閉鎖

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3.明暗 - 03

 

 どういう巡り合わせか、今日は土曜日で学校は休みだった。
 俺は朝から亮介を連れて円先生の部屋へと向かっていた。昨日の夜にできた傷はまだ痛んでいるようで、亮介は歩きながら俺の隣で渋い顔を作っている。普段なら部屋の外に一歩でも出たら爽やかスマイルに変貌していたのに、それさえ出来なくなるほど余裕がないということは、やっぱりあの傷は相当痛いのだろう。俺はそんな亮介を放っておけなくて、特に頼まれてもいなかったけど先生の部屋まで付き添ってやろうと考えたんだ。
 目的地の前に辿り着くと立ち止まり、とりあえずドアを軽くノックしてみた。
「どうぞ」
 部屋の中からくぐもった声が聞こえてくる。それを確認してからドアを開き、まずは俺から先に入った。
「おや、水瀬君じゃないか。僕に会いに来てくれたのかい?」
「そんなわけねえだろ」
 円先生の嬉しげな声が飛んできたが、それは迷うことなく地面の下にはたき落としておく。
 正直この部屋には二度と来たくなかった。なぜなら前回の訪問時にとんでもない悪夢を経験させられたからだ。しかし今はそんなことを考えている場合じゃない。
「センセー、打たれたから治療してくれ」
「なんだ、そういうことだったのか」
 俺の後ろからひょいと顔を出した亮介を見て、先生はさっと残念そうな面持ちに変わった。この人って何気に感情が顔に出ちゃうタイプなんだろうか。でもあの時は何を考えてるか全く分からない顔をしてたんだよなぁ。
「じゃあそこに座って、服を脱いで」
 先生の命令通りに亮介は椅子に座り、上に着ていた物を全て脱ぎ捨てた。俺はとりあえず後ろにあるソファに座って二人のやり取りを傍観する。
「ふむ……今回はいつもよりずっと傷が少ないね。これだと傷薬を塗っておく程度で大丈夫だと思うよ」
「何言ってんだ、ちゃんと包帯巻いてくれ。傷が露出してたら客が嫌がるだろうが」
「しかし最近金欠でねぇ……包帯も安くはないんだよ?」
「そんなもん知るか! さっさと巻けよ!」
 亮介の怒声に負けたのか、円先生は渋々と包帯を奥の棚から取り出した。先に亮介の身体に傷薬らしきものを塗り、その上から真っ白な包帯をぐるぐると巻いていく。
「これでよし」
 作業はあっという間に終わった。上半身だけでなく下半身にも同じことをし、それらがすっかり終わると亮介は何事もなかったかのように服を着ていた。
「加賀見君、昨日は何かあったのかい?」
 包帯を棚にしまった先生が何やら興味深げに亮介に声をかける。
「何かって何だよ」
「いや、普段よりずっと傷が浅いから、何かあったのかと思ってね」
「……」
 ふとこちらを見た亮介と目が合った。
 今まで彼は部屋に一人で暮らしていて、誰も止める人がいなかったからあの暴力を最後まで受け続けていたんだろう。だけど昨夜は俺がいて、目が覚めて悲鳴を聞いてしまったから気付かぬうちに動いていた。亮介には商売の邪魔をするなと言われたけど、俺は今でも昨日の行動が間違いだとは思っていない。もちろん彼がどう考えているかなんてことはさっぱり分からないけど。
