月のない夜に

 

 

番外編
 〜始まりの映像〜

 

 ぼくを抱く慶一郎は怪物のようだったが、慶一郎に金を払いぼくを抱こうとする男は獣のようだった。
「それじゃ、清明。この人の言うことをちゃんと聞くんだぞ」
 部屋を出る前に慶一郎は必ずぼくに一言残していく。ぼくは肯定も否定もせず、彼から目をそらして別の事で頭をいっぱいにする。なるべく考えないようにしていれば痛みは和らぐはずだと思っていたのだ。だからぼくは相手の顔など一つだって記憶していない。
「君は可愛いね」
 ぼくを抱こうとする大人は決まって同じことを言う。ぼくはそれにも返事をせず、だけど逃げ出しもしないで相手の命令に従っていた。相手は変われど行為の順序はよく似たもので、まず気持ちの悪いキスをされ、その後に服の上から身体をまさぐられる。ぼくは相手を悦ばせなければならないと慶一郎に言われていたので、わざと感じているふりをして艶っぽい吐息を演出する。
「あ、だ、駄目……」
「ここがいいのだろう?」
 何度も繰り返されたやり取りを終えると、次は服を剥ぎ取られる。その前に下半身を刺激されてぼくが下着の中に出すまで手でやられる時もあったが、大体は相手が手を汚してまでぼくを悦ばせることはなく、さっさと自分のズボンを下ろしてご立派なそれをぼくに咥えさせようとするのだ。ぼくは口でするのは得意だった。適度に唾液で湿らせて、無駄に音を立てるだけで相手は悦ぶ。そして声を掛けられた時には美味しいとだけ言っていればいい。大人とはいえど、男は皆単純なんだ。
「綺麗な身体だ」
 ベッドや床にぼくを転がした後、相手はぼくの身体についての感想を漏らすことがあった。ただぼくはそれを聞くのが嫌だった。始める前は散々褒めるくせに、いざそれを開始すると全く大事にしてくれないんだ。突然乱暴になって、やめてと叫んでも力ずくで押さえ込まれる。ぼくの都合などお構いなしに、相手が満足するまでぼくは玩具になるしかない。そのくせ彼はぼくを愛していると繰り返し言うんだ。――気色が悪くて吐きそうになる。
「さあ、君の身体を使わせてもらうよ」
「や、やだ……!」
 慣れているはずなのに、もう何度も経験したはずなのに、得体の知れぬ非自己が体内に侵入する瞬間は嫌悪感で頭が満たされていた。身体をよじるぼくが逃げないよう相手は体重を掛けて押し潰してくる。その下でいくら暴れようと無駄で、既に別の男により広げられていた穴を貫かれたなら、ぼくは失神しそうな程の何かを味わわねばならない。意識もしてないのに大きな声が出て、続いて休みもなしに突かれると身体も精神も壊れるんじゃないかという不安に苛まれていた。
「君は本当に綺麗な身体をしているね。まだ汚れが薄くて、どんな色にも染められる。だからこそ、今から汚してしまわなければならないんだ。そうしなきゃ勝手に他の色をつけられてしまうからね」
 ただ突かれるだけなら我慢できるものの、道具を使おうとする相手は厄介だった。知っている道具ならそれに合った反応を作ることができるが、見たこともない物を使われるとどうしていいか分からなくなる。目隠しや縛りは慣れているから平気だったが、ぼくのそこに振動する機械を押し付けられたり、とんでもない動きをする棒状の機械を後ろの穴に入れられたりするのはとてつもなく嫌だった。だけどそれを好む人の方が多くて、ぼくは知らない間に相手を悦ばせる反応をしてしまっていた。調子が悪い時には機械だけでいくこともあり、ぼくの精液を恍惚とした顔で舐める男を見ると恥ずかしさや悔しさで殺されそうになる。その勢いのまま今度は相手に口でされたなら、若いぼくの身体はすぐに反応して連続していくこともあった。
「君のような子がいてくれるから大人は喧嘩をしないで済むんだ。君は知らないだろうがね、君の行為で救われている人だっているということなんだよ」
 どんな理屈を並べられても、ぼくは決してそれらを信用する気になれなかった。何だかんだと言っても所詮することはセックスだけなのだ。中に入れられてからが本番で、前戯などただの嘘っぱちにすぎない。ぼくを気にせずずんずん突いてくる奴は傲慢で、声を掛けながら一見優しそうに貫いてくる奴は狡猾だ。ぼくの喘ぎを欲しがる奴もいるし、上に乗せられたぼくから動くことを望んでくる奴もいる。ぼくは慶一郎に言われていたから、相手の命令には全て従った。どんなに汚くて淫らなことでも文句も言わずにやり遂げた。そしたら相手は調子に乗り、更に大胆な命令を下してくることがある。当然ぼくはそれにも従わねばならない。
「清明君、愛しているよ」
 ――寒気が走る科白。
「愛している」
「やめて!」
 勢いでそんなことを口走ったなら、相手は怒るのではなくぼくを虐めようとする。わざといやらしい言葉を吐き出し、ぼくにそれを言わせたりして反応を楽しむのだ。分かっているはずなのにぼくはそれに慣れることができない。とにかく相手はぼくにやめてと言わせたがっていた。
 大抵先にいくのはぼくで、大人が満足するには時間が必要だった。ぼくが出した後にも突かれるせいでぼくのそこは望みもしないのに再び硬さを持つ。だけどもう一度いく前に相手がぼくの体内に出し、それで行為自体は終わりを迎える。
「あれだけ出したのにまだ硬いなんて、君はいやらしい子だな」
 蔑むような目で見られることにも慣れていた。激情が止まってしまえば、ぼくはもうそういう子供にしか見られないのだ。最後の仕上げを相手はしてくれない。ぼくの硬くなっているそれを見下ろしながら、大人はきちんとした小綺麗なスーツを着用し始めているのだから。
 自分の手を使って身体をいかせ、白い液体を出してしまう頃には慶一郎が戻ってきている。ベッドの上はいろんな液体でどろどろになっていて、だけどぼくの身体はいつだってそれよりもどろどろだった。慶一郎はそんな汚いぼくの写真を撮る。何枚も、別の角度から、写真を撮り続ける――。

