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00

 もしここに一枚の紙が置かれてあり、その紙に自分が生きている理由を書けと言われたならば、俺は鉛筆でひたすら自分が今まで見てきたもの全てを書き続けるだろう。
 何の為に生まれ、何の為に生きていくのか。
 兼ね備えた勇気と正義は一体何を守り続けるというのか。
 本当に孤独になった時に差し込む光は、俺たちをどこへ導こうとするのか。
 そして全てが分かった時、成すべきことを見失わないでいられるのか。
 何も知らないことが罪だというわけではない。知ろうとしないことが悲しいのだ。
 知らないことを知る為に。
 自分の責任に片をつける為に。
 俺は何も知らないまま、別の世界へと赴いていった。
 そこで見たもの、行ったこと、その全てが偶然から成ったことであったとしても。
 構うものか、偶然でも俺はそこで生きているんだ。
 時計の針が止まるように俺の中の時間は止まった。
 少し恐いくらいの世界。
 ……すごく、輝いて見えた。

 

01

 

 気が付けば、そこは異世界だった。
「……は?」
 そのわけを今から話すとしよう。

 

 + + + + +

 

 すっかり夜も更けた頃、俺は一人で机に向かっていた。自分の部屋で黙々と勉強に励む姿は頭のいい奴にはお似合いのポーズだ。しかし残念ながら、俺はそこまで頭がいいわけではない。
 新品のノートに自分の名前を書き込んでいく。並ぶ文字の羅列はただ一つ、「川崎樹(かわさきいつき)」という名前だけ。その名が示す人間は来週から高校生になる十五歳であり、先ほど言った通りそれほど頭がいいというわけでもなく、ましてや運動神経がいいというわけでもなかった。どこにでもいそうな至って普通の人間だ。
 田舎生まれの田舎育ちで、容姿もそれほど変わったところはなく、黒の髪に少し茶色を帯びた瞳という本当に何の変哲もない普通の奴。それが鏡を覗き込んだ時に見える自分の姿だった。
 今も昔もそんなこんなで普通に暮らしている。平凡で楽で、これほどいいものはないだろう。
 現在この家で同居している家族は姉貴しかいない。俺とはかなり年が離れていて、朝から仕事に出かけている。両親は俺が小さい頃に亡くなった。おかげで家事は俺の仕事と化した。まあ仕方ないことだけどさ。
 それなりにうまく生活できていると思う。俺なんかがこんな事言う権利なんてないのかもしれないけど、実際、今困っていることはほとんどない。それってなかなかすごいことだと思う。この状況に立たされてそう思うのはきっと俺だけじゃないはずだ。
 不安が一つもないというわけでもない。これからの生涯のこと、社会のこと、勉強のこと。考えれば出てくる出てくる。まったくきりがない。
 それでも今までなんとかなってきたんだ。まあ、何かあったらその時はその時でってことで。

 

 + + + + +

 

 人は何の為に存在しているのだろう。
 夢を叶える為? 幸せになる為?
 それとも、絵を描く為? 歌を歌う為?
 本を読む為? 海で泳ぐ為?
 何を求めるのか。
 何を望むのか。
 生きている意味が分かった時、何かを望むことができるだろうか。何かを求めることができるだろうか?
 それよりもまず、やらなければならないことがある。
 それを成し遂げた後に、一体何が残るというのか。

 

 + + + + +

 

 ふう、こんなもんかな。
 一息ついてシャーペンを机の上に転がす。
 だんだんと眠気が襲ってきた。ちょっと勉強をやりすぎた感が漂っている気がしなくもない。高校に入るからってここまで力入れなくてもいいだろうが、自分。
 心の中で自分に突っこみを入れ、一人苦笑する。いつからこんな性格になったんだろうな。前はもっと真面目というか、冗談なんて言う奴じゃなかったのに。それだけ気持ちに余裕が持てるようになったのなら、まあそれはそれでいいことなんだろうけど。
 椅子から立ち上がり思いっ切り伸びをする。正直気持ちいい。なんだか重荷が取れるようですっとした。
 げ。もう十ニ時か。
 壁に掛けられた時計を見て少し驚いた。こんなに時間が経ってたんだなぁ。そりゃ眠くもなるはずだ。
 一人で納得すると体の向きをくるりと逆にした。ああもう眠たい。すっげー眠い。眠気で視界がぼんやりする。さっさと寝た方がよさそうだ。
 そんなことを薄れゆく意識の中で考えながら、安息のベッドを目指しよろめきながら歩く。
 やべえ。まじで眠い。ここまで眠いのは初めてだ。
 なんてことを考えながらベッドの上に倒れ込む。
 そして俺は海の底よりも深い眠りについた。

