16

 顔に吹き付けてくる風の冷たさをいちいち感じていると身が持たなくなる。同じように、目の前に広がる光景に度々驚いていると現実から逃げがちになる。そういった無駄とも言えるようなことだけが襲ってくるこの世界で、俺はまだ無事に生存することができていた。しかしそれもそろそろ時間切れだ。こんな非常識極まりない異世界にはいつだって、考えられないような危機が隣で息をしているのだから。
 そりゃ確かに赤茶けた砂しかない淋しい大地だとか、人が住んでる場所がたった一つしかないとかいうことを初めて知った時は驚いたさ。偉そうな召喚師に巻き込まれたことや、超が付くほど童顔な少女にボロボロにされたこと、明らかに年下なのに年上だと言う子供に命令されたり、金髪碧眼の綺麗な姉ちゃんに馬鹿にされたことなんかについても驚かされることが多かったんだろう。そうやって今まで見たこともない新しいことを次々と目の前に押し付けられて、疲れも吹っ飛ぶようなことばっかりを見せつけられてきたわけだが、今思うとそれらはとっても可愛いものだった気がするんだ。
 だってさ。そんなものより、今のこの状況の方が明らかに危なっかしく、かつ怪しげだから。
「コクさんの薬はいつもここから取ってくるの。大丈夫よ、そんなに危なくなんてないから」
 荒廃した世界でたくましく生きる童顔少女は男らしいことを言ってくれる。危なくなんてないヨ、だから豊君レッツゴー、と。だけど俺にはそんなことできない。何がどうなろうとできないんだ、絶対に。
「サラさん無理ですこれはどうしても」
「怖くなんてないってば。ほら、早く!」
 俺とサラの前に広がる光景。それは地割れ。淋しい大地にぽっかりと穴を開けたそれは、見渡す限り端が見えないほど横に長く伸びており、さらに割れた地面の下から「ビュオオォ」というありがちな効果音を発しながら存在していた。
「こ、この下に行くの?」
「他にどこに行くっていうのよ」
「っていうかこの下に何があるんだ?」
「だから、コクさんの薬があるのよ」
 それだと答えになってないよサラさん。俺が聞きたいのはそういうことじゃなくって、もっと具体的な「何か」なんだから。まさか薬が地割れの中でひっそりと佇んでいるわけがなかろうて。もっと常識ある返答を期待させてほしいんですよ俺は。
「えっと、薬って言っても薬があるわけじゃなくて、薬の材料になる物があるのよ。ここには竜が住んでいてね、彼らの卵が材料になるの」
「あ、そう……」
 俺が無理矢理作った渋い顔を見てか、サラはきちんとした説明をしてくれた。そうだよそういう説明を待っていたんだ俺は。つーかさ、普通はそれを先に言うでしょうよ。今まで人の少ない世界で閉じこもってたから感覚が鈍っているんだろうか。なんと危険な! キーラ二号になりかねんぞ、それじゃあ。
 とかいうことはどうでもいいんだけど、サラの話だとこの地割れの中に竜が住んでいるらしい。あのゲームによく登場するドラゴンと呼ばれる存在が地割れの中に。なんか、かなり無理がある設定のような気がするけれども、ここまでおかしなものばっかり見せられてきたら、もう何を見ても驚かないぞという妙な精神ができてしまったように思えるので恐ろしい。うん、俺はもう驚くことができなくなってしまったんだ。ああ悲しいかな、どんどん現実から見放されてしまう現代っ子なんだ、俺は。
「アカツキ君、どうしたのよ、そんなぼーっとして。早くこの中に入って卵を取ってこなきゃ。コクさんを助けたいんでしょ?」
 そうして飛んできたサラの一言によって現実に呼び戻される。うえぁ、そういやこの童顔少女、俺に地割れの中に飛び込めと要求してたんだっけ。冗談じゃないや、こんな底も見えない竜の巣窟に転がり落ちたりなんかしたら、それこそ俗に言う「深淵」に落ち込むことになりかねんぞよ。要するに死だ。死の淵へ行ってこいって言ってるんだ、この人は俺に対して!
「さあ、早く!」
 勢いのある一言と共に腕をぐいと引っ張られる。そのまま世界が速度を増し、周りの空間がぐるんと一回転したように見えた。お空のブルーがきらきら光って、美しい大自然が俺の頬をなでる――じゃないだろ! 俺はこんな所で死にたくなんかないっつの!
 すぐにブルーは見えなくなり、代わりに赤茶けた地面の下の岩肌のような壁が視界を支配した。それらをじっくりと観察する暇もなく、下の方へすごいスピードで落ちていく二人組。幸いサラも一緒だからよかったものの、こんなところに飛び込むなんてことは一般人の為せる業じゃないぞ。さらに言うならその業を俺が体感する必要性も感じられない。やっぱサラ一人で行けばよかったんだよ、ちくしょー! 勝手に俺を巻き込むなー!
 もういい加減泣いてやろうかと考えている時、何かに引っかかったように落下が止まった。かなり唐突に。おかげで体が上下に振られ、みっともないったらありゃしない。どこの間抜けな芸能人だよ。はあ。
