空間

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2.支配 - 01

 

 自分を形作っていた半分を失っていた。
 再会した一方は見知らぬ姿に成長し、手を伸ばすことすら躊躇われていた。

 

 

 二年生になっても普段の生活にはそれほど変化が見られなかった。
 亮介は相変わらず商売を続けているし、俺たち生徒の前には勉強という強敵が待ち構えている。ただ一つ変わったことがあるとすれば、それは晃や陰と顔を合わせる機会が減ったということくらいだった。
 あの事件――円先生の部屋での光景を目撃して以来、俺は晃や陰と出会うことがあってもまともに話すことができなかった。いつも通りを繕おうとすればするほどぎこちない態度になってしまい、自分でもどうしていいか分からなくなってしまう。そのくせ相手は何もなかったかのように接してくるから、俺は逃げるように二人から遠ざかってしまっていた。そんな態度が相手を傷付けると知っているのに。
 一年前は希望すら見えていたこの学園での生活は、鈍感な俺でも分かるくらいゆっくりとだが確実に崩壊していた。破滅の足音がすぐ後ろから響いてきている。俺は鋭い崖の上でただ立ち尽くすことしかできない。
「おかえり」
 授業が終わり、部屋に戻ると亮介が出迎えてくれていた。今日は何もなかったけどずいぶん疲れた気がする。それもこれも気持ちが後ろ向きになっているからだろうか。
「お前は相変わらず辛気臭い顔してるな」
「……放っておけ」
 いつもの悪態をまともに聞く気にはなれず、鞄を机に置いて俺はベッドに身体を投げ出した。ふわりとした布団の中へずぶずぶと沈み込んでいく。この瞬間だけはあらゆる嫌なことを置き去りにできるから楽しかった。
「今日は定休日だからお前もゆっくりと休むがいいさ」
「それは助かる」
 すぐ傍からベッドが軋んだ音が聞こえた。どうやら亮介が俺の隣に腰を下ろしたらしい。俺はぐいと身体を回転させて仰向けに寝転んだ。
「しかし明日は面倒臭いな」
「何が?」
「午後から生徒会の演説があるんだよ、お前先生の話聞いてたか?」
 亮介は片手に一枚の紙切れを持っていた。しかしいくら先生の話とやらを思い出そうとしても、俺の記憶の中に舞い戻ってきてくれない。俺は居眠りでもしていたというのだろうか。
「もうちょっと具体的に教えてくれよ」
「だから、今年度の生徒会メンバーの投票が来週あるだろ。それに立候補した連中の長ったらしい演説を明日聞かなきゃならないってことだ」
「生徒会……そんなのあったっけ」
 見上げた天井がぼやけている。どれほど待っても焦点が定まることはなく、先の見えない迷路から抜け出せなくなっていた。試しに腕を持ち上げてみたけど掴めるものは何もないらしい。
「亮介は立候補しないのか?」
「俺がそんな面倒臭いことをするわけないだろ。あの絹山でさえ辞退してるんだからな」
「そっか。そうだよな」
 考えてみれば去年も生徒会がどうだという話を聞かなかったわけだし、もし亮介がそれに関わっているなら生徒会の話を聞かなかったなんてことはないはずだろう。亮介が関わってないなら俺にとってどうでもいいことだ。今は他のことにまで頭を回している余裕はないから、考えなくていいことまで考えたくなかった。
 俺はすっと目を閉じた。
「しかし今年は面白いことになってるな」
 ふと亮介の独り言のような呟きが耳に入ってきた。科白の内容とは裏腹に、その声色は真剣だった。
「見てみろよ」
 相手の言に従って目を開けると、亮介は身を乗り出して紙を俺の前に突き出していた。そこには立候補したメンバーの名前が書かれていることが分かる。人数はそれほど多くはなく、演説とやらも一時間以内には終わってしまいそうだった。
「何が面白いって?」
「名前をよく見ろ」
 興味などなかったけど俺は紙に印刷された名前を一つ一つ確認してみた。視線が滑るように動いていく中、ある一つの名前の所でぴたりと立ち止まる。
 そこに書かれていた字面は『高原和希』。更にその下には『細田孝明』という名も見られた。
「いよいよ出てきたな」
 身体を起き上がらせ、亮介の方を見ると彼は不敵に笑っていた。まるで待ち焦がれていた決戦がすぐ近くまで迫っているかのように、敵と会えるその日を楽しみにしている表情をしている。彼がなぜそんな顔をしているのか、俺には理解できない。
「これでようやく奴の顔が拝めるってわけだ。お前の想像通り奴はお前の兄貴なのか、それとも全く別の人物なのか――楽しみだな」
「楽しみって……全然楽しみじゃないよ」
「そうか? 俺は待ち切れないほどだけどな」
「なんでお前がそんな気分になるんだよ」
 純粋に疑問に思ったので聞いてみると、亮介は口元を歪ませたまま顔を近付けてきた。そして軽くキスされる。
「お前を滅茶苦茶にした兄貴のことが知りたいからだ」
 俺にとってはいい迷惑だと頭では考えていたが、どうしてだか相手を責める言葉が出てこなかった。