「こいつが止めに入ったんだよ」
 くいと親指で俺を指差し、亮介は再び円先生と向き合う。
「おや……それはまた」
「こっちは商売の邪魔されていい迷惑だってのに、この野郎が余計なことしやがるせいで」
 俺はなんとなく驚いてしまった。もっと大声で怒鳴って文句を言われるかと思っていたのに、亮介は愚痴でも言っているかのように覇気のない苛立ちを示してくる。これってもしかして、ちょっとくらいは俺に感謝してるってことじゃないだろうか? いや、俺の勘違いかもしれないけどさ。
「あのさぁ、亮介」
「は、はあ!?」
 ぐるんと首をこっちに向け、やたらと大きな声を出してきたのは確かに亮介だった。
 いや、なんでコイツはこんなにびっくりしてるんだ?
「昨日の客ってこの学園の教師だったんだよな? 俺はよく知らないけど……」
「それがどうかしたのかよ」
「お前って教師まで客としてもてなしてんのかよ?」
「別にいいじゃねえか、大人の方が金持ちなんだし」
 ふいと俺から目線をそらし、亮介はあらぬ方向へと顔を向けた。そりゃまあ大人の方が金を持ってるのは分かるけど、それにしたってここの教師は一体何を考えてるんだよ。生徒の身体をあんなふうに使うなんて、学園の外にばれたら警察に捕まるんじゃないのか?
 ――ああ、そうか。ここは全寮制の閉鎖されてる空間だから、生徒も教師も好き勝手ができるってことなのか。
 なんだか寒気がした。俺は本当にとんでもない場所に転がり込んでしまったんじゃないだろうか。だけど今更戻ることもできなくて、俺はここで生きていくしかないんだ。
「水瀬君」
 白衣をまとった円先生が立ち上がり、亮介の隣へ移動して俺の目をまっすぐ見下ろしてきた。その瞳の中にはたくさんの光が煌めいている。
「ここは君が思っていたほど安全な場所ではないし、これからも理不尽なものを目の当たりにする機会が増えると思う。だがどうかこの場所のことを嫌いにならないで欲しい。そしてできれば、加賀見君のことを助けてやって欲しいんだ」
「馬鹿、何言ってんだよセンセー! ほら弘毅、もう帰るぞ!」
 乱暴に腕を掴まれて俺は亮介に部屋から引きずり出された。一瞬だけ見えた相手の顔が真っ赤に染まっていたような気がしたが、それが本当だったかどうかなどもはや判断する余地もない。
「弘毅」
 誰も通っていない廊下の上で鋭い声が俺に向けられる。
「センセーの部屋には一人で行くなよ」
「分かってるって」
「いいか、どんな用事があろうとも絶対に一人で行くんじゃねえぞ! どうしても行かなきゃならない時は俺に声かけろよ、分かったな!」
「はあ」
 振り返って披露されたのは亮介殿の崇高なご命令であり、俺はいまいちその意図が掴めぬまま相槌を打っておいた。そんな適当な返答を聞いた相手はそれだけで納得してくれたようで、再び前を向いてすたすたと歩き始める。
「それから……お前に案内しておきたい場所があるんだ」
「へ?」
 表情が見えないまま相手の声だけが俺に向けられた。そうやって彼の次の言葉を待っていたが、俺を包み込んだものは単なる静寂だけであり、俺はただ躊躇いもなく歩き続ける亮介の背中を追いかけ続けることしかできなかった。