 とりあえず一つ息を吐いてから周囲の状況を確認してみる。ふむ、どうやら地割れの奥底に辿り着く前に竜の巣を発見したらしく、ちょうどその隣で俺とサラはぶら下がっているらしい。竜の巣は一体どこから生えているのか分からない木の枝に乗っかっていた。サラはその枝を手で掴んでいるんだろう。
 やがて思いっきり腕を引っ張られ、その痛さに涙を浮かべていたら木の枝の上に体を投げられた。うわぁサラさん見かけによらず力持ちなんだね、とか何とか考えつつしっかりと木の枝にしがみつくと、あっという間にサラが隣に座った。なんという素早さ。というより慣れか? まあどっちでもいいや。とりあえず今はそういうことは置いといて、薬のことだけを考えよう。ここからどうやって帰るつもりだろうとかいう疑問は無視だ。それがいいに決まってる。うん。
 ちらと隣を見ると、白くて大きな卵が一つ放置されていた。大きいと言ってもダチョウの卵ほどではなく、せいぜいニワトリの卵の二倍くらいだ。しかもまん丸。どこぞのガキがボールと間違えて遊びそうな卵だ。なんとなく、見ていてむかついてきたぞ。
「それが薬の材料なのか?」
「しっ、静かに」
 質問すると唇に人差し指を当てる童顔少女。それだけならまだしも、はっとしてきょろきょろと周囲を見回し始めた。うっはぁ、こいつはやばいぞ。漫画なんかでよくあるパターンになりそうな気がしてきた。
「ねえもう早く帰ろうよサラちゃん」
「だぁれがサラ『ちゃん』だ!!」
 鋭い轟音と共に頭の上に岩が降ってきた。……ような気がした。ごめんなさい。
 とりあえずこれだとタンコブは間違いなくできてるだろうな、あーもうなんで「ちゃん」だけで反応するんだよ、はあ。
 一気に疲れが押し寄せてきて、頭をかっくりと下に落としてしまう。そうやってうなだれてしまった俺の目の中に飛び込んできたのは、きらりと赤く光る二つの竜の瞳だった。
 そう、二つの竜の瞳が俺を……見ている? 赤い目が。ぎらぎらと。
「まっ、満身創痍決定!?」
「え? どうしたのアカツキく――」
 俺の悲愴な叫びを聞いたサラさんは、たったそれだけで状況を理解してくれたらしい。片腕に卵をしっかりと抱え、枝の上で立ち上がった。心なしか枝がミシミシと悲鳴を上げている気がするぞ。二人も重い奴らなんか乗せてられるか! って言ってるみたいにさ。
 さっき俺と目が合った竜はサラの前に姿をさらした。偉そうに羽を羽ばたかせながら、一度だけ咆哮した。羽を動かす度に風がこっちに送られてくる。そんなもんいらねーっての。くれるなら平和を望む!
「……できるだけ見つからないようにしようと思ってたけど、見つかっちゃったものは仕方がないよね」
 ぽつりと漏れた少女の言葉。あのさ、それってかなり無理があるお願いだと思うんですけど。普通こんな狭い地割れの中に誰かが入ってきたら、竜じゃなくても気づくはずだって。しかも卵を奪おうとしてるんだぞ、俺たち。まるで悪役じゃん。
 少々相手を非難したい気持ちに駆られたものの、それより自分の命の方が大事だったので、結局俺は何も言わずにお二方の様子を傍観させていただくことにした。童顔少女は卵を抱えたまま腰から短剣を取り出し、相手の眼光に負けじと睨み返している。そこに何の意味があるかなんて考えちゃいけないぜ、こういうのは少年漫画のお決まりの見せ場なんだから。そして俺は枝の上で座り込んだまま、いつか枝が折れはしないかとひやひやしながら平静を装っているのであった。
 うーん、この先の展開はどうなるんだろう。ちょっと予想がしづらいぞ。
 いつまでも睨み合っていてもらちが明かないからか、サラは握り締めていた短剣を竜に向かって投げた。おいおいそんなちっちゃな武器で、あのぶ厚そうな竜の鱗を破れるのかどうか……などという俺の心配など完璧に無意味で、お二方は風のように速い動作をご丁寧にも俺に見せてくれた。ほほう、と感心している時間もなく、ただ音だけがしっかりと伝わってくるような居心地の悪さだ。サラの短剣飛ばし技が速いのなんのって。そいでおまけに、そいつをよける竜さんの動きも人間離れしている。いや人じゃないんだけどさ、まるで異次元のファンタジーのように……ああこれファンタジーだっけ? じゃ何だ、俺がただ単に弱っちいだけってことかよ。へっ、恨むならキーラを恨め! アカツキとやらの後継者として俺を呼び出しやがったのはあの大僧正様なんだからな。
「アカツキくん!」
「へっ?」
 またしょーもないことばっかり考えていたのが凶と出たのか、サラの声に反応してぱちくりとまばたきをすると、なんとまあ俺の目の前に竜の鋭く太い爪が見えるではないか。ああ竜さんってば標的を俺に変えたんだねと理解したのはほんの一瞬間のこと。だからつまり、とっても強そうな攻撃を俺が受けかけているということであって。
 ふっと浮かんだのは、自分の満身創痍な姿。
 え……まじで?
 ひきつった笑みを顔に浮かべたところで、世界は再び速度を増した。