 

 

 翌日、寝不足である頭を持ち上げつつ俺は体育館へと向かっていた。隣には当たり前のように亮介の姿があり、更に当たり前のように手を繋いで歩いている。おかげで周囲から鋭い視線を常々感じなければならなかったが、手のひらから伝わる亮介の体温が俺を幾らか落ち着かせてくれていた。
 体育館へ足を踏み入れると既に多くの生徒でごった返していた。俺たちは二年になったので真ん中辺りに集まらなければならないらしい。亮介に手を引かれて所定の位置へ向かい、とりあえずの整列を済ませて皆と共に座り込んだ。
 ここからじゃ立候補者の姿は少しも見えない。立ち上がってそちらへ近付けば見えるだろうけど、俺にはそこまでするほどの勇気はなかった。だから近い未来に必ず来る時間を待つことにする。
「会長に立候補してる奴の演説は開始後すぐだぞ。覚悟はできてるか?」
 他の生徒に聞こえない声で亮介が囁いてきた。俺は彼の視線を全身で感じ、ちょっと無理をして笑ってみせた。
「大丈夫とは言い難いけど、こんなに離れてるんだし……きっと平気さ」
「途中でぶっ倒れても知らねぇからな」
 ただ顔を見て姿を確認するだけなのにどうして倒れることがあるだろう。俺は彼の言葉を笑い飛ばそうとしたが、おかしいくらい現実味を帯びたそれが君臨していることに気が付いてしまった。
 そんな他愛ない話をしていると、あっという間にその時が訪れてしまうものだ。
 周囲のざわめきが消え、厳かな雰囲気でイベントは開始された。まず学園長がそれほど長くない挨拶をし、司会が立候補者の名前と簡単な説明をする。それからぞろぞろと立候補者たちが壇上へと上がっていた。
 俺はなんだか怖くて俯いてしまった。壇上に視線をやることができず、結局一度もそこを見ないまま『高原和希』の名が呼ばれる瞬間を迎える。
 静寂の中を足音がよく響いていた。周囲の生徒たちが一斉に礼をして、俺もそれに倣って頭を下げておく。一呼吸置いてからマイクに手を掛けた音が聞こえ、すうっと息を吸い込んだ呼吸音までもが耳に届いた。
「こんにちは」
 彼の声を聞いた刹那、俺の耳がおかしくなってしまう。
 はっとして顔を上げた。壇上に立っている青年の姿を見た。それは間違いなく彼だった。俺が恐れ、逃げ出し、だけど他の誰よりも愛していた兄の姿がそこにあったのだ。
 ――彼と目が合う。
 急激にめまいがした。同時に吐き気も催し、座っていることすら困難になってくる。頭がずきずきと痛くなった。耳鳴りが襲い、心臓の鼓動が速くなった。自分でもこの場から退散すべきだとはっきりと分かってしまうほど、俺は調子が悪くなっていた。
 壇上にいる彼から目をそらし、こちらを見ていた亮介に目で合図を送る。察してくれた相手は俺の身体を支えて立ち上がらせてくれた。そのまま彼に連れられて体育館の出口付近にいた先生の元へ向かう。
「先生、すみません。水瀬君の調子が悪くなってしまったようなので、彼を保健室へ連れて行きます」
「そうか、気を付けてな」
 小声で先生に用件を伝えた亮介は俺の腰に手を当て、ゆっくりとした足取りで体育館から出ていった。俺は彼に支柱を預けてどこまで続くか分からない廊下を歩いて行く。
「やっぱりぶっ倒れたじゃないか」
