月のない夜に

 

 

番外編
 〜取り戻したもの〜

 

 心地良い風が身体を包み込む。俺の傍にいる彼の長い髪がふわりと浮き上がり、聞き取れないほど小さな音が綺麗な音色を奏でていた。
「いい天気だな」
 零れ落ちたのは彼の何気ない一言。俺にとっては世界の全てであるそれに返事をし、相手の白い手に自分のものを重ねる。
 ずっとこうしていたいという気持ちが溢れてくる。
 穏やかな風と、平和な日常。そして隣に彼が――俺の愛するラザーラスさえいてくれれば、他には何も要らないと思っていた。
 彼と一緒にいたい。彼と同じ道を歩みたい。それは俺に唯一許されているわがままだった。だってその思いに同調し、彼もまた俺と同じわがままを言うんだから。
「二人とも、久しぶり!」
 風に乗って妙に明るい声が耳に届いた。
 そちらに顔を向けると、きらきらと輝いている少女の爽やかな顔が俺たち二人に向けられていることが分かった。

 

 

 学校が春休みになり、俺は毎日を家でのんびりと過ごすことが可能になっていた。ただ今までの春休みとは違い、俺はほぼ毎日ラザーの所へ遊びに行っていた。特に目的もなく彼と共に町をうろついたり、時には家の中にずっと閉じこもって話をしていたり、とにかく俺はラザーと一緒にいられるだけで幸せだった。そして相手もまたそれを望んでいるようで、俺たちは喧嘩をすることもなく毎日を共に過ごしている。
 そんな日常に飽きたわけではないが、今日は気分転換にとガルダーニアにいるアレートに会いに来ていた。もちろんラザーも一緒だが、アレートのことが好きだと言っていたリヴァは来ていない。どうやらちょうど警察の仕事が入ったらしく、とんでもなく恨めしそうな顔をされて見送られたのだ。家に帰ったら一発くらい殴られる覚悟をしなければならないかもしれないな。
 数か月前までは廃墟だったガルダーニア国も今では復興が進み、だけどまだまだ村の域を出ないような有様だった。誰かにつっこまれたのか以前まであったハリボテの建物は消えており、そのせいで余計に田舎の村っぽく見えている。俺が国王ならこの程度でも満足してしまうだろうけど、アレートの理想ではこんな国など許せないらしく、大帝国にしようと日々奮闘し続けているらしかった。
 そうして俺はのどかな景色を眺めながらあの日のことを思い出していた。
「ねえねえ聞いてよ。この間レヴァイムの使者が来ててね、復興を手伝ってくれたんだよ。それにしては全然お金とかくれなかったけど」
「そ、そうなのか」
 レヴァイムってのは確か、この世界で一番大きな国なんだとラザーが教えてくれた気がする。世界的に力を持った国が支援してくれるならガルダーニア復興も楽になるんじゃないだろうか。そんなことを考えるのは俺が無知だからかもしれないけど。
「そうだ! せっかくここまで来てくれたんだから、私とちょっと修行しない?」
 まるでとてもいい案を思いついたと言わんばかりの顔でアレートは要望を押し出してくる。相変わらず彼女は修業が好きらしい。変わってなくて安心したけど、それに付き合わされる身としたら素直に喜べないところがひどく悲しい。
「私あなたと手合わせしたいの、ラザー」
 そして俺は完全に無視されてるし。
「いいぜ」
「――え?」
 すぐ隣から明るい声が聞こえ、俺は思わず彼の顔を見上げてしまった。
「久々に相手してやるよ」
「よーし!」
 早速上着を脱いでアレートは戦闘体勢を作る。俺の隣ではラザーが黒い上着を脱ぎ、それをこちらに手渡してきた。
「ラザー、大丈夫なのか」
「何を心配してるんだお前は。俺があいつに負けるとでも思ってるのか?」
 なぜかやたらと自信があるようだが、いかんせん相手がアレートなので俺はとんでもなく心配だった。ラザーの上着にはナイフやら銃やらが入っていてずしりとした重さがあり、それを手放した今の彼はほとんど何にも包まれていない状態になっているはずだ。そりゃ確かに知り合いに向かって武器を振り回すような真似はしないだろうけど、格闘技を鍛えまくっているアレートにどう立ち向かうつもりなんだろう。
