閉鎖

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7.重奏 - 01

 

 求めるのは穴のない作品。
 出来上がるのは欠損だらけの理想。

 

 

 季節が赤色に染まり始めた頃、学内はこれといったイベントもなく平穏な日々が続いていた。すっかりこの生活にも慣れた俺は亮介や晃と共に学園生活を満喫しており、地味ながら充実した毎日を送ることができている。
 最近の話題といえば、近々音楽祭があるということくらいだった。しかしそれは学園祭ほどの盛り上がりを見せているわけではなく、面倒だけど仕方ないから練習に励んでいるという空気がひしひしと感じられるようなものだった。俺も歌はそれほど上手いわけじゃないので、イベント自体にあまり興味がなかった。ちなみに亮介は相変わらず練習には一度も顔を出していない。
「あと一週間で音楽祭だな」
 教室でのんびりと休み時間を過ごしていると、隣の席で居眠りから目覚めた晃が話しかけてきた。少しは真面目に授業を受けろよ。そんなんだから学園長に怒られるんじゃないのか。
「音楽祭って興味ないし、もうさっさと終わって欲しいと思うわ」
「そうか? 歌は楽しいじゃないか」
 どうやら晃は歌が好きらしく、いつもなら出てくるはずの陰を押しのけて出しゃばってくるほど楽しんでいるらしい。確か絵の方も得意だとか言ってたし、晃は芸術全般が好きなんだろうか。
「それにしてもこの調子だと加賀見は確実に音楽祭を休むだろうな」
「……また本番だけに顔出して、俺らのこと下手くそ呼ばわりするんじゃねえの」
「けどあいつ、今までずっと音楽祭だけは休んでたぞ」
 晃の口からぽんと不思議な言葉が飛び出してきた。一度も音楽祭に出なかったって、それほど亮介は歌が嫌いなんだろうか。確かに皆が楽しんでるようなことは嫌ってそうな奴だけど、イベントは集客効果がどうのこうのって言ってなかったっけ。
 そして噂になっている亮介はというと、今日は機嫌がいいのか教室の中で皆に囲まれていた。何やら熱心に語っている同級生の話を聞いているらしい。ご苦労さまだな。
「ところで弘毅、お前は二部に出たりしないのか」
「二部……って何?」
「ほら、一部がクラス全体での出場で、その後に個人やグループで出るやつがあるだろ。あれだよあれ」
 相手のいい加減な説明を聞いてうっすらと思い出してきた。そういえばそんなのがあるとかって円先生が言っていたような気がする。しかしなぜ晃は俺がそれに出ると思ったのだろうか。亮介ならともかく、そんなのに出たって疲れるだけじゃないか。
「今年は二年の絹山先輩が出るらしいぞ」
「ふうん」
「これで加賀見も出たら面白いのにな」
 なんだか知らないが晃は音楽祭を楽しみにしているらしい。ここまで相手との間に温度差があれば気付きそうなものだけど、目を輝かせている彼は俺のことなど気にしていないようだった。別に絹山幾人が出ようが出まいがどうでもいいんだけどなー。
「だってさ、イケメンの絹山先輩と美人の加賀見が出た方がイベント自体も盛り上がるだろ? だから弘毅、お前から加賀見に出てくれるよう頼んでみてくれよ」
「えっ、なんで俺が!」
「当然じゃないか、今のところお前が一番加賀見と仲いいんだから」
 晃の言っていることの意味はよく分かる。俺は亮介と同室で、お昼はだいたい一緒に食べるし、球技大会ではペアになったし、学園祭では共に女装させられたほどの親密度にはなっている。ただし仮に俺が亮介にお願いを述べたところで、彼がそれを快く引き受けてくれる可能性は一割以下でしかないのが事実であった。まずあいつは自分を第一に考え、そうでなければ何かしらの見返りを要求してくる。つまりどういうことかというと、今回俺が亮介に音楽祭に出て欲しいと頼んだとすると、ほぼ百パーセントの確率で無茶なことを押し付けられるであろうということだ。
 きっと晃はまだ亮介の恐ろしさを知らないんだろうな。そりゃ確かにいいところや可愛いところもあることはあるけど、それ以上に悪魔の眼差しがぎらぎら光っていて怖いんだよ。更に彼は天才で何でもできるから余計にたちが悪いんだ。
 俺はちらりと亮介のいる方へと視線を向けてみた。そこには先程と変わらず同級生たちに囲まれている相手の姿がある。それほど離れていないはずなのに、なぜだかとても大きな距離があるような気がした。
「まあ少しくらい頼んでみるかな……」
「おっ、期待してるぜ」
 のんきそうな晃はにっと笑い白い歯を見せてきた。その底抜けの明るさを目の当たりにすると、どんな理不尽なことでも修正なしに納得してしまいそうでちょっとだけ恐ろしかった。