 誰もいない空間で亮介が呟いていた。しかしそこに怒気が含まれていないことはよく分かった。俺は彼の気持ちなら何でも知っているんだ。
 頭がふらふらしてまっすぐ歩くことができなかったが、どうにか時間をかけると保健室に辿り着くことができた。俺を壁にもたれ掛けさせて亮介が扉を開く。それからぐいと引っ張るように腕を掴まれた。
「水瀬君? どうしたんだい」
 出迎えてくれたのは円先生だった。聞いた話によると彼は保健室も任されているらしい。確かに医者みたいな格好をしているしそうだとしても不思議ではなかったが、今まで保健室で彼と会ったことはなかったのでなんだか新鮮だった。
「弘毅の奴ぶっ倒れる寸前だったぞ。とりあえず寝かせておいてやれ」
「今は生徒会演説をしているはずだよね? 寝不足だとか?」
「……あまり深入りしてやるな」
 いつになく優しげな口調の亮介は俺の身体を支え、白くて清潔そうなベッドまで誘導してくれた。俺はそこに身体を横たえ、ようやく落ち着きを取り戻すことができる。
 亮介と先生はベッドの隣に椅子を寄せ、そこに座っていた。
「どうだ? 寝て少しは楽になったか?」
「ん……うん」
「しかし、姿を見て声を聞くだけでこうだとすると――お前これから一体どうするつもりなんだ」
 ストレートな質問が痛かった。彼に言われるまでもなく、自分が置かれている状況を甘く見過ぎていたことは分かっていた。俺は俺が思うよりずっと弱くなっていて、離れていた分余計にそれが悪化している気がする。だとすれば、本当にどうすればいいか分からなかった。
「水瀬君、あの」
 悩んでいると遠慮がちな円先生の声が聞こえた。彼がそんな声を出すなんて知らなくて、思わず驚いてしまう。先生はどうしてだかおろおろした表情をしていた。
「実は学園長から聞いていたんだけど……君のお兄さんのことについて」
 そして俺は彼の表情の理由を理解した。すると途端に何も怖くなくなったから面白い。
「今日の生徒会演説に出ている、生徒会会長に立候補している高原和希――彼の本当の名前は水瀬聡史といって、君のお兄さんだというのは本当のことなのかい」
「そうだよ」
 自分でもびっくりするくらい冷静だった。亮介は目を大きくして俺の顔を見下ろしている。
「でも……今まで知らなかったよ。なんとなくそうじゃないかと思ってはいたけど、それが分かったのはついさっき。壇上で姿を見るまでは顔も見たことがなかったから」
「彼は寮の中じゃほとんど部屋に閉じこもっていたからね、具合が悪くなることが多い人だから」
 先生は何でも知っているらしい。性格は変態で怪しすぎる人だけど、こういう時は妙に頼もしく見えるから可笑しかった。だけど今はその空気が心地いい。
「先生はどこまで知ってるんだ?」
 試しに聞いてみると相手はちょっと複雑そうな顔を作った。
「君がお兄さんに刺されて、彼から逃げる為にこの学園に来たということくらいしか」
「そうだよ、それが全部だ。それなのにどうして、兄さんは俺と同じ学園に通ってるんだろうな」
 これじゃ逃げ出した意味がないじゃないか。全寮制で幾らか閉鎖的なこの学園だからこそ通うことを決めたのに、こんな形で崩れる鉄格子なら無い方がマシだった。
「……学園長は、そもそも聡史君をこの学園に入学させるつもりはなかったそうだよ」
