第一話  事実を理解するまでの過程

 

01

 めまぐるしく速度を増す世界に嫌気が差した俺は、世界に残る本当の『自然』が見たくなって家を飛び出した。
 なんて言ったら格好よさげだが、実際は飛行機に乗って海外へ飛び立っているだけだったりする。しかも自力で行くのではなく、高校の修学旅行で。そもそも俺の家には海外へ遊びに行くお金などほとんどない。世間一般ではこんな状態を『貧乏』と呼ぶんだな。そりゃ本とかゲームとかを買うくらいの余裕はあるけど、決して金持ちと呼ばれる類には含まれない。悲しきことにさ。
 行先はなんとイギリスだ。かつて大英帝国と呼ばれていたとんでもないお国。そんなところに自然なんかあるのかと疑っちゃいけないぜ、田舎はどこの国にもあるもんだからな。
 そうして俺はイギリス本土へ着くのを今か今かと待ちわびていた。

 

 飛行機の旅は長い。正直、時間が過ぎると共にダルくなってくる。
 いつしか世界は闇に包まれており、周囲の連中はぐっすりと眠っていた。こんな所でよく寝れるよな。まったくのんきな連中だ。
「俺が見たいのは自然だっつーの」
 野郎ばかりの寝顔が見たくて飛行機に乗ったんじゃない。そう考えるとなんだか馬鹿馬鹿しくなってきたので、席に設置されてあるヘッドホンを頭に付けた。こうなりゃ一人で優雅にクラッシックでも聴いてやるもんね。
 しかし音楽は流れてこなかった。なんだよ、こんな時に故障か? まったく駄目な飛行機会社だな、肝心な時に音楽が聴けないなんて。
『只今アカツキの後継者を募集中です! 我こそがアカツキの名にふさわしいと思っているそこのあなた! 私の呼びかけに応えてくれませんか?』
「……は?」
 音楽ではなく声が聞こえてきた。しかもなんとも意味不明なことをおっしゃっている。外国のラジオか何かだろうか。いや、それだったら英語とか他の言語になるよな。なんで日本語なんだよお前。
『おぉ、お前、私の声に反応したな! ということは私の呼びかけが聞こえたということだな。ふむ、また失敗かと思っていたが……数打ちゃ当たるという言葉は本当だったんだな』
 次に聞こえてきたのは陽気な声。台詞の後には愉快そうな笑い声まで聞こえてきた。一体何なんだよこの放送は。
『さあ目を閉じて、君――』
 誰がお前の言いなりなんかになるかよ。
 と思っていたが、迂闊にもまばたきをしてしまった。このタイミングでまばたきとは。ああ俺って運のない奴。これじゃ得体の知れない妙な放送の声に従ったみたいじゃねえか。
 それだけのことを一秒前後で考えた後、俺は自分の目を疑った。
 何故なら、目の前の景色が一変していたから。

 