 

 

 人気のない廊下を進んでいくと古めかしい場所へと辿り着いた。亮介の話によるとここは物置として使用されているようで、一般の生徒が近付くような場所ではないらしい。そんな埃の溜まっている廊下を歩き、亮介は俺を連れて扉の中へと入っていった。
「いらっしゃーい」
 部屋へ足を踏み入れた途端に間の抜けるような声が聞こえてきた。しかし部屋の中は薄暗くて、まだ暗闇に慣れていない目では相手の姿を確認することもできない。
「あれ、亮ちゃんじゃない。もう薬切れたのー? 早いねー」
「おい弘毅、ここが薬を売ってる場所だ。それでこいつが売人のキアラン=コールリッジ。覚えておけよ」
 俺の顔を睨み付けるように見てくる亮介は早口に何やら説明してきた。ここが薬を売っている場所で、暗闇の中にいる得体の知れない奴が薬の売人だって? つーかなんでこいつは俺にそんなことをわざわざ教えてくるんだ。
「亮ちゃん一人じゃないの? うっわ珍しー! 誰連れてるの?」
「わっ」
 突然ぬっと闇の中から顔が飛び出してきた。そいつの蒼い瞳が俺をじっと見つめてくる。
「イケメン!」
 そしてあろうことかぎゅっと抱き締められて。
「な、何すんだよあんた!」
「君名前なんていうの? 教えてー」
「いいから離れろっ!」
 なんとか相手を引き離すとようやく目が暗闇に慣れてきた。おかげで謎の人物の姿が確認できるようになる。
 亮介に教えられた横文字に違わぬように、俺に抱き付いてきた薬の売人は外国人だった。くるくると曲がっている髪は金色で、頬には若干のそばかすが見られる。俺より年下のようにしか見えないほど幼げな顔立ちをしていたが、背はそれなりに高かった。それがなんだかアンバランスさを醸し出している。
「キアラン、こいつは俺の同室になった転校生の水瀬弘毅だ。いちいちちょっかい出してんじゃねえよ」
「ああ、君が噂の転校生君なんだ! へえ……ボクは弘毅君の方が好みだなー!」
 大きく開かれた目が俺の姿をまじまじと見てくる。でも彼の口から変な言葉が聞こえたような気がしたんだけど。
「なんだよキアラン、この天使みたいな俺よりこんな不細工な弘毅の方がいいって言うのか?」
「違うよー、転校生の話。今年は二年生にも転校生がいたけど、ボクは弘毅君の方がいいなっていうことだよ。それにボクは亮ちゃんより弘毅君の方が好みだなー、イケメンだし」
「てめえ……」
 怒りが爆発寸前な亮介には触れないようにし、俺は一人で首を傾げる。今まで二年生の転校生とやらの話は聞いたことがなかったが、それってつまり俺と同じ時期に転校してきた奴がいたってことだよな。転校生って珍しいもんじゃなかったのかよ。
「あのさ、その二年の転校生ってどんな奴なんだ?」
「あれ、もしかして亮ちゃんも弘毅君も二年の転校生のこと知らなかったの?」
「そりゃまあ、一年の連中は弘毅に夢中だったからな」
 亮介は何やら誤解を招きそうな言い方をしていた。俺ってそういう目で見られてたのか?
「ボクは二年だから二年の転校生のことばっかり聞いてたからねー。彼の名前は高原和希(たかはらかずき)って言うんだけど、うーんまあまあイケメンってとこかなー。人当たりがいいから今じゃわりと人気者になってるみたいだよ」
「ふうん……」
 ちょっと警戒していたが、その転校生の名前は全く知らないものだった。心配事なんてそう簡単に当たるもんじゃないよな。だけどほっと胸を撫で下ろしている自分がいることもまた事実で。
「お前、知り合いじゃねえの?」
「知らないな。本当にただ単にタイミングが同じだったってだけみたいだ」
 俺の心配事が顔に出てしまったのか、それとも言葉の端からそれを感じ取ったのか、的を射た質問が亮介の口から飛び出して俺は驚いていた。平静を装って答えることは簡単だったけど、亮介がそこから何を得たかは分からない。
「ま、転校生なんざどうでもいいな。それよりキアラン、薬を売ってくれ」
「はいはーい。亮ちゃんの為にたくさん仕入れておいたよ!」
 目の前で売買が開始される。俺はそれを後ろから見ることしかできないが、なんとなく居心地の悪さを感じていた。
 キアランって奴はどうやって薬を仕入れているんだろう。おそらく彼もまた亮介の売春と同じで薬の売買を教師から黙認されているんだろうけど、ここでこうして店をやっているということはきっと、亮介以外の客も訪れるということなんだろうな。
 この学園の生徒が分からなくなってきた。入学する前はなかなかレベルの高い学校だって聞いてたけど、蓋を開けてみるととんでもない場所のようにしか思えない。俺はこんな所で何をしているんだろう。
「亮ちゃん粉薬いらない? 安くしとくよ!」
「いらねえっていつも言ってんだろうが。俺は錠剤しか飲まねえんだよ」
「じゃボクの特製クッキーをおまけに付けてあげるから、このハーブ買ってよ」
「そんなに勧めるならクッキーだけよこせ」
 たぶん商談なんだろうけど、亮介は普段通りの悪魔のような態度でキアランを弄んでいた。それが五分くらい続き、話し合いが終わった頃には亮介の手には瓶が入った袋が二つあった。
「じゃあな」
「あ、ちょっと待ってよ!」
 部屋を出ようとした亮介をキアランが呼び止めた。……ように見えたが、実際は俺が部屋から出るのを阻止したかったらしく、気が付くとしっかり腕を両手で掴まれていた。
「な、何?」
「弘くん、また来てね? きっと来てね? 今度来た時はお茶とお菓子を準備して待ってるからね!」
 くるりと大きな瞳が俺をまっすぐ見つめている。そのあまりの純粋さに見惚れていると、くっと顔が近付けられた事にも気が付かなかった。
 ――唇にやわらかいものを感じる。
「おいこら弘毅、てめえ置いて行くぞ!」
 後ろから亮介の怒声が聞こえ、そのおかげで俺は相手から離れることができた。

 

 +++++

 