 ……はずだった。

 

 + + + + +

 

 自分がやっていることが正義なのか、悪なのか、実のところ何も分かっていない。
 だけど、ぼくにはそうする以外の選択肢はなかった。
 自分の信じる意志を貫き通し、ただ今の役割を完璧にこなしていく。
 昔、最も信頼していた人の為に、善とも悪とも分からない道を進んでいかなければならない。
 それがぼくにとっての「生きる」ということ。
 でも、時々分からなくなる。
 本当にそれが自分の為になることなのかどうか。
 そしてそれが分かった日には、ぼくは、どんな選択をするのだろうか。

 

 + + + + +

 

「おーい」
 ……うるさい。
「おーいってば」
 とてつもなくうるさい。
「起きてくれよ」
 俺は寝たいんだ!
「おい、お前……」
 静かにしてくれ。
「いいかげん起きろ!」
 ったく、
「さっきからうるせえんだよ! 静かにしやがれ、こっちは眠いんだ!」
 俺がそう怒鳴ってからだった。
 心の底から驚いたのは。

 思わず目が点になった。
「……誰?」
 相手を見て、率直な意見がそれだった。
 俺はさっきの声の主は姉貴だとばかり思っていた。姉貴はそういう奴だったから間違えても無理はないと思う。思いたい。
 でも今俺の目の前にいる奴は明らかに俺の姉じゃない。俺の知り合いでもなく、全く顔も姿も知らない人物。こんな奴、今まで一度も見たことがない。
 そいつは一言で言うと『黒』だった。とにかく黒かった。真っ黒だ。
 黒い長袖のハイネックに真っ黒の長ズボン。腰の辺りにはなぜか布を巻いており、ズボンの半分くらいはその布で隠されていた。その布も黒だった。
 肝心の顔は――見えない。頭からも布みたいなものを被っていて、口元辺りしか見えなかった。
 なんだこいつ。いきなり俺の部屋の中に入ってきやがって。不法侵入かよ。
 俺が相手を観察していると相手はおもむろに口を開いた。
「あんた、いつまでその姿勢でいるつもりだよ」
 は? 姿勢?
 相手に言われてはっと気が付いた。俺は布団の中で今から眠りますと言わんばかりの格好をしていた。
 俺は慌てて身体を起こし、ベッドの上に座り込む。いや、ちょっと待てよ。
「なんで俺が起こされなきゃいけねえんだよ!」
 相手にありったけの不満をぶつけてやった。……はずだ。
 たったこれだけしか不満がないのも妙に悲しかったりするもんだ。
 相手は何がおかしかったのか、愉快そうに笑ってきやがった。
「あんた、緊張感ないな。まだ寝ぼけてるんじゃないの?」
 お前みたいな見ず知らずの奴には言われたくない!
 と言おうとしたが、またいきなりどっと眠気が襲ってきた。
 駄目だ、やっぱ眠気には勝てねえ。
「ちょっと?」
 相手の声が聞こえたが、もう無視無視。こっちは眠いんだって何度言わせるつもりだよ。
 くらりとして、ばたりとベッドに倒れ込む。ふわっとした布団の柔らかさが妙に気持ち良く、俺はそのまま眠ってしまった。目の前にいる奴のことを完全に忘れて。

 

 + + + + +

 

 たとえその存在を否定され続けても、その先に求めるものがあるとすれば、俺は生き続けるだろう。

 俺の、存在理由は何ですか?

 

 

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