19

 腹立たしくなったのは、エゴのせいだけじゃない。

 

 室内は静まり返っていた。ただ一つ、ルイスと名乗った黒ローブの涙が床に落ちる音を除いては。
 泣いている人間を見ると、人ってのはどうしても感情移入して同情しがちになるんだよな。今だってきっと、キーラやサラやコクがそうなりかけてるんだろう。だからこれ以上踏み込んだことが聞けないんだ。なんだよキーラの奴なんか、今まで俺の気持ちなんて考えてくれなかったくせにさ。
「何の騒ぎだ」
 そこに格好よく登場してくれたのはお兄様。遅れて登場するあたりがヒーローっぽくて変に似合っている。ちょうどよかった、ソルなら俺の苛立ちも分かってくれるはず。少なくとも感情に流されたりはしないはずだ。
「別の世界から来たらしいこの子供がさ、俺を絶対に元の世界に帰さないとか言うんだ。しかもこいつ、なんか魔法が使えるらしくて」
「魔法が使えるだと? それで、名前は?」
「ルイスって言ってた」
 ソルはちょっと眉間にしわを寄せた。何かを気にしている様子だ。もしかしてこいつのこと知ってたとか?
「どこかで聞いた名だな……」
 そして顎に手を当て、考えるポーズになるお兄さん。しかし、そう言われてみればどこかで聞いたことのある名前のような気がするぞ。ルイス。ルイス。ルイス――と言えば酸と塩基の定義! ってここは異世界だった、俺の世界のことは関係ないじゃん!
「まあ、いい。そんなことよりお前たち、明日はルーチェの所まで行くんだ。充分に休んでないと途中で倒れるぞ。そうなってもおれは助けないからな」
 それだけを言い残し去っていくお兄様。ああ待ってくれソル、そんな冷たい台詞だけくれたって嬉しくも何ともないんだから。
 しかし俺の気持ちをほんの少しも理解してくれなかったソルは帰ってくることはなく、再び気まずい沈黙が空間を支配したのであった。駄目だ、こんなんじゃ駄目だ。どうにかしないとまた俺が嫌な奴のようになってしまう。
「と、とにかくお前が何を考えてんのか知らないけど、俺は元の世界に帰りたいんだ。それを邪魔していい権利なんて誰も持ってないはずだろ。お前が何者かってことは聞かないでおいてやるから、分かったら……もういい加減泣き止めよ」
 エゴだと分かっていても相手の涙が気になる。やっぱりなんだかんだで、泣いてる人を相手にすると必要以上に気を遣っちまうもんだ。それが分かったのっていつの頃だっけ? そんなもの、もう忘れてしまったはずだったのに。
 ちらりとルイスの顔を見ると、涙は跡を残しながらもぴたりと止まっているようだった。ふう、やれやれ。これで俺が悪者扱いされなくてすむぞ。
 けど、やっぱり変な奴だよな、こいつ。最初は宙に浮いての登場だし、人を馬鹿にしたような悲観的なことを言ったり、俺を元の世界に帰さないと言ってきたり、キーラやサラをガキ呼ばわりしたり。そうかと思ったら今度は目を見開いて涙を流しながら気絶したり、咳をして起き上がったら下に俯いて黙したり、怒った俺の質問に泣きながらも落ち着いて答えたり。最初と今の印象じゃかなり違う。それってやっぱり、顔を隠してたフードを取ったからなんだろうか。
「私は」
 考え込んでいるとルイスが口を開いた。自分から口を開くなんてちょっと予想外だったので軽く驚く。しかしルイスはこっちを見ていなかった。目の前の床を睨みつけるようにじっと見ていた。
「私はお前が嫌いだ、白石豊」
 そうして吐き出された告白に、俺がむっとしなかったわけがない。

 

