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 あいつにはあいつなりの考えがあり、理由もある。
 だけど俺にも俺なりの考えがあり、理由もある。
 あいつはあいつで俺は俺。そんな分かりきったことをどうこうしても仕方がない。
 突拍子もなく訪れたこの波紋は何になるのか。

 

第五章 覚悟と

 

96 

 沈み切ったと思っていた夕日は日本ではまだ姿を見せていた。何もない田舎道の上に長い影を形作っており、俺はそれを追いかけるようにゆっくりと歩いていた。
 見慣れた道だった。馴染みの深い、いつも目にしているような光景。そう思うのも無理もない、なぜならこれは俺の故郷の国の景色なのだから。
 だけど俺が今向かっているのは自分の知っている場所じゃない。
「じゃあ、その人に会えば大丈夫になるのか?」
 俺の隣を歩いている人に静かに尋ねる。相手は俺の尋ねた声よりも静かな足音を響かせながら、自分の長い影をじっと見つめているようだった。
「いつか話したことがあるだろ。俺とあいつがこの世界へ来ることになったきっかけを作った奴のこと」
「その人を呼びに行くんだな」
 相手は一つ頷いた。それだけでもう口を閉ざしてしまった。これ以上無駄なことは喋りたくないらしい。だけど本当にそれだけなのだろうか。
 俺の隣を歩いているのは、日本でいれば外国人と間違われることが確定しているラザーラスである。実際は外国人じゃなくて異世界人なんだけど、どちらも似たようなものなので学校では外国人と言うだけで皆が納得していた。ただ違うことといえば、異世界には魔法があるということだけ。
 よく考えてみれば異世界と俺の世界とでは異なる点があまりにも少ない。その異なる点とは魔法や呪文、精霊などがあることぐらいであり、逆に似通った点が多すぎるくらいだ。これではまるで俺の世界にいた人が自分の世界を真似して都合のいい世界を創ったみたいだ。もちろん俺にはそれが正解なのかどうなのかなんて分かるはずがないのだけど。
 だけどもしそれが本当だとしたら、一体どうしてそんなことをしたのだろうかと考えてしまう。だってこの世界は平穏で安定していて、そりゃ平凡すぎてつまらないと思う人もいるかもしれない。それでも俺にとっては異世界なんかよりずっと安心できる世界なんだ。人って自分が幸せになりたいから安心を求めるものだと思っていたんだけど違うのかな。
 自分の都合のいい世界を創りたかったんだろうか。それともただのお遊びで創ったのだろうか。そんな神みたいなこと、本当に人間の手でできるのであろうか?
 なんて、考えすぎだよな。そんなことはどうでもいいことだって分かっているのに考えてしまう。本当に俺、どうしようもない奴だ。
「なあラザー。その人の名前は?」
 歩きながら相手に尋ねる。口をすっかり閉ざしてしまっていたラザーラスは、ちょっと顔を上げて沈もうとしている夕日を見つめた。横顔がオレンジ色に染まっている。それでも彼の赤い瞳は宝石のように赤くきらきらと光っているように見えた。
「真(まこと)」
 口から出てきた言葉は親しみのこもったもののようには思えなかった。それでもその声には充分すぎるほどの懐かしさが込められていた。
「河野、真」
 もう一度繰り返す。瞳は夕日に向けられたまま。
 河野真。
 その人が彼と師匠をこの世界へといざなった人。その人もまた、俺が巻き込んでしまった人。
 俺はたくさんの人を巻き込んで、一体何をしようとしているのだろう。
「ほら、あの家」
 ふとラザーは立ち止まって一つの方角を指差した。その先にあるのはどこにでもありそうな普通の家。そしてその周囲には見慣れた家々が並んでいた。
 ここってもしかして。
 やや驚きを持ったものの、俺はそちらへ近づいて行った。まだ遠く離れているのでよく見えないのだ。それに俺は一度もこの道から『あそこ』へ行ったことがなかったから、まさかここが『あそこ』なのだとは少しも分からなかった。
 目の片隅に映るのは自分の幼なじみの家。幼なじみ、つまり川崎薫。奴の家がここにあるということはすなわち、俺の家もここからずっと近くにあるということ。
 自慢じゃないけど俺はあまり自分の家の周囲を探索したことがなかった。それにこっちの側には薫の家があるから正直言って近づきたくなかったのだ。かといってあいつが嫌いなわけじゃない。だけどほとんど毎日学校で顔を合わせてるんだ、わざわざ家にまで行って会うようなことをしなくてもいいだろ。そういうわけなので今までこんな道は知らなかったのだ。
 しかしこれってある意味すごいことだよな。なんて、そんなことどうでもいいか。
「で、河野か」
 口に出して言った名字を探してみる。それはあっけなく見つかった。薫の家のちょうど隣だったのだ。
 どこからどう見ても普通の家だった。ここの人も異世界へ巻き込まれたんだよな。異世界に縁がある人ってもしかして普通の人ばかりなんだろうか。
 ラザーは俺の隣に立つとぽんと肩に手を置いてきた。
「じゃあ頑張れよ」
「――は?」
 どういうわけだかすごい輝かしい笑顔を向けられ、俺はすっかりどぎまぎしてしまった。
 それと同時に風が吹いた。なんだか強い風だったので目にゴミが入ってしまった。その風は強かったが、なんだか不自然に冷たいような気がする。
 そして――やられたと思った。
 なぜなら夕日が作る影は一つだけになり、銀髪の青年の姿はどこにもなくなっていたのだから。

