閉鎖

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1.入学 - 02

 

「おはようございます、先輩」
 輝かしい笑顔を周囲に撒き散らしているのは俺のルームメイトだった。彼の笑顔を受けて「先輩」達はぱっと表情をやわらげ、各々何か一言を残して俺達に背を向けてすれ違う。やがて彼らの姿が見えなくなると俺の隣にいる青年はさっと表情を変化させた。
「おら、さっさと行くぞ」
「……」
 先程までの美しい微笑みなど微塵もない。目は鋭くなり、声色は低く、とにかく口が悪い。昨日からずっとこんな調子だった。
 同室の加賀見亮介に連れられ、俺は学校内を歩いていた。目指す場所は俺が勉学に勤しむべき教室であり、学校案内も兼ねて亮介に連れ回されているのだ。
「まったく、なんで俺がこんな奴を案内しなけりゃならねえんだよ」
 前を歩きながら亮介は絶えずぶつぶつと文句を言い続けている。俺だってこんな奴が同室だなんて嫌だけど、学校側が決めたことにいちいち文句を言っていたって仕方がない。今回の学校案内も亮介が教師に頼まれたからやっていることで、彼は朝からものすごく機嫌が悪いままだった。
「あれ、亮介君。こんな所で会うなんて奇遇だねぇ」
「おはようございます、中倉先輩」
 誰かに会うたびに不機嫌だった顔が一気に爽やかフェイスに変化する。
 声をかけてくる上級生の人たちは亮介の本当の顔を知らないのか、誰もが嬉しげな様子で亮介に話しかけていた。何つーの、こういうのって、営業スマイルってヤツか? しかし当の亮介はというと、昨夜の客を逃したとか何とか愚痴を垂れていて相当怒っているらしい。それを一片も見せずに対応するとはなかなかやり手のように見えなくもなかった。
 それにしたって俺は早速彼に嫌われてしまったようだった。いや、素の姿を見せてくれることに喜ぶべきなのだろうか。でも俺、そんなマゾじゃないんだけど。
「それじゃあまた後で」
「はい!」
 ぱたぱたと手を振って相手の上級生は廊下の向こうに消えた。そうして一息置き、亮介はこちらを振り返ることもなく歩き出す。
「おい、不細工」
 唐突に足を止め、彼は顔だけ俺に向けてくる。――ちょっと待て、その不細工ってまさか俺のことか?
「あっちは中等部だから用がないなら入るんじゃねえぞ、クソガキどもに遊ばれたいのなら止めねえがな」
「そ、そう」
「ああん? なんだよてめえ、俺が説明してやってんのにその態度はよぉ! 説明してくださってありがとうございますくらい言えねえのかよ、ええっ?」
「か、感謝してるってば」
 俺に対する態度が酷いのなんのって。まるで不良みたいな台詞と仕草で俺を脅しているように感じられる。とりあえず喧嘩になることだけは避けたいので俺は大人しくしていることに決めていた。
「あそこが俺らの教室。迷子になって他人に迷惑かけるようなどんくさい真似はするなよ、そうなっても俺は知らねえからな」
 いつしか廊下の先にたくさんの教室が並んでいる空間に突入していた。解説してくれる亮介は親切そうに思えるが、それでもやはり言葉に含まれる棘が消えることはない。
 こんな調子で俺は本当にこの先平穏に暮らしていくことができるのだろうか。

 

 +++++

 