 その後、ルイスは座り込んで動こうとしなかった。キーラやサラが何を聞いても少しも答えようとせず、虚ろな瞳を床に向けたままじっとしていた。それでとうとう二人は諦め、ルイスをその場に残して部屋を出て行ったのだった。それに続いてコクも去り、俺だけがぽつんと残されてしまうという結果になってしまった。
 しかし俺はもうルイスのことは考えないようにした。何だか知らないまま邪魔をされ、何だか知らないまま嫌われるのは気分がいいものじゃなかったけど、それでも何も話してくれないんだから考えたって意味がないと思ったんだ。何より俺もルイスが嫌いになりかけていた。だってルイスが来たせいで、あの嬉しかった気分が全部めちゃくちゃになっちまったんだぞ。人が喜んでるところに水をさして、さらに不愉快なことばっかりしてきやがって。挙句の果てには泣くんだもんな。泣いたら何だって思い通りになるって思ってるんじゃないだろうな?
 あーあ、余計に帰りたくなってきた。ルイスのせいで何もかもが嫌に思えてくる。ルイスも、大僧正様も、童顔少女も、俺自身も。
 自分でも無駄によく分かる。これじゃ俺、ただの嫌な奴だ。頭の中で人の悪口ばっかり繰り返してる。口に出さないだけましなんだろうけど、なんか、こう……口蜜腹剣みたいで嫌だ。こういう人にだけはなりたくないって思ってたのに、なんで。
 いつまでもぼんやりしていても仕方がないので、俺もキーラたちと同じようにルイスを残して部屋を出ることにした。一緒の部屋にいたっていいことなんてなんにもないもんな。とりあえず空いていた隣の部屋に入り、ぴしゃりと扉を閉めておいた。
 たったそれだけで大きなため息が出てくる。ああ、本当なら今は有頂天で絶好調な気分だったはずなのに、深く重い悩みのせいで何もかもが本当にパァだ。こんな時に救ってくれるのがソルの役目だろうに、肝心のお兄様は俺に優しい言葉をかけてくれないんだ。
 まだ脳裏にルイスの言葉がこびりついている。
 俺を元の世界に帰さないって、一体何をするつもりだったんだろう。

 

 

