閉鎖

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6.発光 - 04

 

 午後からの学園祭はどこを見渡しても人ごみに支配されていた。その為か宣伝などせずとも店には客が大勢押し掛け、俺はふらふらになりつつも頑張って笑顔を振り撒かなければならなかった。ちなみに亮介はというと、相変わらずのマイペースで立ち話なんかをしてくれちゃったりしている。お前も働けよ。
「おい水瀬! これ配り忘れてるぞ!」
「うわっ、マジで?」
「しっかりしろよな!」
 クラスの連中は午前と変わらず俺にだけ厳しかった。あそこで話し込んでる女装青年にはお咎めなしですかい。まあそれもそろそろ慣れちゃったけどね! 悲しいけど!
 渡された料理を机に運ぶだけでも相当な体力が必要だった。今までバイトなんかしたことなかったけど、やっぱり働くって大変なんだな。ある意味いい経験になった気がする。
「お待たせしました。どうぞ」
「ああ、ありが――」
 料理を渡した客の科白がなぜかぴたりと不自然に止まった。ぎょっとして相手の顔を見てみると、今度はこっちの心臓が止まりそうな心地がした。
「と、父さん!」
「弘毅……なのか?」
 なんとそこにいたのは正真正銘俺の父親であった。ていうか来るなら来るって連絡くらい欲しかったところだ。いやいやそれ以前に、最も見られたくない姿を見られてしまったんだけど、どうすりゃいいんだよ!
「どうしたの弘毅。その人、君のお父さんなの?」
「え、あ、その……」
 早速俺を困らせる気満々の亮介君が近寄ってきやがった。こういう時に見せる笑顔ってとんでもなく輝いてるよな、コイツ。
「はじめまして、弘毅のお父さん。僕は加賀見亮介。彼のルームメイトです」
「あ、ど、どうも……」
 いい笑顔のまま亮介は自己紹介していたが、父さんは俺と亮介の格好を見て完全に動揺しているようだった。俺だって動揺したいわ。なんで亮介ならまだしも、女装なんかこれっぽっちも似合わなさそうな俺がこんなことをしなければならんというのか!
「とにかく、ここじゃあれだから、また後で俺の部屋にでも来てくれよ。今は手が離せないからさ」
「ああ、そうさせてもらおうか」
 どうにか即席の約束を交わし、この場は見逃してくれることになったらしい。まったく今日はなんて日だ。俺はきっと一生涯この日のことを忘れないであろう。
「水瀬ってば、勝手に休憩してんじゃねーっての!」
「分かってるって」
 つかの間の戸惑いはあっさりと流れていき、再び慌ただしい日常が戻ってくる。俺は自らその渦に飲み込まれに飛び込んでいき、先にあるはずの未来をほんのりと感じながら身体を動かすことにした。

 

 

