月のない夜に

 

 

番外編その1
 〜05のシーン描写〜

 

「そう、そうやって、素直になっていればいいんだよ」
 月光に包まれた相手の笑顔は、俺から全ての感情を奪い去った。
 腕を引っ張られて身体を起こされた。地面の上に座り込み、相手の目が近付いてくる様をわけも分からないまま認識する。彼の手が白衣のボタンを弄っていた。慣れた手つきで脱がされて、あの人のぬくもりが俺の身体から消えてしまう。
「ん――!」
 なんだか息苦しくなったと思ったら、相手の顔が間近にあった。彼は俺にキスをしてるんだ。唇と唇とが触れ合う接吻、滑り込んでくる相手の舌、艶めかしい愛情の表現法。ただ彼のキスは苦かった。気分が悪くなって吐きそうになる。それでも彼を押しのけてはならなかった――だって俺がこれを望んだんじゃないか!
 口が解放されると相手のベルトが地面に落ちた。金具が鋭い金属音を奏で、ちょうど俺の指の先にぐしゃりと落とされていた。布が擦れる音が目の前から聞こえている。地面の後ろにある物を探そうと目を伏せていたら、顎を持ち上げられて夜空に溶け込んだ相手の顔を見なければならなくなった。
 頬に何かが押し当てられている。まだ硬くはなっていないそれが何度か俺の頬を叩き、彼に従わねばならない自分は相手の欲望を正確に感じ取る必要があった。口を開けると汚いものを押し込められた。舌の上を滑り、すぐに喉の奥まで到達する。
 苦しかった。息ができないだけじゃない、他の要因が俺の全身を切り刻んでいるんだ。あいつらを守る為にはこうするしかない。俺が犠牲になり、彼の欲望を満たしてやれば、それだけであいつらを守ることができるんだ。こんな暗闇を知るのは自分だけでいい。誰もこの苦しみを味わってはならないんだ!
 頭を押さえ付けられ、彼は幾度も俺の喉の奥を犯してくる。逃げられない俺は目を閉じてその瞬間を待つ。しかし彼はまだ始めたばかりで、俺が期待した結末はなかなか訪れないようだった。口の中からそれを抜き、座り込んで俺の胸に手を伸ばしてくる。
 彼の手がアニスの十字架に触れていた。汚い手で触れている! その手は何人の人間を貶めた? 何人の命を奪い、何人の身体を汚してきたんだ! 頭の中で火花がばちばちと燃えている。でもどうしてだか俺はそれを遠くから眺めることができたんだ。だって俺は彼に逆らってはならない――彼は十字架に接吻した。その後で舌を這わせた。俺に見えるように、何度かこちらに目を向けながら、ぎらぎらした瞳で俺の表情を確認している。もう早く終わって欲しかった!
 胸が圧迫されて顔をそむけると髪を引っ張られた。彼の乱暴な手つきが癖になりそうだった。キスを受け止め、震える手を隠そうと努めた。彼は俺の服を一つ残らず剥ぎ取ってしまい、自身もまた一糸纏わぬ綺麗な姿になっていた。彼の肌が直接触れている。背に腕を回され、抱き締められているように押し潰された。
「お前、口でするのは得意か?」
 静かな夜空の中から落ち着いた声が囁いてきた。
「……な、何」
「どうなんだよ。ケキさんにいつもやってたんじゃないのか?」
 彼は何を知りたがっているのだろう。口でするって、一体何のことだ。俺はまだ分からないふりをしていたかった。何も知らないように見せかけて、相手の憐れみでも買おうと目論んでいたのではないだろうか?
「まあ、なんだっていいさ。やってみりゃ上手いか下手かも分かるからな。ほら……」
 立ち上がった相手はあまりに威圧的で、身体が震えていることが自分でもよく分かった。上手く動かない手をゆっくりと持ち上げ、すっかり硬くなった彼のものを掴んで口の中へと誘導する。