 

「こんにちは」
「はあ」
 俺は目的の相手と対面していた。しかしどう言っていいか分からず、すっかり困ってしまったのだ。相手も相手で目で俺を疑っているのがよく分かる。
「あなたが河野真さんですよね?」
「そうですが、何か?」
 強い言葉で返されたので次の言葉がうまく続かない。
 相手は俺と同い年くらいの女の子だった。髪も目も真っ黒であり、どこからどう見ても普通の日本人である。髪はちょっと癖があってふわりと風に遊ばれており、そんなに長くはなかった。しかしその立ち振る舞いはまるで男子のように見えて仕方がなかった。
「えーとですね、あなたを待っている人がいるからちょっとお時間よろしいでしょうか?」
 自分で言っててよく分かる、俺の言葉はもう滅茶苦茶になっていると。どうしてこう情けないんだろうなぁ、これじゃあ欠陥品だろうと出来損ないだろうと関係ないじゃんか。
 その言葉が可笑しかったのだろうか、相手の女の子は一気に表情を崩してけたけたと笑い出した。まさかこんなことで笑われるとは思わなかったので余計に恥ずかしさが積もっていく。
「なんてねー」
 笑いながら相手は俺の肩に手を置いた。一体どうしちゃったというのだろうか。本当にわけが分からなくなってきたんですけど。
「久しぶりじゃない、川崎君!」
「……へ?」
 はっきりと相手は俺の名前を呼んできた。
 なんで知ってる?
「忘れた? 昔は同じ中学校だったじゃない」
 中学校? 同じ?
 河野――。
「あっ」
 その時俺ははっきりと思い出した。そう、確かに俺は相手と同じ中学校に通っていたのだ。しかも同じ学年で、同じクラスで。
「河野さん、か」
「思い出した?」
「うん」
 危ない危ない。本当に忘れてしまっていたんだな、俺。
 だけど俺が相手のことを忘れてしまうほどの理由はちゃんとあった。なぜなら。
「いつ帰ってきたんだ?」
 なぜなら相手は中学三年の時から行方不明になっていたのだから。
「中学校が終わってからだよ。高校は最初から行ってた」
「じゃあ、どこに行って――」
 言いかけてはっとした。ある閃(ひらめ)きが頭の中を掠(かす)っていったんだ。
 行方不明。一年前。そして二人をこの世界へいざなった張本人。
 これらのピースが全て繋がった。
「向こうで、いたのか」
 そう言うと相手は――河野さんはほんの少し目の色を変えた。
 あれは行方不明じゃなくて異世界にいたんだ。俺の場合は時間が止まっていたらしいけど、きっと河野さんの場合では異世界とこちらとでは平行して時間が進んでいたのだろう。だからこちらでは行方不明とされていた。だけどどうしてそこまでして向こうでとどまっていたのかは俺には分からない。
「なあ。ちょっと会ってほしい人がいるんだ。きっと河野さんもそいつのこと知ってるだろうから」
 俺が『向こう』と口にした時から相手の様子は明らかに変わっていた。最初に対面した時と同じように、もしくはそれ以上に疑いの眼差しを向けられているのだ。だけどそれは仕方のないこと。だって少しでも『向こう』と関わったことのある人なら、『向こう』という単語にすぐに反応してしまうものなのだから。
 疑われようと何をされようと俺には関係ないことだ。まずはこの人を連れてラザーに会わなければならない。どういうわけだか逃げて姿を暗ましたラザーと会って、そしてまた師匠の家へ行かなければならないのだ。

