閉鎖

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6.発光 - 03

 

「さあ、これで完成だ。目を開けていいぞ」
 相手の命令に素直に従い、俺はゆっくりと目を開く。
 部屋にうっすらと差し込む朝陽を身体で受け止め、俺たちはいよいよ学園祭の当日を迎えることとなった。そして今、亮介の渾身のメイクが完成し、俺は部屋の鏡の前で変わり果てた自分の姿を目撃している。
 髪にはカツラをくっつけられ、顔には厚すぎない程度の化粧を施され、身体にはフリフリヒラヒラのメイド服っぽい衣装を着せられている自分が鏡の前に立っていた。自分で言うのもあれだけど、ここ数日間の亮介の試行錯誤が実を結んだのか、初めて女装した時よりうんと女っぽくなっているような気がする。とにかく遠くから見たら大多数の人が女だと勘違いしそうなレベルにまでは上り詰めることができていた。
 対する亮介は相変わらずばっちり決め込んでおり、誰がどう見ても可愛らしい少女のようにしか見えない格好になっている。一度俺と亮介の「完成図」をクラスの連中に披露したこともあったが、その時の評判もなかなかで、とりあえず俺が恥をかく心配は少しだけ減ったと言っても過言ではないだろう。いや、女装してる時点でかなり恥ずかしいんだけどさ。
 どうやら俺は「美人」担当で、亮介は「可愛い」担当ということになっているらしい。確かに俺がどう頑張っても体格とか顔つきとかで「可愛い」にはなれないことは分かり切っているからいいんだけど、メイク一つで誤魔化せるほど世間の目とは甘いものなのだろうか。いかんせん自分で自分を評価するとどうしても偏った見方になってしまうので、どうにも俺は今の姿が「美人」なのかどうか判断することができなかった。
「さすがは亮介君だな、あれほど不細工で不細工で仕方なかった弘毅をここまで美人に仕立て上げられるんだから」
「あー、はいはい。分かったからそろそろ行こうや」
「弘毅君はもっと加賀見君にカンシャをした方がいいと思うんだけどなぁ」
 横から聞こえてくる嫌味っぽい科白は適当に聞き流し、最低限の荷物を持って二人で部屋を出る。
「おはよう、加賀見君!! ……あとついでに水瀬」
 廊下に出ようとした矢先、真正面からやたらと元気の良い声が聞こえてきた。なんとクラスの数人が綺麗に並んで立っており、どうやら亮介と俺を出迎えに来てくれたらしい。その中には裁縫部の山辺の姿もある。
「おはようございます、皆さん」
「さささ、お店まで俺たちがエスコートするよ! あ、水瀬は適当について来いよ」
「……」
 この態度の違いにもそろそろ慣れ始めてきた頃だが、いちいち癪に障るのは一体なぜなんだろうか。こいつら俺を何だと思ってやがるんだ。なんて威張れるほどじゃないけど、俺だって腹くくって女装したんだからさぁ……。
 それに俺ははっきりと覚えている。俺が初めて女装の「完成図」をお披露目した時、ここにいる誰もが目を丸くして俺を褒めてくれたんだ。あの時の輝いていた目はどこに行ったんだ。まだあれから一週間も経ってないはずだろうが。
「おい水瀬、さっさと来いってば!」
 恨みつらみを頭の中で再生していると、いつの間にやら亮介とそのボディーガード達は曲がり角の先へ消えようとしていた。唐突に一人で歩くことの恐ろしさを思い出し、俺は慌てて連中の背を追って少し走った。

 

 

