天使は祈りを捧げました。

 天使は舞を踊りました。

 天使は唄を届けました。

 

原点物語

 

10

「一つだけ教えて」
 天使へと変化する前にサキは観察者の青年に向かって問いを投げた。
「本当のことを教えて。創造主になったら私はどうなるの?」
 アスターは答えたくはなかったらしい。しかしあまりにサキが彼の顔をじっと見つめるので、青年は形式ばった敬語口調で無機質な声を出した。
「天使になります。天使は意志を持ちません。感情を持ちません。ただの神の道具になります。しかしあなたが望むならば、意志や感情を持ったまま創造主になることも可能です」
 サキは最後の言葉からアスターの本音を読み取った。だが彼女はそれに気づかぬふりをして、ただ「そう」と言うだけにしておいた。なぜなら、もしここでそれを話題にすれば彼の全てを滅ぼすと感じられたのだから。それほどまでに影の青年の信念は強制的なものであったのだ。サキにはそれが痛いほど伝わってきた。
「カイさん」
 今度はサキは出し抜けにカイの目を見た。カイは場の成り行きを見守っていたが、全ての注目が自分に集まったことによって自分も関係していたのだということを咄嗟に思い出したようだった。彼もまたサキの目を見た。彼には少女の目が輝いて見えた。
「巻き込んでしまってごめんなさい。あなたは本当に関係ない人だったのに。でも私、嬉しかったんです。私とは何の関係もないし、少ししか一緒にいなかったのに、それでもあなたはここまで来てくれた。それが嬉しかったの。ただ嬉しかったの。本当に、どうしてだか分からないけど、涙が出るほどに――」
 視界が歪んでサキは戸惑った。そして急にそんな自分が恥ずかしくなった。
「俺は何もしてないのに」
 カイはぼんやりとしたまま呟いた。それはサキにちゃんと届いていた。
 サキはちょっと微笑んで見せた――それを最後に、少女は顔を別の人の方へ向けた。
「ロウ」
 名前を呼ばれて青い髪の青年はどきりとした。彼は相手に言葉をかけられることを怖れていた。
「あなたは本当に私をここへ召喚したの?」
 一番怖れていたことを聞かれて青年は言葉が出なくなった。伝えたいという思いはあったが真実を知らせたくなかった。なぜならその真実というのは少女にとって辛いものであるはずだから。
 しかしサキは微笑んでいた。
「……全て、彼の言う通り」
 相手と目をあわせないようにしながらロウは言う。
「世界の均衡を保つためには、どうしても創造主である君が必要だったんだ。だから俺は――何も知らない君を――無理矢理召喚して――」
 突然ロウはサキを抱きしめた。
「ごめん!」
 そう言うとさっと身体を離した。
「いいよ」
 表情を変えないまま少女は言う。
「もし最初から知らされていたら、私はきっと今と同じ決断をしたと思うから」
 視界が滲んでロウは何も見えなくなってしまった。青年の目には少女の姿がぼんやりとした光のように見えた。そして自分の目にたまっている涙に気づいて、泣くなんてことは本当に久しぶりだと考えていた。
 少女はそんな青年を見て、なんだか気の毒なことをしてしまったような気がした。しかしこれ以上自分にできることは何もないと知っていた。だから彼女は彼に対して何もしてやることができなかった。
 そして最後に顔を赤い髪の少年に向ける。
「アクロス」
 いつもまっすぐだった少年。いつも明るく笑っていた少年。
「お願いがあるの」
 正しいことと間違っていることを判断しようとしていた少年。何もかもを忘れてしまった、哀しい瞳を持った少年。
 進んで罰を望んだ人。
「何?」
 親しみを込めて少年は聞き返す。
「私が天使になったら、あなたが罰を受け終えたら、またみんなで――」
 その先は言葉にならなかった。少女の目から涙がはらはらと落ちた。それはまるで宝石みたいだった。花みたいだった。
 今まで抑えていた感情が一気に少女を襲った。サキはどうしようもない哀しみを胸の中にいっぱいに広げて、誰かにすがりたい思いを感じ取って、それでも自分一人だけの孤独を受け入れなければならない淋しさに打ち勝とうとしていた。

 弱みを見せてはならなかった。
 沙紀には守らなければならない人がいた。
 そしてその人を見捨てなければならなくなった。

「アスター」
 地面に力なく座り込んだ沙紀は、自分の後ろに立っている人の名前を呼んだ。
「私には大切な人がいるの。守らなければならない人がいるの。その人は私の妹。親を失って、哀しい人なの」
 ぎゅっと拳を握る。
「私はもう向こうへ帰れない。あの人を見捨てなければならない。私分かったの。人が死んだら、きっとこういうことになるんだって」
 アスターは黙って聞いていた。少しも表情を変えずに聞いていた。
「死んで、悲しいのは本人じゃない。悲しいのは、その人を大切に思っていた人。死んだ人には何も残らないから。
 でも、この場合。この場合は、――私もつらい」
 アスターは一歩沙紀に近づいた。沙紀は立ち上がった。目の前にいる三人を見た。三人は沙紀の大好きな人たちだった。
「さあ、世界を創造しましょう」
 そう言って沙紀は無理に笑って見せた。子供っぽい明るい顔だった。それでもその顔にはぴったりと影がくっついて離れなかった。
 背を向け、三人から少しだけ遠ざかる。三人は少女の背中を見つめた。とても小さな背中だった。儚く消えてしまいそうな身体だった。
「――サキ!」
 聞こえた声によって少女は足を止めた。
「サキ! きっと!」
 何も考えられなかった。何も分からなかった。
「たとえ全て忘れても必ず君を――」
 沙紀は振り返った。目に入ったのは燃えるように赤い色彩だった。
「必ず君を見つけるから!」
 目に焼きついたのは、もう二度と見られない色彩だった。

 

 崩壊した天は元に戻らなくとも、天使の祈りは光をもたらした。
 世界はいくつもの空間を創った。そしてそれらを暗い通路が繋いでいた。世界と世界の間には大きな扉が設けられた。
 たくさんの色彩が溢れた。たくさんの生命が生まれた。

 天使は祈った。皆が幸福になれるように。
 天使は舞った。世界に平和が訪れるように。
 天使は歌った。かつての自分を思い出しながら。

 天使は唄った。いつか、世界に光が満ちるように。

 

 

 

 そして世界は創造される。

 

 

 

 +++++

 

 藍色の髪の少年は目を覚ました。
 真っ暗な部屋の中でゆっくりと体を起こす。暗い中にも一つだけ明かりが灯っていた。蝋燭の火がゆらゆらと揺れている。
 目の前には自分を閉じ込めている何かがあった。しかし彼はその向こう側へ行ってみたいとは思わなかった。
 彼は感情を失い、時を失い、記憶を失っていた。
 自分が何者なのか少しも覚えていなかった。知りたいとも思わなかった。ただ一つ、どうしても忘れられないことが胸の奥に引っかかっていた。

 

 

 

 

 

 それは遠い日の約束。

 

 

 

 

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