 太陽が傾いてきたならば、そのオレンジに染められた学園は祭りから解放されることとなった。淡い賑わいの中で誰もが後片付けに精を出して走り回っている。俺はそんな中をこっそり抜け出し、部屋で待っている父さんの元へと急いだ。
 寮に戻って自室の扉に手をかけると鍵が開いていることに気が付いた。その時点でとんでもなく嫌な予感がしたが、とりあえず首を横に振ってから中に入ってみることにする。
「おかえり、弘毅」
「……お前」
 部屋の中には既に主が鎮座しておられた。クラスの連中が必死こいて片付けをしてるのにいい御身分だな。教室内で姿が見えないと思ったら、まるで片付けをしないことが当たり前であるかのような顔で亮介が俺の父親に茶を出している。俺だって一応はクラスの連中に断ってから来たんだぞ。こいつはそんなこと絶対にしてないだろうけどさ。
「おい亮介、みんな片付けしてんだぞ」
「やだなぁ弘毅ってば。みんな僕は疲れてるだろうから片付けはしなくていいって言ってくれたんだよ。それより弘毅、君は早いとこ服を着替えたらどうだい」
 優雅にソファに座って紅茶を飲んでいる亮介はいつものブラウス姿になっていた。化粧もさっぱりとしたものになっており、おかげで父さんは昼ほどの動揺は抱いていないようだった。それにしてもなんでこいつはこう、人を小馬鹿にしたような言い方しかできないのかね。
「そういうわけで父さん、俺ちょっと着替えるから待っててくれ。亮介に変なこと言われても無視してくれていいからな!」
「あ、ああ」
 普段着を棚から引っ張り出して風呂場に籠る。ヒラヒラして非常に着替えにくい服をなんとか脱ぎ捨て、いつもの着慣れたラフな格好になるとようやく安堵の息が口から漏れた。ついでに顔に塗りたくられていた化粧も水で落としてしまい、つけまつげも頑張って取り、顔面がすっきりした後で部屋へと戻った。それに大分手間取ったことは言うまでもないだろう。
「お待たせ……」
 とりあえず小声で挨拶をしておいたが、亮介の笑顔の中に「どんだけ時間かけてんだよこの大バカ野郎」とでも言わんばかりの何かを感じた。何やらよろしくなさそうな空気の中そそくさとソファに座り、改めて父さんと向き合ってみる。まだ離れてから一年も経過していないはずなのに、視界に映る彼の姿はもうずっと会っていない人のように見えていた。それが耐えられなくてすぐに視線を下に落としてしまう。
「久しぶりだな。元気にしていたか」
「あ、うん」
 声をかけられて顔を上げると、ふと横から伸びてきた手に気が付いた。よく見てみると机の上にはクッキーが盛られている皿が置かれており、控え目ながらも偉そうな態度をした亮介がクッキーを頬張っている。邪魔だなこいつ。でもそう簡単に出て行ってくれるわけがないだろうし、ここは気にしないという選択が正解なんだろうな。
「あのさ、父さん。何の話をしてたのかは知らないけど、本当にこいつの言うことは気にしないでいいからな。ちょっと変わった奴だから」
「そんなこと言うなんて酷ぉい。君と僕の仲じゃないか」
「どんな仲だよ!」
 あろうことか亮介は抱き付いてきた。そういう誤解を招きそうなことはやめてくれって。ただでさえ女装姿というおかしなものを見られてしまった後なんだから。
 ふざけてくる相手を強引に引き離そうとするが、何気に力の強い亮介はなかなか離れてくれなかった。なんでこんなところで喧嘩しなけりゃならないんだ。大人しくさせる為にクッキーを一枚手渡してみるとそれだけで素直になりやがった。……なんだかため息が出た。
「なかなかいい友人ができたようだな」
「そんなことねえって。こいつ人前では優等生だけど、素の姿はかなりの極悪人なんだから」
 事実を話すと隣から痛いほどの視線を感じた。いいや、それは視線というよりむしろオーラだった。ばりばりとクッキーを噛んでいる音がうるさいくらいはっきり聞こえてくる。
「……あのさ、父さん。俺のことはいいんだけど、大丈夫なのか? 家を留守にしても」
 あの家における唯一の「正常」である父さんが一人で出歩くなんて、考えただけでもぞっとする話だった。門番がいなくなったあの家の中は現在どうなっているのだろう。俺が離れている間に何か変化があったとでもいうのだろうか。
「今日は母さんの調子がいいみたいだったから、お前に会ってみようと思ったんだ。入学してから一度も顔を見ていなかったからな。それに――」
「待ってくれって! 俺が心配してるのは母さんじゃなくて……」
「分かっている。彼のことで伝えておきたい事があったから会いに来たんだ」
 父さんの瞳がきらりと光った気がした。背筋に嫌な寒気が走り、それを見つめていた相手の表情もまた氷のようなものに変化する。俺はこれから目をそむけたい話が始まるのだと覚った。耳をふさいで逃げ出して、知らなければ良かったと嘆く未来の自分の姿がまざまざと予想される。
「伝えておきたい事って、何……」
 指先が震えている。何が怖いのだろう。とっくの昔に絶望など始まっていたというのに。
「聡史が家を出た」