 

 ラザーラスはすぐに見つかった。ちょっと家の前の道を歩いていると向こうから出迎えてくれたのだ。
 しかしその出で立ちは妙だった。思わずぽかんとしてしばらく何も言えなくなってしまったほどだった。だってこんな場所で泥棒の時の格好をしているんだ、驚かない方が無理があるだろう。
 さらに相手は偉そうだった。
「遅い。何やってたんだお前ら」
 腕を組んで見下ろすように睨んでくる。
 俺の隣にいた河野さんは訝しげに相手の顔をまじまじと見ていた。どうやら相手が誰だか分かってないらしい。そりゃそうだ、あんな変装でもしてるような格好だったら誰も分かりはしないって。ラザーの奴は一体何を考えているんだか。
「お前今、俺のことを馬鹿な奴だと思ったろ」
 うっ。ちょっと変な視線を向けるとすかさずこんなことを言われてしまった。なんて鋭いんだラザーラス君。ジェラーじゃあるまいし。
「まあ、どうとでも思っていればいいさ。それで何かが変わるわけでもないしな。――こっちに来い」
 まるで独り言のようなことを言ったラザーは背を向けて歩き出した。俺はなんだか命令の前に言っていた独り言が気になってちょっと考え込んでしまった。ラザーはどう思われても平気なのだろうか。彼は他人のことなど少しも気にしていないのだろうか?
 引き寄せられるようにしてついていった先は、いつか来たことのある近所の何もない広場だった。
 前はここから魔法を使って師匠の家に行ったんだっけ。あの時は俺は外人と一緒にいて、師匠のことを怪しげな顔で見ていたものだった。今の河野さんはまるであの時の俺とリヴァだ。まだ怪しさが抜け切っていないのがよく分かる。
 ラザーは地面に転がっていた木の枝を拾うと、それで地面に何やら模様を描き始めた。きっと魔法陣か何かなのだろう。それにはちょっと時間がかかりそうだったので、俺は一番気になっていることを聞いてみた。
「あのさあ。なんでそんな格好してるわけ?」
 すると相手はぴたりと動作を止めた。と思ったがそれは一瞬だけであり、すぐに作業を再開しながら質問に答えてくれた。
「この世界で姿をさらすわけにはいかないだろ」
 なんかよく分からないがとりあえずそういうことらしい。相手がそうだと言うのだから、まあそういうことにしておく他はないだろうな。
 模様を描き終えるとラザーは枝を捨て、目で合図をしてきた。こっちへ来いと言いたいのだろう。俺はすぐにそれを覚(さと)って彼のいる方へ足を向けたが、河野さんはじっと相手を睨みつけてその場から一歩も動こうとしなかった。
「なんかものすごい疑われてるようだから、その変装やめた方がいいと思うんだけど」
「は?」
 ラザーに耳打ちすると相手は変な顔をした。
「あいつ分かってないのか?」
「たぶん」
 それだけを答えるとラザーは一気に疲れたように大きな息を吐いた。それがあまりにも大きかったので、相当ショックを受けたのだろう。いや、呆れたのか。
「まったく……」
 口の中でぶつぶつと文句を言いながらラザーは変装のために装着していた大きな黒の眼鏡を外した。そこから覗く赤色は相変わらず鋭い雰囲気を醸し出している。次に頭に被っていた黒い帽子を取ると、帽子の中に収まっていた長い銀髪が下にだらりと落ちてきた。
 いつものラザーの容姿を見て河野さんははっと息を呑んだようだった。
「ロイ・ラトズ――」
 そして口から出てきたのはラザーラスの過去の名前。
 まるで信じられないと言わんばかりの顔を相手に向けていたが、それはすぐにこちらに向けられることとなった。目を見ただけで何が言いたいのかよく分かった。どうして俺がラザーと知り合いなのか聞きたいのだろう。
 しかし俺はどう答えていいか迷ってしまった。あのことを言ってしまっていいのか迷っていた。だって俺はこれ以上誰も巻き込みたくはなかったから。きっとこの人も俺のことを知ったら、少なくともどこかで関わってくるだろうから。そういう理由があって、俺の吐き出そうとする言葉は口の中でとどまって外へ出ていくことは決してなかった。
 それをじっと見つめていたラザーはどう思ったのか知らないが、俺にとっては助け舟を出してくれた。
「理由が知りたいんだろうけど、だったらお前も全てをこいつに語らなければならなくなる。お前はそれでもいいのか?」
「私は」
「もういいだろ。話は向こうへ行ってからだ」
 河野さんが何か言う前にラザーは話を終わらせた。やや強引なところもあったがこれがなんとも彼らしかったので、今にもわけもなく笑ってしまいそうになった。それをぐっと堪える。
 そして地面の模様が光り出す。

