13

 そらは青い。
 くもは白い。
 そして背中は、振り返った先は。
 赤い世界が横たわっているんだ。

 

「アカツキの後継者気取りで、足手まといだなんてね。とんだお笑い草みたい」
 はたと気づけばあのおそらくラスボスである姉ちゃんが目の前に立っていた。それに対して俺は地面の上で青い空を見上げており、夢の中でいるような感覚から呼び戻されたところであった。んーと。何してたんだっけ?
「豊、ぼんやりしてないでさっさとこっちに来い!」
 罵声のように怒鳴るのはソルだ。子供っぽさなど微塵もない。そんな怒るなよぉ。俺はこれでも健全なる一般人なんだぞ。なんてことを考えてみたわけであるが、もっとよく考えるとこの姉ちゃんからは逃げた方がいいに決まっていることを思い出したのであった。そうだよこの姉ちゃん、見た目は綺麗なのに魔物を操ったり――っていうのは多分だけど――大僧正様のことを狙ってたり町を壊したりして、やることはかなりおっかないんだから。こんな人の近くに寄ったりしたら、おお怖い、妙ちきりんな実験の被害者になりかねないぞ。それよりも怒鳴るソルの方へ避難する方が何倍も俺の為になる。そうだよそうに決まってら。よし、そうと決まれば即行動だ。電光石火な行動を心がけよ!
 うりゃ、と立ち上がってソルの声がした方へ一歩踏み出すと、背中に変な圧力がかかっていることに気づいた。今の今まで忘れていたが、そうだよ俺はなぜかサラを背負っていたんだった。これじゃ電光石火は無理だ。どうしてくれるんだよ。
「何をしている、早く来い!」
「分かってるって。でもこの童顔少女、疲れ果てた俺にとってはかなり重い――」
 そして頭上に雷が落ちた。……気がした。
 なんだか知らないが目の前の景色が変わっていた。それもほんの一瞬間で。え、なになに何が起こったの? と誰かに聞く暇もなく、俺は自分が地面に寝そべっていることを理解したのだった。これは、ああ、もしかして。俺がつい口に出してしまった「童顔少女」という文字に本人が反応しちゃったとかそういうオチなんでしょうか。つーかそうとしか考えられねえや。それを確かめるべく背中の方へ視線を移してみると、ありゃまあちゃんと起き上がってるよサラさんってば。
「ご、ごめんなさいアカツキくん」
「大丈夫っすよ、俺は……自業自得だしな」
 とりあえず手をはらはらと振っておいた。
「おはようサラ。久しぶりね」
「やっぱり、今回の騒動の原因はあなただったのね、アナ」
「騒動って程じゃないでしょ? 私はすっかり不健康になったキーラに用があって来ただけ。それとも何? 故郷の町に帰って来ることをあなたが邪魔できるとでもいうの?」
 二人は俺を無視して別世界にワープしたようだ。完璧に無視られる俺とソルと大僧正様の無意識体。虚しく吹き抜ける風は「ひゅるりら」という漫画風の音を発しながら消えていった。歌でも歌おうかな。
 ってそうじゃなかった! 気持ちよく無視されたせいで変なこと考えちまった。えっと、ちょっと待ってよ? キーラって不健康キャラだっけ? ……じゃなくて! そうだよアナって姉ちゃんのことだ。あの姉ちゃん、このレーベンスとかいう町が故郷なのか? そのくせ町を壊したりキーラを誘惑しようとしてたりするのか。ということはすなわち、この町が嫌いになって復讐しに帰って来た家出娘ってところか?
「キーラに何の用事なの?」
「うん、それがねぇ。ついに術が完成したみたいなの!」
 表情やら態度やらがころりと変わって姉ちゃんは無駄に可愛らしくなる。これはあれだ、ぶりっ子ってヤツだ。似合わねえ!! まったくもって似合わねえ!!
「術が完成って……アナ、あんた前もそんなこと言ってたじゃない」
「あの時も完成したと思ったんだけどね、時を操作して年齢を低くできただけだったわ。でも大丈夫よ、今回は。ちゃんとお望みどおりの結末を迎えられるわ。だからキーラが必要なの。カビの生えた部屋にこもりっきりだった不健康極まりないキーラがね!」
 なんかえらい言われ方してるな、大僧正様。同情するぜ、本気でさ。
「時を操作だと? それが天の定めた掟に逆らうことだと知っての発言か、アナ!」
 俺の後ろの方からソルの声が飛ぶ。ん、時を操作して年齢を低くって、もしかしてソルのことを言ってんのかな。そーいやソルはアナの所まで行って子供にされて帰って来たんだよな。おお、なんかすごい納得! 気持ちいいな、おい! でも天の定めた掟って何?
「天の掟? そんなの私には関係ないわ。それに掟を破ったらどうなるの? 天罰でも降ってくるならまだしも、なんにもないじゃないの! 私は天罰なんて恐れない。そして仮に天罰があるとして、それを受けるのはサラもソルも同じことよ」
 キーラと俺だけ仲間外れってか。姉ちゃんは腕を組んで偉そうにそれだけを言うと、こっちに向かって歩き出した。むむむ、どきどきするぞ。どうしてなのか――寝ころんでるままだからか! うおお、そうだった俺は、寝ころんだままテレビを見る親父のようにあいつらのやりとりを傍観していたんだ!
「アナ、お前まさか」
 よいしょと体を起こしている途中でも物語は進んでいく。ねえ、俺って主人公じゃないんだね。それは嬉しいけど並列処理って結構悲しい。
「まさか、キーラにまで呪いを施すつもりか!」
