12

 ふと見えたものは何だったろう。
 夢か現実かも分からない道の上で。

 

 変なの、と言われるのはちょっと腹が立ったが、それより俺は大変驚いてしまったので何も言えなくなってしまった。
 唐突に魔物の隣に現れたのは見知らぬ女性。金髪碧眼といういかにも『美人』って感じの条件を手にしている、俺より年上くらいの人だった。今度はサラのように顔が童顔なわけじゃなく、とっても普通な人だ。いやぁ、もう、普通って素晴らしいね!
「ああ、もしかして君がキーラのお目当ての人?」
 お目当て、とな。なんて誤解を招きそうな言い方なんだ。
「アカツキの後継者ってところか。まさか本当に召喚するなんてね。どうしてソルは止めなかったのかしら?」
 一人で喋って一人で納得している。でも俺は話しかけようとは思わなかった。だって明らかに面倒そうだし。どうして面倒なことにわざわざ首を突っ込む必要があるのか。そんなことをするのは天下のお人好し様だけさ。
「あなた、アカツキの後継者になることを認めたの?」
 金髪と碧眼が美しいなら、声も美しいってことになるんだろう。相手の女性は「美しいオーラ」をむんむんと放っていた。それが本人の自覚なしに行われてるんだから余計に美しくなってんだ。こんなことされたら世の中の男性陣はもうメロメロ……って、そうじゃなかった。なんでこんなことを考えねばならんのだ、白石豊よ! 落ち着け。落ち着け少年!
「ねえ、聞いてんの」
 すっと細くなる相手の瞳。たったそれだけで美しさは恐ろしさへと変換されてしまいました。畜生。
「別に俺はアカツキの後継者とやらになるつもりなんかないぜ」
「あら、そうなの?」
 ころりと変わる相手の表情。恐ろしく鋭くなっていた瞳はくるりと一回転したようにまん丸になり、誰もが心を奪われそうな顔になる。なんだよ、俺を騙そうって魂胆か?
「それはとってもいい判断よ。だってこの世界とあなたとの間には何の接点もないのだから。あなたは非常に頭がいいのね」
「つーかあんた誰」
「アロウィルロドラトスライドル・ナロイナイオルカケラトズラ」
 うっ! この無駄に長い横文字の名前は、確か大僧正様が言っていた敵じゃないか! ということはこの姉ちゃんが闇の意志を復活させようとしてるってことか! いわゆるラスボスじゃん!
「その様子じゃ、あなたは私のことをもう聞いたみたいね。でも、アカツキの後継者にはならないんでしょ? だったら私が何をしていようと、放っておいてほしいわ」
「何をしていようとって、何するつもりなんだよ?」
「君には関係のないことじゃない。……ところでキーラはどこ?」
 長い名前の姉ちゃんは大僧正様を探しているらしい。で、キーラはというと、気を失ったまま床の上に転がっていた。一度は持ち上げようとしたけど重すぎて運べなかったので、俺は仕方なく床に放置したんだ。そう、これは必然的なことだったのさ。
 しかし相手の姉ちゃんからは俺が邪魔になってて見えないらしい。それこそ奇跡的に。大僧正様め、なんて運のいい奴なんだ。
 俺が一歩横へずれれば大僧正様は相手の姉ちゃんに発見されるだろう。そして姉ちゃんの思うつぼになり、何か恐ろしいことでもされるに違いない。だけど俺はそうしなかった、できなかったんだ。どうしてだろう? 俺がキーラを庇う理由がどこにあるんだ? むしろこのまま横へずれて大僧正様を発見させる方が、俺にとっては危険が少ないことかもしれない。そうと分かっているのに動けないのはなんでだろ。怖いから。いやいや違う、そう、俺は――頭を使ったんだ。
「キーラなら俺の後ろで寝てるぜ」
「あら、そう。ありがと」
 俺の隣を通り過ぎようとする姉ちゃんを、さっと腕を伸ばして格好よさげに阻止してみせた。これぞ王道。これぞ主人公! 俺は今、おかしな道への一歩を踏み出したに違いなかった。ああ悲しいなぁ、でも俺は考えたんだから。
「この町の住民に手を出すな」
「どうして? あなたはアカツキの後継者になることを拒んだんでしょ? それなのに町の人を救おうとするなんて、はなはだしく矛盾しているわ」