「たまにはいいとこ見せねえとな」
 ズボンのポケットからゴムを取り出し、ラザーはきゅっと長い髪を一つに束ねる。
「それでは……いざ勝負!」
 アレートの鋭い掛け声と共に世界が動き始めた。
 馬鹿正直なアレートはラザーに向かって真正面から飛び込んだが、もともとひねくれているラザーは勝負開始の合図と共に身を翻して姿を消してしまったらしい。アレートの素早い拳が空振りに終わり、すぐさま気配を察知した彼女は背後からのラザーの蹴りを的確に防いだ。ついでに足を掴んでラザーのバランスを崩したアレートはその隙を逃さず、相手を引っ掻くように腕を振る。ラザーラスはぐんと上半身をそらしてそれを避け、空いている両手を地面に付け、足を回してアレートの腕から逃れた。そうして後ろにバック転してアレートから距離を取る。
「はあっ!」
 再びアレートの突撃が風を切った。目で追えないほど速い彼女の拳をラザーは気持ちいいくらいすんなりと避け、おまけに相手の足を引っ掛けてしまう。支柱を失ったアレートは少しだけぐらりとよろめいたが、それをも利用して下からラザーに向かって拳を振り上げた。ただラザーはそんな突拍子もない攻撃も避けてしまい、片手でアレートの腕を掴む。
「お前、ちょっと腕がなまってるんじゃないか?」
「……」
 会話さえ興味がないらしく、アレートはすぐさまラザーの手を振り払った。今度は彼女の方から足蹴りが飛び、なんとも美しい曲線が描かれる。やはりラザーはそれを避けてしまい、何を考えているのか両手をズボンのポケットに突っ込んでしまった。それが相手の神経を逆撫でする為の罠だったのか、更に熱を帯びたアレートは何度も拳を相手に向かって突き出し続ける。
「わっ」
 ぼんやりと観戦していると二人が徐々に近付いていることに気が付かなかった。慌てて後ろに引っ込むが、勝負に夢中になっている二人は完全に俺のことなど忘れているらしい。いくら避けてもどこに移動するか分からない二人から完璧に離れることは不可能だった。いや、なんで俺がこんなに必死にならなきゃならないんだよ。
「せいっ!」
 アレートの気合いが入った一言がまっすぐ飛んでくる。どうやら相手は俺の正面にいるようで――。
「え、ちょ」
 これって明らかに俺に向かって拳振りかざしてるじゃん! ラザーはどこに行ったんだラザーは!
「樹!」
 咄嗟に両腕を持ち上げて身を守ろうとしたが、ふと気が付くと俺の身体は誰かに抱き締められていた。そんなことをしてくれるのは、もう一人しかいない。
「ラザー……」
 咄嗟の行動だった為か、俺は相手に抱き締められたまま地面の上に転がってしまった。ラザーはすぐに身体を離し、俺に覆い被さるような体勢でこちらを心配そうに見てくる。
「大丈夫か? 危ないからお前は離れてろ」
 これでも離れてるつもりだった、というか二人の移動範囲が広すぎて離れようにも離れなかったんですけど。
 なんてことは絶対に言わない。俺は素直に頷き、相手の頬に手を伸ばした。手のひらから感じられるものは変わらない。俺を守ってくれる人、それでいて俺が守りたいと思っている人がここにいる。
「心配するな。すぐに終わらせてきてやるから」
「う、うん……」
 俺はすっと手を離し、そして太陽が何かの影により隠される瞬間を目撃した。
「あ、ラザ――」
「隙ありぃいッ!!!」
 ばきっ。
 なんだかとってもいい音が鳴り響き、背後から思いっ切り頭を殴られたラザーは俺の上にばたりと倒れた。
「やった、ついにラザーに勝った!!」
「うわあああラザー!! しっかりしろー!!」
 アレートの歓喜の声が歌のように流れていく。その隣で俺は何度も彼の身体を揺さぶって声をかけたが、ラザーラスはしばらく気絶したまま目を覚まさなかった。

 

 +++++

 

