20

 何を予想すれば平気でいられるだろう。
 何を想像すれば平穏に気づくだろう。

 

 茶髪のルーチェ殿は黙って前を見ていた。「ぴろ」がすごい勢いで進んでいくにもかかわらず、涼しい顔をしてその上に座り込んだままで。
 そんな天才科学者様は俺たち一般人の心配を少しもしてくれない。こっちは「ぴろ」に振り落とされないように、名ばかりの「座席」にしがみついているので精一杯だっていうのにさ。この座席とやら、「ぴろ」の上に後から取ってつけたように置かれてあって、見るからにすぐにすっ飛んでいきそうなほど不安定なんだ。しかも座席のくせにどこからどう見てもただの椅子にしか見えず、素直に座っているだけでは空気の抵抗とか何やらの影響をモロに受けちまうんだ。だから俺たちはこいつの脚にしがみついて飛ばされないように踏ん張っている。踏ん張って、踏ん張って、前も見えないくらいのスピードを、なんでわざわざ異世界で体感しなきゃならないんだよ!
 ああ。もう帰りたい。でもルイスとかいう奴が何かしてきそうで怖い。俺にはもう運は残ってないとでもいうのか。
 そんなことを考えているうちにも「ぴろ」は前進を止めることはなく、何もない淋しい荒野の上を走る走る。時に魔物の群れをばらばらにさせ、時に大地に空いた大穴を飛び越し、時に町の名残である瓦礫を舞い上がらせる。だけど「ぴろ」は前進をやめることはない。たとえどんな障害があろうとも、「ぴろ」は止まることができない――いや、止まってはいけないのだ! なぜなら「ぴろ」は、そう、「ぴろ」は、ただ進み続ける為だけに作られたものなのだから!
「何をニヤニヤしているのだ、アカツキよ」
「ふへっ?」
 はたと気づけばキーラが不思議そうな顔をしてこっちを見ていた。俺と同じように座席の脚にしがみついている威厳のない大僧正様がこっちを見ていた。
「別にニヤけてなんかねーって」
 とりあえず否定しておく。俺はニヤけてない。確かに「ぴろ」の話を作り上げたりはしたけど、断じてニヤけてなんかないぞ、ああ!
 つうか誰が自分で考えたネタで笑うかっつの。笑いを作るのは芸人の仕事、そしてそれを見るのが俺たち一般人の特権。俺を勝手に芸人にするな。どう考えたって俺は一般人だろ。
 つまらないことを主張しようと口を開きかけると、ぶわっと体が浮いたような感覚に陥った。ちらりと地面を覗くと底の見えない大穴が見える。天才科学者ルーチェ殿の作ったナントカ運搬機『ぴろ』はこいつを飛び越える最中らしい。おお、頑張れぴろ。その穴を越えた先の未来は輝いているぞ、きっと。
「着きましたね」
 いい加減なことを心で「ぴろ」に話していると、ルーチェ殿は無機質な声を発した。機械の作りすぎで自分も機械になっちまったのか、この科学者様は。
 大穴を越えたと思うと「ぴろ」はぴたりと止まった。それこそ何の予兆もなく、卒然に。そうなりゃ当然その後に起こるべきことは容易に予想できてしまう。どうなるって、そりゃ、前方にぶっ飛ばされるに決まってんだろ。畜生、なんでこんな間抜けな名前した機械に飛ばされなきゃならないんだ。俺は気合いで座席の脚を強い力で握り締めた。今持っている全ての力を振り絞って、座席の足にしがみついたんだ。誰が飛ばされるものか。お前なんかに飛ばされてたまるかよ!
「……アカツキくん、何してるの?」
「何してるってサラ、そりゃこのぴろとかいう奴に絶対に負けてたまるかと踏ん張ってんじゃねーかよ」
「踏ん張る必要がどこにあるんだ」
