閉鎖

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2.隣人 - 01

 

 理解できなかったことを理解しようとすることは難しい。
 だけどその努力さえ怠るほど堕落していないと信じていたかったんだ。

 

 

「ふあ……」
 間の抜けた声が隣から聞こえ、俺は夢の中から現実に帰ってきた。
「ねみー」
 ベッドの上で寝ぐせだらけの青年がぼんやりと窓の外を見つめている。とりあえず俺は身体を起こし、相手の方へと顔を向けた。
「おはよう」
「うぜぇな」
 挨拶しただけなのにこれである。ふいと顔をあらぬ方へ向けた彼は立ち上がって洗面台へと歩いて行った。俺はその後ろ姿を恨まないように頑張って見つめる。
 学校では今日から授業が始まることになっていた。あらかじめ渡されていた教科書を鞄の中に詰め込み、まだ真新しい制服を鏡の前で着込んでみる。自分で言うのも何だが、なかなか似合ってるんじゃないだろうか。俺って何気に前の学校ではモテてたらしいし、実は男前なんじゃないか!?
「不細工」
「な――」
 鏡の前で気取っていたのがいけなかったのか、背後からとんでもなく低い声が飛んできた。
「お前制服似合わねぇな、いや何着ても似合わねえか。不細工って損だな」
 本当に言いたい放題だな、こいつ。学校の連中がこの姿を見たらどんな反応をするのやら。
 とはいえさすがにここまで言われると腹が立つ。少しくらい言い返してやらなきゃ気が済まんぞ。
「そこまで言われるほど不細工じゃねーと思うんだけど?」
「うわっ、まさか自分大好きナルシスト? お前の目腐ってんじゃねえの、その容姿で美人とかねぇわ」
「……いや、別に美人だって思ってるわけじゃないって」
 白いシャツを着込んで俺の前で毒舌を振るう相手の名は加賀見亮介。とりあえず俺のルームメイトということになっているが、とにかく口が悪いのなんのって。しかしそんな極悪な台詞しか吐き出さない彼は確かに見た目だけは小奇麗だった。悔しいが俺よりも制服姿は似合っている。そういえば昔、美人は顔は良いけど性格が最悪な人が多いって話を聞いたことがあったな。こいつはその典型的なタイプなのか。
「そこどけよ」
 性格だけでなく手癖も悪いようで、彼は鏡の前に立つ俺を容赦ない力で押した。言葉より先に手が出てたような気がするが、それは気のせいだろうか。
 つーかなんで俺がこんなに虐められなきゃならないんだよ!
「ふふん、亮介君は今日も綺麗だなっ」
 髪を櫛で梳き、相手はあらゆる角度から鏡に映った自分の姿を見ていた。
「お前がナルシストなのかよ……」
 さっき俺に何か言ってたような気がするんだけど! あれをそっくりそのまま返してやりたかったが、こいつと仲良くする為にはここはぐっと我慢すべきなんだろうな。
「なんだよ、何か文句でもあんのか?」
「そういうわけじゃ」
「ま、確かにこの学園内じゃ俺が一番綺麗だって思ってるけどな。他の連中なんざ汚いったらねえよ」
 その口の汚さもこの学園内じゃ一番だと思うけどな!
「こんなもんでいいか」
 最後に机の上に放り出していた上着を纏い、きちんと制服を着た相手は中性的な容姿をしていた。寝ぐせだらけだった髪はまとまり、寝ぼけていた顔はぴりっと張りつめ、なぜかまつ毛や唇は女の人みたいに化粧が施されている。こいつは学校に何をしに行ってるんだ。
「なんで化粧なんかしてんだよ」
「ファンサービスに決まってんだろ、お前見た目通りバカだな」
 相変わらず一言多い奴だった。
 そんな彼と連れ添って部屋を出る。扉を通り過ぎた途端にぱっと表情を変えた彼はプロだと感じたが、俺はふとその仮面を皆の前で剥がしたくなった時はどうするのかと疑問に思い、そこに思考を巡らせるとなんだか悲しくなってきたのでもう何も考えないことにした。

 

 