「……」
 起き上がったラザーはものすごく機嫌が悪そうだった。
 彼が起きるのを待っていると夜になってしまい、結局俺たちはガルダーニア国で一泊することになった。夕食を終えて案内された場所はあの日と同じ部屋であり、それも相まってかラザーの顔は誰が見ても分かるほど歪んでいる。この時間になるといつもなら俺を抱き締めてくれるのに、今日はそれどころか全く口を利いてくれなかった。それほどアレートに負けたことが悔しかったのだろうか。
「ラザー、勝負のことは気にするなよ……俺はラザーの方が強いと思ってるよ」
「ふん」
 ぶすっとした顔のまま相手は顔をそっぽへ向けた。うう、こういう時ってどうすりゃいいんだ。俺の力じゃラザーを癒すことはできないのかっ!
「ラザーってば」
 相手が座っているベッドに腰を下ろし、彼の白い手を取る。
「昼間のことは忘れてさ……その。もう寝よう?」
 顔をよそに向けたまま、だけど目だけ動かして相手はちらりとこちらを見た。そうしてしばらく黙り込む。
「ラザー」
「……幻滅しなかったのか」
「え」
 彼はまた視線を壁の方に投げた。相手の鋭い瞳が恋しくなってくる。
「あんな負け方をして、お前を守ることさえ忘れてて……本当はお前、幻滅したんじゃないのか」
 声が震えていた。だから目を合わせてくれないのだろうか。俺の姿を見ることが怖いのだろうか。ああ、そんなことは俺には分からない。
「何を言ってるんだよ。俺はずっと、ラザーのこと信じてるよ」
「だけど――」
 くっと身体を持ち上げ、相手にキスをする。
「これでも信じてくれない?」
「……」
 今度は相手からキスされた。唇と唇が触れ合うだけのささやかな接吻で、それがとても心地良い。
「樹。俺はお前を守りたいと思っている。お前を守る為ならどんな敵にでも勝てると思う。たとえそれが世の果てにいる怪物だろうと、お前の中に眠っている兵器だろうと、俺はお前という存在を守る為なら制限のない力を引き出せると思い込んでいるんだ」
 相手の目がまっすぐこちらを見ていた。彼が何を言わんとしているのか、俺は少しずつ想像を始める。彼の言葉の一つ一つから事実の欠片を見出そうと努力をする。ぎゅっと手を握り返し、相手に気付かれないようにゆっくりと身体を近付けた。
 だけど背に腕を回され、ぐいと相手の胸元へ引き寄せられる。
「だから俺にとっては負けたことが信じられなかったんだ。知り合いの、不老不死でもないただの人間に――俺はおそらく手加減をしていた。あいつと本気で戦うことができなかった」
「どうして?」
 俺は分かっているのに質問した。彼の口から理由を聞きたかったのかもしれない。いいや、単に答え合わせがしたかっただけだ。俺は彼のことをどれだけ知っているかということを自覚して、その結果に酔いしれたいと思っているだけだ。
「お前は意地悪だな」
「ん――」
 唇が塞がれる。いつもは俺の方からすることが多いのに、今日のラザーはちょっとだけ子供っぽく見えた。
「ただお前が思っている答えと、俺が感じている理由は異なっているかもしれない。俺が力を抑えてしまったのは、暴力に対し嫌な感情を持つようになったからだと思うんだ。相手のことを気遣っていたわけじゃない。意図的に手加減をしていたわけじゃないんだ」
 それがたとえば過去の傷跡のせいだとして、ラザーラスは簡単に受け入れてしまったのだろう。誰かを傷付けることも誰かから傷付けられることも彼にとっては「恐ろしいこと」に他ならない。そしてそれは他の人間よりずっと深い痛みとなって彼の身体に刻み込まれている。
 大きな負の感情が彼に戻っているのかもしれない。俺はどうすればそれを消すことができるのか、そんな簡単な問題にさえ解答できなかった。
「ラザー?」
 相手の腕に力が込められていた。おかげで俺の身体は潰されかけ、二人の心臓が溶け合いそうになる。だけど脈打つリズムはばらばらで、異なる個体は決して一つに成り得ない。
「樹。俺はお前を愛している。愛しているんだ、本当に」
「知ってるよ、ラザー。俺にはちゃんと伝わってるから」
「失いたくない……お前だけはきっと守るから! アニスも、クトダム様も、守り切ることができなかったけど、お前だけは何があろうと守るから! だから許してくれ、こんな馬鹿な男のことを許してくれ、樹!」
 彼が何を言っているのか分からなかった。なぜ彼は許しを請うのか。なぜラザーラスは今でもあの男に「様」を付けて呼んでいるのか!
「ラザー。俺だけを愛してよ」
「愛している、お前のことは他の誰よりも!」
「いいや、駄目だよ。言葉なんかじゃ伝わらない。ラザーはまだアニスやクトダムの幻影を愛してるんだ。その二人を完全に切り離してくれないと、俺はラザーからの愛を感じられない」
 それは嘘だ。彼が誰のことを大切に思っていようと、俺へ向けられた感情に偽りがないことなど分かり切ったことだった。だけど俺はあえて歪な言葉を口にした。そうやって彼を試そうとしていたのか、それとも嫉妬でおかしくなる歯止めとして利用しているのか、そんなことはもうどうでもいい。
 キスされた。唐突な接吻は舌の下に滑り込み、俺を内部から乱暴にかき混ぜてくる。キスしたまま身体を押し倒され、薄っぺらい布の下に相手の淡い手のひらが侵入した。長い指の一本一本がどこにあるのかがよく分かった。
 上から美しい銀髪が垂れてくる。唇が離れ、彼の顔が少しだけ遠くなった。
