閉鎖

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6.発光 - 01

 

 虚栄が鏡を重ねていく。
 素朴が落とした破片は何色だった?

 

 

「えーそれでは、学園祭ではカフェっぽいものをするので決定ということで」
 まるで気の抜けるような声が教室中に響き渡る。それに対し反論する人は誰もおらず、不安にしか思えないようなままで何やら重大なことが決定したようだった。
 夏休みが終わり、授業が始まるといつもの生活が待っていた。しかしそれから間もなくして校内は学園祭ムードとなり、今はクラスでどんなことするかということを話し合っている状態だった。それにしてはやる気が感じられないのは気のせいだろうか。
「それでは各々の係を決めたいと思いますが、まず調理担当は……」
 学級委員の沼山が教壇に立ち、円先生は相変わらずの白衣姿で横から眺めている。そしてなぜか今日は亮介が素直に席に座っていた。あれだけ人気がある亮介が学級委員じゃないことは不思議に思えたが、本人に聞いてみるとどうやら自ら辞退していたらしい。ややこしいことには関わりたくないということを面倒臭げに言っていた。
 俺は転校してきて一年も経ってないからずっと黙っていたが、やる気がないわりには決定事項はぽんぽんと決まっていた。この学園では高校生になってから店を出す権利が与えられるらしく、ここにいる全員が初めての経験となっているはずなのに、今は調理担当やら客寄せやらの面子が決定し、話し合いも終盤に差し掛かっているように思える。
「メニューは調理担当の人が適当に決めておいてください」
 あまりにもいい加減すぎる司会だと思ったが、誰もそれに対し突っ込みを入れてないってことはこれが普通なんだろうか。メニューくらい全員で決めた方がいいと思うんだけど。ここじゃ俺の常識は通用しないってことだろうか。……それも充分有り得るように思えるから怖い。
「弘毅、お前は料理とかできないのか?」
 ぼんやりとおぞましさを感じていると横からこそこそと晃が話しかけてきた。ちなみに黒板に書かれている料理担当の枠内には晃の名前が入っている。
「料理なんかしたことないって。晃はできるのか?」
「へへっ、実は俺がするんじゃないんだ」
 ということは、つまり陰に任せるってことなんだな。球技大会の時もそうだったけど、陰って第二の亮介みたいな奴だな。
「晃ももうちょっと頑張れよ……駄目駄目じゃん」
「な、何を言ってんだ、俺はこれでも芸術方面ではいい感じなんだからな」
「だからそれ以外を頑張れって言ってんだってば」
「俺のことはいいんだよ。それより弘毅は今回何をするんだ? 早く決めないとろくな役にならないぞ」
 はっとして黒板の方を見てみると、既に大半の名前で枠内は埋め尽くされていた。残っているのは掃除役と接待役の二つしかない。どっちも疲れそうで嫌な役だな。
「えー、おほんおほん。それでは接待役を決めたいと思うのですが……」
 学級委員の沼山がわざとらしく咳をする。そして何やらそわそわした様子で教室内をぐるりと見回していた。ついでになぜか教室内の雰囲気までもがそわそわし出す。何なんだこいつら、分かりやすいレベルで何かを期待しているような気がするぞ。
「接待役、僕がやります」
 そんな心地の悪い空気を壊してくれたのは亮介の爽やかな科白だった。それまでは興味なさそうに窓の外ばかりを眺めていたが、ここぞとばかりに存在をアピールしている。
「じゃあお願いします、加賀見君!」
「はい」
 なるほど、教室内の連中はこれを期待していたのか。亮介の言葉により室内のそわそわは完全に消え去っていた。亮介も亮介で自分に向けられた眼差しを理解していたようだ。これがプロってヤツなのか、そうなのか。
「それでですね……加賀見君には是非とも煌びやかな……つまり女装なんかをしてくれれば嬉しいんですが」
「構いませんよ」
「え、マジで! よし決定!」
 教壇に立つ人物の私欲が見え隠れした気がしたが、それはもう気にしないでおくことにした。しかし亮介は抵抗とかないんだろうか。やっぱりあれか、夜の客にそういう注文をしてくる奴もいたってことだろうか。そう考えるとあいつも不憫な奴だな。
「しかし加賀見君一人に接待をさせることはできない! よってもう一人だけ接待役が必要だ! 我こそはという者はいないかっ!」
 先程までとは打って変わって学級委員は気合いが入りまくっていた。おまけにクラス全体の真剣さも高まっている。何なんだこいつらは、そんなに亮介の女装が嬉しいのか? このクラスは一体どうなってんだよ。
「とは言っても、加賀見と並んで違和感がない奴なんてこのクラスにいないぞ」
「そうそう、二年の絹山先輩みたいな人がいればなぁ」
「俺掃除役でいいわ。女装なんかしたら怒られそうだし」
 教室内はざわざわと雑談を始める。まさかこんなところで絹山幾人の名前を聞くことになるとは。あの人ってやっぱり有名なんだな。
「おい弘毅、お前立候補してみろよ」
 隣から嫌味っぽい科白が飛んでくる。そちらに顔を向けると晃がニヤニヤしながらこっちを見ていた。この野郎、他人事だと思いやがって。
「絶対嫌だね。つーかもう一人の接待役も女装しなきゃならない雰囲気になってるのに、なんでそんなのにわざわざ立候補しなきゃならないんだよ」
「お前なら意外と似合うと思うぞ」
「あのなぁ」
 そもそも俺が女装とか、どう考えても似合わないだろ。亮介みたいな中性的な顔をしてるわけじゃないのに、そんなもん見て誰が喜ぶってんだよ。いや女装しなけりゃいいだけの話なんだけどさ。
「加賀見君、君は誰がいいと思いますか?」
 終わりそうにない悩みを解決する為に沼山は亮介に話題を振った。その刹那にどうしてだか俺はぎくりとした。一瞬でクラスはしんと静まり返り、誰もが亮介の言葉を待ち構える姿勢に変わる。
「そうだね……」
 彼は振り返りもしなかった。
「僕は弘毅が似合うと思うなぁ」
「よし水瀬で決定! ちゃんとやれよ、水瀬!!」
 やっぱりこうきたか。ええもう嫌な予感はしておりましたとも。
「マジで弘毅になりやがった……」
 これには隣の晃も驚いたのか、変なモノを見る目でこっちを見てきやがる。さっきは楽しんでたくせにいい御身分だな、おい!
「そういうわけで、残りの人は掃除役でお願いします。これにて話し合いを終わります」
 平和が訪れた教室内には穏やかな空気が流れていた。その後ろの方で全てを眺めていた俺は、もうため息しか出てこなかったことは言うまでもないだろう。

