの? 未来ではみんな魔法が使えるようになってるんだろうか。
 相手は司教が言ったとおり、敵意丸出しの銀髪少女だった。相変わらず厳しい顔つきをしており、女の子らしさなど微塵も残っていない。
 どこか怒ったような表情になっている司教様は、床に倒れて動かないヴィノバーの傍にしゃがみ込んだ。
「ヴィノバー、立てるか?」
 彼のことをいたわっている非常に優しげな声だった。しかしそれにしては言っていることが滅茶苦茶だ。あの怪我で立てというのは酷なことだと思うんだけど、司教の思いに応えたいのか、ヴィノバーは何事もなかったかのようにさっと立ち上がってしまった。おいおい大丈夫かよと思っていた矢先、案の定というべきか、ふらりと倒れかかる死体運びの兄ちゃん。そんな彼を司教様は立ち上がって支えた。
「アカツキ君にキーラ君、悪いがこの子を私の部屋まで運んでくれないだろうか」
 この場にいたのが悪かったのだろう。間違った名前で呼ばれるのは諦めるとして、何やら大変そうなことを頼まれてしまった。だってさ、司教様のお部屋って四階にあるんだぞ。そりゃここは二階だけどさ、目的の場所に行くには階段を通り抜けなければならない。ただでさえ疲れるというのに、それをヴィノバーを抱えながら行かなければならないなんて!
「よし、承ったぞ司教殿。さあアカツキも手を貸すのだ」
「うあぁ……」
 予想はできてたけどキーラがすぐに承諾してしまった。ついでにまた腕を引っ張られる。悲しみのあまり声にまで出してしまったじゃないか。あぁ、もう。
「リザ、お前も私の部屋に来るんだ」
 よいしょとヴィノバーの肩に手を回していると、今まで聞いたこともないような声色の司教の声が聞こえた。なんだろう、これは。呆れたようなものでもない、悲しんでいるようなものでもない、平静さを失わないではいるようだけど、裏には確かに純粋な「怒り」が潜んでいたんだろう。
 しかしリザは動かなかった。睨むような鋭い瞳でヴィノバーの姿をじっと見ている。それを見た司教は頭に来たのか、さっとリザの腕を掴んで素早く歩き出してしまった。
「いててっ!」
 ふと近くから聞き慣れた声が響く。
「こらアカツキよ、負傷者に乱暴をするでない!」
「ら、乱暴ってお前……」
 俺は何もしてない。ちょっとぼーっとしてただけじゃねえか。
「だから、痛いって! 引っ張るな!」
「……む?」
 どうやらヴィノバーは俺じゃなくキーラに言っているようだった。この大僧正様、俺がまだ立ち止まってるのに自分だけで歩き出そうとしてやがるんだ。ヴィノバーが痛がるのも当然だ。無茶苦茶じゃん。
 反省した大僧正様は俺とヴィノバーのスピードに合わせる技術を学んだ。そうやってゆっくりと廊下を歩いていると、周囲から冷めた視線がたくさん集まってきて、これがヴィノバーの感じ続けていたものだということがようやく分かったのであった。

 

 

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