 過去の記憶が語りかけ、俺は舌と唇とを使って彼を悦ばせ始めた。震えていた手も徐々に落ち着きを取り戻し、なんでもないと思い込むことで心は平坦になろうと働き出していた。そうだ、こうやって、相手を悦ばせていればいいんだ。俺は皆を守る為に彼の相手をしている。好きでこんなことを望んだわけじゃない、こうしなきゃ皆が悲しむから犠牲になったんだ! だとしたら、これは苦しいことじゃないはずだ。俺が汚いものを全て請け負っていけば、皆はいつまでも綺麗なままで笑っていてくれるんだ。
 自分から喉の奥まで押し込めて、頭を大きく動かしながら彼に奉仕をし続けた。俺を見下ろす目が怖かったから決して上は見ないようにしていた。相手は何度も息を吐き出し、頭に手を乗せて髪を引っ張ってきた。長い時間をかけて奉仕していると、彼の方から俺の額を押して身体を離された。
 相手は俺の後ろに回り込み、背中から腕を伸ばして肌を触ってきた。舐めるような手つきが胸と腹とに押し付けられる。片方の手は乳首に到達し、もう片方は太ももの上を滑っていた。後ろから首に舌を這わせてきて、乳首と陰部とを強い力で刺激された。
「い、嫌――」
 思わず声を漏らしてしまう。彼に触れられただけで身体が痙攣していた。俺の呟きが聞こえなかったのか、相手は手の動きを強めることも止めることもしなかった。同じような速度で刺激を与え、俺の身体が面白いくらいはっきりと反応する様を楽しんでいる。知らない間に手をぎゅっと握りしめていた。それは何も掴めなくて、爪が手のひらに喰い込んで赤い血が流れるまで俺は気が付いていなかった。
「お前、こうされるのが好きなんだろ」
 風の音に混じって恐ろしげな声が届けられる。
「嫌だなんて言っているが、本当はこんなふうに、誰かに暴力を振るわれて支配されることが好きなんだろ」
「あ、う――っ!」
 彼の手つきが全身に駆け巡った。驚くほど素直に身体が跳ね上がり、自分の身体が恨めしくなってくる。寒いはずなのに全身から汗が流れていた。後ろから身体を押さえ付けられ、もはや身動きも出来ずに彼の愛撫を待ち焦がれるしかなかったんだ。
「くくっ、お前も感じてきたんだな。ほら、もうこんなになってやがる……自分でも分かるだろ? お前の身体は、俺の××が欲しいって言ってるんだ」
「い、や……!」
 どうしてそんな汚い言葉を言う。俺を元に戻してくれ、誰でもいいから早く、この男を地の底にでも突き落としてくれ!
 相手の身体が離れたかと思うと地面に仰向けに寝かされた。彼は俺の両足を手で掴んで開かせ、ぐっと距離を縮めてきた。彼の準備は整った。ああ、きっと彼はもうすぐ、俺の中に入り込んでくるんだ――俺は彼に支配されてしまうんだ!
「い、嫌だ、それだけは嫌だ! やめろ、やめてくれ! な、何でも……言うこと聞くから! 本当だ!」
「ああ、そうかい」
 彼は笑っている。何が可笑しいのか分からない。俺の姿が滑稽なんだ。自分から望んだはずなのに嫌だと喚く俺が滑稽で仕方ないんだ! だってそうじゃないか! このままじゃ彼に支配される、彼が俺の中に入り込んで、好きなだけ遊んで乱暴を押し付けてくるんだ! それは嫌だ、そんなことは耐えられないから!
 だけど、ああ! 拒否してはならない、彼から逃げてはならない! 俺が我慢しなきゃ皆が苦しむんだ、俺だけの犠牲で皆が助かるんだ、だから! だから――我慢しろって? 俺が我慢しなきゃならないのか? 他の奴じゃ駄目だったのか、俺じゃなくて、たとえば樹だったなら――いや、何を! 何を考えている、俺は、彼に犠牲をなすりつける気か! 馬鹿なことを、彼みたいな壊れやすい人、彼のような光に最も近い人を、どうしてこんな世界に引きずり込まなければならない! ああ、許してくれ! 俺は彼を裏切りたくない、樹もリヴァセールも薫もあかりも、俺に笑いかけてくれる人たちを裏切りたくないんだよ! 逃げたいなんて考えてはならないんだ、相手を拒否することは俺の罪に値するんだ!
「ラザーラス、お前は俺に、一体どうして欲しいんだ?」
 足首を掴まれたまま、俺は彼の顔を見上げている。彼の姿が邪魔で美しい月は見えなかった。でもその方がよかったのかもしれない。
