22

「いやぁ、あんたらのおかげで本当に助かったよ! 何かお礼をしなきゃならないな。何でも好きなことを言ってくれ! あ、そうだ、このことを司教のおっさんにも知らせないと!」
 輝かんばかりの笑顔を見せながら、死体運びの兄ちゃんは早口に何やら喋っていた。
「それにしてもよくこんな大きな穴が掘れたよなぁ。一体どうやったんだ?」
 それはほんの数分前。兄ちゃんはこの墓地に死体を埋めに来たらしく、新しく穴を掘る必要があった。しかし彼が訪れた頃にはすでにキーラの掘った穴が開いており、それをいいことに死体をその中に放り投げてしまったのだ。そんな適当な場所でいいのかと思ったが、俺が口を挟む暇もなく穴に土を入れ始めたので、なんだかもう何も言いたくなくなってしまったのであった。そしてその作業が終わるとこれである。
「召喚を使えばこの程度の穴など、簡単に掘ることができるのだ」
「召喚?」
 やはりと言うべきか、こいつが自分で掘ったわけではなかったらしい。そりゃそうだ、ひょろひょろしたモヤシな奴がこんな大きな穴を掘れるわけがない。しかし死体運びの兄ちゃんは召喚にピンとこなかったのか、何やら不思議そうな目で大僧正様の顔をまじまじと見ていた。
「まあ何だっていいや。とにかく司教にこのことを知らせたい。ついてきてくれないかな」
 とか何とか言いながら、死体運びの兄ちゃんはすでに俺とキーラの腕を引っ張って歩き出していた。問答無用ってか。酷い奴だな、おい。
 しかし司教だとか、また偉そうな人が出てくんのかなー。もうこの大僧正様で充分だよ、偉そう人間は。
「アカツキよ、シキョウとは何なのだ」
「は? 司教って言ったら……偉い人だろ」
 歩きながら妙なことを聞いてくる大僧正様。確かにあのレーベンスの町には教会らしき建物は見当たらなかったけど、だからといって司教を知らないなんて――まるで世間知らずだ。こいつって召喚とか使えて頭いいのかと思ってたけど、肝心の常識が明らかに欠けているような気がしてきたぞ。うーん、これは困った。どうしようもなく困ったことだ。
 そうやってのそのそと歩いていると、あっという間に大聖堂らしき建物に着いてしまった。ずいぶん立派そうな建物だ。あの植物園さながらのレーベンスの町とは異なる雰囲気を醸し出しており、いかにも「神の御前!」って感じの厳かな空気が流れている。高層ビルには及ばないが非常に高い建物であり、見上げていると首が痛くなりそうな気がしたのですぐにやめた。
「おーい、こっちだぞ」
 俺とキーラがぼんやりと建物を眺めていると、すでに離れた場所にいた死体運びの兄ちゃんが声をかけてきた。彼の行く先には質素そうな扉があり、それはあまり建物に似合っていなかった。
 慌てて兄ちゃんの元へ行くと、彼は一つ頷き、扉に手をかけた。そして両手でドアノブを掴み、なにやらガチャガチャやり始めた。扉を上下に揺すったり、足で蹴ってみたり、ドアノブを何度もくるくる回したり。これって現代でもよく見る光景だよな。特にぼろい家なんかでは。
「ちっ、今日は調子が悪いな」
 しばらくドアと格闘していたがドアはなかなか開かず、ついに兄ちゃんはおもむろに懐から分厚い本を取り出した。……ってなんでここで本? 鍵の技法でも書いてあるのか? なんだかまた変なことをしそうで怖くなってくる。