 

 

 授業が終わり寮の部屋に帰ってくると、既に部屋の中でくつろいでいた亮介がベッドに寝転んだままこっちを睨み付けてきた。ずいぶんと大層なご挨拶だな。
「おい弘毅てめえ、休み時間に黒田と俺のこと話してただろ」
 ぐいと身体を起き上がらせ、亮介は真っ向から俺を困らせようとしてくる。しかし彼はあの会話を聞いてたってことだろうか。教室内は雑音だらけだったってのに、とんだ地獄耳をお持ちだな。
「別に大したこと話してねえよ。絹山幾人が音楽祭の二部に出るらしいから、亮介も出ないのかなーって晃が言ってただけで」
「お前が俺のこと見てきたからクラスの連中が騒いでたんだよ、俺とお前がいい感じの仲になってるんじゃないかって」
「そ、そう」
 姿を見ることくらい自由にさせてくれたっていいだろうに、どうにも最近はそれだけで駄目らしい。しかしここは不便な世の中だな、人気者とは友達になるだけで恨まれるってか。いや、入学したすぐ後にもよく似たことがあったんだっけ。本当に亮介と同室ってだけで無駄に苦労してるな、俺。
 だけどそれに後悔してるわけじゃないことは確かであって。
「そんなことより亮介、お前は音楽祭に出ないのか?」
「……」
 試しに訊ねてみると相手は黙り込んだ。これは予想外の反応だぞ。出る気がないのなら俺を鼻で笑いつつ否定してくるはずだし、当日のみ参加というパターンなら俺を見下しつつ肯定するはずなのに、はたして沈黙とは一体何を意味するのか。
「亮介ってば」
「出たくない……と言いたいところなんだが」
 ふうと一つため息を吐き、相手は明らかに複雑そうな表情に変わった。
「クラスの連中にも頼まれたんだ、二部に出て絹山をぶっ潰してくれって。けど俺は出たくない。歌なんか嫌いだ」
 やたらとはっきりした主張をお持ちのようだったが、亮介はなんだか揺れているらしかった。そんなに客の期待に応えることは必要なことなのだろうか。俺なら客の為とはいえ嫌なことだったら逃げ出したいって思うんだけどな。その辺はさすがプロって感じだ。
「もし客に不信感を抱かれたらそれで終わりだからな、俺は連中の趣味に付き合ってやらなきゃならない。そういう意味では俺はお前とは健全なオトモダチの関係を崩せないってことだ。必要以上にくっつき過ぎるといけないんだ」
「いや、それより音楽祭は」
「だから夏休みでのあれは特別だからな! 勝手に勘違いとかするんじゃねえぞ!」
「あ、あの……」
 頑なに亮介は別の話題にすり替えようとしていたが、その目論見は見え見えだった。何なんだ、亮介は音楽に恨みでもあるのか? ここまで避けようとする理由でぱっと思いつくものは一つしかないけど、もしかして。
「亮介ってまさか音痴?」
「なっ――」
 相手の目がこれ以上ないくらい大きく開かれた。そしてしばらく絶句する。
「そ、そっそんなわけ、あるはずがないだろう! お前は誰に向かって口を利いてんだ、この加賀見亮介様に欠点が存在するなど有り得ないことだと分かってるだろうが、ええっ、おい!」
「だよなー、お前無駄に天才だもんな」
「は――」
 俺が肯定すると亮介は再び動作を停止させた。なんだろう、この分かりやすすぎる反応は。しかし俺は逆に安心したぞ、彼もまた俺たちと同じ人間だってことが証明されたんだから。
「音痴くらいで恥じることはないぞ、亮介。神さまってのは人間を完璧な生命に作らなかったんだからな、むしろその不完全さが愛される部分に成り得るんだ」
「だから音痴じゃねえって言ってんだろ、バカ弘毅!」
「じゃ今ここで何か歌ってみろよ」