「い……れて」
「聞こえないなぁ」
 喉が詰まっている。俺は何を言っているんだ?
「俺の中に……入れて、エダ」
「何を入れて欲しい? 言ってみろよ……」
 頬に手を当てられている。その動作はどこか優しげだ。
「あ、あんたの――××を」
 彼の目がすっと細くなった。
 それが身体の中に入り込むのに時間は必要じゃなかったんだろう。相手は俺の挿入口を無理に押し広げ、根元まで深くねじ込んできた。彼の生命が俺の中で脈打っている。それはあまりにも大きくて、目の前の景色がちらちらと入れ替わり、まともに目を開けていられなくなってしまった。
 彼は俺を突き始めた。俺を汚して楽しんでるんだ。深いところまで犯されて、俺は声を出さないよう我慢していた。それでも突然の刺激に驚いて幾度も声が漏れてしまう。こんなの、まるで犯されて喜んでるみたいじゃないか! 俺は嫌なのに、嫌で嫌で仕方がないのに、それなのにどうして俺の身体は勝手に反応してしまうんだ? 声だけじゃない、身体の――あの一番敏感な部分だって、彼に触れられて大きくなり、彼に突かれて何かが出てきそうになっている。いくら我慢しようとしても止められなくて、強い力で貫かれると意志とは関係なしに先端から白濁した液体が放出された。何だって! 何が出たんだ、俺の身体から――何が、どうして出てきたんだよ、こんなに汚いものが、一体どうして!
「もう、やめて――」
 声が震えていた。女みたいに高い声しか出てこない。視界が歪んでいる、泣いてなんかないのになぜ?
「仕事、ちゃんとするから。邪魔なんかしたりしないし、逃げたりもしないから。だから、これ以上は、もう……」
「うるせぇな、いい子ぶってんじゃねえよ!」
「ひ――っ!」
 彼の手に力が込められ、抽挿の速度が速くなる。彼にとっては遊びでも、俺は本気にしなければならなかった。身体じゅうが悲鳴を上げ、手足の指先から感覚が失せていく。これはいつまで続くんだろう、彼はいつになれば満足してくれる? 俺はそれまで平気でいられるだろうか。彼の欲望が浄化され、俺に興味を示さなくなるその時まで――。
「あ……がっ!」
 頭上に雷が落ちた心地がした。跳ね上がった身体はびくびくと痙攣を始めている。何が起こったのかよく分からなくて、相手の姿を目で確認しなければならなかった。彼は動きを止めていた。何度か長い息を吐き、下に俯いて呼吸を整えている。なんだかぞっとして彼から身体を離そうと動くと、どういうわけか相手に阻止されることもなく俺の願いは叶えられた。ただそれは遅かった。俺はもう、彼の玩具に成り果てた後だった。身体の中から彼の印が流れ落ちる。恐ろしくて声さえ出なくなり、焦った心は指でそれを掻き出そうと自ら汚い部分に触れていた。
 俺の腕を掴む者があった。相手は腕を引っ張り、俺を地面に座らせた。まだ彼の熱い印が身体の中で燃えている。それが気色悪くて頭がくらくらするのに、相手は俺の下に滑り込んで次の準備を始めていた。
「もういいだろ、さっきので充分だろ!」
「何を言ってるんだ、まだお前の身体は満足してないんだろ? さあ、今度はお前から入れるんだ。お前が上になり、自ら腰を振って、もう一度俺を満足させるんだ」
「そ、そんなこと――!」
 怖い。彼の言葉に従うことが怖かった。俺はどうしようもなく汚れてしまう。これじゃ本当に、彼との交わりに納得しているようにしか見えないじゃないか! こんな奴、殺せるものなら今すぐに殺してやりたい! だけど今の俺にできることなんて、ただ歯を食いしばって恥辱を忘れ、彼の命令を大人しく聞き入れることだけだったんだ。俺は彼の言葉に従った。相手の精液で滑りがよくなった穴に彼のものを押し込んだ。わざわざ手を使って、ちゃんと奥まで入るように、目でも確認しながら入れたんだ。こんなに恐ろしい屈辱が他にあるだろうか! だけど、泣いたりしてはならない。俺が泣けば、奴はきっと喜ぶんだ。俺は最低限の幸福しか与えない。そうでなきゃ自分を保てずに壊れてしまうと分かっているから!