 お店へと化した教室内は綺麗に整頓されており、朝早くから準備をしていたらしい調理担当の連中が忙しそうに走り回っていた。もちろんそこには陰の姿はあるが、彼の元である晃の姿は見当たらない。
「おお、加賀見君! 今日も可愛いよっ!」
「ありがとう、皆さん」
「水瀬もまあまあ美人ダゾー」
 気合いの入った亮介へのお世辞のすぐ後に繰り出される棒読みの科白は、ともすれば殺意が湧くほど鬱陶しいものだった。俺は今日ほどこの教室に居たくないと感じることはないだろうと思う。まだ今日は始まったばかりだけど、それだけは間違いないだろうと断言できるんだよ、ちくしょうめ。
「やあ亮介、弘毅。今日はお互い頑張ろうな」
「お、おう!」
 嫌味じゃない言葉をかけてくれたのはクラスでの唯一の良心である陰だった。俺きっと陰がいないとこのクラスから脱走するところだった。晃は晃で調子に乗るところがあるし、こういったささやかな優しさを持ち合わせているのは彼だけに違いない。
「でもそこ邪魔だからどいて」
「へ――おわっ!」
 なんてことを考えていたら、容赦ない力で俺は唯一の良心君に突き飛ばされてしまった。ああ、もう駄目だ。前言撤回、このクラスにはやはり俺の味方など一人として存在しないのだ。しかも何気に視界に入った亮介君のお顔がニヤリとあくどい笑みを浮かべているような気がしたんだけど、そんなものは見なかったことにしよう。うん。
「おはよう皆。朝早くから頑張ってるねぇ」
 遅れて室内に入ってきたのは白衣を着込んだ円先生だった。まさかこの人、学園祭中も白衣姿のままウロウロするんじゃないだろうな。どこの大学教授だよ。
「お、加賀見君に水瀬君。二人ともよく似合ってるよー」
 そして早速こっちに近寄ってきたし。抜け目がないところも普段通りで余計に心配になってきた。
「しかし水瀬君は美人になったなぁ。この見た目だと本当に外部のお客さん達は女性だと勘違いするかもね」
「先生、とりあえずセクハラはやめてください」
「えっ」
 何やら褒めながら腰の辺りに手を伸ばしてきたので、触られる前に制止しておくことにした。俺のストレートな発言を聞いた先生は一瞬だけ固まってしまったようだ。ついでに俺の隣にいる亮介が再び見逃してしまいそうなほど小さな笑みを浮かべている。
「や、やだなぁ水瀬君。セクハラだなんてそんな」
「とにかく身体に触らないでください。ただでさえこの服、ぎゅうぎゅうできついんだから」
「きついのかい? へえ……」
 釘を刺したつもりだったのに、ふと眼鏡の奥の瞳がきらりと光ったように見えた。何なんだ一体、俺は何か言ってはいけないことを言ってしまったとでもいうのか? いちいち怖いんだけどこの先生。
「おいこら水瀬! てめえぼーっとつっ立ってないでこっち手伝えよ! あ、加賀見君は何もしなくていいからなっ!」
「……呼んでるよ、弘毅」
「くっ……」
 異様に輝いている亮介の顔が眩しすぎて、俺はついつい握り拳を作ってしまうのだ。このまま可愛らしい亮介君の顔を見ていると殴りたくなってくるだろうから、何かを言う前に彼の隣から離れてしまうことにした。
「楽しそうだね」
 先生の隣を通り過ぎようとすると声が聞こえた。気になって振り返ると、先生は俺ではなく亮介の方を見ているらしかった。
「君がこの学園に来て、加賀見君は変わった。あんなに楽しそうな顔は今までに見たことがない」
 それがどういう意味なのか俺にはまだ分からない。いや、分からないふりを続けているんだ、俺も亮介も。
 まず間違いなく亮介が楽しそうにしている要因は俺の不幸を見ているからなんだろうけど、それでも彼が俺と知り合ったことでいい方向に変わっているのだとすれば、俺はなんだか嬉しかった。こんな自分でも人を変える力を持っているのだとすれば、きっとそれは恥ずべき事じゃないのだろうから。
 この変化がどこに転がるかは不明だけど、俺は彼らと共に過ごすこの時間の一瞬一瞬を生涯忘れないよう胸に刻み込んでおこうと思った。……

 

 +++++

 