 形ばかりの入学式はあっという間に終了した。教師に連れられ教室に戻ると少しの自由時間が与えられ、次の指示を待つ生徒たちはとても珍しい転校生君の様子をちらちらと横目で見ている。
 俺の席はちょうど教室の中心辺りに設置されていた。席順はどうやら出席番号で決まっているようだ。とりあえずきょろきょろと周囲を見回すと亮介がたくさんの生徒に囲まれている様が目に入った。彼は上級生だけでなく同級生にまで人気があるらしい。
「よう、転校生君!」
 カラッとして明るい声が隣から聞こえてきた。そちらに目をやると、隣の席に座っている短髪の青年が俺の目を見ている。
「俺は黒田晃(くろだあきら)。お隣同士よろしく」
「あ、うん、よろしく。俺は水瀬弘毅」
 なぜか握手まで求められ、それに応じると相手――晃はにこりと笑った。
 よかった、この学園には亮介みたいな奴がいっぱいいるのかと不安だったけど、ちゃんと普通の生徒もいるんだな。いやあんな奴がうじゃうじゃいられたらそれはそれで怖いけど。
「弘毅か。弘毅は誰と同室になったんだ?」
「加賀見亮介って奴」
「うわー……あいつかぁ」
 明らかに意味ありげな反応。やっぱりあいつはこの学園じゃ有名人らしい。そりゃそうだ、身体売って金儲けしてしかも薬までやってるとなりゃ、こんな狭い世界では噂なんてすぐに広まっちまうだろうし、きっとここにいる全員が彼のことを知ってるんだろう。ああ、俺は一体なぜあんな奴と同室になってしまったのであろうか。
「なあ晃。お前から見た亮介ってどういう奴なんだ」
「そうだなぁ。あいつ態度とか言葉遣いは優しいんだけど、近付きにくいオーラがあるというか、人を寄せ付けようとしてないみたいなんだよな。俺も一時期仲良くしようと何回も話しかけてたんだけど、ほとんどの誘いをやんわりと断られてさぁ」
 ふむ、どうやら彼は同級生にまで営業スマイルを使っているらしい。……ってちょっと待てよ、ということは、あの鬼というか悪魔みたいな素顔は俺にしか見せてないってことか?
「晃、お前騙されてるぞ。あいつ実はすっげー性格悪いんだ」
「そうなのか?」
「そうなんだよ! 昨日なんかさ――」
 実にいいタイミングで教室に教師らしき男が入ってきた。おかげで部屋全体が着席モードに切り替わり、俺と晃の会話も自然に消滅してしまう。ふと亮介の方に目をやると彼は一つため息を吐いていた。それがなんだか妙に気になってしまう。
 黒板の前に立った男は大量の紙を教壇に乗せた。一呼吸置いてからざっと全体を見回し、おもむろに口を開く。
「四組の担任になった円輝美(まどかてるみ)です。これから一年間よろしく」
 亮介に負けないくらい爽やかスマイルが似合う人だった。髪は薄い茶色に染めており、ちょっと洒落た感じの四角い眼鏡をかけ、優男という単語を全体で表現しているかのような男が俺たちの担任らしい。しかし女みたいな名前だな。年齢は二十代後半から三十代前半ってところか、かなり若く見える。
「僕の担当教科は化学だけど、数学も生物も得意だから分からないことがあればどんどん聞きに来て欲しい。それから……そうそう、僕の研究室はAの402だから、用があったらいつでも来てくれ」
 この学園には教師の研究室なんかあるのか。まるで大学みたいだな。とりあえず研究室の番号をメモ帳に控え、俺は再び彼の整った顔を見る。
「それじゃ、まずは皆の自己紹介をしていこうか。ちょうどこのクラスには転校生も来ているし、簡単に名前と好きなことを言って自己紹介していこう。順番は出席番号順でいいね。さあ、麻川君から」
 何やら半ば強制的に自己紹介タイムが始まってしまったらしい。このクラスって何人いるんだよ、これを全員分聞かなきゃならないのか? つーか絶対俺の時だけ集中して聞くぞこの集団は。とはいえ何を喋ればいいんだよ。
「加賀見亮介です。皆さんと同じクラスになることができてとても嬉しいです。好きなことはいろいろありますが、読書は特に好きですね。これから一年間よろしくお願いします」
 何を言おうかと悩んでいると、亮介の詐欺的なエセ自己紹介が聞こえてきた。彼が言葉を止め席に座るとそれまでの誰の時よりも大きな拍手が巻き起こる。何なんだ奴は、この学園のアイドルだとでもいうのか。あんなアイドルがいてたまるかっ!
「黒田晃です。部活は美術部に入るつもりです。これからよろしくお願いします」
 今度は晃の声が聞こえた。いかにもスポーツしてますって性格なのに美術部に入るつもりなのか。人は見た目で判断できぬというわけか、なるほど。
 自慢じゃないが俺は趣味がない。中学校からやってたスポーツもないし、部活は帰宅部だった。かといってよくある例の読書や映画鑑賞などと吐き出してしまったなら、勘違いした奴が俺に何らかのアクションを起こさないとも限らないから嘘を言うわけにもいかない。くそ、一体何を喋ればいいんだよ。
 などと考え込んでいるとあっという間に自分の番が回ってくるものだ。結局答えを出せない状況で、促されるままに立ち上がって口を開く。
「ええと、水瀬弘毅です……」
 気付くとほぼ全員の目がこっちに集中していた。予想通りとはいえ、なんかものすごいオーラを感じるんですけど。
「転校してきたんで知らないことばっかりだけど、皆さんにいろいろ教えてもらえたりすると嬉しいかな、と思ってます。よろしくお願いします」
 テンプレ通りの台詞を言って席に座るとぱらぱらと拍手の音が聞こえた。どうやらこれで許してくれたらしい。やれやれ。
 そうして自己紹介という恐怖の時間を乗り切ると、後に残っているものは事務連絡だけだった。今日は授業がないのでそれが終わると解散となり、生徒たちはそれぞればらばらの行動を始める。
「弘毅」
 早速声をかけてきたのは隣の席の晃だった。
「俺これから暇だし、よかったら学校案内とかしようか?」
「え、でも」
 一応案内は亮介にしてもらったが、彼のそれは案内というよりむしろ脅迫に近いものだった。あれをすれば見捨てると言われ、これをすれば迷惑だから絶対するなと言われ。それを言った本人は今、何人かの生徒に囲まれて何やら話し込んでいるらしい。同室だからって学校でもずっと一緒に行動しなきゃならない義務なんてないし、ここは俺が勝手に決めちゃってもいいよな?
「それじゃあお願いするかな」
「よーし、決まり!」
 目の前で元気のいい声が弾け、俺は彼に連れられて教室を後にした。