「どうした? ほら、早く動けよ」
 上から声が降ってこないことが唯一の救いだったかもしれない。俺はすっと腰を上げ、そのすぐ後に下ろした。相手が深いところまで入っていた。もしかしたらさっきよりも奥に入ったかもしれない。自分の動作で自分を苦しめるなんて、俺は頭がおかしくなったんじゃないだろうか。もう一度同じ動作を繰り返した。肉の間を分け入るように彼が内部に侵入してくる。ああ、もう何も理解できない。俺はどうしてこんなことをしているんだろう? どうしてって、決まってるだろ、皆を守る為だ。だけど――もし、誰かが――たとえば樹が俺のこんな姿を見たら、一体何を思うんだろうか。お人好しの彼が俺のこんな姿を見たら、一体何を――思ってくれるんだろうか――?
「あ……」
 気が付けば口から唾液が垂れていた。長い髪が身体にべったりとくっついている。夜空があまりに高すぎて下に俯くと、相手の腹の上に白い液体が大量に零れていた。これは、そうだ。俺の中から出たものだ。また勝手に反応したんだ。この身体、欠陥品みたいに、余計な機能ばかりが働いている。もうすっかり壊れちまったんじゃないのか。こんな汚い行為に興奮して、おかしな体液を飽きもせず放出するなんて、俺の身体はガタがきて狂っちまったに違いない。でなきゃ理解できない。俺がこんな奴に犯されて快楽なんて得ているはずがないんだから!
 起き上がった相手は俺をうつ伏せに転がし、そのまま腰を持ち上げてきて俺は相手にとって都合のいい格好になった。後ろから髪を引っ張られて頭が持ち上がり、学校の屋上から見える夜景が視界の中に飛び込んでくる。あの美しい景色は俺を助けてはくれないだろう。相手はすぐに入り込んできた。俺の身体も、もう拒否反応を起こしたりはしなかった。
 たくさん犯された。無邪気な子供が遊ぶように相手は俺を突き続けた。頭がぼんやりしてものが考えられなくなってくる。もはや自分が何なのかさえ分からないんだ。
 ああ。
 僕はただ誰かを守りたかっただけだった。誰かの笑った顔を失いたくなかっただけだったんだ。その為にこの行為が必要なら、僕は喜んで受け入れなければならないのかもしれない。でも僕はこれが嫌いなんだ。だって、苦しいんだもの――息ができなくなるし、身体の中から支配されるし、終わったなら、相手はすぐに消えてしまうから。誰も僕を愛してくれない。いや、愛してるんだ。愛してるから僕を壊そうとしてるんだろう。そうなんだ、これが愛だから、愛されたいということは、犯されたいという願いと同一のことなんだ。
「もっと――」
 大きく揺れる地面の上に、たくさんの斑点が描かれていた。
「もっと、エダ……もっと!」
「ああ、お望み通りに――っ!」
 身体の芯が熱くなる。
 背中がぞくぞくして力が入らなくなった。地面に崩れ落ちると二度と立ち上がれないのではないかと思えた。だけどもう何もできなかった。俺はただ、彼に愛されて、捨てられる他に道がない。
 地面には多くの染みができている。その全てが俺と彼との交わりにより生じたものだ。俺の体液も、彼の汗も、地面は分別もせず平等に受け入れていた。そうやって黙りこくる様は俺の姿とそっくりだ。
 無様に捨てられた俺は一人きり、二度と来ない朝をぼんやりと期待しようと思った。手も足も動かすことができず、震える体を憐れみながらも心のどこかでは笑っていたんだろう。誰かがここまで来てくれないかと考える余力も失って、俺はただ絶望を通り超えた場所でたった一つの光を待ち続けていた――。

 

 

 

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