 

 

「はあ……」
 授業が終了し、自分の部屋に戻ってきてもため息は止まらなかった。
「何を落ち込んでるんだよ弘毅ちゃん」
「……『ちゃん』とかやめてくれ」
「いいじゃねえか女装すんだから」
 動じていない亮介は普段通りせっせと化粧をしていた。こっちの気も知らないでずいぶん余裕そうにしていやがる。こいつのせいで俺が恥をかかなければならなくなったことは明確だってのに、よくもまあ堂々としていられるもんだな。
「だいたい亮介、お前には男としてのプライドはないのか? 女装だぞ女装! なんかよく分からんヒラヒラしたフリルだらけの服とか着せられるんだぞ、きっと!」
「その方が人気も出るだろ。いい機会だし、俺の存在を全校生徒にアピールして客を増やしてやろうと思ってるのさ」
「……」
 彼に聞いた俺が馬鹿だったらしい。そうだよ亮介は金の為には何でもするような奴だったんだ。しかしなぜ俺がこいつのペースに巻き込まれなければならぬのか。これって理不尽じゃないかよ!
「俺は……女装なんか嫌だぞ」
「もう決まったことをぐちぐち言ってんじゃねえよ」
「お前らが勝手に決めたんじゃねえかよっ! だいたいなんであそこで俺の名前を出したんだ!」
「はあ? お前それ本気で聞いてんのか」
 くるりと身体を振り返らせ、亮介は化粧の途中である顔をこっちに向けてきた。中途半端にまつ毛が強調されている。
「お前はとりあえずキアランが食い付くほどのレベル、つまりイケメン枠ってことになってんだよ。あのクラスには不細工な奴しかいねぇから最もマシなお前を選んでやったんだ、怒るんじゃなく逆に感謝してもらいたいくらいだね」
 これは遠回しに褒められているということなのだろうけど、その代償として与えられた役割は泣き出したいものであることに変わりはない。
「それにどうせ俺が言わなくても円センセーがご指名してくれたと思うし、諦めろや」
「う――」
 そういえば口出ししていなかったがあの場には先生もいたんだった。どっちにしろ俺に未来はなかったということかよ。やっぱり世の中理不尽だ。理不尽すぎる。
「まあそう落ち込むなって。お前みたいな不細工でも化粧をすればどうにでもなるさ。ほら、ここに座れ」
「あ、ちょっと」
 腕を引っ張られて無理矢理椅子に座らせられる。化粧道具を持った亮介が目の前に立ち、いつも彼が使っていた品の数々が机の上に集合した。それを一つ手に取り俺の顔に塗り付けてくる。
「元が不細工だから厚化粧にした方がよさそうだな」
「な、なんで今から化粧なんか……」
「お前に似合うやり方を探求する必要があるだろ、夏休みが過ぎても弘毅はバカだな」
 長期休暇を挟んでも亮介の毒舌は相変わらずだった。せっかく壁が一枚壊れたと思ったのに、日常が戻ってくるとすぐにこれだからなぁ。
 亮介の家へ行き、いろいろと話をしたその後の夏休みでは、驚くほどに何もなかったのが現状だった。ただ退屈な毎日を淡々と過ごし、客も来ないので夜はのんびりと休むことができていた。二人きりだからといって特別な何かが起こったわけでもなく――もちろん一緒に寝るとかそういうこともなく、本当に穏やかな日々を過ごしていただけだった。
 寮に帰ってきてからの数日間は亮介の顔をまともに見ることができなかったが、今となればそんな気まずさなどすっかり消え去り、以前と同じように彼と接することができている。おまけに彼からの嫌がらせも復活し、良くも悪くも普段通りに戻っていた。嫌がらせとかその辺は改変してくれてもよかったんだけどなぁ亮介君。ダメですか。
 大人しくじっとして黙っているとすぐに時間は経過し、慣れた手つきで俺に化粧を施していた亮介はやがて手を止めた。それから睨みつけるようにこっちを凝視してくる。
「お、終わったのか?」
「んー……いまいちだな」
 それだけを言い放ち、相手はさっさと化粧道具を元の位置に戻してしまった。それから今度は自分自身の化粧を始める。
