閉鎖

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2.隣人 - 02

 

「おい、不細工! 十分後に客が来るはずだから、お前は毛布でも被ってベッドの上で丸まってろ!」
 唐突に立ち上がって俺に命令を下した亮介は、何やらとんでもなく理不尽なことを言っていた。
「そんなこと言われたって、お前」
「うるせぇな、口答えするんじゃねえよ! 今日失敗したら終わりになるかもしれねえんだから、お前は何があろうと絶対に邪魔をするな!」
 ぐいと腕を掴まれ、俺は自分のベッドの上に放り投げられる。ついでに上から毛布を被せられた。なんて素早い奴なんだ。
「いいか、お前はもう寝たってことにするからな。途中でごそごそ動いたりしたらぶん殴ってやるぞ」
「ううっ」
 ここで反論したとしても世界は既に宵闇に包まれており、つまり俺はこの部屋から出て行くことができない。だとしたら亮介の言うとおりに布団の中でうずくまっていた方が幾らか幸せかもしれなかった。その理由など考えずとも分かるだろう、亮介の商売の隣で平然としていられる自信なんかないってことだ。
 もう皆は寝静まったであろう暗闇の中、俺は身体を丸め、横向きになってベッドの中で寝そべった。とりあえず部屋の様子が見えるように少しだけ毛布の間に隙間を作り、腕を組んでソファに座っている偉そうな亮介の姿を確認する。
 彼は男に身体を売って金を稼いでいる。その金が使われるのは薬で、彼はそれを必要としていると言っていた。
 その一部始終が今から始まろうとしていた。俺の目の前で、俺が知らなかった日常が再生されようとしてる。
 なんだかこっちがどきどきしてきた。落ち着く為に深呼吸をし、絶対に声を出したり身体を動かしたりしないぞと腹の中で誓いを立てる。
 やがて数分が経過した後に部屋の呼び鈴が鳴った。カランコロンと間の抜けた音が響き、それを耳にした亮介がぱっと立ち上がって玄関へと向かう。
 部屋に入る前の客と亮介の会話はさすがに距離があったので聞き取ることができなかった。ただ扉の鍵を閉めた音だけははっきりと聞こえ、二人の足音がこちらに近付いてくる様子も耳と目で確認できた。
「お茶でもどうですか、先輩」
 先にソファに座ったのは先輩と呼ばれている青年だった。ここからじゃ後ろ姿しか見えないが、亮介より背の高そうな青年がゆったりと落ち着いて座っている。
「ああ、お気遣いなく。それより少し話をしよう」
「はい」
 先輩の少し低い声により亮介は彼と向き合う形で腰掛けた。
「しかし驚いたよ。まさか転校生が君の部屋で暮らすことになるなんて」
「僕も驚きました。でも学園長の決定ですから、僕は受け入れてますよ」
「だが商売の重荷にもなりかねないだろう? 学園長は一体何を考えているのか……」
「あの人の考えなど僕らには分かりっこありませんよ。そうでしょう?」
 先輩とやらは亮介と親しい間柄なのか、何やら込み入った話をしているようだった。その話題の中に俺がいることに若干の居心地の悪さを感じざるを得ない。てめーら噂話なんかしてんじゃねえよ。特に亮介、俺がここにいることを知っておきながら俺の噂をするなんて、相変わらず性格の悪い奴だな。
「先輩、僕のことはいいですから、もう始めませんか?」
「それもそうだな」
 なんてことを考えている場合じゃなかった。話は何の脈絡もなく突拍子もないところへ飛んでいき、いよいよメインイベントが始まってしまうらしい。俺、失神せずにここでいられるのかな。なんだか始まる前からおっかない雰囲気しか感じられないんだけど。
 立ち上がったのは先輩で、彼はソファに座ったままの亮介に近付いた。ちなみに亮介は制服から私服に着替えており、その姿は清楚なブラウスを着たどこぞのおぼっちゃまみたいな格好になっている。