「準備はいいか、豊」
 キリッとした表情のソルが短く問う。その言葉に俺は素直に頷くことができなかった。
 結局あれからルイスのことは無視して朝を迎えてしまった。初めてこの世界でメシを食べたけど、はっきり言ってあんまし覚えていない。なんか町が植物園だけに葉っぱばっかりだった気がするが、特に珍しいものが見られたわけでも、妙な味がしたわけでもないので、記憶に残らない淋しい最初の晩餐となってしまったというわけだ。
 そして日付が変わり、むっくりと起き上がると、ソルが厳しい顔つきで早く準備をしろと急かしてきた。なんだか逆らってはいけないオーラを感じたので言われるがままに準備をしたのだが、キーラやサラまでソルに急かされていたので、ちょっと可笑しくて笑ってしまった。
 準備が終わると町の入り口まで引きずられた。その途中でコクやディトがお見送りをしてくれた。あいつら、のんきそうに手を振ってやがったんだ。こっちの気も知らないで、本当に平和そうな顔してさ。
 それで今に至るわけだが。俺を悩ませる種であるルイスは、なんだか知らないがまだキーラの家で座り込んでいるらしい。姿を見てないから本当かどうかは知らないけど、わざわざ確かめに行くのもしんだかったので忘れることに決めたんだ。
「ルイスって子、一人にして大丈夫かしら」
「別に大丈夫だろ」
 サラは必要以上にあいつの心配をする。嫉妬ってわけじゃないけど、今はあいつを好きになれないからなんだかむっとするんだ。
「ふむ、確かに一人にするのは危険だと思われるが、あの者はアカツキに対してのみ敵対意識を抱いているようだった。ならばアカツキのいなくなったあの町の中では、あの者は何もしないのではないだろうか」
「そんなことはどうでもいい。もう行くぞ」
 キーラの演説を完璧に無視したソルが歩き出す。いやいや君たち仮にも兄弟なんだから、もうちょっと仲良くしたっていいんじゃない? などということを口に出したらまたどーのこーのと文句を言われそうな気がしたので、とりあえずお兄様に倣って俺も歩き出してみた。
 ここから長い旅が始まる――というゲームのようなシーンになっているわけだが、それはあまりにもあっさりと壊されることとなった。なぜなら前方に人影が見えたからだ。赤茶けた大地の向こう側から、一人分の影がぽっこりと出ている。それは最初は遠くの方にうっすらと見える程度だったが、俺が気づいて足を止めた頃からどんどん大きさを増し、「えっ」と思う暇もなくすごいスピードで接近してきて、次にまばたきをした時にはもう目と鼻の先に見知らぬ人物が立っていた。つーか速っ! どこのベルトコンベアーに乗ったんだよ。
「ルーチェ殿!」
 驚いた様子でキーラが叫ぶ。うお、この人がルーチェなのか? なんて妙な登場! やっぱり変人に違いない!
「大変なことが起こりました」
 そうして放たれる声は、まるで無機質な機械のような声だった。相手は頭に白い布を被り、その両端からお下げにした茶髪が垂れていた。研究者というより魔法使いっぽい赤茶けた色の服装をしており、顔には何一つとして表情を貼りつけていない。口では大変なことが起こったと言っているくせに、まるで平然としているように見えて仕方がない。やばいぞ、これは、冗談が通じず自己主張が強く適当に扱えないタイプの人だ。ちくしょー、なんでこの町の住人はこんなに癖のある奴ばっかりなんだよ。
「大変なこととは、一体何が起こったのだ」
「アロウィルロドラトスライドル・ナロイナイオルカケラトズラに超音波式無脊椎時空転移装置『ペニヒャロリャー号』が盗まれました」
 ……ぺ、ぺにひゃろ?
 ルーチェとかいう科学者は無表情のまま、それも感情を表に出さない無機質な声のままでキツイことを言ってくれた。いや、これはもうキツイとかそういうもんじゃない。むしろ……惨い。
「盗まれた? それって、アナがその時空転移装置を使ったってことなの?」
 驚きつつ質問するサラさん。いや、その。なんでそんな普通にしてられるの君たち。ぺにひゃろって何なのとか聞かないの?
「まだ使ったかどうかは分かりません。しかし壊さずに盗んだところを考慮すると、使用する目的で持ち去ったと考えるのが妥当でしょう」
「それは分かったが、ルーチェ、一つ頼みがある。ここにキーラが召喚した少年がいるんだが……」
 怪しい研究者に話しかけていたソルがこちらをちらりと見てきた。え、俺? 俺に何か用? ぺにひゃろで頭がいっぱいで何も聞いてなかった。
「こいつを元の世界に帰してやってほしいんだ」
「要するに一時的空間破壊装置『リュンドゥル』を使いたいということですね。ですがそれも無理です。何者かによって破壊されましたので」
「何者か、だと?」
「ええ、一瞬のことでしたので犯人は分かりませんが」
「……だそうだ、豊」
 ぺにひゃろよりマシだ!
 じゃなかった、えーと、つまり俺は帰れないってことか。な、何だよ。結局楽には帰れないんじゃないかよ。はあ。
「だけどアナ、時空転移装置を使って何をするつもりなのかしら?」
「時空転移をするのではないのか?」
「そんなこと分かってるわよ、その後どうするつもりかって言ってんの!」
 ばこん、といい音が周囲に響いた。サラとキーラの漫才だ。何やってんだろうこの二人。
「未来に行って研究の手がかりを探す、あるいは過去に行って歴史を変革するのではないでしょうか。どちらにしろ厄介ですね。すみませんが皆さんで彼女を追いかけてください」
 は? 何言ってんだコイツ。俺が話に入れないのをいいことに、ルーチェとかいう研究者は勝手に話を進めていた。俺が何か文句を言ってやろうと前へ一歩踏み出すと、だんっ、と地面を思いっきり踏みつけてきた。びっくりして出しかけていた足が中途半端に宙に浮いたまま止まってしまった。俺の意見は聞きたくもないってか? くっそー、やっぱ俺の予想した通りの性格だったか!
 と思ったがそうではなかったらしい。ルーチェが踏みつけた地面から、バラバラと何やら鉄の塊みたいな物が湧いて出てきたのだ。それはやがて一つに固まって変形し、板状になってルーチェの足元にぽとりと落ちた。
「ルーチェ殿、これは何なのだ」
「移動用荷物運搬機『ぴろ』です」
 そしてネーミングセンスゼロの名前を真顔で答えるルーチェ殿。ぴろって何やねんぴろって! どっから出てきたんだ!
「さあ早くこれに乗ってください」
 怪しいルーチェ殿はキーラとサラを両手で引っ張り、自称「ぴろ」の上に乗せた。続いてソルと俺の服を掴み、ぐいと強い力で引っ張ってくる。ちょっと待ってよ、なんで俺までついていかなきゃならないんだ! 慌てて相手の手を振り払おうとしたが、無表情のくせに力が強いのなんのって。必死で抵抗したが努力は報われることがなく、気がつけば俺は「ぴろ」の上にどんと立っていた。
「では行きますよ」
「い、嫌だあああぁぁぁあああ!!」
 堪え切れなくなって思わず叫ぶ。しかし俺の悲痛な声は虚しく周囲に響くだけで、「ぴろ」は新幹線よりも速いスピードで大地の上を滑るように進むのであった。

 

 

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