「おりゃ」
 小さなかけ声。それと共に聞こえたのは、ドアが壊れてバラバラになる音。
 なんとこの兄ちゃん、大事そうに持ち歩いている本でドアを殴り、見事なまでに粉砕してしまったのだ。いくらぼろそうなドアといえども、仮にも住まいを泥棒から守るべく設けられた物なんだから、すぐに壊れるような門ではないはずだ。それをいとも簡単に破壊してしまうとは、この時代の人は皆こうなのか? ……俺、じっとしてよう。
「さあ、行くか!」
 そして晴れ晴れとした顔を向けてくるし。もう何と言っていいのやら。
 無残にも破壊された扉をくぐり、大聖堂の中へと足を入れる。ほお、これが大聖堂の内部か。無駄に天井が高く、床や壁が綺麗に磨かれてピカピカしている。教会ってもっと質素な場所かと思っていたけど、俺の世界と異世界じゃ結構違うもんなんだな。ふむふむ、なるほど。
「ちょっと狭い通路だけど、ちゃんと――」
「ヴィノバー・エルノクレス!!」
 兄ちゃんの言葉を遮るかのように、誰かの大きな声が通路いっぱいに響いてきた。そのあまりの大きさにこっちがびびってしまった程だ。大聖堂の中じゃ静かにするのが常識じゃなかったのか? あーもう、異世界ってのはわけ分かんねえことばっかりじゃないか!
 前方からずかずかと高貴そうな服を着たおっちゃんが歩いてくる。若干頭が禿げかかっており、表情は歪んで顔は真っ赤だ。今にも火を噴きそうな勢いで死体運びの兄ちゃんの前で足を止め、小さい目で懸命に兄ちゃんを睨みつけているようだった。
「まったくお前という奴は、何度言えば分かるというんだ! 大聖堂の扉をこれで幾つ壊したかお前は知っているか? そればかりでなく、妙な連中まで大聖堂に連れ込むなどと! ああ、頭が痛い。お前さえいなければ、ここはもっと平和になったはずなのに――」
 おっちゃんの一人演説を兄ちゃんは黙って聞いていた。目をそらすこともなく、口も挟まずに、ただ黙って。
「そこどいてくれ。通れねえから」
 相手が静かになるのを待ってから、兄ちゃんはそれだけを言った。そして力任せにおっちゃんを脇へ押しやる。そのまますたすたと足早に進んでしまったので、俺とキーラも慌ててその後を追うことにした。
 なんだか知らないが嫌な感じだ。あのおっちゃん、死体運びの兄ちゃんのことが嫌いなのか? それにしては嫌な感じが強すぎる。大聖堂ならもっと穏やかになれるはずだと思っていたのに、どうして。
「アカツキよ、我々はそんなに妙か?」
「そりゃーお前、普通なら過去から未来に旅行することなんてできないんだからさ、妙って言われても仕方ないだろうよ。それにキーラはすんごい大僧正さながらの格好だし……」
 そういえばキーラって聖職者に間違われたりしないのかなー。これだけ偉そうで「いかにも!」って格好してたら、間違える人の一人や二人くらいいそうなものだし。もし間違えられたらここに置き去りにすることだってできそうだ。それはそれでいい案かも。
「司教の部屋は四階だ。はぐれずについてこいよ」
 振り返った死体運びの兄ちゃんは、最初会った頃と同じ表情で俺たちを見てきた。あのおっちゃんに言われたことを少しも気にしていない様子で。平気そうな顔をするから、本当のところがなんにも分からないんだ。