 そっと二人は唇を重ねた。言葉はない。亮介は目を閉じている。
 それは長かった。何度か顔を離そうとするが、相手がそれを許してくれないかのように、結局は幾度も同じことを繰り返している。静寂の中ではわずかな物音さえ俺の耳に届いた。舌と舌が触れ合う音、相手の唾を飲み込む音、甘い恋愛劇の模様が映像として流れている。
 亮介はふと目を開けて何かを見つめた。なぜだかその瞳が途方もなく遠い場所にあるように感じられる。
「彼、起きたりしないかな」
「大丈夫ですよ、ぐっすり眠っているみたいでしたから」
 内緒話のようなひそひそ声が交わされていた。座ったまま動かない亮介は先輩の手により服を脱がされ、彼の不健康なまでに白い肌が露出する。布団の隙間からじゃ視野が狭すぎてよく分からないが、彼はすぐに全ての衣を剥ぎ取られたようだった。
 亮介は身体が細かった。服を着ている時に見ても特別太っているような感じではなかったが、裸にされた彼はまるで何かの病気のせいで痩せているかのように細い身体をしていて俺は驚く。少し力を込めれば折れてしまいそうな腕があり、それを支えている胸は肋骨こそ見られないが、それでもたくましさとはほど遠いものであることに違いはなかった。
 もしかして薬のせいだろうか? 身体に良くないものだってことは知ってたけど、それがどんなふうに作用するかを俺は全く知らない。
「ん――」
 先輩の指が亮介の身体をまさぐっていた。肌の上に手を滑らせ、顔を近付けて乳首の辺りを舐めているらしい。次第に亮介の口から聞いたことのない声色の吐息が漏れ始めていた。それは適度な高さを持った女の人の声みたいで、目隠しをされていたら勘違いをしてしまいそうなほど艶っぽかった。
 しかしいくら女っぽいとはいえ、亮介はちゃんとした男であるはず。そんな相手にここの連中は満足してるんだろうか。
 いや、そんなことよりも、亮介は男なんかに抱かれて平気なんだろうか。本当は嫌だけど薬の為に仕方なくやってる商売なんじゃないのだろうか?
「あ、ふ――」
 俺が考え込んでいる間にも二人は事を進めており、今や先輩までもが服を剥ぎ取り亮介は彼のものを口に咥えているようだった。その光景がなかなかなまめかしくてまともに見ていられない。亮介の奴、あんなことよく平気でできるよな。俺だったら気色悪くて絶対したくないのに。
「そう、上手いよ、亮介」
「先輩には……気持ち良くなってもらいたいですから」
 亮介の黒い髪を先輩が撫でていた。その間にも亮介は先輩への奉仕を止めない。俺は傍観者としてそこに侵入することさえできない。胸の内になんだかもやもやしたものが現われてきた気がした。
「入れるよ」
「はい――」
 ソファに座ったままで二人は繋がった。先程までとは違う吐息が亮介の口から零れている。それはどこか苦しそうに聞こえた。
 なんだか嫌だった。彼らの行為を見ていることが苦痛だった。
 もちろん二人が合意の上でああいったことをしていることは分かっている。でもなんとなくそれが嫌だった。お金の為、薬の為にと身体を売っている亮介と、彼の望みに付け入り結局は性欲の捌け口として亮介を利用している先輩と――二人が抱える背景に嫌悪感を覚えているのかもしれない。
 だけど、本当にそれだけだろうか。もっと他に重大な理由があるんじゃないだろうか?
「ああっ、先輩――!」
 俺はそっと布団の隙間から見える世界を閉ざした。それでもまだ声や音だけは聞こえてきて、外の二人に気付かれないよう耳を塞ぐ。
 よく分からないけど居心地が悪い。
 ああもう、こんなこと、さっさと終わってくれないだろうか――。