 試しに俺は洗面所へ行き鏡を覗き込んでみた。そこに映っていたのは、ばっちりと化粧をした男か女か分からない顔をした誰かさんだけであり。
 亮介の言うとおり、それはいまいちだった。やっぱり俺に女装なんか無理なんだってば。なんだか眉毛がやたらと濃くなってるし、唇はピンクになってつやつやしてるし、何より顔全体に変なものを塗りたくられて違和感が半端ない。
「弘毅、ちょっと来いよ」
 鏡と睨めっこしていると呼ばれてしまった。仕方がないので部屋に戻るとまた椅子に座らせられ、近寄ってきた亮介に目の辺りを弄られる。
「これでまつ毛はいい感じだな。あとはその不細工な眉毛をどうにかしねぇといけないな」
 彼の手が離れてもまつ毛の違和感が払拭できなかった。どうやら「つけまつげ」ってヤツを付けられたらしい。こんなもん付けられる日が来るとは思ってなかったぞ、おい。
 亮介はごそごそと棚の中を漁り始め、俺は近くに置いてあった手鏡を取り自分の顔を見てみた。なるほど、まつ毛が増えている。でもそれの何がいいってんだよ。もう自分が何をやってんだかわけが分からなくなってきた。
 などと俺が絶望を通り越していると、ふと耳に呼び鈴の音が聞こえてきた。なんて最悪なタイミングなんだ。この顔で他人と会う勇気など俺は持ち合わせていないぞ。
「おい亮介」
「お前が出ろよ。俺は今探し物中」
「絶対やだ!!」
「ガキかお前は。仕方のねえ奴だな……」
 渋々と亮介は入口の方へと歩いていく。俺は念のために入り口と反対方向へ顔を向けておいた。
「やあ加賀見君。今ちょっといいかな」
「なんだ、センセーかよ。何の用?」
 聞こえてきた声は円先生のものだった。これまた最悪な人が来てくれたもんだ。さっさと帰ってくれないかな。
「君と水瀬君の採寸をしようと思ってね。だからちょっと測らせてもらいたいんだけど、構わないかな」
「はあ? センセーが衣装を作るのか?」
「いやいや、僕は単なるお手伝いさんだよ。作るのは裁縫部の山辺君たちだ」
「ふうん……」
 ぱたりと扉が閉まる音が聞こえた。そして二人の足音がこちらに近付いてくる。やめてくれよ、おい。この顔を円先生に見せるとか、この四階の寮から飛び降りるよりも嫌だぞ!
「そういうわけだから水瀬君もよろしく。まずは加賀見君から――」
「さっさと済ませろよ」
 背後で二人はごそごそと何かをやり始めた。採寸するだけなら後ろ向いてても可能だよな。……そうだよな?
「はい、おしまい。それじゃ水瀬君、こっちに来て」
 あっという間に亮介の採寸は終了したらしい。ひたひたと誰かが忍び寄る感覚が分かった。先手を取られる前にとりあえず俺は立ち上がっておく。
「ど、どうぞ」
「ん? こっちを向いておくれよ」
「このままでお願いします!!」
 後ろで誰かが吹き出した音が聞こえた。あいつめ、完全に楽しんでやがるな。
「お二人さん、俺ちょっと事務室に提出するもんあるから留守番頼むな」
「ああ、行ってらっしゃい」
「え、ちょ」
 あろうことか亮介はこの部屋を出て行ってしまったらしい。ぱたりと扉が閉まる音が響き、室内に何とも言えぬ空気が流れる。
「水瀬君、とりあえずまずはこっちを向いて欲しいんだけど……」
「だからこのままでお願いしますってば」
「いや、でも胸とかも測らなきゃならないし」
 このままではらちが明かないだろう。ここはもう諦める他に方法はなく、だから俺は意を決して振り返ることにした。思いっ切り俯いた姿勢で先生に前面を見せる。
「おや、もしかして化粧の練習をしていたのかい? いい感じだよ」
 隠していたつもりなのに速攻でばれた。しかもにこやかな笑顔で褒めてきやがった。腹が立つのと恥ずかしいのとで一気に身体が熱くなる。
「もういいから、さっさと採寸でも何でもしてくれよ!」
「それじゃあ遠慮なく」