「うるせーな、それは偏見だろ。俺には頭があるんだ、ものを考えることができるし、答えを導くことだってできるんだ」
「あら、随分と自信過剰な人だこと」
 ……じ。
 自信過剰だとぉぉぉおおお!?
 なっ、なんでこの姉ちゃんはあの日本の素晴らしき伝統である四字熟語を知っているんだ! まさか日本人!? いやそんなはずはない! こんなあからさまに外国人っぽい容姿で、この世界の情報通みたいな人間が日本に行ったことがあるはずがない、絶対に! うおお、何が起こったんだ一体! 俺には分からない、分からないぞ、ああ!
「なんて顔してるの、あなた」
「だっ、だって! よ、よじじゅく――」
「そんなことより、あなたの言う『答え』とやらを聞いてみたいわ」
 答え? って、何だっけ。……じゃなかった! そうだ俺はちゃんと考えたじゃないか! それを聞こうってんだな、よーし。耳の穴かっぽじってよーく聞き給え!
 ということは心の中で言っても何の意味もないということを俺は気づかないふりをしていた。
「俺はキーラに召喚された。でもキーラの奴、俺が絶対にアカツキの後継者になるって思ってたらしく、俺を元の世界に帰す方法を知らないまま召喚したんだとよ。いい加減な奴だよな。でも、俺は考えたんだ。っていうか言われたんだけど、どっちにしろこの世界からは逃れられないわけだし、それならこいつらにお世話になる方が何倍も楽ができるってことになるじゃん。最初は冗談じゃないって思ってた。でもそこに矛盾なんてあるか? そんなわけで、俺は一寸立ち止まってみたんだ。そうして考えて、考えて、ようやく見出せた答えがある。それこそが、今の形なんだ」
 こんな思いが相手に伝わるくらいなら、相手の姉ちゃんは真のラスボスじゃないんだろう。清々しいほどに否定してきたらラスボス決定。さあ、どうするか。
 金髪碧眼の姉ちゃんはじっとしていた。微動だにしない。呼吸すらしていそうにないので、なんだかまたしても恐ろしく思えてきた。この人、実は人間じゃないんじゃなかろうか。
「おかしいことを言う人」
 目も顔も体も動かさず、口だけがやけにはっきりと動いていた。そこから放たれる不思議な言葉。なんだ、これは否定してるのか? 微妙な答えだからラスボスかどうか決めかねるじゃないか。
「本当におかしい。楽をしたいなら、どうして私にそんなものを向けるの」
 そんなもの。って、どんなもの?
 ちらと下を見てみると、うーんなるほど、俺はつるはしを持ったまま立っていることに気がついた。つるはしを武器とみなすなら、俺は相手の姉ちゃんに楯ついているってことになる。
「この町を魔物に襲わせたのは私。目的は、そこに寝転がっているキーラをおびき寄せる為。そんなこととも知らないで、まずやって来たのはサラだった。彼女に用事はなかったから眠ってもらうことにしたわ。そうしてしばらく様子を見ていたら、キーラがソルとあなたを連れてやって来た。ソルにもあなたにも用事なんてないのよ、だからさっさとそこをどいてくれない? じゃなきゃ、どうなっても私は知らない」
 卑怯な。それは脅しじゃないか。しかしこの姉ちゃん、そんなに強そうには見えない。これで魔物がいなかったら俺ももっと強気になれるんだけどなぁ。
「ここは譲れないさ、考えたからな」
 それでもこれだけは言っておく。言葉だけなら勝てそうな気がしたから。
「だから一体何を考えたのよ、あなたに付き合っている暇なんてないのよ」
「分かんないかなぁ」
「分かるわけないじゃない」
「俺はただ、幸福について考えてみただけさ」
 そうだ。きっとそうなんだって思っていた。
「確かにこいつら――偉そうなキーラとソル、顔のことを言ったら怒るサラ。どっちかというと一緒にいると腹が立つことの方が多いけど、それでもなんか、憎めないところがあるんだ。ソルは俺の気持ちをよく分かってくれるし、サラは常識をちゃんと知っている。そしてキーラは、偉そうだし人の話は聞かないし思い込みが激しすぎてはっきり言って物凄くむかつくことばかりだけど、それでも見ていて楽しい奴だから。あとディトってガキも本当は可愛いし、コクって人は家が壊されて可哀想だし、じいちゃはじいちゃだしで、俺は彼らを放っておけないんだ。