 

 +++++

 

「おはよう……」
「どうしたんだ弘毅、目の下に隈ができてるぞ」
 翌日、俺は明らかに寝不足な朝を迎えた。
「昨日は最悪だった……亮介の奴、三人もの相手してたんだぞ」
「ああ、それで」
 俺の説明不足な台詞でも晃は理解してくれたようだ。いやもう本当に、皆が晃みたいにすぐ分かってくれる人だったらいいのに。
「あんなのが毎日続くとか、俺生きていけないかも」
「時間が来る前にさっさと寝ちまえばいいんじゃねえの?」
「うーん」
 お悩み相談みたいな会話を交わしつつ、俺と晃は教室へと辿り着いた。俺より先に部屋を出たらしい亮介はもう教室の中にいるようで、毎度の如く多くの生徒に取り囲まれていた。ほとんど授業に出ないって噂なのに、なんであいつはわざわざ教室に来てるんだ。俺の視界に入らないでくれないかねぇ。
「けどさぁ、中性的とはいえやっぱ仮にも男なのに、なんでこの学園の連中はあんな奴に夢中になるんだろうな?」
「弘毅は加賀見に魅力感じたりとかしなかったのか?」
「しない!! 絶対にしないから安心しろ、晃!!」
「そ、そんな全力で否定してくれなくても」
 大声で否定したくもなってくるもんだ。他の奴らはともかく、俺はあいつの口の悪さと性格の悪さを知っている。あそこまで他人を馬鹿にして自分大好きな奴に会ったのは初めてだ。あんな奴と仲良くなることなんて天地がひっくり返ろうと無理なような気がする。
 いや、待てよ。もし俺があいつとすっごく仲良くなって親友と呼べる間柄になったとしたら、あいつは俺に暴言吐いたり睨みつけてきたりしなくなるかもしれないぞ。そればかりか俺の言うことも聞いて身売りとか薬とかもやめてくれちゃったりして――ああでも、あいつと仲良くなる方法なんて存在するんだろうか。金さえ渡せば大人しくなってくれそうなものではあるが、それだけは嫌だしなぁ。
 よし、ここは友達が多そうな晃に聞いてみることにしよう。
「晃はさ、亮介と仲良くするにはどうすればいいと思う?」
「いやぁ……あいつは無理だわ」
 ちょっと待て、何なんだこの最初から諦めモードは!
「そこをなんとか」
「金でも渡せば仲良くなれるんじゃないか? 客として」
 やっぱりそこに行き着くのか、加賀見亮介よ。
「なんつーかあいつって明らかに人を避けてるんだよな……客の連中は気付いてないみたいだけど、結構露骨に人から遠ざかってるみたいでさ。友達なんかいらないって思ってるんじゃねえのかな」
「そう……なのか?」
 改めて言われてみると、確かに亮介には友達らしい友達がいなかった。彼に話しかけるのはいわゆる「客」ばかりで、そこには金銭による繋がりしか存在しない。なんだかそう考えると亮介が可哀想な奴に思えてきたぞ。
 本人はそれでいいのかもしれないけど、それって悲しくないのかな。
「お前が友達になってやれよ、弘毅」
「簡単に言ってくれますね晃君」
「少なくともお前には素の表情を見せてるんだろ? だったら望みはあるってことだぜ。売春と薬に浸かった学友を救済する……いい話じゃないか」
 いい話か。言われてみれば綺麗な響きのような気がするな。
 だけど俺にそんなことができるんだろうか。元々は逃げ場として利用しているだけの関係なのに、俺が一人の人間を突き動かすほど誰かに近付くことが可能なんだろうか?
「おっとチャイムだ」
 晃の声にチャイムの音が被っていた。とりあえず今の悩み事は頭の隅に押しやって、俺はこれから始まる授業のことだけに集中するようスイッチを切り替えた。

 

 