 ほんの一瞬だけはっとしたような表情が見えたが、相手はすぐに顔をそっぽに向けてしまった。これで亮介の音痴は確定したようなもんだ。
 それにしてもこんなところに穴があるなんて意外だったな。勉強もスポーツもできて顔もいい完璧な奴だと思っていたのに、いざ蓋を開けてみると性格が最悪で薬に走っててついでに音痴だとか、切れ端を並べてみるだけでもなかなか珍しい人種なんじゃなかろうか。
「くっ……くそっ! てめえに知られるなんて、なんという屈辱……!」
 俺の前にいる亮介は両手をぎゅっと握り締め、とんでもなく悔しそうに顔を赤らめて唇を噛み締めていた。その肩がわなわなと震えているようにも見える。そこまで知られたくなかったのかよ。欠点の一つくらい誰にでもあるもんだと思うけどなぁ。
「弘毅、お前、このことは絶対に口外するんじゃねえぞ! 加賀見亮介というイメージが崩れるようなことはあってはならないんだ! だから、音楽祭でも俺は、下手な歌を披露することはできないんだよ!」
「じゃあ休めばいいじゃんか」
「そ、そうしようと思ってたけど……クラスの連中が勝手に出場の書類を生徒会に提出してて、今日の午後から取りやめの申請をしに行ったけど生徒会の連中がやたら乗り気で……俺は出なければならなくなったんだよ!」
 いつの間にやら亮介は涙目になっていた。ぐっと顔を近付けて力説され、俺はつい一歩退いてしまう。しかしクラスの連中も生徒会の人たちも勝手な奴らだな。こればかりは亮介に同情してしまいそうだ。
「いっそのこと本番にボイコットしたらどうだ?」
「そんなことしたら加賀見亮介の名が汚されるだろうが! 絹山に勝つとか負けるとかはどうでもいいんだ、とにかく俺はみんなの亮介君を死守しなければならないんだよ! だから弘毅、俺が……その、歌があんまり上手じゃないことは誰も知らないんだ、円センセーもキアランも両親でさえ知らなくて、この世でたった一人、お前だけが知っていることなんだ! たとえ天地がひっくり返ろうとも勝手に喋るんじゃねえぞ!」
「わ、分かってるってば」
「うう……くそっ、なんでバカ弘毅になんか知られなきゃならなかったんだ……ああ、でも本番は一体どうすれば……」
 もう二度と見られないような光景が目の前に広がっている。こんなふうに焦って困惑している亮介の姿を見られるなんて、明日は大雪にでもなるのかね。
「な、なあ弘毅。お前、歌は上手か……?」
「普通かな」
「それでもいい! 頼むから弘毅、俺に――」
 がばりと両肩に手を乗せられ、更に相手の顔が間近に迫ってきた。なんだかすごく嫌な予感がするぞ。
「お、俺に、その――う、歌を、お、おお教えてくれ、ください!」
 うわあ、やっぱり。
 他の人に知られたくないって気持ちは充分すぎるほど伝わってきたけど、俺だってそこまで上手いわけじゃないからこんなふうに頼まれても困るんだけどな。でもここで見捨てたら今後の生活で今までより酷い扱いを受けそうだし、結局俺には選択肢など残されていないようなものだ。
「お、おい弘毅! てめえ俺のお願いを断るとか、そんなバカなことは考えてないだろうな? こ、今回のお願いを聞いてくれたら、いいさ、今度は俺が、て、てめえのお願いを何でも一つ聞いてやるよ!」
「え? 何でもって……本当にか?」
「この純粋で清純な亮介君が嘘なんか言うわけねえだろっ!」
 悔しいのか恥ずかしいのか知らないが、亮介の顔は真っ赤に染まっている。そんな状態でもまっすぐ俺にお願いをする姿はなかなか好感が持てるものだった。だから俺はきっと、彼の提示した見返りがなかったとしても相手の言葉をはねつけたりはしなかったと思う。