 俺は面倒なことが大嫌いだ。歩くことも、呼吸をすることも、何もかもが面倒に思える時だってある。こうしてあんたに対して話していることすら面倒臭い気がする。それでも言うのは、こいつらを守りたいからだ。別にどっかの小説の主人公みたいに、同情心だとか勇気だなんてものからこうしてるわけじゃない。さっきも言ったように、俺は幸福について考えてみた。何が俺にとっての幸福なのかって考えたんだ。そしたら気づいた。運の悪い俺に残された幸福は、こいつらに利用されそうになりつつも利用されていないことなんじゃないかって。そしてそれは俺の意志がしっかりしている限り、決して壊れはしないんだろうって。それを取り除くと後に残るのは、こいつらの憎めない部分だけだった。だから」
 自分で言っていて、何を言っているのか分からなくなってきた。要するに、俺は何を言いたいんだっけ。
「……だから、彼らを守ることがあんたの幸福に繋がるって?」
「え? あ、ああ、そうさ!」
「馬鹿じゃないの?」
 何ですと。
「そもそもキーラって見てて楽しい? ディトって可愛い? コクって可哀想? じいちゃってじいちゃ?」
 姉ちゃんは腕を組み、こっちを見下ろすように睨んでくる。怖いです。でも俺は、俺の意見を否定したりするほど無責任じゃないつもりだ。
「へどが出る意見ね」
 馬鹿にされたついでに突き飛ばされた。つるはしが手から滑り落ち、床の上に叩きつけられる。俺は少しよろめいたが転ぶのはみっともなかったのでぐっと足で踏ん張り、なんとか間抜けな展開にならずにすんだ。あーやれやれよかった、と思っていたら恐ろしいことに、あのうねうねした魔物がこっちに向かって手を伸ばしていたんだ。あの時と同じように、とんでもなく素早い動きで。
 思わず「ノオォォオオッ!!」と英語で叫びそうになってしまったが、俺に伸ばされていた魔物の手は木っ端微塵に砕かれた。もちろん俺がそんなことをしたわけじゃない。前に見えたのは、あの見慣れた紺色の髪の毛だった。
「あら、ちっちゃなソルちゃん、あなた気がついたのね」
「黙れ、アナ!」
 助けてくれたのはソルだった。やっぱり頼りになるなぁ、弟と違って。その弟はまだ床でのびている。起き上がる気配は皆無だ。召喚師ってのは体力が乏しいモヤシ君なのか?
「だけどあなたに用はないの。用があるのは、なんにも知らないあなたの弟君よ。いつも家にこもってばかりいて、不健康になっているキーラに会いに来たの。だからそこをどいてくれない?」
 相手の姉ちゃんより明らかに背が低いソルは、それでも一歩も動くことはなかった。どんな表情をしているのかは知らない。俺の前に庇うように立ってるから。俺って守られキャラなんだね。まるでヒロインじゃねーかよ。
「……豊」
 本名で呼んでくれるのはソルだけだ。それがひそかに嬉しかったりする。
「逃げるぞ!」
 ――はい?
 くるりとこちらを振り返ってきたと思ったら、ぐいと手を引っ張られて入口の方へと走っていた。しかも途中でサラを渡され、童顔少女を背負って走ることとなってしまった。ちなみにソルはキーラを背負っている。なんか、潰されそうだ。
 そーいや家の中にはコクって人はいなかったのかな。もう逃げちゃったとか? それはそれは、随分と判断能力の優れたトンネル親父ですこと。
 家の外に出ると太陽が眩しかった。いくら女性と言えど、サラはキーラほどではないが重い。なんだか疲れた。もう歩くのも、考えるのも、無理だ。休みたい、寝たい。あなたが羨ましいよ、大僧正様。
 ソルはまた何かを言っていたようだったが、俺にはもう何も届かなかった。ぺたんと地面に座り込むと妙に心地よくて、俺はしばらく放心したようにぼーっとしていた。

 

 

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