「なあラザー。愛って何?」
 相手の表情は動かない。だけど本来動くべき唇も動かずに、ただじっと俺の目を見ているだけだ。
「あんたはそれを理解できてる?」
「愛は――」
 息が吐き出された。それに伴って声が出たんだ、何もおかしなことは起こっていない。
「愛は、暴力じゃない」
 まるで教科書に書かれているような回答だった。それなのに彼の意見は否定を表現していて、まっすぐではない。
「暴力じゃないなら、一体何なんだ?」
「……」
 彼は黙り込む。だから俺も黙る。それは二人にとって必要な沈黙だったんだ。今までたくさん喋りすぎてしまったけど、本当はこうやって黙ることこそが真に求められている要素だったのではないだろうか。
 行動することだけが表現に繋がるわけじゃない。
「分からないことを恥じなくていいと思う。俺にだって分からないことはあるし、決まった答えを持たないものだって多いから。だけどさ、ラザー。俺はこうやって今みたいに、ラザーが俺とまっすぐ向き合ってくれることが嬉しいし、何よりそれが俺たちの欲している愛に近いものだと思ってる。背中を向けて、耳を塞いで、後ろに逃げ出したりしない限り、俺はラザーのことを愛し続ける。俺がいつか迎える最期の時まで――愛し続けるから」
 俺は微笑んだ。彼に向かってやわらかな光を与えたかった。相手はくっと目を開き、俺の頬に手を当てた。震える唇はやはり何も答えない。
「樹」
「うん」
 彼が俺の名を呼ぶ。それだけでどうしてこんなにも、俺の心は満たされてしまうのだろうか。
 ああ、これがきっと、「幸福」というものなのだろう。
 もう何度目かのキスを受け止め、相手に促されるままに服を脱いだ。彼の指が肌の上を這い、貪るように突き進んでいく。俺は窮屈になりながらも身体を起こし、相手の服を脱がせた。そして現れた胸板に小さくキスをする。
「ラザーの身体ってたくましいよな……筋肉とか、すごく堅いし」
 ぽんぽんと胸板を叩くとその堅さがよく伝わってきた。色は白くて綺麗なのに、儚さとは相反する事実が愛おしい。
「お前は筋肉がなさすぎだ。女みたいだぞ」
「だ、だって俺、運動苦手だし……」
「将来太るんじゃねえのか」
「えっ」
 思わぬ反撃を食らってつい相手の顔を見上げてしまう。おそらく本気で言ったわけじゃないだろうけど、無駄に現実味のある内容だったから聞き流す事ができなかった。
「俺が太ったら、ラザーは、その……俺のこと嫌いになる?」
「別にそういうので嫌ったりはしねえけど」
 彼は優しいからそう言うんだ、俺を気遣って傷つけまいとしているに違いない。
「俺、ラザーに相応しい人間になるよう頑張るよ。身体も鍛えるから」
「おい、お前は余計なことしなくていいって」
「駄目だよ、だって俺が脂肪だらけのぽっちゃりな大人になってラザーの隣を歩いてたら、きっと世間は笑うんだ! 俺はラザーが笑われてるところを見たくないんだよっ!」
「そ……そうか」
 勢い余って俺はラザーに抱き付いた。そんな子供っぽい俺の頭をラザーは優しく撫でてくれる。
 いや、ちょっと待てよ。もし俺が身体を鍛えるんだとして、そのコーチをラザーに頼むとどうなるだろう。もちろんラザーと一緒にいられる時間が増えて幸せになれるし、汗で濡れた身体を洗う為に一緒にお風呂に入ってくれちゃったりして――。
「ラザー! 俺が身体を鍛える時は是非とも手伝ってくれよな!!」
「はあ? なんで俺がそんな面倒なことをしなけりゃならないんだよ。カイにでも頼めばいいだろ」
 世界が止まった心地がした。
「嘘だろ、俺たち恋人同士じゃねえかよっ! 手伝ってくれたっていいじゃないか!!」
「あのなあ、俺はそんな、他人にものを教えられるような人間じゃねえんだよ」
 こうなりゃ意地でもその気にさせてやる。ラザーだってきっと俺のコーチになってくれたら病みつきになること間違いないんだから!
 相手のベルトを外し、ぐいとズボンを脱がせた。そこから現れた彼のものに手を伸ばし、強く刺激を送り始める。
「お、おい」
「今日はラザーが抱いていいよ。だから、身体鍛えるの手伝って」
「馬鹿、やめろって――」
 どうしてだか相手の顔が真っ赤になっている。いつもやっている事なのに何が彼を興奮させているんだろうか。俺は硬くなるまで手で扱き、頃合いになると口で咥えた。彼の大きさが口の中で主張を始める。
「は、あ……うっ」
 きゅっと目を閉じ、何かを我慢している顔が上にあった。俺はその顔がとても好きだ。彼は嫌がっているわけじゃないし、だけど恥じているから我慢をしている。いささか照れ隠しのようなその表情は、俺の中でいつしか可愛いと思えるものになっていた。だからもっと意地悪をしたくなってしまう。
「俺の口の中、ラザーでいっぱいになってるよ。そんなに気持ちいいんだ?」
「ば、馬鹿なことを言うな。お前なんか、そこらのガキよりも下手くそだ」
「え、ちょ」
 いくらなんでも子供より下手だなんて。そしてこうやっていちいち相手の言葉に傷つく俺は、もっと大人にならなきゃならないんだろうな。反発心が出てきた俺は余計にやる気を出し、相手を満足させようと強く吸いついた。再び送った刺激は何の妨害もなく彼の元に届くしか道がない。
「ふ、う――っ」
 口の中で何度も彼が脈打つ。俺は他の誰でもなく俺の行為で相手を興奮させていることに快感を得ていた。徐々に身体は中心から熱を帯び出し、彼を押し倒したい衝動に駆られる。