 ため息のような先生の声が流れる。
「だけどどうやら弱みを握られたのか、或いは脅されたのか、彼にほんの少しの隙を見せてしまったんだ。聡史君はそこをくぐり抜けてこの地へ入り込んだ。一度入ってしまうと追い出すことは簡単じゃないからね、結果として君が再び彼と会うことになってしまったということか」
「バカじゃねえの、あのジジイ。脅されようが何をされようが、そんな危険な奴は問答無用で追い返しちまえばよかったんだよ。平和の中に狂気を紛れ込ませるもんじゃねえ」
 話をしていても現実は何も変わらなかった。俺も亮介もそのままの姿でここにいるし、円先生も動かない。ベッドに寝転んで椅子に座っているままじゃ、動くものも動かなかった。
「さて、過去を嘆くのはここまでだ」
 ぱちんと手を合わせ、亮介はすっと表情を変化させる。そうして次に見せた顔は不自然なくらいすっきりしていた。
「弘毅、お前はこれからどうしたい? どうやってあの兄貴と付き合っていく?」
 改めて問われても瞬時に答えなど出てこなかった。少しの間考え込み、だけど明瞭なものなど感じられなかったので俺は首を横に振る。それを見た亮介はすっと目を細くした。
「俺はもうあの人とは付き合いたくない」
「つまり他人のふりをしていたいと」
「……そういうことだと思う」
「曖昧なこと言ってんじゃねえよ。お前がいくら拒否していようと、おそらく相手はどうにかしてお前に近付こうとするはずだぜ。その時にお前はどうしたいかって聞いてんだよ」
 不意に思い立って俺は窓の外を見た。綺麗な青空が太陽と雲とで描かれている様が目に入る。小さい頃に兄さんと共に見た青空を思い出した。あの空はとても高くて、でも今は近すぎておかしなことになっている気がした。
「仲直り、したいかもしれない」
「はあ? お前は別に兄貴と喧嘩したわけじゃないんだろ。それがなんで仲直りに繋がるんだ」
「分からないけど――」
 俺が知らなかっただけで、本当は兄さんは俺のことで心を痛めていたのかもしれない。俺がいつまでたっても馬鹿だったから、麻衣の自殺を止められなかったから、だから兄さんは俺に怒りの感情を抱いているのかもしれない。もちろんそんなことは本人の口から聞かなければ分からないけど、俺は兄さんに恨まれる理由だってちゃんと持っていたんだ。
「昔のように……仲良くしたいんだよ」
 ぽつりと呟いた言葉に一番驚いたのは俺自身だった。
「俺、やっぱり兄さんのこと――好きだから」
 身近にあった憧れの対象、羨望の的――幼い時分から見上げてきた理想が聡史兄さんだった。そんな兄さんに特別扱いされることが心地よかった。彼のことは心の底から尊敬しているのに、どうして俺はそんな相手に怯えなければならないんだろう。
 悲しくなって涙が溢れた。突然のことだったからそれを止めるすべが分からなくて、頬を伝って枕を濡らしていった。
「泣くなよ」
 優しい手で拭ってくれたのは亮介だった。
「水瀬君。僕も学園長も君のことを案じている。困ったことがあったらいつでも言ってくれ。きっと君の力になれると思うから」
「あ、ありがとう」
 円先生の口から出た言葉はとても力強かった。真剣な眼差しが綺麗で、俺は胸の内にあった黒いものがすっと消えていく感覚を得た。