 驚愕と焦燥が入り混じったような口調でソルは言う。その時俺は、服のよごれをぱんぱんと払い落としていた。あーでも福は落ちませんように。落ちませぬようにお頼み申す!
「呪いだなんて人聞きの悪い。ちょっとキーラに実験台になってもらうだけよ」
 ふう、汚れを落とすと服はすっかり元通りだ。綺麗になってよかったよかった。そしてアナさん、洒落(しゃれ)にもならないようなことをおっしゃらないでください。怖いから。
 だって、君、実験台だと? どこの悲劇のヒロインの設定だよ、それは!
「勝手なことを言うな! お前の術は呪いに他ならない! おれはこんなものなど望んでいなかった、そしてお前の言う完成品ですら必要なかったんだ、それなのに!」
「あーもう、はいはい。分かったから分かったから。だからそんなに大声を出さないでくれる? 有り得ないほど鈍感なキーラですら起きちゃうじゃない」
 やはりえらい言われ方をされている大僧正様。ここまで馬鹿にされつつも全く動じないキーラを、俺はあるいは尊敬してみたいのかもしれない。……なんて。
「貴様……今すぐ帰れ!!」
 鋭い声と風と共に、ソルがアナの前まで走った。ようやく俺の視界に映る紺色の髪。相変わらず背はちっちゃいが、そこから発せられているオーラはとんでもなく禍々し――じゃなかった、とんでもなく威圧感があった。
 手に持った自身よりも長い剣をソルは相手に向ける。おおう、格好いいぞ、ソル! いかにも勇者って感じだけど、背がちっちゃいからスポイルされてる。残念だ。
「女性に剣を向けるなんて、常識を知らない無知な子ね」
「うるさい、黙れ! 今すぐ帰らなければ斬るぞ!」
「可愛い弟を守る為に? ふふっ、そんなちっちゃな体で何ができるのかしらね」
 ソルをことごとく馬鹿にしたアナは、ふわっと飛ぶようにソルから遠のいた。そして優雅に地面に着地していると、完全にキレたソルがアナに向かって斬りかかっていった。
 あ、いや、ちょっと待って。俺はこれを見てはいけない気がする。だって剣って刃物で、斬ったら当然のように血がどばっと……うぎゃあ! 駄目だ、俺はそーいうのは駄目なんだぁ!!
 我慢できずに目をぎゅっと閉じてしまった。でも飛び散る赤い血を見るよりマシだから。それでも音は聞こえてしまうんだ、と思い立ったと同時にその「音」が聞こえてきた。だけどそれは俺が予想していたものではなく、空気を切ったような風の鳴る音だったのでほっとした。とても劇的な展開をありがとう。これこそが健全な全年齢対象作品だ。
「分かったわよ、帰るわよ。だからそんなに怒らないでよ、お願いだから――」
 静かになった空間の中からそんな言葉が聞こえてきた。目を開けて前を見ると、アナとソルとサラの姿が見えた。アナは傷を負っていない。もちろん赤い血も出ていない。それが普通のことなんだ。普通のことが、あったら幸せなんだ。
「だけど私は諦めない。この完成した術をもっと高度なものにする為に、さらに研究を続けていくつもりよ。闇の意志だとかルピスだとかいう話は後から聞いてあげる。私の術が完成すれば、みんなきっと幸福になれるんだから」
「馬鹿なことを言うな、そんなもので幸福になどなれはしない! お前は間違って解釈しているんだ、目を覚ませ!」
 剣を握ったままのソルは必死そうに見えた。ただ敵に向かって怒鳴ってるんじゃない。彼はきっと、アナのことを心配してもいるんだろう。お人好しだなぁ。
「アナ、あなた……どうして分かってくれないの? その研究は、世界を滅ぼすことになるのよ?」
「またその話? 何度も言うようだけど、だったらどうして私の研究で世界が滅ぶかということをちゃんと証明してみせてよ。私は研究者だから伝説だとか迷信なんて信じないわ。信じられるのは数字で示された結果だけ。私を納得させたかったら、そういうものを持ってきて頂戴」
「アナ――」
 痛々しげなサラの言葉を容赦なくはねつけ、アナは突然現れた光と共に姿を消した。つまり、ようやくこの町に平和が戻ってきたということだ。
 平和が。
 普通のように。
 ……俺は立ちすくんでいた。平気そうな顔をして、全然落ち着いていられなかった。なぜならなんだか妙な感じがしたから。気色が悪いほど妙な感じがして、動けなくなってしまったのだ。
 それはなぜだろう?
「う……ん」
 風に乗って運ばれてきた言葉。いや、言葉というより声といった方が正しいか。
「おや、これは」
 振り返るとそこには青い髪。
 忘れ去られし大僧正様が目を覚ましたようだった。ソルが守ろうとしていた人でもあるが、意識がないのをいいことに地面に放置されていた人でもある。おまけにアナに不健康だ不健康だと言われまくり、おそらくこの中で最も酷い扱いを受けておきながらそれに全く気づいていない陽気な楽天家でもある。日本人も彼のように生きていたならば、ストレスで鬱病になったりなんかしないだろうに。あぁ、でも無理だな。こいつの真似っこなんて、できるわけがないんだから。
 そらは青い。くもは白い。それは常識。それが普通。
 だけど俺の前に横たわるのは、それだけで説明できそうにないものばかりだったんだ。

 

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