 吹き付ける風、巻き上がる砂、怪しげな男。俺の目の前にあった景色はそれだけだった。
 何、これは、イギリスに着いたの? それとも夢? まあ普通に考えりゃ夢ってことになるよな。さっきまで夜だったし、俺ってばあのまま寝ちゃったんだな。うん。そうに違いない。
「はじめまして」
 すぐ近くから雑音が聞こえてきた。うーん、こういう場合は無視するに限るが、周囲には隠れられそうな物体など一つもない。赤茶色の地面と砂から連想されるのは荒野という単語のみ。俺はその上に立っているらしいんだ。
 それだけならいいのに、荒野の上に立っているのは俺だけではなかった。変な男が俺の前にいる。さっきの挨拶はこいつが発した言葉に違いない。仕方がないので相手の方へ視線を向けると、まず最初にぽかんとしてしまった。
「君の名前は?」
 いや、ちょっと待ってくださいそこの人。
 相手は人間だった。そりゃもう疑いようのないほど完璧な人間だった。やたら高貴そうなダラダラした服装に身を包み、手には木で作られたらしい変な棒を持っている。その辺りはまだ許せる。しかし、相手の足元で光る地面に描かれた模様を見ると、相手の存在を疑いたくなってくるのは止められなかった。
「おーい、私の話を聞いてるかい?」
「ふえっ」
 急に現実に呼び戻された。変な声が出たのは見過ごしていただきたい。
「君の名前は?」
「人に名前を聞く前に自分で名乗れよ」
「これは失礼。私の名はキーラ・ディガード。君の名前は?」
 同じ問いを飽きもせず繰り返す相手。どうやら何が何でも知りたいらしい。
「……白石豊(しらいしゆたか)」
「ユタカか。ふむ。どことなく間が抜けているから、今から君の名はアカツキにしよう」
 はい?
「今後はそう名乗るように」
 いや、ちょっと待って? つーか何だよこいつ。わけ分かんねえことばっか言いやがって。誰の名前が間が抜けてるって?
「君をここに呼んだのは他でもない、闇の意志が復活するのを阻止する手伝いをしてほしいからだ」
「ここに呼んだ?」
 なんだ、俺はこいつに呼ばれたってことか? 無駄に凝った夢だな、今日は。それにいつもより意識がはっきりしてるし、風の冷たさも無理がない温度だし。まるで現実と区別がつかないほど現実味がある。けど、この設定はさすがに現実では通用しないよな。
「やはり君はこの世界のことを知らなかったか。よろしい、ここはひとつ私が説明してあげよう。この世界の名はウラノスといい、見ての通り危機に瀕している。これは封印が解けつつある闇の意志が大地を飲み込もうとした結果だ。今はまだ封印は完全に解かれていないが、それも時間の問題となってきた。そこで!」
 長々と話していたと思ったら大声を上げてくる。何なんだよこいつは。しかも微妙に偉そうだぞ。
「古代の勇者アカツキの後継者を私は探した。そしてその私の声に応えたのが君だったのだ。無論、手を貸してくれるだろうな?」
 なるほど。話は大体分かった。要するに俺はとてつもなく運が悪かったということだな。
 俺はにこりと笑ってやった。すると相手も笑顔になった。きっと肯定すると思っているのだろう。
「やだ」
 誰が肯定なんかしてやるもんか。
 笑顔だった相手の顔が面白いほど変わっていく。まず最初に硬直し、次に驚きに変わり、最後はなんとも情けない表情になってしまった。
「な、なぜだい? 君は私の声に答えたじゃないか。おかしな冗談を言わないでくれたまえ! 今ので寿命が縮んだことはまず相違ないだろう! この責任を君には背負ってもらわねばならん、しかし私に協力してくれるというなら、今の失言はなかったことにしてやってもいい。さあ、どうだね?」
 まるで悪役だな、こいつは。しかし俺は自分の意見を変えるつもりはなかった。
「うるせぇな。誰がそんな面倒そうなことするかってんだよ。頼むなら他の奴に頼め。じゃ!」
 変な男を残して歩き出す。どこを見ても茶色い土しか見えないので、方角なんか気にせずに適当に歩いてみた。どっちにしろ夢なんだからそのうち場面も変わるだろう。
「おいおい、一人じゃ危ないぞ」
 後ろから聞こえた声は気持よく無視することにした。あんな変な野郎にいちいちかかわっていたら日が暮れちまう。いや、夢の中だから日は暮れないか。まあどっちでもいいや、とにかく夢の中だろうと現実だろうと面倒なことはやりたくないんだ、歩くのだって本当は嫌なんだから。
 風は容赦なく顔面にダメージを与えてきた。砂が目に入ってくる。こういうところは無駄にリアルで腹が立つな。ああもうさっさと目が覚めてほしい。確かに自然が見たいとは言ったけど、こんな砂だらけの景色を見たって面白くも何ともねえっつーの! 自然と言えば木とか森とかだろ。荒野なんか美しさの欠片もないんだからさ、とっとと消え去っちまえよ。
 頭の中でそんなことを考えていたからか、一歩進むと視界が変わった。というよりも、世界が動いたと言った方が適切か。さっきよりぐっと地面との距離が近くなっており、足に違和感を感じる。下を見てみると、なるほど、俺は典型的な落とし穴に落ち込んだらしい。まったく本当に運が悪い。
 あーあ、面倒臭い。全てにおいて面倒臭い。もう上に上がれなくてもいいからじっとしていよう。
 そうして俺は、夢はいつか終わるものと信じながら目を閉じて座り込んだのだった。

 

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