10

 ひとつのいのちがここにある。
 ふたつのいろがここにない。
 あるのはいびつに歪んだ事実。
 聖なるものって何だろう?

 

 町は静まり返っていた。物音なんて一つとして聞こえてこない。なんだか知らないが魔物が入って来たとか言っていたけど、もう誰かが退治して何もかも終わったんじゃないのだろうか。そうだとしたら俺のやっていることは何の意味もないことになってしまう。つまり無駄骨ってやつ。
 しかし俺より背の低いソルは俺の前をとことこと歩いている。どこかへ向うでもなく、ただ町中を見て回る為に。今更ながら、なんでこんなことを引き受けたんだろうな、俺って。面倒臭いことこの上ないじゃないか。
 そうやって心の内で何者かと格闘しつつ歩いていると、一人の人間に出くわした。じいちゃんだ。いかにもヨーロッパっぽい煉瓦の椅子みたいなものに腰掛けており、長く伸びた白い髭を手で整えている。
「じいちゃ、こんな所で何をしているのだ」
 俺の後ろから大僧正様が口を開く。またうるさい演説が始まるのかな、面倒なのに。
「今は魔物が町に入ってきて危険だ。家の中に避難してもらいたい」
 偉そうな口調でお願いするキーラ。それに対し、じいちゃんは何も言い返さない。
 代わりに大きな音が真横から聞こえた。明らかに怪しいじゃないか、これって。なんだか嫌な予感がしてきたぞ。恐る恐る音が聞こえた方へ顔を向けてみると、案の定と言うべきか、一軒の家が魔物によって壊されていた。『よくある話第一話』かよ。
「むっ、現れたな、邪悪な魔物め! この私がいる限り、町には指一本触れさせぬぞ!」
 魔物が現れた途端に態度を変えるキーラ。やたら勇敢そうに魔物の前に立ち、右手の人差し指で相手の顔を指し、決め台詞のような不細工な言葉を吐き出す。いやもう触れちゃってますよそこの大僧正様。というツッコミは腹の底にしまっておくとして。
 相手の魔物はいかにも魔物という格好をしていた。一言で言うなら、竜だ。あの、ゲームには定番のように出てきて無駄に特別扱いされている種族の、ドラゴンと英語で呼ばれている生き物だ。羽があって、鱗があって、爪があって、牙がある、ゲームの中の竜さんとそっくりな奴。俺たちの姿を認識したと同時に何やら咆哮していた。これこそ王道の極みだ。あーまったく冗談じゃねえ。
「アカツキよ、君は下がっているのだ!」
「うんそうする」
 キーラの言葉を聞く前からそそくさと後ろへ下がっていく。無駄に図体のでかい竜は、大きく口を開きながら羽をばたばたさせていた。つーかあいつ、あの羽で飛ぶのかな。絶対飛べなさそう。
 大僧正様は大僧正のように変な木の棒――じゃなくて杖を手に持っていた。まさかあれで叩くんだろうか。うわー、弱そう。今のうちに逃げた方が得策かも。
「なあ、ソル……」
「心配するな。あいつは性格には問題があるが、実力の方は案外まともだ」
 あぁ、『案外』なんだねお兄さん。
 腕を組んで傍観態勢になったソルの隣で俺は立ち尽くした。ちょうど今気づいたんだが、俺には選択肢がたった二つしか与えられてなかったのだ。要するに、逃げるか見学するか、だ。どっちを選んだとしても危険が隣で笑っているわけであって。
 やっぱり家で寝てた方が断然よかった。間違いなく。
 ちくしょー、後悔なんてみっともないけど俺は後悔するぞ! キーラの言葉なんて無視すりゃよかったんだ、ソルにリーダー性なんか見出さなけりゃよかったんだ! ああ、そういえばサラはどこに行ったんだろう。童顔じゃなかったらきっと美人さんであるはずのサラは。パンがどうのこうの言ってたディトは? つーかじいちゃ! じいちゃはどこだ!!
 慌てて周囲を見回すと、じいちゃは元の位置にきちんと座っていた。微動だにしていないご様子。しかもキーラの野郎、じいちゃのことをすっかり忘れて自分の世界に入っている。魔物から数歩離れた場所に守るべき人がいるというのに!
 ちらりとソルの目を見た。そして少し身震いした。だってこいつ、本当に『氷のように冷たい目』をしてるんだから。と言っても、別に俺に対してそんな目を向けてきたわけじゃない。どうやらこっちも魔物に夢中になってるらしいんだ。
 危急存亡! 待ってろじいちゃ、俺が今助けてやるからな!
 などというどこぞの主人公のような志を胸に抱きながら、こそこそと魔物やキーラに気づかれないようにじいちゃに近づいていった。足音を殺して、ひたひたと。一歩進むごとに極度の緊張が襲う――なんてことはなく、すぐにじいちゃの隣まで来ることができてしまった。早いな、おい。
「なあじいちゃん、ここは危ないと思うんだ」
 どきどきしながら話しかけても、返事は返ってこなかった。返ってくる気配すらない。白髪の綺麗なじいちゃは前の景色をぼんやりと眺めているようだった。
 こうなりゃどうとでもなれ。俺はじいちゃの前に立ってやった。
 だけど変化はない。もうちょっと驚いてくれたっていいはずなのに、ここまで無反応だと素でショックを受けちまう。うう、よそ者だからってそんな冷たくしないでくれ、じいちゃ!
「豊、何をしている?」
「わっ!」
 突然後ろから声が聞こえたんだ、俺はすっかり驚いて声を上げてしまった。後ろには青い髪の少年がいる。どこからどう見てもそれはソルだった。
「いや、だって。じいちゃんが危険だと思ったから」
「彼は盲目で、耳も聞こえないんだ」
 ……。何ですと。
「だってさっきキーラが」
「あいつが勝手に彼の障害は治ったのものだと信じ込んでいるんだ。確かに治療はしたが、失敗だった。キーラはその報告を無視し、自分だけの話を作り上げているんだ」
 いたって落ち着いた様子で喋るソル。
 何だろう。ちょっと分からなくなってきたぞ。なんでソルはこんなにまともなのに、キーラはあんなふうになってしまったんだろう? 兄弟だって言ってたよな。同じ家に住んでなかったのかな、それとも昔は仲が悪かったとか? とてもじゃないけど、この二人は兄弟のようには見えない。何か悲しい事情なんかがあったりして。俺は関わりたくないけど。
「この町から消え去れ、邪悪なものよ!」
 悲しげなキーラの声が響く。いや悲しげって決めたのは俺だけど。
 いつか見たことのある魔法陣が地面に描かれていた。それは強い光を発し、はっきり言って眩しい。あー見なきゃよかった! と思ったのも束の間、キーラの前に変なものが見えた。何と言えばいいのか……何もない場所がぐりんと歪んでいる感じ。空間の歪みってやつ? まさにファンタジー。そこからぽこんと何かが飛び出してきた。こっちはよく分かる、火の塊だ。火の玉みたいに小さいものじゃなくて、それなりの大きさを持っている人型の炎。そいつが出てくると空間の歪みは消えた。
「ルフォーよ、奴を焼き尽くせ!」
 大僧正様の透った声が響くや否や、世界が真っ赤に染まった。

 

 後に残ったのは魔物の死骸。決して美しいと言えない最期だった。
 死骸を背景にこちらを振り向いたキーラは、普段通りの顔をしていた。しかしうっすらと頬を赤らめている。その上には笑みが似合いそうだった。あどけない無邪気な笑みが、とても似合いそうだった。

 

 

前へ  目次  次へ

inserted by FC2 system