 だけど今日はそれを我慢しよう。だってそうしたら、二人の望みが叶いそうな気がしたんだ。
「もう、いい……樹、もういいから。だから口を離せ」
「んん――」
 頭の上に手を乗せられ、強い力で頭を離された。そのまま彼の手のひらは俺の身体に添えられ、やわらかな手つきでベッドの上に寝かされる。
 彼が覆い被さると世界の半分が見えなくなった。
「入れるけど、本当にいいのか、お前」
「ん? 何が?」
 上にいる相手はどうしてだか困ったような顔をしている。今まで散々こういうことを繰り返してきたのに、立場が変わっただけで恐れるなんて、彼の神経質さが際立っているように思われた。俺は腕を伸ばして相手の背中にそれを回した。そうして彼の身体を自分に近付け、赤くなっている頬に唇を押し当てる。
 彼の大きな手が肌に触れ、痛くない程度に脚を掴まれて少しだけ身体を持ち上げられた。硬くなっている相手のものが俺の入口に添えられ、ゆっくりと中に侵入してくる。
「ん……」
 久しぶりの感触だったから身体が驚いたらしく、必要以上に反応して痙攣に似た揺れを感じた。思い出の中にあった相手よりも今の時間に感じられる相手は大きくて、身体を支えている柱が二本に増えたような感触がある。
「大丈夫か?」
「うん、ちょっと……久々だからびっくりしただけ」
「痛かったら言えよ」
 そう言ってラザーは俺にキスをした。彼の優しさが心地いい。
 呼吸が落ち着いてきた頃になって相手は俺の中で動き始めた。内側からかき混ぜられているようで、それでいて破壊と創造が幾度も繰り返されているような、もうすっかり忘れていた感覚に精神ごと陥れられる。相手は俺の身体を抱き起こし、ベッドの上で座っている体勢になって下から突き上げてきた。力が入らなくなってきた俺は彼の身体にぎゅっとしがみ付き、相手の口から漏れている吐息を全て吸い込もうと口を開く。
「ラザー、ラザー。可愛いよ」
「な――」
 ぱっと顔を赤らめた相手は目を大きくしていた。それでも動作は止めなくて、俺は更に相手の言いなりになっていく。
「ラザーってさ、本当に、抱く時も抱かれる時も可愛いよな。もちろん格好いい時もあるけど、こうやっていちゃいちゃしてる時は最高に可愛い」
「お、お前、馬鹿だろ……っ」
 俺は彼の強がる姿が好きだった。我慢している顔も、恥じている顔も、だけど一番好きなのは笑った顔だ。素直じゃない相手はなかなか笑ってくれることはなく、こうして二人きりになった時だけ何物にも染められていない笑顔を見ることができる。ただ相手の笑顔はあまりにも儚すぎて、耐え切れずに泣きそうになる時がある。俺はそういう側面も含めた彼の笑顔が好きだった。
 戸惑う相手をベッドの上に押し倒し、彼からよく見えるように身体を起こして自分の力だけで動いてみた。慣れない行為はやはりぎこちなかったが、いつもみたいに相手を見下ろす視点はなかなかそそるものがある。
「お前、こんなことどこで覚えて――」
「内緒」
 実際はラザーがしてくれたことだったわけだが、どうやら本人は忘れているようなので黙っておくことにした。その方が彼は焦るだろうし、俺を一人占めしたいという気持ちも強くなってくれるはずだ。
 そんなことを考える俺ってやっぱりサドに近いんだろうか。エダに言われたこともあながち間違ってなかったってことかな。
「ラザー、下から突いてよ」
「あ、うん」
 よっぽど気持ち良かったのか、相手はすっかり俺に任せて動かなくなっていた。催促した際に聞こえてきた返事がやたらと可愛らしくてつい笑ってしまう。
「てめえ、何を笑ってんだよ!」
「いや、ごめんごめん」
「まったく……」
 間違いなくいちゃついているはずなのに、なんだか今日は変なノリだった。でもたまにはこういうのも悪くないな、と思う。彼は俺の要望通り下から突き上げ、貫かれた俺の身体は宙へと放り投げられた。重力のままに落ちてくるとまた深く相手が侵入し、そのあまりの快楽に俺は酔いしれそうになる。
「あ――樹、もう――」
「へ?」
 彼の苦しそうな声が真下から聞こえ、そちらに視線を落とした刹那に放出が起こった。熱いものが体内を侵食していき、入り口の隙間から漏れ出ようとしている。
「なんか、早くない? そんなに俺の中、良かったのか?」
「そ、そういうんじゃねえよ!」
 先程よりも顔を真っ赤にした相手はふいと顔をそらす。いつも俺が抱く側だからたまにはこうして逆になるべきなのかもしれないと感じた。でなきゃラザーにストレスというか、そういうものが溜まってしまうんだろうから。
 とはいえ、俺はまだ果てる場所にまで到達していないわけであって。
「ラザー。今から抱いてもいい?」
「は? 何を言ってんだお前、俺はさっき出したばっかり――」
「俺は出してない。だから、いいだろ?」
「お、おい!」
 一度彼のものを抜き、寝転んでいた相手に覆い被さる。
 表面では嫌がっているように見える彼だけど、俺のキスを受けた後は文句を言うことはなかった。俺はたとえわがままを言ったとしても全てを受け入れてくれる相手のことがとても好きだった。
 二人が一つになる事は有り得ないけど、限りなく近付くことは可能だ。お互いのありのままを受け入れられるこの瞬間を、俺は「幸福」と呼ぶことにしよう。
 長い夜はまだ始まったばかりだ。