 

「ちょっとヴィノバー! 部屋を土で汚さないでよ!」
「うっせーな。掃除すりゃ綺麗になるだろ」
「そういう問題じゃない!」
 司教って人がいる四階へ辿り着くまでに、幾つもの山を越える必要があった。その一つ目で俺はすっかり疲れてしまったということは言うまでもない。
 死体運びの兄ちゃん――名前はヴィノバーっていうらしいけど、彼が廊下や部屋を通るたびに周囲から異常な反応が起こるんだ。その大半が文句に近いもので、彼に対して好印象を与えるものは一つもなかった。どうやら皆さん揃って彼のことが嫌いらしい。そうとしか思えないんだから、きっとそういうことなんだろう。そりゃ、どうしてそんなに嫌うのかなんてことは知らないけどさ。
「いいよな優等生は。俺たちはテストの為に勉強してるっていうのに、お前は遊んでいられるんだもんな」
「ちゃんと勉強しなかったお前が悪いんだろ」
「お前はいつも司教様に贔屓(ひいき)されてるだろ。俺たちとお前を一緒にするな!」
 四階に行くには図書室を横切る必要があり、そこには大勢の修道僧がいた。その誰もが必死に本と睨めっこをしており、相変わらずヴィノバーに対して文句を言ってきた。しかもなんかちょっと変な文句だ。そんなこと言う暇があったら勉強しろよ、と言いたくなってしまう。
 ようやく三階に着いたと思うと、今度は人が一人もいなかった。完全に静まり返っている。えらい極端だな、ここは。部屋の面積は減っていたが、煌びやかさだけは増加しているようだった。
「この上が司教の部屋だ」
 一つの階段の前で立ち止まる。この先に司教って奴がいるんだそうだ。今度は一体どんな偉そうな人なのか、想像しただけで疲れてきたぞ。なんかもう上がりたくなくなってきた。
「つーかなんで俺たちがその司教って奴に会わなきゃならないんだよ」
「だから、お礼がしたいんだって、俺は。あんたらのおかげで仕事が減ったのは事実なんだから」
 お礼をするだけならわざわざ偉い奴に会わなくたっていいじゃないか。どこか間違ってるぞ、この死体運びの兄ちゃんは。
 でも、まあ、悪い話じゃないからいいか。お礼なら素直に受け取っても支障はなさそうだ。いらないものなら断ればいいことだし。
 気持ちを切り替えて階段を上がっていく。偉い人ってのはどうしても高い所にいたがるんだよな。ナントカは高いところが好きってよく言うけど、じゃあ偉い人はその「ナントカ」に分類されるのだろうか。そう考えるとなんだか笑えてきた。
「おっさん!」
 部屋の中には一人の若い男がいた。赤い髪に黒いローブ。ちょっと怪しげな格好だな、それ。あんまり聖職者っぽくない服装だったので軽く驚いてしまった。
「だから、私のことを『おっさん』と呼ぶなと何度言ったら――」
 机の上に置いてあった本から目を離し、こちらを見てくる相手。そしてなぜか俺と視線が合ってしまった。
「おや、客人か。これは失礼しました」
 急に礼儀正しくなる。何なんだよそれ。っていうか俺たちって客人なの? 別に目的があって来たわけじゃないんだけどなー。
 司教は開いていた本をぱたりと閉じ、ゆっくりと歩いてこちらに近づいてきた。丈の長すぎるローブを引きずって歩く様は、確かに偉い人に見えなくはない。
「それで、ヴィノバー。彼らは一体?」
「こいつらは俺の仕事を手伝ってくれたんだ。それでお礼がしたくてここまで連れてきたのさ」
「なるほど」
 ありゃ、この司教様はヴィノバーのことが嫌いじゃないんだな。他の連中は何かにつけてヴィノバーに文句を言っていたのに、この司教は文句なんか一言も言わない。そりゃこれが普通なんだろうけど、下の階ではさんざん言われまくってたからなぁ。それこそ同情してしまいそうなくらい、可哀想なものだった。
「で、なんか話を聞いてたら、こいつら過去から未来に来たとか言ってるんだ。何の為に来たのかは知らねーけど、司教のおっさんなら何か力になれるんじゃないかと思って」
「過去から?」
 ヴィノバーの説明に、司教は当然のごとく首をかしげる。そうそう、これだよ一般の反応は。まず第一に怪しげなことを聞いたら首を傾げるもんだろ。その後に真偽を確かめるのが筋であるはずなのに、この死体運びの兄ちゃんは疑心暗鬼がどうのこうのって言ってすぐに信用しちまったんだよな。まあ俺としては、四字熟語を知ってる奴に悪い人はいないと思いたいところだけど。
 赤い髪の司教様はしばらく俺の目をじっと見ていたが、今度は何やら困った顔をした。それはもう傍から見れば悩んでいることがよく分かるくらいに。うわぁこの人聞いてほしいんだ、「どうしたの?」って聞いてほしくてこんな顔してるんだよ絶対。どうやら未来でも人間ってのはあまり進歩してないらしい。わざとらしすぎるんだよ君たちは。
「んだよ、何か言いたいのかよ、司教」
 そしてストレートに聞くヴィノバーさん。どこぞの劇場にいる気分になってきた。
「あ、いや、何でもないんだ」
「何でもないことないだろ。悩み事か?」
 ああもう勝手にやっちゃって。俺は知らない。知らないったら知らないぞ。
「なあキーラ、内輪話が始まったから俺たちはそそくさと退室しようぜ」
「司教殿よ、悩みを一人で抱えるのはいけないことだぞ。さあ、我々に話してみるがよい」
 聞いちゃいねぇ。
 しかし偉そうだな、この大僧正様は。大聖堂の司教様に上から目線かよ。明らかに格が違うはずなのにそんなことはお構いなしだ。正直見ていてむかつく。