 メジャーを持った円先生はにこにこしたまま俺の身体を測り始めた。測った後は傍に置いてあった紙に細かく数字を書き込み、それを何度か繰り返す。
「うーん、ベルトが邪魔で正確な数値が出てこないね。外してもらってもいいかな」
「……アンタ絶対よからぬこと企んでるだろ」
「え? ははは、何を言うんだい」
 天然なのか亮介と同類なのか、笑顔を見せられると相手の考えが何一つ分からなかった。とんでもなく嫌な予感がしていたが、早いとこ解放されたかったので相手の要望を叶えてやることにする。
 ベルトを外すと先生は腰にメジャーを回してきた。その数値を読み取り、紙に小さな字で記録する。
「はい、これでおしまい」
 先生の一言を聞くと思わずほっと胸を撫で下ろした。これでやっと帰ってくれるんだな。化粧をした顔を見られたのはショックだけど、俺の視界から消えてくれるならそれでいいや。
「ん――っ!」
 突然息苦しくなったかと思うと相手の顔が目の前にあった。これは――間違いなくキスされている。油断をした俺が愚かだった。
「やめろってば、そういうこと!」
「いやぁ、ピンクでつやつやしてる唇だったから、つい」
 また「つい」とか言ってやがるよこの先生は! それ以前に唇の感想が俺と全く同じって時点でかなりの精神的ダメージを受けたんだけど!
 逃げようと思っても既に肩をがっちりと掴まれていた。そこに何やら高圧的なオーラを感じて身体が動かない。亮介の奴もさっさと帰ってこいよ! いや帰ってきてくださいお願いですから。
「いい香りがするね、髪も弄ったの?」
「お、おい……やめろってば」
 いつの間にやら彼の手はズボンの上に押し当てられており、俺の脚の間に侵入してしまっていた。ついでにぐっと顔を近付けられて首筋を舐められる。
 その感触で思い出すものなど一つしかなかった。暗い暗い闇の中で、瞳が直視した不気味な光。ゆらゆらと揺れたそれは勢いよくこちらに振り下ろされてくる。抵抗などできない。声も奪われ、色もなく、ただあの人に「愛されていた」だけのこの身体は――。
「おい円! てめえ人の部屋で何してやがる!」
 不意に届いた罵声により目が覚めた。気が付けば亮介が部屋の入口に立っており、とんでもない形相をしてこちらに歩み寄ってくる。彼は乱暴な手つきで俺から円先生を引き離し、俺を庇うような位置に立って偉そうに腕を組んだ。
「てめえはいちいち弘毅を誘惑してんじゃねえ、いい大人がこんなガキ相手に何を期待してやがる」
「だって……若い身体っていいじゃないか。いろいろな発見があるんだよ」
「お前は頭がイってんだ。それに弘毅を巻き込むな」
「それは残念」
 机に置いていた紙を手に取り、円先生は笑顔を崩さないままで部屋を出ていった。それを見た俺は二度目の安堵を手に入れる。
「お前もお前だぞ、弘毅。嫌なら力ずくでも逃げ出せよ」
「分かってるんだけど、なんか……身体が言うこと聞いてくれなくて」
「はあ? まさかお前、あんなひょろひょろしたセンセーが怖いとか言うんじゃねえだろうな?」
 怖いなどという感情のことなど忘れていた。俺は先生が怖かったのだろうか。だからあの不気味な光に怯えて、何もできなくなってしまったのだろうか?
「……とにかく。化粧はまた明日考えることにして、次は髪形を弄ってみるからそこに座れ」
 深いことは何も考えたくなかった。触れたくない傷跡には蓋をし、俺は今ここにいる亮介の願いを叶えるべく近くにあった椅子に座る。後ろに回り込んだ亮介はすぐに俺の髪を弄り始めた。
 どうやら思っていたよりも過去の出来事は俺の中で大きくなっているらしい。遠く離れた場所に逃げ込むだけでは解決できないなら、俺は一体どうすればこの不安定なものを捨てられるのだろうか。

 

 

 

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