 

 アメリカの空気は澄んでいた。
 すっかり夜になっている。そういえば日本とアメリカでは時差があるはずなのに、なんだかこれってちょっとおかしくないか? なんで日本と同じような時間帯なんだよ。
 などと考えている暇は与えてくれなかった。師匠の家の前に着くと二人は俺を無視して話を始めていた。無視するなよな。俺だって頑張ったんだからな。
「ここどこ?」
「アメリカ」
「なんでアメリカなんかに家を持ってきたのさ」
「俺が知るか。あいつが勝手にやったんだから」
「で、師匠は?」
 河野さんはすっかりラザーと打ち解けていた。いや、昔から知り合いだったらしいから当たり前か。それにしてもこう見事に俺を無視するのはやめてくれないだろうか。
 俺の気持ちを察したのか、ラザーはちょっと俺に目配せした。しかし俺にはその行動が何を意味していたのかなんてさっぱり分からなかった。師匠を呼んで来いとでも言いたいのだろうか。でもそんな、まさかそれはないだろう。
 だって今、彼は。
「それが問題なんだ」
 一体何が彼をそうさせたのかは分からない。だけどいつもと違うことは明らかだった。
「しばらく何も言わずに家をあけてたと思ったらいきなり帰ってきて。それでどこで何をしていたのかと聞いても何も答えてくれなくて。そればかりかすっかりふさぎ込んでしまって、目も虚ろになっていて。まるで自分に自信を持てなくなってるみたいなんだ」
 ただはっきりしていることは、あいつとの一件が関係しているということ。
 あいつの――ラスの覚醒と。
「おかしいだろ。あんなに自信過剰だった奴がこんなになるなんて。だからお前を呼んだんだ。お前に会うことで少しでも……」
 ラザーはそこで言葉を止めた。いくらか顔が赤くなっている。きっとその先の言葉を言うのが嫌なんだろうな。
 今回の目的とはつまり、師匠を元気づけること。そこに裏なんてない。ただ単純に心配だから行動したまでのことだった。
「そーいうことだったなら最初から言ってくれれば良かったのに。それにしてもどうして川崎君を使うような真似をしたわけ? それにあんな変装なんかしちゃって。まさかとは思うけどまだあんなことをしてんの?」
「別にそんなんじゃ」
「まあいいや。どーせあんたは嘘しか言わないもんね。いいよ、私が中に入るからあんたは来ないでね。あんたが来たって役になんて立たないだろうから」
 なんだかラザーはぼろくそだった。河野さんってこんな人だったっけ。怖い。はっきり言ってものすごく怖い。
「それから川崎君。迷惑かけてごめんね」
 そう言って相手はふわりと微笑んだ。
 俺にはなんだかそれが、とんでもなく儚いもののように見えてならなかった。

 

 

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