 

 衝撃が顔に伝わってくる。
 皆さんさようなら。俺はどうやらここで終わりみたいだ。
 思い返せば短い生涯だった。やりたいことも見つからず、ただ学校で勉強ばかりさせられていた幼き日々。ようやく見つかった好きなことはゲームだったのに、格闘ゲームじゃなくRPGが好きだって理由だけでゲーセン仲間から追い出された青春時代。そしてようやく勝ち得たイギリス旅行を、妙な世界の高慢召喚師に呼び出されたせいで失ってしまった俺の全て。ろくなことがなかった人生。ああ、人生よ。人間なんて、そんなものさねー、という歌があった気がしたよ。
 最期は真っ暗闇の、なんにもない大地の割れ目の中で、童顔少女の隣でひきつった笑みを顔に張り付けたまま、俺は天に昇っていくんだってさ。
 …………。
 ってあれ。死んでねえし。
 そして俺は、真っ暗闇なのは目を閉じているからだということに気づいたのであった! うおお、なんて間抜けな! 慌てて目を開けると、そこにはまた驚くべき光景が見えたりするから面白くない。
 俺が攻撃を受けてなお死んでない理由。別に難しいことじゃなかった。サラの助けは届いていないし、ましてやどこぞの格好いい頼りになる人が突然湧いて出てきたわけでもない。もちろん竜の奴が途中で気が変わって攻撃をぴたりと止めたわけでもないし、俺はちゃんとそいつを真正面から馬鹿正直なほど堂々と食らっていた。それでも痛みも感じなかったし傷もつけられていないらしい。それは何故か?
 考えられる答えは二種類。一つは、竜さんは見かけ倒しで実は全然強くないんですようふふ、ということ。そしてもう一つは、キーラ曰く「魔法が使える数少ない人」の一員である平凡な少年豊君の防御力がとんでもなく高かった、ということだ。
 どっちにしろグッド。思わず顔がニヤけてしまう。むふふ。
「あ……アカツキ君、大丈夫、なの?」
 心配してくれたサラの声が聞こえてくる。つーか心配というより驚愕に近いか、これは。まぁ無理もないことだろうけどさ?
「ふはははは、竜よ、貴様の攻撃はこの俺には通用せんということが分かっただろう! 命が惜しくばここを今すぐ立ち去るがよい!」
 急に元気が出てきたので立ち上がって竜に話しかけてみた。言葉が通じているかどうかは知らないが、なぜか口調がキーラみたいになってしまった。伝染病だ。キーラ病だ。なんか、すっごい嫌なんですけど。
 竜はまた咆哮した。いやうるさいって、君。そして今度は翼アタックだ。乱暴に翼をこっちに打ちつけてくるけど、俺が感じられたのは、何か「物」が顔やら体やらに当たったなあ、ということだけだった。隣では何か宇宙人でも見るかのような視線が感じられる。ということはやっぱり、「俺の体は鋼鉄だ!」状態になっているということなんでしょうか。うん、きっとそうなんだよ。そうに決まってる!
 この鉄壁防御に恐れをなしたのか、竜は卵を諦めて地割れの奥底へと素直に帰っていった。俺の勝ち。誰がどう言おうと俺の勝ちだ。
「アカツキ君、魔法でも使ったの?」
「別に何もしてねーよ。それより早く帰りたいんだけどなー」
「あ、そうだった。じゃあ登ろっか」
 幼い顔をしたサラは、とっても可愛らしい笑顔を俺に見せてくれた。限りなくきらきらと輝く笑顔。清々しいほど純粋な笑顔。
「……サラさん今何とおっしゃいましたでしょうか」
「だから、ここを登るのよ」
 そして消え去る笑顔。
「竜でさえ追い払えるような強い青年が、地割れの中から生還できないなんてことはないわよねぇ?」
 見えるのは、無理と一言でも言おうものなら地割れの底へ蹴り落とすぞと言わんばかりの脅迫めいた表情だけ。
 これを何と表現すればいいのだろう。この可愛らしい表情の蔭を。
「は、ははは……」
 もう笑うしかなかった。

 

 

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