 

 +++++

 

 翌日、何を思ったのかラザーはアレートに再戦を申し入れた。それを断るはずがなかったアレートは張り切ってラザーの要望を受け入れ、二日目となる対決がまたもや俺の目の前で行われたわけだが、今度は真面目に戦ったラザーが勝利したらしかった。
 しかし端から見ていた俺からするとどちらが勝ったのかいまいちよく分からなかった。二人とも最後は正当っぽい型のある戦い方をせず、とにかく相手を再起不能にしてやろうと言わんばかりの殴り合いをしていたので、勝負に決着がついた時は両者共に地面の上で寝転んでいたという始末だった。それでもラザーが自分の勝利を宣言していたので、そういうことにしておかなければならないんだろう。
「どうだ、樹。俺はあいつになんか負けないんだ」
「そ、そう」
 すっかり傷の癒えたラザーラスは意気揚々と俺に話しかけてくる。彼の時折見せる子供っぽさは可愛いとは感じるが、こういった子供っぽさはどう対処していいか困るもんだ。
「お前のことは何があろうと守ってやるから安心しろよ」
 ちょっと首を傾け、相手は俺に向かって小さく微笑みかける。
「……うん」
 俺は何の思惑もなく素直に頷く。そうして彼の全てを瞳の中に入れ込み、やっぱりこの人のことが誰よりも好きなのだと改めて感じていた。

 

 

 

 

目次

inserted by FC2 system