08

 彼は語った。見た目だけで全てを理解したつもりになってはならないと。
 俺は知った。世の中にあると思われている常識には天井が存在するということを。
「豊?」
「ふぇ? あ、いや……」
 瞳に映るのは子供の顔。しかしその子供が言うには、もう二十歳になっているとか何とか。
 異世界。それは、限りなく常識という文字が似合わない場所。
 それだけがはっきりと分かった。だからもう、眠らせてもらえないだろうか。

 

「そして我が兄ソルは、ルピス復活を助長しようとしている研究を止めさせる為に彼女の元へ向かった。たった一人で、この世界の命の重さを背負いながら。しかし兄は戻ってこなかった。代わりにやって来たのは、兄と同じ名前のこのソルだけだったのだ」
 満目蕭条(まんもくしょうじょう)と呼べるこの世界。俺はどうにも運が悪かっただけではないらしい。
 そう、きっと。それだけではないんだ。
「だから私は誓ったのだ、きっといつか必ず私も兄の後を追い、彼女の元へ辿り着き、研究を止めるよう説得してみせると。それこそが私の義務。この世界に生まれついた者として果たすべき、最高の義務であると考えているのだ。我が兄も同様に考えたのだろう、それ故一人で敵地へ赴き、かえらぬ人となってしまったのか――」
 隣で熱く語るのは大僧正様。そんなこと誰も聞いてないっつーの。うるさい。とんでもなくうるさいです。どうでもいいから黙れよこら。
「勝手に人を殺すのはよくない」
 かと思うと反対側から声が聞こえてきた。こっちはキーラより落ち着きのある、でも偉そうなところはよく似ている声。本人曰くキーラの兄であるそうだが、弟はソルが実の兄だということにさっぱり気づいてないらしい。同姓同名の別人だと思っているんだとよ。兄弟なのによく気づかないよな、まったく。
「ねえ、そんなことよりこれからどうするかってことを話した方がいいんじゃない? アカツキってばかなり眠そうだし」
 これまた逆方向から聞こえてきたのは紅一点であるサラの声。青い髪のキーラの隣に立っているので、彼女の赤い髪が余計に際立って見える。これで顔があんなんじゃなかったら俺の救いの女神にでもなってくれただろうに。もういいよ、諦めてるからさ。
 そうやって話している彼らだが、俺はこの普遍的からかけ離れた連中のど真ん中で、ベッドの中に潜り込んで今から眠りますよと言わんばかりの体勢になっていた。つーか本来ならもう夢の中だったはず。それなのに、このあほ大僧正がのこのことついて来やがったおかげで計画は台無しだ。俺はすでに寝転がってるというのにそんなことにはお構いなしで、勝手にいらんことを喋るわ喋るわ。これは何だ、運が悪いとかそういうレヴェルじゃない、居候虐待じゃないか! お前は小姑か!
 っていかんいかん、あまりの非平凡ぶりに頭がおかしくなるところだった。しっかりせねば。白石豊よ、大志を抱け!
 とりあえずこの人に新たなニックネームをつけて差し上げようか。……よし。
「なあ、奔放不羈(ほんぽうふき)さん」
「ホンポ……?」
 俺が得意の四字熟語を口に出すと面白いほど目を丸くするキーラ。ふむ、やはりこの世界に四字熟語はないらしい。そりゃ退屈な世界だわ。あーつまんね。
「俺はもう話聞いたからさ、眠らせてほしいんですけど?」
「何を言うか、まだ私の話は終わってないぞ!」
「じゃあいつになれば終わるって言うんだよ、さっきからずっと喋ってんじゃねーかよお前」
 しかも大して面白味もなく意味もなさそうな話ばかりを。こっちの身にもなれよな、冗談抜きで。
「むぅ……。仕方あるまい、では最後に、最も重要なことを知らせておこう」
 つうか最初からそうしてろよテメー。
「キーラ、アカツキがキレかかってるよ」
「何故だ?」
 ここの大僧正様はよっぽど鈍感らしい。サラも分かっているし恐らくソルも分かっている。それなのに大僧正様は気づかない。気づかないったら気づかない。ここまできたらあれだな、もう、鈍感とかそういうんじゃなくて、ただの馬鹿だ。言っちゃ悪いけどさ。でもあほだ。
「アカツキよ! 我々はソルの後を追い、彼女の元へもう一度向かおうと考えているのだ」
 ぱっと表情を変えて真面目そうになるキーラ。しかしそんなことを真顔で言われたところで、俺の中の俺のやる気は決して起き上がりはしない。
「じゃあ頑張ってネ」
「まだ話は終わっていない!」
 眠ろうと布団を頭から被ったが無駄だった。見事に布団をふっとばしてくれる大僧正様。「ふとんがふっとんだ」を行動で表すとは、なかなか洒落(しゃれ)たことをするじゃないか。
「彼女――アロウィルロドラトスライドル・ナロイナイオルカケラトズラは、ここレーベンスの町から遥か北にある大地に研究室を持っているのだ。そこへ行くには少なくとも一週間はかかる。しかし我々には時間が残されていないのだ、私は是非ともアカツキに共に来てもらいたいのだ!」
 ちょっと待てよおっさん。なんかものすごく変な横文字の群れを聞いた気がしたんですけど。
 って、そうじゃなくて。
「あんた言ってることが矛盾してないか? 残された時間が少ないのは分かったけど、それがなんで俺と繋がるんだよ」
 時間がないなら自分だけで乗り込んでいった方が早いじゃないか。それなのになんで俺をわざわざ巻き込もうとするのか。意味不明な行動もほどほどにしていただきたい。俺はそれほど頑丈じゃないんだ。
「細かいことは気にするな、アカツキよ。私は君の力に期待してみたいだけなのだ」
「うっわぁすんごい利己主義的主張!」
 正直むかつく。殴ってやりたいほどむかつく。
「キーラ」
 ふと隣からソルが口を挟んだ。キーラより遥かに大人であるはずなのに、なぜか姿が子供になっているソルが。
「お前は他人の心配をしているようで実は何も分かっていない。豊は全く見知らぬ世界に連れ込まれて混乱しているはずだ。そんな相手を否応なしに自分の目的に利用しようとするのは、豊の言うとおり利己主義に他ならない。お前はもっと周りを見る必要がある。豊のことはおれに任せておいて、お前はサラと共にアナの所へ向かえ」
 ……俺は涙ぐんでしまった!
 ああ、なんという心地よさ! 自分のことを理解してくれている人がいるということは、他のどんな幸福よりも有り難いものだったんだ! その字の通りなかなか有るものではなく、苦労の末にやっと見つけた宝箱のように、ただひたすら心地よくって離れられそうにない煌めき! そんなものが目の前にあるようで、俺はすっかり感激してしまった。
「ソル、俺は君に全てを任せるぜ! というわけでおやすみ」
 奔放不羈で高慢な大僧正様と、分かってるのか分かってないのかいまいち分からない童顔少女は、この際だからもう完全に無視することにしよう。まあサラはそんなにむかつくことはしてこないけどさ、顔のことに触れると怖そうだもんな。ナントカは災いの元って言うし。だから無視だよ無視。うん、それがいいさ!
 ソルに事の本質をぴしゃりと言い当てられたのが効いたのか、キーラはそれ以来何も言わなくなった。ついでにサラも黙ったまま。そして俺はソルによってもたらされた心地よさを胸に抱いたままで、ようやく念願の安眠を手にすることができたのであった。

 

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