 サラの問いに答えた次に降ってきたのは、一種の嘲りと呆れの混じった冷たい冷たいソルお兄様の一言だった。なんでそんな平気にしてられるのかと思い周囲を見てみると、淋しい荒野の上になんと「ぴろ」が無事に止まっているではないか。それも、俺たち一般人を無残にも振り落としたりせずに。何、これって奇跡? ミラクル? それとも俺の運が急によくなったとか? おみくじの結果を見る限り、今年は絶対に運が悪いと思ったんだけどなぁ。しかしそれならとっても嬉しいんだ、だって元の世界に帰れる可能性だってゼロじゃないって分かったのだから。
 そう、この世の中は全て運によって構成されているんだ。運が良ければ幸福になる、運が悪ければ不幸になる。それこそが世界の理ってヤツだ。誰もが否定しようとするけど、いざ否定しようとすると必ず屈服してしまうというなまめかしい真実。
「早く立て、豊」
「えっ」
 俺が一人でたそがれていると、お兄様にぐいと腕を引っ張られて立たされてしまった。お兄様ってば結構力がお強いんですのね。さすが成人だ。俺やキーラとは違うってことか。
 開けた視界には他と変わらない荒野が映っていた。っていうか俺たちってどこに向かってたんだっけ? それ以前にまだ何が起こったかってこともちゃんと把握できてないのにさ、突然こんな荒野の真ん中に放り出されたって意味不明だっつーの。
「私についてきてください」
 ルーチェ殿の声と共に「ぴろ」はぱっと姿を消した。さようなら、ぴろよ。お前の活躍は後世の何世代にもわたって語り継がれることであろうよ。うむ。
 などと俺が「ぴろ」との別れを悲しんでいると、ルーチェ殿はいきなり地面を踏みつけた。それも大きな音を周囲に響かせながら。なんか前にも見たな、この光景。今度は一体何が床から飛び出すのだろうか。
「この先が私の研究室です」
 地面からは何も飛び出してこなかった。代わりに一つの穴がぽっかりと開いていた。よく見るとそこには梯子のようなものが吊るされており、暗い穴の中にひっそりと伸びている。まさか地下に住んでんのか、この天才科学者様は。なんでわざわざ? やっぱ科学者ってわけ分かんねー。
 真っ先に穴に飛び込んだのはそのわけの分からないルーチェ殿だった。慣れた手つきで梯子を下りていき、あっという間に暗闇に姿を消す。次にソルが下り、サラもそれに続いた。
 そうして二人だけが残ってしまう。
「さあアカツキよ、次は君の番だ」
「は? お前先に行けよ」
「私は最後に行くのだ」
 わけの分からない奴がここにもいた。なんでこう、異世界の連中ってのは妙な使命を作り上げてしまうんだろう。しかもそういうのに限って後々面倒なことになるんだ。それって結局、自分にとって得なことを他人に押し付けてるだけだろ?
「あ、もしかして大僧正様。暗闇が怖いとか? 乙女だなー」
「誰が乙女だというのだ。私は断じてそのような――」
 ぴたりと台詞を途中で止めるキーラ。不審に思って大僧正様の様子を窺ってみると、相変わらず偉そうに腕を組んでいたが、その表情はみるみるうちに通常のものから驚きのそれへと変わっていった。目線は俺に向けられているわけでも穴に向けられているわけでもない。どこか遠くのお空でも睨んでいるかのように、口を半開きにしたままで全ての動作を止めているように見えた。なんか間抜けだ。言っちゃ悪いけどさ。
「……ルイス?」
「えっ?」
 大僧正様の口からぽろりと漏れたのは、俺でもよく知っているはずの名前。慌ててキーラと同じ方向を見てみると、まぁまぁ本当にちゃんとルイス様がいらっしゃるではないか。ご丁寧に顔をフードで隠し、初めて会った時と同じように宙にぷかぷかと浮いている。
「何しに来たんだよ。ナントカって機械が壊れて俺は元の世界には帰れないって言われたから、ここに来たって無駄だと思うけど?」