 

 

 校内はなかなか広かった。朝の亮介君による案内は相当端折られていたらしく、初めて見る部屋がたくさんあったことに驚かされてしまった。
 全てを廻り切った頃には昼になっており、俺と晃は寮の食堂で昼食を満喫していた。
「うちの学校はうどんが美味いんだぜ、今度食ってみろよ」
「そうなのか。どっちかと言うと俺は蕎麦派だけどな」
「まあまあそう言わずに」
 俺はすっかり晃と打ち解けていた。彼はとても話しやすい人だった。あの変態亮介とは違い、一緒にいて楽だし、おそらく誰にでも好かれるタイプなのだろう。俺みたいな地味な奴とは真逆なタイプってとこか。
「それにしたって部屋に帰るのが億劫だなぁ」
「……そんなに加賀見と二人きりになるのが苦痛なのか?」
「そりゃーもう苦痛も苦痛、俺怒られてばっかりだし」
 冷たいウーロン茶を喉の奥に流し込む。ぴりりとした棘が食道を刺した。その痛さがなんとなく心地いい。
「晃は誰と同室なんだ?」
「ああ、俺、一人なんだ」
 ――なんだか今、とても不思議な声を聞いたような気がしたぞ。
「え? 何だって?」
「俺は一人で二人部屋を使ってるんだ。だから同室の奴はいない」
「マジかよ! くそーだったら晃と同室が良かった! なんだってあの変態野郎と同室なんかに……」
「まあそう言うなよ。加賀見にだっていいところくらいあるって」
「ない! 絶対あいつ人の皮を被った悪魔だ!」
 晃の話によると亮介の身売りや薬はやはり有名なことのようだった。上級生だけでなく同級生の一部も彼の部屋を訪れることがあるらしく、予約をしなければ相手をしてくれないほど繁盛しているんだとか。まだ高校生のガキから五千も一万も巻き上げるなんざ、あいつはその辺の不良よりよっぽど質が悪いようにしか感じられない。
「つーかその身売りも薬も、そんなことしてたら教師が黙ってないんじゃないのか?」
「俺もそう思うんだけど、なぜか先生は見て見ぬふりをしてるんだよなぁ。加賀見が中学の頃からずっと」
 学校が彼の行為を黙認してるってことだろうか。普通そうに見える学園なのに、実はやばい場所に来てしまったんじゃないだろうか。
「けど弘毅、お前も気を付けた方がいいぞ」
「え、なんで」
 ふと顔を上げると晃は真面目そうな表情をしていた。その眼光に思わずどきりとする。
「加賀見は人気者だからな、あいつを狂信してる輩に何をされるか分かったもんじゃない。過去にも何度かあったんだ、加賀見に近付く奴を片っ端から集団でリンチする事件が」
「……そ、そうなのか」
 急に恐ろしくなってきた。この学園がやばいというか、あの部屋で暮らすこと自体がやばいことのようだ。俺、ここで殺されたりしねーよな……そもそも亮介のせいで虐められるとかとんでもなく嫌なんだけど。あいつにも虐められてるってのに、その上他の奴らにも攻撃されるなんて、ここは地獄かよ。
「危なくなったら晃の部屋に逃げ込んでもいい?」
「いやぁ、基本的に夜の出歩きは禁止されてるしなー」
「じゃあなんで亮介の部屋に客ってヤツが来るんだよ!」
「そこはほら、加賀見の仕事だし」
 待てよ。夜の出歩きが禁じられているということは、俺は夜の間じゅうあの部屋にいなければならないということだよな。それってつまり、亮介の仕事を隣で見ていなきゃならないってことじゃないのか?
 ……なんとなく昨夜の客が逃げた理由が分かった気がした。そして彼が俺に対し怒っている理由も。
「ま、悩みを聞くことくらいならできるからいつでも来いよ」
「ううっ、最悪だ……」
 俺は何の為に転校してきたんだ? 逃げ場を求めてここへ来たんじゃなかったのか? それなのに転がり込んだ場所は以前とは違う意味で深淵のようであり。
 押し寄せるようになった後悔の色を知った午後、俺は時間ギリギリまで粘って晃と校内をうろつくことに決め、冥府の扉を開く時が永遠に来ないことを腹の底から願っていたのであった。

 

 

 

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