 扉が高い気がした。空まで届きそうなほど高くて、石のように重く、続く部屋は深淵みたいに黒いものが渦巻いているような気がした。
 それでも俺の居場所はここにしかない。だからそっとドアノブに手を乗せ、扉を開く。
「ただいま」
 声をかけてから部屋に入り、亮介の姿を探した。
 彼はベッドの上で寝転んでいた。昨日と同じように傍らには錠剤の入った瓶が転がっており、亮介は仰向けになって目を閉じている。
 どうやら今の時間帯は薬をやる時間らしい。俺はできるだけ音を立てないように自分の机の前へと向かった。
「帰ったのか、不細工」
 鞄を机の上に置くと後ろから声が聞こえた。振り返り確認してみると、亮介は体勢はそのままで目だけを開けている。俺は制服の上着を脱ぎ、ハンガーにかけておいた。
「無視すんなよ」
「だってまるで寝てるみたいだったから」
「誰が目を開けて喋りながら寝るんだよ、相変わらず馬鹿だなお前」
 いつだって暴言を忘れないのが亮介という奴である。それに慣れつつある自分もどうかとは思うが。
「今日も、その……客ってヤツは来るのか?」
「当たり前だろ」
「何人?」
「予約では二人。早い時間に一枠空きがある」
 亮介は重そうに身体を起き上がらせベッドの上に座った。俺は彼と向き合う形でソファに腰を下ろす。
 なんだか静かな空間が形成されていた。
「やめろよ」
 口から何かが飛び出す。
「……は?」
「薬も売春も、やめろよ」
 おもむろに相手の瞳の奥に嘲笑の色が現れ始めた。
「何を言い出すかと思えば、お説教かよ? 最初に言っただろ、そんなもん聞く気は――」
「俺が嫌なんだ」
 亮介は言葉を止めた。少しだけ驚いたように、俺の顔をじっと見ている。
「お前には関係ないことだろうが」
「確かにそうかもしれないけど、でもなんとなく嫌なんだ。男になんか身体を売るなんて……なあ、本当は嫌なんだろ? 昨日だって苦しそうな声出してたじゃないか!」
「あんなもん演技に決まってんだろ。ああいうふうに喘いだ方があいつらは悦ぶんだ」
「だったらなんで悦ばせる必要があるんだよ? あいつらはお前を道具として使ってるだけだぞ、そんな奴らをなんで!」
 腹の底から何かが溢れ出していた。だけどそれを止める気などない。そのままの姿でぶつかることってきっと、友達として付き合うには無くてはならないことだと思うから。
「俺は薬が欲しいが、それを手に入れるには金が必要だ。だから金を払ってくれる客を逃がさないよう悦ばせるのは当然のことじゃないか。くだらんことばかり言うようならその口、縛るぞ」
「くだらなくないだろ、俺はお前のことを思って」
「うるせぇな、てめえのそれは単なる偽善だ! いい人ぶって結局てめえの意見を俺に押し付けようとしているだけじゃねえか!」
「な――」
 思わぬ反撃を食らって言葉が続かなくなった。そうなった理由として、彼の主張が正しいと認識してしまったからなのかもしれない。
「……ああ、そういうことか」
「え」
 唐突に相手の声色が変化した。目の鋭さも瞬時にやわらぎ、なぜだか立ち上がって俺の隣に座ってくる。
「お前、俺に惚れたんだな」
 そうして告げられたお言葉は予想の斜め上をいくものであって。
「は――」
「まあこんだけ美人なら惚れても仕方ねえよなぁ? さっき言ってたお前が嫌だってのも、俺がお前以外の奴といちゃつく様を見たくないってことだったんだな。けど残念。俺はお前のことなんかこれっぽっちも好きじゃない」
「な、何をわけ分かんねえこと言って」
 息が苦しくなる。またキスされたんだ。
「おいやめろ――」
「心配すんなよ、金さえ払ってくれりゃお前でも大歓迎だから」
 相手の手が俺の肩に乗せられていた。そこに強い力を込められ、俺はソファの上に押し倒されてしまう。
 ……あれ、これってもしかして、やばい展開になってないか?
「待て亮介、早まるなっ! 落ち着いて話し合おう、うん話し合いってすっごく大事なのよ!!」
「言葉なんて必要ねえよ」
 肩には手が乗せられたままで、そこに込められている力が何気に強い。おまけに俺の上に乗っている彼の体重のせいでほとんど身動きが取れず、完全に相手の思うつぼ状態になってしまっていた。