「分かったよ、出来る限りの協力はするよ」
「そ、そうか……よしっ」
 やっと落ち着きを取り戻した相手は俺の肩から手を離してくれた。そのすぐ後に何度か深呼吸をする。ちょっと可笑しな光景だったが、ここで笑ったら何を言われるか分かったもんじゃないから頑張って笑いをこらえることにした。
「それで、弘毅。まず俺はどうすればいいんだ」
「どうって――ええと。歌う曲は決まってるのか?」
「あ、ああ」
 普段に比べ大人しい態度の亮介は自身の机から一枚の紙を取り、それを俺に手渡してきた。紙面に書かれているのは音符と歌詞であり、その曲名は誰もが知っているようなポピュラーなものであった。確か去年あたりに大ヒットした曲だっけ。
「この曲なら比較的歌いやすいと思うんだけど、これでも駄目なのか?」
「……歌える気がしない」
「気じゃなくて、一回歌ってみろって」
「こ、ここでか?」
 なぜだか亮介は急にきょろきょろと辺りを見回し始めた。ここが部屋の中だってことを忘れてるんじゃないだろうか。さすがに廊下の先にまで音が漏れることはないと思うんだけど、どうなんだろうか。
 一通り周囲を見回し、それから十分くらいが無駄に経過した後、ようやく意を決した亮介は眉をひそめながら小さく口を開いた。ピンク色の綺麗な唇の隙間から漏れ出る歌声はびっくりするほど音が外れており、今までの亮介の完璧なイメージが瞬時に破壊されてしまった。でも元がいいのか、声は綺麗だった。その辺がなんとも惜しい感じだな。
「あと一週間しかないけど、まあ一曲だけならなんとかなるんじゃねえの」
「ど、どうすればいいか教えろよ!」
「俺は音楽には詳しくないから教えられることは限られてるけど、ひたすら歌って音を合わせるしかないだろうなぁ。声が綺麗だから多少は誤魔化しがきくと思うし」
「う――くぅ……っ」
 いささか夜の喘ぎを思い起こさせるような声を聞かされ、こっちは複雑な気持ちになるしかなかった。きっと亮介にとっては誰かから教えてもらうこと自体が屈辱的で、その先生が俺だってことが更に彼を惨めな思いにさせてるんだろうな。なんとなくその気持ちも分からなくはないけど、本番を成功させる為にはそんなことを気にしている場合じゃないってことか。
「まあ焦らずゆっくりと頑張ろうぜ。毎日練習してたらきっと良くなるって、うん」
「他人事だと思いやがって……」
「あ、そんなこと言うんなら協力してやらないぞー」
「くっ……くそっ! お、お願いだから協力してください……っ!」
 目だけでなく声まで涙声になっている亮介は俺に向かって頭を下げてきた。これはいい光景じゃないか。少なくともこれから一週間は虐められなくてすむってことだよな。相手の毒に怯えなくていいなんて、まさに天国じゃないか!
「それじゃ亮介、今日から一週間ずっと定休日にしろよ」
「なっ、何言ってんだよ! もう予約でびっしり埋まってんだから――」
「夜も練習しないと上手くなれないぞ? 本番で恥をさらしてもいいなら構わないけどなー」
 俺の科白を聞いた亮介は言葉にならない悲鳴を上げていた。このまま定休日が増えてあの商売自体をやめるなんてことには――ならないか。
 そんなこんなで俺による亮介の音痴修正週間が始まった。本番で一体どうなるかなんて分からないけど、妙なところで真剣な彼に付き合ってやるのも悪くはないと考え、とりあえずできるところまではサポートしていこうと思ったのであった。

 

 

 

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