 父さんの口がとてもゆっくりと動いているように見えた。そのすぐ後に言葉が耳に届き、文字の羅列を頭の中で整頓する。
「そ、そう――」
「詳しくは口止めされていて、あまり多くは話せないのだが……彼は今」
「いいよ! 知りたくない!」
 反射的に耳をふさいでいた。そして後悔していた。ほら、やっぱりこうなってしまった。だから希望なんて信じなければ良かったんだ!
 それに薄々感付いてはいたんだ、もしかするとこの学園に来るその前から、こんな未来が訪れることは少なからず予想できていたはずじゃないか。何を今更恐れてるんだ? 俺はどうして動揺しなければならないのか――だってこんな未来、誰も望んでなかったはずじゃないか!
 誰もだって? それは嘘だ。そうじゃなきゃ、彼が俺に近付いてくるはずがない。
 きっと彼はまだ、俺のことを――。
「……ごめんなさい」
 耳から手を離し、相手の声が聞こえる前に謝罪の言葉を唇に乗せた。身を守る為の盾が必要だったんだ。父さんは俺を安心させようと微笑んでいた。それからぽんと頭に手を乗せられ、優しく髪を撫でてくれた。
「つらいことを思い出させてしまってすまない。ただこれだけはどうしても伝えておきたかったんだ。お前が少しでも苦しむことがないように」
「うん、分かってる」
 脇腹の傷がずきずきと痛み始めていた。名前を聞いたせいだろうか、思い出さなくていいことばかりが頭の中を巡っていく。その奇声を発していたのは誰だったかな、甲高いあの声は母さんのものだったに違いない。じゃああの人は何をしていた?
 俺は大きく首を横に振った。
「今日は来てくれてありがとう。俺は大丈夫だから、母さんの為に早く家に帰ってやって」
「――くれぐれも無理はするなよ」
「うん」
 父さんは立ち上がり、俺もまた彼を見送る為に立ち上がった。そしてなぜか亮介までもが立ち上がっていた。そういえば忘れてたけどこいつもいたんだっけ。話に夢中で彼の存在自体を脳裏から消し去ってしまっていた。
「加賀見君、だったかな」
 ふと父さんは亮介に声をかけた。その瞬間に余計なことを言わないかひやひやしてきた。相変わらずの亮介もそうだけど、亮介のことを知らなさすぎる父さんも何か恐ろしいことを言いそうな気がするぞ。
「弘毅は少し複雑な事情を抱えている子だが、どうかこれからも仲良くしてやってくれ。どうやら君のことは気に入っているようだから」
「え、別にそんなことは――」
「分かりました、お父さん! きっと僕が弘毅を守ってあげますね!」
 本日何度目かの爽やかスマイルを見せつけ、亮介はやたらと輝かしい表情で頷いていた。何やら二人の間ですれ違いが生じている場面を眺めている心地になる。
「それじゃあ弘毅。また困ったことがあればいつでも電話してくれ」
「う、うん」
 何事もなかったかのような雰囲気を引き連れ、父さんは部屋を出ていった。一人の呼吸が失われただけで部屋の中に大きな静寂が訪れたようだ。扉を閉め、引き返すと身体の疲れを取る為にソファに腰掛ける。
「はあ」
「ため息とかうぜぇな」
 人がいなくなるとすぐこれだ。通常運営に戻った亮介君は早速俺に毒を飛ばしてきた。いつも振り回されたり愚痴を聞かされるこっちの身にもなれよ。
 皿に残っていたクッキーを一つ取り口に入れる。ばりばりと音を立てながら噛んでいると前の席に亮介が座った。その瞳がやたらまっすぐこっちを見てきてなんだか恥ずかしくなってくる。
「な、何」
 まさか勝手にクッキーを食べたことを怒ってるんだろうか。一個くらい別にいいだろ、なんて心の狭い奴なんだ。
「聡史って誰」
 などと適当なことを考えていると、聞こえてきたものは全く違う響きのある声だった。そうだ、あの場にはこいつもいたんだから、さっきの話は全て聞かれたということじゃないか。
 ただ彼に何もかもを教える気分にはなれなかった。俺だってまだ受け止め切れていない話なんだから、安易にばら撒いていい苦悩じゃない。
「兄貴だよ」
「兄? お前兄なんかいたのか。ふうん」
 相手はまじまじとこちらを見てくる。何が知りたいのかなんて知らないけど、今はその瞳に隠されている刃が痛くて仕方がない。
「その兄貴のことが嫌いなのか?」
「嫌いっていうか……ただ今は会いたくないってだけだよ」
「それを嫌いって言うんじゃねえのか」
「嫌いではないんだ」
「はあ?」
 彼の表情が大きく歪む。だけどその心理だって俺には理解できた。会いたくないと思っている相手のことなんて、きっと誰もが嫌っていると思い込むだろう。でも俺はあの人のことを嫌ってるわけじゃない。それだけは確かな事実として俺の中に君臨しているんだ。
「よく分からん奴だな。嫌いなら嫌いでいいじゃねえか、俺は自分以外の奴なんか全員嫌いだぞ」
「……妹のことも?」
「あいつは、まあ普通だ」
 何やら滅茶苦茶なことを亮介は言っていたが、それが彼なりの励ましであることはなんとなく伝わってきた。彼の気持ちがなんだか嬉しい。
「ありがとな」
 素直な感情を吐露すると、亮介はふいと顔をそっぽへ向けた。