「いらっしゃいませー」
 やや引きつった顔でスマイルを作り、出来るだけ明るく挨拶の言葉を口に出す。
 ただそれだけの作業であるはずなのに、周囲からの視線のせいで午前中にもかかわらず俺の身体には相当の疲労が蓄積しているようであった。
 隣では同じようにニコニコしている亮介が立っている。洗練された彼の笑顔は曇り一つなく爽やかで、時折持ちかけられる客からの雑談にも差し障りのない言葉と態度で丁寧に対応していた。さすがは普段から猫を被ってるだけのことはある。それに対し俺はもう挨拶して料理をテーブルに運ぶだけで精一杯だった。
「ほら水瀬、三番テーブルに持って行って」
「お、おう」
 午前中は客なんかほとんど来ないと余裕をかましてたのがいけなかったのか、外部からの客は想像以上に多く、ついでに亮介のファンらしき学内からの客も押し寄せており、朝から教室内はごった返していた。はっきり言ってこのイベントを舐めていた。思えば今日はこの閉鎖された学園が解放される唯一の日であり、だからこそ外部の人間もこぞって入り込んできたんだろう。
「お待たせしましたー」
「ありがとな、姉ちゃん」
 料理を受け取ったおっちゃんは俺に声をかけてくれた。それだけならいいんだけど、その「姉ちゃん」ってのは何だ。勘違いしてるのか? それともただの嫌味か? 後者だったら泣くぞ。つーか声聞いたら女じゃないって分かるだろうがよ!
「水瀬ー、五番によろしく」
「ついでに七番にも行ってくれ」
「あ、二番にも!」
「ちょっと……」
 人遣いの荒い調理担当の連中は俺ばかりを使おうとしていた。亮介は入り口付近でファンの連中とお喋りをしているようで、仕方がないので俺が一つずつ仕事を潰していくことにする。
 三つのテーブルに配り終えると少しだけ休憩時間が手に入ったらしかった。心なしか客足が少なくなり、しばらくすると店内に客が一人もいないという驚くべき状況に陥った。
「弘毅、お客さん来てないのか? 暇なんだけど」
 ひょいと厨房から陰が顔を出してくる。他の連中もぺらぺらとお喋りをして暇を持て余しているようだ。
「いいじゃないか暇でも……こんなに平和なんだから」
「それなら学内一周して宣伝でもしてきてくれよ」
「は? なんで俺がそんなことしなきゃ」
「その格好で出歩いてたらそれだけでインパクトあるし、いい客寄せになるって。ほら、亮介と一緒に行ってくれって」
 厨房から陰にぽんと背中を押され、俺は亮介の前に立ってしまった。そしてあろうことか彼とばっちり目が合ってしまう。
「お客さんが誰も来ないのは寂しいし、一緒に宣伝頑張ろうよ、弘毅」
「うああ……」
 微笑んでいる彼の瞳がうっすらと開いており、そこから覗く眼はこの状況を大いに楽しんでいるものになっていた。きっと亮介は女装して出歩くことに何の抵抗も感じないのだろう。だからこそ嫌がっている俺を見て更に楽しもうとしている感が半端じゃなく、無理矢理引きずられるような形で彼に廊下へと連れ出されてしまった。
「さて、どこに行こうかな」
「あのさぁ……俺らが店空けてても大丈夫なのかよ? 普通に考えて接客する奴がいない店とか駄目だろ」
「その辺は彼らがなんとかしてくれるでしょう」
 渋々亮介と共に廊下を歩くことにしたが、一つ目の角を曲がった途端に周囲からの視線を感じたことは言うまでもないだろう。ざわついている連中の隣を何食わぬ顔で亮介は通り過ぎ、俺は彼の影に隠れようと必死になって背中にくっついて歩くことにした。
「そうだ、ちょっとした嫌がらせをしに行こう!」
 歩き出して五分もしないうちに亮介は何やら怪しげなことを思い付いたらしい。それについて聞くのは怖かったので黙って彼についていくと、亮介は階段を上って二年生の店が並んでいる空間へと近付いていった。そして迷うこともなくまっすぐ進み、一つの部屋の中へ堂々と入り込む。
「か、加賀見君! うわあいらっしゃい! よく来てくれたねっ!」
 当然のことながら店の中は歓迎ムードになり、亮介はあっという間に豪華な待遇を受けていた。ついでに俺も彼の正面にある席に座らせてくれ、物珍しそうに見てくる視線をあらゆる方向から感じることになった。いやそれはもう慣れたけどさ。