 

 +++++

 

「ただいま」
 呼び掛けてもしんとしていた。当然だ、誰もいない時を見計らって侵入したのだから。
 そっと二階に上り、自分の部屋へと向かう。
 扉の向こうには昔と変わらない光景があった。あの頃から少しも動かしていないのか、家具も元のまま並べられている。俺は机に近付き、その下から小物入れを手に取った。蓋を開け、もう古くなっているビデオカメラを取り出す。
 世界から取り残された部屋を後にし、俺は友人のアパートへと帰った。
「ただいま」
「おかえり」
 今度は人がいるから返事があった。
「探し物は見つかったのか?」
「ああ。これ」
「え、これって――」
 そう。これはきっかけ。始まりの映像。終わりを告げた記録だった。
「また見るか?」
「いいよ、つらい気持ちになるだけだし」
「俺はお前に見て欲しい」
 あの時彼が気付いてくれてよかったと思っている。俺の秘密を知ってくれて、見つかった時は怒りと悲しみに満たされていたけど、本当は幾らか救われていたのだから。
「清明が見て欲しいのなら、見てもいいけど……本当に大丈夫なのか」
「一緒に見るから平気さ」
 彼の優しさに甘えている。だから過去を振り返ることができる。ありのままを見せることができる。俺の全てを知っていて欲しい。
 電源を入れ、出てきた映像をテレビに映し出した。そこに映るのは裸の清明と彼を犯す慶一郎の姿。
 その日は一日じゅう清明の淫らな声が部屋の中に溢れていた。

 

 +++++

 

 昔の自分が今の俺を見たらどう思うだろう。真の次はアニスに縛られ、何の罪もなかったロイを巻き込み、クトダムの命令で動けなくなった俺をどんな目で見るのだろう。
 俺を救ってくれた人が苛んでいたロイだと知ったら彼は俺を笑うだろうか。子供に救われるまでお前は何をしていたのかと怒られるだろうか。
『愛なんて要らない』
 蒼白な顔をした清明はいつも慶一郎にそう言っていた。慶一郎もまたそれを聞いて頷いていた。二人は何度も身体を重ね合ったが、その間に愛など存在しなかったのだ。
『どうか愛して』
 細い腕を懸命に持ち上げ、俺の背に手を回したラザーラスは愛を欲しがる。それが理解できない俺は彼をどうしていいか分からない。幼い頃に愛された経験がない俺はどのように子供を愛せばいいのか分からなかったのだ。その結果が生んだ悲劇はあまりにも巨大で、自分一人の力じゃどうすることもできない。
『ぼくが守らなければならない』
 全てを抱え込んでいた自分は滑稽だっただろうか。大人に助けを求めなかった清明はどんな顔をしていただろう。
 一人きりで戦うには相手が強大過ぎたんだ。子供は親に逆らえるはずがない。子供とは親の所有物だから。親は子供を玩具のように扱うから。
 しかし時が経ち成長すれば、次は自らが親となる。地位と身分という名の暴力を手に入れる。そして行うのは復讐か? 或いは――。
「清明」
 腕の中にある小さな生命が声を漏らす。彼が持つ美しい銀髪を見ていると、不思議と心が落ち着く気がした。
「俺、あんたのこと父親みたいに思ってるのかもしれない」
「――」
 喉から何か言葉が出てきたが、それが俺の耳に届くことはない。
 幼い頃の自分を抱き抱えているようだった。そうやって俺はようやく理解した。
 俺はずっと彼の中に自分自身を投影し、彼が俺の闇を連れて逃げ出すことを望んでいたのだ。結果としてそれが成功することはなかったが、こうして寄り添ってくれることが今は嬉しい。
 昔の自分が今の俺を見たらどう思うだろう。解放されたことを喜んでくれるだろうか、俺の為に涙を流してくれるだろうか。
 そうだ、あの頃の自分に会いに行こう。家にはまだあのカメラが残っているだろうから、その中の自分と話してみればいいんだ。
 そして今度は、現在の希望を彼に教えてやるんだ――。

 

 

 

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