「こら、アカツキよ。そのような態度は失礼だろう」
「だってこいつ敵じゃん!」
 なんでわざわざ敵に対して丁寧な応答を心がけねばならんのだ。敵といえば敵なんだ。同情したらそこで終わりさ、倒すべきものを見失った勇者は、堕落していく他にはないんだから。俺は勇者じゃないけどそーいうのは嫌だ。だから敵と味方の区別くらいはっきりさせておきたいんだ。
「狭いな」
 俺の言いたいことが分かったのか、ルイスはそんなことを言ってきやがった。このヤロ、やっぱフードを被ってる時と被ってない時のギャップが激しいぞ。
「へんっ、何が狭いっつーんだよ! 言いたいことははっきり言え!」
「お前の視野が狭いと言っているんだ」
「視野? 俺は緑内障じゃねーぞ、おい」
 何を言っているのかと思ったら、なんだかわけの分からないことを言っているらしい。ここにもいたんだな、わけの分からない奴が。これで何人目だよ。多すぎだっつの。
「アカツキよ、リョクナイショウとは何だ?」
「うっせーな、なんで俺がそんなことをいちいち説明しなきゃならねーんだよ!」
 おまけに大僧正様は妙なところでうるさいし。しかしこの世界には緑内障ってないんだな。平和な所だのぉ。うんうん。
「そ……」
 ふと気づけばルイスの様子が変わっていた。なんだよ、俺は別に変なことはしてねーだろ? それなのにルイスは顔を下に俯け、どこか怒っているようにも見える。
「そういうことを言っているんじゃない!」
「げっ!」
 俺が悠長にルイスの観察をしていると、なぜかキレたルイスが魔法みたいなものをこっちにぶつけてきた。そいつはただの白い光だったけど、真正面から受けちまった俺としては眩しいったらありゃしない。
「アカツキ!」
 この状況に慌てたのか、キーラの声が聞こえてきた。そしてぐっと服を掴まれる。おいおいそんなことしたら服が破れるぞ。ただでさえ安い服を着てるんだから、もう何度布が破れたことか。
 そしてその心配が現実に変わるように、すぐ近くからビリビリという効果音が響いてきた。うわぁやべえ! 俺のこの世界での一張羅が! あほ大僧正に殺される!
「離せ、離しやがれ、キーラ!」
「駄目だアカツキ、この手を離すことはできん!」
「あほっ、俺に恥をかかせる気か!」
 そうやってもみ合っていても白い光は消えることはなく、いつしか周囲の景色の全てが真っ白に染められていた。それに気づいて俺は言い争いをやめたけど、時すでに遅し、どうやら俺とキーラは大変なことになっているらしいぞ。
 ああもうなんでこういう時に一緒にいるのがキーラなんだよ、とか何とか考えていると、ぱっと周囲の白が消えた。そこに見えるのは赤茶けた淋しい大地だったらよかったのに、悲しいかな、お約束のように見えるのは全く見知らぬ世界の景色なんだ。
「おお、ここはどこだろう」
 なぜか感嘆詞付きで疑問文をおっしゃっているキーラさん。矛盾だよソレ。何が「おお」だ。
 なんかこう、変なことに巻き込まれてばかりだと、自然に諦めの精神が身についてくるんだな。俺はもう何もしたくない。全てに対して面倒臭い。前からそう言い続けてきたはずなのに、いつしかその精神を忘れていたんだ。いけないぞ、それでは、身が持たなくなってしまう。だから俺はまた諦めることにしたんだ。
 上を見上げると空が見えた。美しい自然に囲まれた、四角くない青い空。いつか日本でも、こんな空がどこからでも見えるようになってほしいと俺は思ったんだ。
 だって夢は、誰がどんなものを見ても許されるんだろ?

 

 

前へ  目次  次へ

inserted by FC2 system