 ふと一人の店員がゆっくりとこちらに近付いてきた。何気なしに彼の顔を見上げると、なんとそこにあったのは見覚えのある顔で、球技大会の時にいろんな意味でお世話になった絹山幾人が俺たちを戸惑った表情でじっと見ていた。
「やあ、絹山先輩。繁盛しているようですね」
「あ、ああ……おかげ様でな。しかし君たちもその格好を見ると接客をしているのだろう? 店を離れてもいいのかい?」
 心なしか絹山幾人の顔が引きつっているような気がする。なるほど、亮介の言っていた「嫌がらせ」とはこのことだったのか。相変わらず性格は最悪な奴だなコイツは。
「やだなぁ、今は宣伝として学内を廻っているところですよ。僕らの店は場所が悪いからお客さんがなかなか入ってくれなくて」
 よく見てみると絹山幾人の服装はどこぞのホストみたいにキラキラしたもので、彼もまた俺たちと同じような配役になっていることが見た目だけで分かった。ざっと店内を見回してみると、確かに外部からのお客さんである女の子の姿が多く見受けられる。俺もこっちの店で働きたかったわ。何が悲しくて女装なんかして野郎のハートを鷲掴みにしなきゃならないんだよ、このヤローがっ!!
「それにしても、そっちの子は?」
「おや、分かりませんか? あなたが手を出した弘毅ですよ。そう、あなたが手を出した……ね」
「この子が、水瀬弘毅君だと? まさか!」
 まるで信じられないと言わんばかりの顔で絹山幾人はこっちを見てくる。何なんだ。俺はこの人になんか興味はないぞ。そんな目で見られたって嬉しくも何ともないんだからな!
 亮介は俺と絹山幾人を残して立ち上がり、何を考えているのか店の中央へと歩いて行った。そこでぴたりと足を止め、一度だけぐるりと周囲を見回す。
「皆さん、このお店の後は是非とも僕らの店へ来てください。一階にあるとても小さな店ですが、そこにいる弘毅と一緒に精一杯おもてなしをするので、きっと来てくださいね!」
 とっても輝かしい笑顔を皆に見せながら、亮介はあまりにも堂々と自分のクラスの宣伝をしていた。いやマジで性格最悪だわコイツ。俺の前で立っている絹山幾人は今にも怒り出しそうな雰囲気がして怖いんですけど。
「もちろん加賀見君のお店には行くよ! だからもうちょっとだけ待っててね!」
「あの人たち女装してるの? かわいー、後で寄ってみようかな」
 もともと亮介のファンだった奴はともかく、なぜか店内にいる女の子にも彼の姿は好評だったらしい。よく分からないけど、女の子ってのは可愛いものなら何でも好きなのか? じゃあなんでイケメンの方が圧倒的にモテるんだよ。世の中理不尽だ、くそぅ。
「水瀬君……加賀見君は俺たちの店を潰しに来たのかな」
「えっ!! そ、それは、その……うわあああお邪魔しましたああっ!!」
 前方から溢れんばかりの殺気を感じ、俺は亮介の腕を引っ張って急いで店から飛び出した。あのままだと確実に絹山幾人に何かされるところだった。怖くて目は合わせられなかったけど、彼の身体から漂うオーラが尋常じゃなかったのだ。
「やだぁ弘毅君てば、そんなに強く引っ張らないでよぉ」
「てってめえ! なんであんな嫌がらせをしに行こうだなんてことを思いついたんだよ!」
 なんとか魔の手から逃れられた俺たちは絹山幾人の店から離れた場所で立ち止まった。相変わらず人ごみは凄かったが、もう今更こっちに向けられる視線を気にしている余裕なんかない。
「あ、ねえ弘毅。ここってキアランのクラスの店だよ。お昼ご飯はここで食べよっか」
「いやその……」
 まるで俺の話を無視し、亮介はすたすたと一つの部屋の中へ入っていく。しかも入り口の近くに貼り付けてある看板には「お菓子」の文字が書かれていた。どう考えてもお昼ご飯を売っている店じゃないと思うんだけど。
「か、加賀見君! いらっしゃい、うわああ光栄だなぁ、君が来てくれるなんて!」
 やはりこっちの店でも亮介は歓迎され、おまけとして俺もいい感じの待遇を受けることができた。小さなテーブルを挟んで亮介と向き合い、差し出されたメニューを複雑な心境のまま眺めてみる。
 想像通りというか看板の内容に偽りなしというか、メニューに並んでいる単語はお菓子の名前ばかりであった。よく見ると店内はピンクや黄色で可愛らしい装飾が施されており、いかにもお菓子屋さんっぽい見た目になっているようだ。