 空いている方の手でズボンのベルトを外され、おまけにシャツまで捲り上げられる。いやちょっと待ってくださいよまじで、俺このままじゃ男に初めて奪われちゃうよ? 冗談じゃない、そんなこと、なんで逃げ込んだ場所でこんな思いしなきゃならないんだよー!
「やめろ! 頼むから……やめてくださいお願いします亮介さんっ!」
「やだ」
 肌に何か異物が触れた気がした。おそるおそるそこへ目を向けると、亮介の舌が俺の胸を舐めている。なんだか背筋がぞっとした。
「きょ、今日だって客が来るんだろ! 俺とこんなことしてる暇なんてないはずじゃないか、ほら、準備とかしなくていいのかなっ!」
「準備なんていつでも整ってるし、それに今日の予約は深夜だ。まだ遊んでいる時間はある」
「う――っ!」
 いつの間にやらズボンが下ろされていて、亮介に俺のそれを握られていた。慣れた手つきで扱かれて徐々に身体の力が抜けてくる。
 駄目だ駄目だ、どうにかしてやめさせないと!
「ば、馬鹿ヤロ、こんなことされたって俺は、金なんか……払わねえぞ!」
「それは駄目だよ、弘毅。お前は俺を買ったことになるんだ」
「勝手にそんなこと、決めてんじゃ……!」
「じゃあもうやめようか? お前のここは悲しむだろうなぁ」
 相手が普段より数倍嫌味な奴になっている気がする。しかし言葉とは裏腹に亮介はまだそれを続けていた。反応したくないのに外部からの刺激には逆らえず、俺のそこはどんどん角度を持っていく。
「ほーら、素直になっちゃいなよ。本当は気持ちいいんだろ?」
「そんなわけ――」
 物音。
 はっとして顔を上げると、部屋の入口の方に誰かが立っていた。それに気付いた亮介もまた相手の方へと顔を向け、手の動きをぴたりと止める。
 続いて目に入ったのは眩しい光。いや、これはカメラのフラッシュか。
「ちょっと――」
 亮介が声を掛けたにも関わらず、相手の青年は走って逃げるように部屋を出て行った。扉が乱暴に閉められた音が大きく響き渡る。
「やられた」
「な、何だったんだ今のは」
 俺は慌てて服を直した。これ以上続けられたら本当に洒落にならん。しかし亮介はため息を吐き、もうそんなことはすっかり忘れてしまっているようだった。
「あいつは学内で新聞を作ってる一員だ。いつもカメラを持ち歩いて、俺を抱く時にもやたらと写真を撮ってくる変態さ。しかし今日は十時からの予約だったはずなのに、一体何を考えてやがったのか――まあ今夜はもう来ないだろうな」
「は、はあ」
 よく分からないが彼も客の一人だったらしい。それにしても亮介はこんな大勢を相手にしてよく平気でいられるな。俺なら三日も持たずに飽きそうだ。
「お前、のんきにしてられるのも今日のうちだけだぞ」
「へ」
 余計なことを考えているとずいと顔を寄せられ、相手の黒い瞳が間近に迫ってくる。
「あいつきっと新聞に俺とお前がしてたことを載せるぜ? 写真っていう明確な証拠付きだからな、俺の客に虐められるかもしれねえぞ」
「は」
 頭がうまく回らなくて、言葉が出てこない。
 徐々に思い出してきたことがある。それは晃が言っていた昔話。亮介のファンって奴らが大勢で寄ってたかり、暴行事件を起こしたことがあったとかなかったとか。
「まっ、せいぜい頑張って生き残れよ、弘毅君?」
 そうして見せられたのは明らかに俺を小馬鹿にした笑みであり。
「てめ、元はといえば、てめえのせいじゃねえかっ!!」
「あっはっは! そんなもん知らねえよっ!」
 口を開けて亮介は大声で笑っていた。
 正直彼を殴り飛ばしたくて仕方がなかったが、初めて俺の前で見せられた腹の底からの笑顔を見ると、俺は彼を許さなければならないような気持ちになってしまった。
 そう、人のせいにして責任逃れをしてる場合じゃないんだ。とにかく俺は明日をどう過ごすかを考えなければならない。
 心を落ち着かせてアイドルのファンから逃げる方法を幾通りか考えてみたが、それでも明日に潜む魔物の群れが頭から離れることはなく、結局今日もまた眠れぬ夜が待っているような気がしたのであった。

 

 

 

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