「おっはよー」
 教室に入ると明るい声が飛んできた。そちらに目をやると、にこにこした顔をしている青年の姿がある。
「おはよ、晃」
「おう。加賀見もおはよう」
「ええ、おはようございます」
 俺の隣から煌びやかなオーラが出ているが、それは偽物だってことを知っているのは俺しかいないらしかった。
 転校生である俺に真っ先に飛びついてきたクラスメイトの名は黒田晃。席がお隣さんだからという理由だけで仲良くなったが、友人を作る為に必要な要素などそれだけでも充分なんだろう。彼は亮介と違って話していてストレスが溜まらないから気楽に付き合うことができる。
 俺を悩ませる種である亮介は目を離した隙に早速クラスの連中に囲まれていた。胡散臭い笑顔を周囲に振りまき、相手方の熱烈な何かをさらりとかわしているようだ。
「加賀見は今日も人気だな」
「あいつの本性を知らないからああなってるんだって」
「ふうん?」
 晃と共に席へと移動し、少し古くなっている椅子に腰を下ろす。
「しかし加賀見と同室ってのも悲惨だったよな。昨夜はどうだったんだ?」
「どうって……昨日は客ってヤツは来なかったんだ」
「ん? そうなのか?」
 亮介の話によると、どうやら一週間に一度「定休日」を設けているらしい。それがちょうど昨日だったようで、おかげで俺はまだ悲劇の夜を体験していないのだ。できれば一生体験せずに過ごしたいんだけどなぁ。
「で、実際どうなんだよ。うちのクラスにも亮介のファンみたいな奴がいるようだけど、あいつってどれくらいの人数を相手にしてるわけ?」
「そんなこと俺に聞かれても……」
「晃は亮介に金払ったりとかしたことないのか?」
「ないって! 俺、男には興味ねーし」
 びっくりしたように晃は声を張り上げる。よかった、晃からとっても普通な反応が返ってきた。俺はすっごく嬉しいぞ。みんなそうだったらよかったのに、どうにもそう簡単にはいかないらしい。
「この学園ってホモの集まりなのか?」
「いやぁ、それは違うと思うぞ。男子校だから仕方なしに中性的な加賀見の所に集まってるってだけだろ」
「そーかなぁ」
 それにしてはいささか無理がある気がする。いくら亮介が綺麗だからって、大金を支払ってまでして抱きたいと思う相手だろうか? 彼らの理論は俺には全く理解できない心理であるようだ。
 晃と実らない話をしていると時間を告げるチャイムが鳴り、寝ぐせで頭が爆発しているような円先生がのそのそと教室に入ってきた。そこで朝の挨拶と出欠を取り、日常的な業務が開始される。
 こうしてなんとか俺の学園生活が幕を開けたのであった。

 

 

 いつも初めての授業は真新しく感じられるもので、わけもなく緊張して先生の顔ばかりを見つめてしまったが、俺はふと教室から亮介の姿が消えていることに気付いた。
 二時間目の数学の時に気が付き、結局授業が終わっても彼は席に戻らなかった。休み時間に隣の晃に訊ねてみると、どうやら亮介は一時間目の途中で席を立ったらしかった。授業内容に集中しすぎてさっぱり気が付かなかったが、彼は一体どこへ向かったというのだろうか。つーかやりたい放題だな、あいつ!
「加賀見はほとんど授業に出ないんだよ」
「へ? じゃあ勉強はどうするんだよ、テストだってあるだろ?」
 何やらおかしなことを晃は言っていた。彼がそう言うってことは、中学生の頃からそうしてたってことなんだろう。
「授業に出ずに一人で勉強してるって噂を聞いたことはあるけど……どうなのかは分からないな。とにかくあいつは頭が良いから、先生も無理に授業に出させようとはしないんだ」
「そ、それはまた……」
 顔も美人で頭もよろしいとは。才色兼備ってヤツなんだろうけど、あの亮介のことだから何か裏がありそうで恐ろしい。実はカンニングしまくりだったとかそういうオチなんじゃないだろうか。
「だったらさ、授業を抜け出して何をしてるんだ?」
「さあ? 部屋で寝てるんじゃねーの?」
 随分とのんきなことを晃は言っていた。確かに素の亮介はあらゆることを面倒臭がりそうだが、ファンサービスを忘れない律義なところもある奴だったからその真意が計り切れない。
「な、ちょっとあいつ探し出してみようぜ」
「それはいいけど、もう次の授業始まるぞ」
「あ」
 晃の忠告と共にチャイムの音が頭上を飛んだ。
 ざわめく教室の中で俺は慌てて次の授業の教科書を探し当てる。それを机上に設置し、前を向いて初めて見る先生の顔を見た俺は、ただ頭の中でどのように亮介の姿を探すかということばかりに捉われていた。

 

 