 

 +++++

 

「二人とも、今日はお疲れ様でした」
 偽物なのか本物なのか分からない笑顔を向けられ、俺と亮介は円先生からジュースを受け取った。それがオレンジジュースだったのでちょっとだけ嬉しかった。
 俺は亮介に連れられ円先生の部屋に押し掛けていた。亮介が言うには何か労いの品物を貰わなければ気が済まないということらしく、疲れている身体を強引に引きずられたのだ。俺もうさっさと寝たいんだけど。
「それはそうと先生、あんた店の中に一回も顔見せなかったじゃないか。それはどういうことなんだよ」
 せっかく彼と話をする機会ができたんだから不満をぶつけておこうと思った。先生は朝に一度だけ顔を見せたきりで、店が始まった時点では既にその姿を消してしまっていた。普通は店を手伝うもんじゃないのかよと思ったが、学内のどこを見回しても結局彼を見つけることはできなかったのだ。
「ごめんごめん。どうしても手が離せないことがあってね」
「薄情な教師だな」
「お詫びとしてホールケーキ買ってこいよ、センセー。もちろんイチゴが乗ってるヤツな」
 隣から便乗してきた亮介が自己主張の激しい批判をしていた。お前それケーキが食べたいだけだろ。本当に甘いものが好きなんだな。
「俺はみかんが乗ってるヤツの方がいい」
「フルーツケーキでも許してやろう」
「ちょ、君たち……今の時期は金欠でね……」
「知るかよ。ほら、行った行った!」
 二人して先生の背を後ろから押し、部屋から無理矢理追い出した。相手は最後まで渋っていたようだったが、やがて諦めたのかしょんぼりした顔で廊下を歩いていったらしい。
「ふふん、今夜はパーティだな」
「客はいいのかよ?」
「イベント当日は定休日だっての」
 よっぽどケーキが嬉しいのか、亮介は満足そうな顔をしていた。こういう顔を見ると普段の悪行も忘れてしまうから不思議だ。
「ケーキといえば、キアランのケーキは美味しかったのか?」
「まあまあだな。あいつの才能ではもっと美味いものを作れるはずだ。ま、タダで食べさせてくれるだけ良心的だったが」
 高貴な亮介殿にしてはやわらかいご意見でちょっとだけ驚く。こいつってキアランのことも円先生同様にコケにしてるのかと思ってたけど、もしかすると少なからずの好意を抱いてるのかもしれない。ただのお菓子製造機としてみなしているわけじゃないことが分かっただけでも嬉しかった。俺だってなんだかんだでキアランのことは好きだから。
「気に食わんことがあるとすれば、キアランが絹山にくっついて行きやがったってことくらいだな」
「ああ……」
 先生の部屋を訪問する前、お菓子をねだろうという企みが見え見えの亮介に連れられてキアランの部屋を訪れたが、そこにいたのは同室の衛藤光雄だけだった。彼の話によるとキアランは絹山幾人にお菓子を振るまいに行ったらしい。さすがイケメン好きというか、よく知らなかったけどキアランは絹山に憧れを抱いているんだそうだ。
「この加賀見亮介様を無視してバカ山なんぞになびくとは、あいつも見る目がないな」
「……」
 しょっちゅうお菓子を食べさせてもらってるんだから別に今日くらい好きにさせてやればいいものを、ぐちぐちと文句を言う亮介は嫉妬深い一面を見せていた。こいつって独占欲が強いタイプなのかな。そのわりには他人をことごとくバカにしててよく分からん奴だけれど。
 俺がじっと相手の顔を見ていたのがいけなかったのか、ばっちり目と目が合って慌ててしまった。なんだか最近こういうことが多い気がするぞ。というよりも、亮介が俺を見ていることが多いのか?
「お疲れさん、弘毅」
 やがて不敵に見えなくもない笑みを顔に浮かべ、相手は囁くようにとても小さな声でそれだけを言った。
「ああ」
 こうして初めての学園祭は無事に幕を下ろした。いろいろあって大変だったけれど、なかなかいい思い出になったような気がして、悪くない心地で終えられたのは素直に喜ぶべきことであった。

 

 

 

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