 

 +++++

 

 体調はすぐに回復したが、円先生のすすめにより俺は亮介と共にそのまま部屋へ帰った。生徒会の選挙が行われるのは来週らしい。その事実がなんだか嬉しくて、俺はほっとしていた。
「お前の兄貴、生徒会長にしたらヤバいかもな」
「なんで?」
 ソファに座った亮介が俺の目を見ながらよく分からないことを言う。聞き返すと相手はあからさまに不機嫌そうな表情を作った。
「ただの生徒ならそう問題はないだろう。だがお前の兄貴は何をするか分かったもんじゃない。生徒会長という立場を利用してとんでもないことを仕出かす可能性もある」
 彼に告げられても現実味が湧いてこなかった。学園長になるというわけでもないのに、いくらなんでも警戒のしすぎじゃないだろうか。
「甘く見てるとすぐに喰われるぞ」
「……」
 心配してくれるのは有り難かったが、なんとなく彼が兄さんを化け物扱いしていることが嫌だった。
「兄さんはそんな、亮介が考えてるような人じゃないよ」
「のんきな奴だな」
「お前が異常なんだよ」
「そうかよ」
 俺の返答に亮介はふいと顔をそっぽに向ける。そのまま重苦しい沈黙が訪れ、俺は一つ息を吐いた。
 二人揃って黙り込んでいると張り裂けんばかりの音が室内にこだました。どうやらそれは電話の音らしく、俺より先に立ち上がった亮介が電話に出る。
「もしもし? ……なんだ、ジジイかよ」
 電話の相手は学園長らしい。どんな会話をするのか気になったが、まさか電話を盗聴するわけにもいかないので俺はじっと座り込んでいた。
「はあ? 弘毅にかわれって?」
 それほど話さないうちに亮介の視線を感じた。彼の意図を察した俺は立ち上がり、何やら不満そうな顔をしている相手から受話器を受け取る。それをぴたりと耳に当てると相手の呼吸音が聞こえた気がした。
『もしもし、水瀬弘毅君かい』
「あ、はい」
 いつも壇上から聞こえていた声が機械越しに流れていた。低くて威厳のある感じの、だけどどこか若々しい声色をしている。その声の端々がなんだか晃と似ている気がした。
『こうして君と話をするのは初めてだね。私は学園長の黒田賢治だ。息子の晃と仲良くしてくれているそうで、君のことはよく知っているよ』
「……俺に何か用ですか?」
『ああ。君のお兄さん――水瀬聡史君のことについて、少し』
 円先生に続いて学園長までもが俺に兄さんのことを話そうとする。彼らは何を思って俺にそんな話をするのだろう。どうせなら全て忘れたまま、何も気付かない生活を送っていられたらよかったのに。
「どうしてあの人をこの学園に入れたんですか。俺はあの人から逃げる為に、ここへ来たのに」
『私もこうなるとは思っていなかった。だが聡史君が』
 電話の奥でおかしな音が聞こえた。何か重い物を落とした時のような鈍い音が響き、それからしばらく静かになる。
「……え? もしもし?」
『もしもし』
 何気なく返ってきた声は別の人のものだった。
 俺はその人の声を知っている。
『もしもし、弘毅』
 忘れられない人の声。忘れたくない人の音。
『俺だよ』
「に、兄さ――」
 身体じゅうから力が抜け、俺は床の上に崩れ落ちてしまった。だけど受話器を持つ手はしっかりしていて、座り込んだまま耳に送られてくる信号を一つ残らず受け止めていく。
『やっと会えたね。俺にはちゃんと分かったよ、弘毅が俺のことを見ていてくれたこと。覚えているかい? 壇上で目が合ったよね』
「あ……」
『弘毅。俺は生徒会長になったら、弘毅を守る為に努力をするよ。お前を虐める奴を全て排除してあげる。だからお前は何も心配しなくていい』
 手が震え、喉が詰まったように何も言葉を発せられなかった。頭に直接響いてくる声は何よりも大きくて、俺の全てを支配してしまいそうになる。
『大丈夫だよ。俺だけはずっと、弘毅の味方だ。絶対にお前を裏切ったりはしない』
「な、なんで」
 自分でも何を言っているのか分からなかった。だけど兄さんは俺を叱ったりしなくて、いつものように優しげな口調で俺を安心させてくれるんだ。
『だって俺は、お前のお兄ちゃんだから』

 

 

 電話が切れたのはそのすぐ後だった。相手が切ったんじゃない、俺の手から受話器を奪った亮介が一方的に切ってしまったのだ。
 俺はなかなか立ち上がることができなかった。指先だけじゃなく全身が痙攣するように震えており、身体を思うように動かすことすらままならない。そんな俺を亮介は抱き締めていた。先程までの小さな喧嘩なんか忘れたそぶりで、今は俺の身体を温めようとしていた。
「俺がお前を守ってやるよ」
 やがて耳元で囁いたのは彼の本音だったのだろうか。
「亮介」
「今夜はゆっくり眠れ。そして夢の中で話をしよう」
 まるで詩人のようなことを言い、亮介は俺をベッドまで導いてくれた。

 

 

 

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