 なんだか俺はここにいては間違った道に足を踏み入れてしまいそうな気がしてならない。亮介といい円先生といいキアランといい、この学園にはやっぱり変態しかいないんじゃなかろうか。唯一の良心である晃にもおかしな噂があるし、俺は一体何を信じりゃいいんだよ!
 廊下を歩いて自分の部屋へと一歩ずつ向かう。しかし俺の前を行く亮介はその間じゅう一言も喋ろうとせず、俺は彼の機嫌が悪くなったんじゃないかとあらぬ心配をしなければならなかった。というか亮介は些細なことでも怒りすぎなんだって。もっと気楽に考えねえと将来禿げるぞ?
 結局部屋に着くまで俺と彼との間に会話は発生しなかった。部屋の扉を開き、振り返りもしない亮介が中へと入っていく。
「弘毅」
 俺が部屋に入ると亮介はベッドの上に座り込んでいた。そこでようやく声をかけてくれ、ちょっとだけ安心する。
「何?」
「お前って――イケメンなのか?」
 そうして真顔で告げられた質問は不可思議なものであって。
「いや……そういうのって自分じゃよく分からねえし」
「けど円センセーもキアランもお前の見た目が気に入ったって言ってた。俺にとっては自分以外の奴なんか屑のようにしか見えないが、世間から見るとお前ってイケメンなのかもしれないな」
「は、はあ」
 もしかして亮介は帰り道にずっとこのことを考えてたから黙ってたんだろうか。機嫌が悪いわけじゃなかったのは素直に嬉しいけど、なんだか俺も亮介に親近感が沸いてきたかもしれない。
「けどキスはいただけないな」
 かと思えば傷を抉ってくるし。
「あのなあ! あれはキアランからやってきたことで、俺は全然そういう気じゃなかったんだから勘違いすんなよ!」
「そんなことは……分かってるさ。キアランは根っからのホモだからな、その性癖のせいでイギリスから日本に帰されたらしいし」
「え」
 ついに正真正銘本物のホモと知り合いになってしまったということか。いや、そんな日が来ることは分かっていたともさ。でもその相手が外国人ってのがやたらと生々しさを感じる。
「あいつには気を付けろよ、部屋に連れ込まれると何されるか分かったもんじゃねえからな」
「う、うん……」
 俺をからかっているのかと思いきや、どうやら亮介は本気で心配してくれているらしい。いつもなら俺の不幸を呼び寄せるような予言を浴びせてきたりするはずなのに、これは何が起きているというのでしょうか。
 ただ一つだけ分かることは、今の亮介は付き合いやすい相手だってことだ。
「お前ってナルシストで嫌味ばっかり言ってくる奴だと思ってたけど、案外いいとこもあるんだな」
 にっと笑顔を作って相手に本音をさらけ出す。それを聞いた亮介はちょっと目を大きくし、少しの間固まってしまった。
「な――何言ってんだよお前! 俺のいいとこなんて、そんなもん、いいとこ以外何もねえに決まってんだろうが!」
 崩れた表情の後に示されたのはなぜだか照れ隠しだった。目の前にいる相手は顔を真っ赤に染め、俺から視線をそらして懸命に言葉を吐き出している。
 なんだよこいつ、ちょっと可愛いぞ。もしかして褒められるのが苦手――ってことはないか。今まで散々ファンたちに褒められてたんだろうし。でもこの反応はなかなか可愛げがあるじゃないか。
「いやぁ亮介君はやっぱり頼りになるね! 俺、お前と同室で本当に良かったと思うよ、うん!」
「だ、だから、てめえなんかの心配してやったのは、この前助けてくれたからで――」
 ぽろりと零れた相手の本音を俺は聞き逃さなかった。なるほど、彼は彼なりに恩返しをしようとしていたわけだ。これはますます相手の好感度が上がってしまうな。今になってようやく見えてきた彼らしさってヤツが俺の心を大々的に揺さぶっている。
「とにかく! これから先は円センセーとかキアランみたいな危険な連中に何を言われても無視すること! 絶対に一人であいつらの部屋に近付かないこと! どうしても部屋に近付かなきゃならない時は俺に話すこと! 以上!!」
「はいはい、分かってるよ」
「ちゃんと守れよ!!」
 顔を赤く染めたまま亮介は腕を組み、ふいと顔を別の方へと向けてしまった。俺はそんな彼の姿を眺めながら、この部屋で暮らすようになって初めて感じた居心地の良さをじっくりと噛み締めていた。

 

 

 

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