「そうだぜおっさん、話だけでも聞いてやるから」
 何、こういうのってお人好しっていうの? 何でも首を突っ込みたがる人ってのは、一緒にいると面倒臭いから嫌だ。そして自分はとってもいいことをしている気分になってさ、周りの人に迷惑をかけてることにも気づかないんだ。たった一人を救うために大勢を犠牲にする、ってヤツ。俺は嫌いだ、そういうの。
 確かに何かを犠牲にしなきゃ何も救えないってことは分かってるけどさ。実際、犠牲になる立場に立ったりしたら、誰だって「なんで自分がこんな目に」って思うもんだろ? それと同じだ。
 一つのため息が聞こえた。それはきっと自嘲なんだってことが分かった。ちらりと司教殿の方を見てみると、黒いローブの下から真っ白な封筒を取り出した。それをヴィノバーに無言で手渡す。
 封筒を裏返して兄ちゃんは差出人を確認する。その隣にいたキーラがひょいと体を乗り出し、封筒に書かれた文字を盗み見しているようだった。お前なぁ。
「イノスィール=シェオル? 誰だそりゃ」
「現在のエンデ教の教祖だ」
「ああ! あの新興宗教の!」
 どうやら兄ちゃんには思い当たるところがあったらしい。しかし過去の時代遅れな俺たちにとっては、そんな横文字の名前を言われたところで何一つとして理解できない。ふっ、流行遅れな引きこもりの現代っ子には辛い現実だぜ。つーか日本人はなぁ、あまりにも宗教に疎すぎるから、そんな新興宗教とか興味ないんだよ。やっぱりもう「勝手にやってろ」って言って帰りたい。
 俺の気持ちに少しも気づいてくれない人々は、さっさと封筒の中身を確認し始めていた。白い封筒から白い紙が一枚だけ出てくる。
「我々エンデ教はラットロテス及び全世界の教会に対し、この手紙をもって宣戦布告を行うこととする。我々は降参を認めず、我々を打ち負かす以外に貴殿が生き残る手段はないとお考え願いたい……」
「なんと! 戦争を開始するというのか!」
 横でキーラが熱くなっている。戦争? んなもん知るかよ。勝手にやっててよお願いだから。俺まで巻き込まないでくれ。
「おいおい司教のおっさん、大変なことじゃないか。こんな所でのんきにぼーっとしてる場合じゃないんじゃねーの?」
「それはそうなんだが……私は戦争などしたくはないんだよ」
「そりゃ分かってるよ。けど、降参は認めないって書いてあるぜ。それにこの内容だと、相手に勝たなきゃこっちが消滅させられるんじゃないのか」
 俺は平穏な時代に生まれたから戦争がどういうものなのかなんて知らない。どんなふうに開始されてどんなふうに終わるのかも、歴史の授業で習った文章を暗記しているくらいだ。だからこういうことには一切口出しできない。まあ口出しできる知識があったとしても、面倒そうなので黙ってるのが賢い方法だと思うけどな。
 ただし俺の隣にいる厄介な連れはそう簡単に黙ってはくれないんだよな、これが。今にも爆弾発言をしそうな気がしてひやひやする。こいつめ、本来の目的をもうすっかり忘れてしまって、あさっての方向へ走る準備だけを丹念に整えてるんじゃないだろうな? 頼むから早いとこ目を覚ましてほしい。それか、懐かしき童顔少女やお兄様の所に行きたい。
「アカツキよ!」
「な、何」
 無駄に気合のこもった声で名前を呼ばれる。そんな大声で言わなくたって聞こえてるっていうのに、こいつはそれが分かっていないんだろうか。
「我々はこの時代のことを何も知らない。同じ世界であろうとも、全くの無知であることは隠すことはできぬのだ。故に我々はこの大聖堂で留まることが得策だと思うのだ。ここで留まり、なぜ我々がこの時代に飛ばされたのかということを考える必要があるのだろう」
 真面目になった大僧正様は、案外まともなことを言っていた。しかしどう考えたって納得できない部分が一つある。
「なんでわざわざ戦争を始めそうな場所に留まる必要があるんだよ。現に宣戦布告までされてるのに、ここはもう危険極まりない場所じゃねーかよ。どこかに留まるってのは賛成だけどさ、この大聖堂に留まるのだけは納得いかねー」
「分かっていないな、アカツキよ。ここに留まらせてもらう代わりに、彼らの手伝いをするのが礼儀というものではないのか」
 いや君なんかずれてるよ明らかに! 普通に考えたっておかしいって! こんなこと、サラやソルなら絶対に言わないって確信できるぞ。
「分かってないのはお前の方じゃねーかよ」
「そういうわけなので司教殿、少しばかり場所を借りることになるがよろしいか?」
 ああ、もう俺の意見は無視なんだね。さすがは大僧正様。誰にも負けない自己中心的な性格は、一朝一夕には直らないということなのね。
「すまない。こんな時でなければ喜んで部屋を貸してあげられるのだが――」
「人手は多い方がいいもんな! よかったな、司教のおっさん!」
「え? そ、そうか……?」
 もうちょっと頑張れよ司教様!! なーんか情けないなぁ、もう。
 そんな感じで俺はまた、大僧正様の妙な性格のせいで変なことに巻き込まれる運命になってしまったのであった。俺が元の世界に帰れる日がどんどん遠ざかっているのは、もう否定することが不可能なほど明白なことなのだろう。
 白石豊、高校二年生。一般人であるはずの俺は、異世界の未来に来てまでして一体何をするつもりなのだろうか。

 

 

前へ  目次  次へ

inserted by FC2 system