「加賀見君! 注文は決まりましたか?」
「ええとね、僕はアップルパイとパウンドケーキのプレーンとイチゴのショートケーキとレモンティーを貰おうかな」
 いや、どんだけ注文してんだよコイツは! つーかお菓子を昼食代わりにするなってば。
「そっちの君はどうするんだい?」
「あ、俺はその……じゃあオレンジパイで」
「少々お待ちくださいませ!」
 風のように店員は奥へ引っ込み、彼が消えた後になって周囲からの視線が気になり始めた。この突き刺さるような視線はなかなか慣れられそうにない。よくこんなのに囲まれて亮介は平気でいられるよなぁ、その図太さを俺にも分けてくれ。
「お待たせー、亮ちゃん」
 聞き覚えがある声がしたと思ったら、お菓子を運んでくれたのはキアランだった。彼は頭の上にパティシエのような帽子を乗せており、服も料理人仕様でなかなか似合っている。
「これだけ一気に注文したのは亮ちゃんが初めてだよ。でもボクも作り甲斐があるから嬉しいんだけどね!」
「キアランのお菓子はとっても美味しいから、ついついたくさん食べたくなっちゃうんだよ。ね、弘毅」
「ふぇっ? あ、ああ、そうだなっ!」
 突然話題を振ってくるから亮介には油断ができない。また絹山幾人の店みたいな何かをやらかしそうで、なんだか俺は今からひやひやしてきた。
「う、うそ……」
 などと亮介の心配をしていると、どうしてだか俺を見ているキアランが目を丸くして絶句している。今度は一体何が起こったってんだよ。これ以上ややこしいことをされたら、俺もう何を信じていいか分からなくなるぞ。
「まさかとは思ったけど……き、君って弘くん、なの?」
「へ? そうだけど」
「うわあああ!」
 俺と亮介の前でキアランは頭を抱えた。そういえば彼にこの姿を見せたのって初めてだっけ。絹山幾人の時とはまた違った反応が示されたわけだが、それが何を意味しているのかなんてことはさっぱり分からない。
「ボクその格好やだ! いつもの弘くんの方がイケメンだもん!」
 そして真っ向から素直な感想を浴びせかけられてしまい。
「俺も本当は嫌なんだぞ、でもここにいる加賀見亮介とかいう奴を筆頭としてクラスの連中が無理矢理さぁ……」
「弘くん可哀想……亮ちゃんの鬼ー!」
「……」
 キアランの一言を聞いた亮介は黙り込んだ。ただその端整なお顔が一瞬にして歪み、醜い憎悪の感情を剥き出しにした刹那を俺は見逃すことができなかった。なんてこった、このままじゃまた新たな問題を引き起こしそうだぞ。ここはどうにかして亮介の機嫌を取らないと!
「ま、まあこの格好も慣れてくるとさ、そこまで苦痛を感じるものでもないし……それより亮介! そのパイとかケーキとかさ、見た目からして美味しそうじゃん! た、食べてみようぜっ」
「ふん、そうだね」
 あからさまにぶすっとしたままの亮介はアップルパイに手を伸ばした。彼の動作をどきどきしながら眺めつつ、俺はキアランから受け取ったオレンジパイを食べてみる。それはいつもキアランの部屋で食べていたものと同じ味がした。おかげで少しだけ心が落ち着いた。
「ん、美味しい」
 先程までの不機嫌な顔が一変し、亮介もまた冷静さを取り戻したらしい。人目など気にせずぽんぽんとお菓子を口の中に放り込み、俺がオレンジパイ一個を食べ終えた頃には彼もまた数多の皿をカラにしていた。本日も亮介殿の食欲は絶好調のようだ。
「ごちそうさまでした」
「二人とも、ありがとねー」
 素敵な笑顔で挨拶を残し、俺と亮介はキアランの店を後にした。お昼の時間が来たからか店の外は朝よりも賑わっており、すぐに人ごみに紛れ込んで目的地を見失いそうになってしまう。
「そろそろ店に帰ろうか、弘毅」
「そうだな」
 ろくに宣伝活動なんかしてなかったような気もするが、いい加減店から離れるのも申し訳ないので一階へと戻ることになった。お菓子を腹いっぱい食べて満足そうな亮介の横顔はなんとなく晴れやかで、俺はそんな彼の姿を間近で見られるこの瞬間もまたなかなかいいものだと思えるようになっている自分に少しだけ戸惑いを覚えていた。

 

 

 

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