 昼休みになると俺は昼食を颯爽と済ませ、晃を連れて寮に戻ってきていた。目的はもちろん、亮介の奴を見つける為だ。
「本当に部屋になんか戻ってるのか?」
「俺だって知らねえよ、でも部屋以外に行く場所なんかあるか?」
「ううむ」
 二人で喋りながら寮のピカピカした廊下を歩く。とりあえず俺と亮介の部屋に向かっているが、まず遭遇する四階へ続く階段で既に音を上げてしまいそうな心地になった。それをなんとか晃との会話で乗り越える。
「ここだな」
 俺より体力のある晃は階段をいくら踏み締めても息を乱さなかった。俺はその隣でへろへろになりながらポケットから鍵を取り出す。
「まずは呼び鈴でも鳴らしてみたら?」
「あ、そうか」
 相手の的確な突っ込みに妙に納得してしまったが、よく考えればここは俺の部屋でもあるんじゃないか。なんでわざわざ呼び鈴なんか鳴らさなきゃならないんだよ。
 そういうわけで俺はそのままドアに手を掛けた。しかし閉まっていた。開く気配はない。
 仕方なしに呼び鈴を鳴らす。
「……」
 いくら待っても反応などなかった。再度鳴らしてみたが効果は変わらず。相手は部屋にいないんじゃなかろうか。
 事実を確かめる為にも扉に鍵を突っ込み、力ずくで開いてみた。そうしてまず目に入ってきた物は亮介の物であろう靴であり。
 そっと足音を忍ばせて奥へと進むと、黒髪の中性的な彼はソファに座ってティーカップを片手に持っていた。その瞳の先には知らない青年がリラックスした面持ちでソファに腰掛けている。
「あれ」
 先に気付いたのは亮介で、造られた表情がやんわりと驚きのそれに変化していった。
「弘毅。忘れ物かい?」
 彼の顔の周りでお花が咲いている光景が見えた気がした。
「え、い、いや、その。午前中から亮介の姿が見えなかったから、どうしたんだろうって思って」
「ああ、心配してくれたんだね。だけど僕なら大丈夫、少し先輩と話をしていただけだから」
「そ……そうですか」
 とても輝かしい笑顔で話をされる。しかし、その裏で「さっさと帰らないとぶん殴ってやる」と言わんばかりのオーラが光っている様が俺には見えてしまった。
「じゃ、邪魔して悪かったな」
「お気遣いなく」
 最後に俺に果てしない目力を送り、亮介はさっと客の方へと向き直った。その場の空気に耐えられなくなり、俺はそそくさと晃を押しやって部屋の外へと脱出する。
「やっぱ部屋にいたじゃん。けど寝てるわけじゃなかったんだな」
「俺、後であいつに絶対文句言われるぞ……ううっ」
「まあ元気出せって」
 晃は慰めてくれたがそれだけで状況が変わるわけではない。俺は確実にあいつの怒りの領域に足を踏み入れてしまったのだろう。二人きりになった時にどんな悲劇が待っているのか、考えるだけで恐ろしい。
「そろそろ授業始まるぞ、教室に戻ろうぜ」
「うん……」
 大きなため息と共に俺は歩き出し、何にでも首を突っ込むことは控えた方がいいと感じたのであった。

 

 +++++

 

「た、ただいま」
 授業が終わり、寮に帰ってきた俺は玄関でとりあえず挨拶をした。返事がないままそっと部屋に入ると、亮介はベッドの上で寝転んでいた。
「お前さぁ、仕事の邪魔はするなって初日に言ったはずだろぉ? それなのになんで邪魔してくるかなぁ」
「え――」
 ぐいと身体を起き上がらせた亮介はなんだかいつもと違っているように感じられる。物凄い勢いで嫌味を言われるかと思ってたのに、何やら口調がのんびりとしているように聞こえなくもない。
 その理由を探って彼の姿を観察していると、ふとベッドの上に瓶が一つ転がっていることに気付いた。透明なその中にはたくさんの錠剤が詰め込まれており、傍の棚には少しの水が入っているコップが置かれている。
 あれが彼の言う「クスリ」なのだろうか。
「昼間は何をしてたんだ?」
「んー、仕事。お喋りしてお茶飲むだけでも連中嬉しいらしくてさぁ、俺は楽して金儲けできるってわけよ。夜は別の仕事があるからお前今度こそ邪魔するんじゃねーぞ」
 ばたんと彼は再びベッドの上に倒れた。そうして目を閉じ、何も言わなくなる。
 俺は鞄を自分の机の上に置き、制服から私服へと着替えた。その後で確認するように亮介の姿を見てみると、彼はどうやら眠っているらしく、胸を上下に動かしつつ小さく呼吸を繰り返しているようだった。その姿はあまりにも小さすぎる。
 嫌味ばかり言ってどうしようもなく口が悪い奴だけど、彼を薬に走らせた理由だって存在するはずだと思った。何の理由もなしに人間を堕落させる要因はないはずだと感じられるからこそ、俺はそれが知りたくなっていることに気付く。薬が必要だから身売りを始め、授業にもろくに出なくなったというのなら、まずはその根本をどうにかすべきなんだろうと思った。もちろんあの亮介が素直に俺の言葉に従ってくれるわけはないだろうけど。
 本当は首を突っ込むことは怖い。過ちを繰り返してしまいそうで、この居場所さえ奪われてしまいそうだから。
 だけどほんの少し、ただの一片でもいいから、それを知りたいと思うことは罪に値するのだろうか。

 

 

 

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