29

 いつだって、綺麗なものは儚くて。
 綺麗なだけでは済まされないんだ。

 

 船旅というものは、どうにもこうにもやることがなくて暇になりがちだ。
 そういうわけなので俺は暇を作らない為にも、無知なキーラ殿に得意の四字熟語を教えていた。
「俺の好きな四字熟語その一。不倶戴天(ふぐたいてん)。意味は、相手をとんでもなく嫌ってるってこと」
「アカツキには誰か嫌いな人がいるのか?」
「……嫌いっつーか、むかつく奴なら大勢いるけど」
 この大僧正様め、俺がせっかく素晴らしき四字熟語を教えてやっているというのに、そんなことはまるで無視で別の話ばっかりしやがる。こういう奴にこそむかつくのに、ここにいる高貴な御方は全く気づいてくれないから疲れる。
「俺の好きな四字熟語その二。理路整然(りろせいぜん)。意味は、話の筋道がちゃんと整ってるってこと」
「筋道か。私の兄上がとても綺麗な演説をよくしていたぞ」
「んなこと俺が知るかよ」
 また話がずれる。この野郎、結局自分に都合のいいように話してるだけじゃねーか。
「やめだ、やめ! もうお前には教えてやんねー」
「な、なぜだい? とても楽しいのに」
「うるせー、それはお前だけだ!」
「まあまあ二人とも。喧嘩はそのくらいにしとけよ。ただでさえ狭い船なんだから」
 横からヴィノバーが割って入ってくる。そして彼の言葉には、妙に思えるほどの説得力があった。
 だってこの船。廊下も階段も屋根も帆もないただの木の塊なんだから。そりゃ一応船の形はしてるけど、これは職人が造ったものじゃないってことはよく分かる。おまけに床面積が小さくて、キーラの私物によりさらに狭まっている。そのせいでぎゅうぎゅう詰めに座っており、寝る時どうするんだって疑問すら浮かび上がってくる始末だ。
 しかも追い打ちをかけるように、船に乗っているのは野郎ばっかり。華がない。華が欲しい。ああもうサラやアナが懐かしいよ。いやアナはラスボスだけど。
「そーいやキーラさ、闇の意志って何だっけ」
「闇の意志? 何だそれ」
 俺はキーラに質問した。それなのに真っ先に声を上げたのは、隣で狭そうに座っている死体運びの兄ちゃんだった。あのね、君には聞いてないんだよ。なんでもかでも首を突っ込んだところで、必ず良い結果が訪れるってわけでもないんだよ。だから少しは隠忍自重してほしい。
「アカツキよ、駄目ではないか。自らが倒さんとする相手のことを忘れるなどと」
 倒す? 何それ誰の話?
 また勝手な理想を作り上げちゃって。それで俺を振り回すのもいい加減にしてくれないかなー。
「闇の意志の名はルピス。古代の英雄アカツキにより封印された、世界に破滅をもたらす存在だ」
「破滅ねぇ」
 ちらりと目線を横にやる。そこにあったのは、どこまでも広がっている青い海。
 俺が今いるこの場所が本当にあの滅びかけの世界の未来ならば、あの世界はちゃんと滅ばずに復興したってことになるはずだ。でなきゃ緑は拝めないだろうし、ラットロテス大聖堂もできてないだろう。それらがここにあるんだから、闇の意志って奴も復活せずにすんだんじゃないのだろうか。
 じゃあ俺がここにいる理由は? よくある話じゃ時代を越えて何かを変え、現代を平和に導くってのが王道なストーリーなのに、今のこの状況は一体何なんだ。変な黒ローブに未来に飛ばされ、しかもその未来は破滅なんかしてなくて、ぼーっとしているうちに一人の人間のいじめ問題に直面して。本当に何やってんだお前って感じだ。当事者である俺ですら全く意味が呑み込めない。
「この世界の平和はきっと、我々の成功を指しているのだろう。だから我々はこの世界を信じ、前に進んでいけばいいだけのことだ」
「進むってどこに?」
「前だ!」
 やたら気合いを込めて前を指差す大僧正様。その姿はもはや、どこぞの熱血主人公のようにしか見えない。
「つーかヴィノバーのおつかいが闇の意志とどう関係あるんだよ」
「え!!」
 本音を漏らすと素早く反応してくるヴィノバー。なんだかとっても驚いているご様子だ。確かにその理由は分からなくはないけどさ。それでも事実は事実なんだから。
「いやその、俺だってあんたらの事情は知ってるし、いや詳しくは知らないけど、でもいつまでも大聖堂でぼけっと過ごしてても仕方ないだろうなって思って、それであの、せっかく外に出られる機会を得たから、あんたらも一緒に外を見て、元の時代に帰る手がかりとか掴めたらとか、あんたらの目的に一歩でも近づけたらとか、そういうことを考えて誘ったっていうか、たぶん司教のおっさんもそう考えてたっていうか……」
「けど手がかりを掴む確証なんてないじゃん」
「うう! そんなこと言わないでくれ!」
 ぎゅっと目を閉じ、両手で耳を塞ぐ死体運びの兄ちゃん。ちょっとやりすぎたかな?
「……アカツキよ、君はいつからそんな嫌らしい性格になったのだ」
「俺は元々こんななんですよーだ」
 キーラは分かっちゃいない。こっちに来てからお人好し度が上がっていたけど、俺はそんなに人の好い人間じゃないんだ。だから英雄だ勇者だなんて言われても困るんだ。
 ぱっとヴィノバーの手を取り、とりあえず耳から離して音が聞こえるようにしてやる。同時に彼は目を開き、俺の顔をじっと見た。
「なんつーかヴィノバーって本当に、裏がない性格してるよな」
 そこが人を引き寄せる原因であってほしいのに。
「お、お前まさか、俺をからかってんのか?」
「あれ。気づいちゃった?」
「海に沈めー!!」
 大声と共にヴィノバーは勢いよく立ち上がった。おかげで小さい船が揺れ、すぐにバランスを崩してしまう。いやいやちょっと待って? なんかこれ、変に傾いてない?
「大変だ、アカツキよ!」
「何が!」
 嫌な予感がする。とんでもなく嫌な予感が。
「私の本が濡れてしまったのだ!」
「んなもんどうでもええっつーねん!」
 勢いに任せて思いっきりつっこんでしまった。ああ、心配して損した。怒って損した。何もかもに損した気分だ。これだからウチの大僧正様は。
「おい二人とも、漫才やってる場合じゃねーよ! 船に穴が開いてんだ、埋めろ埋めろ!」
 うわ、やっぱり。船旅につきものの王道ネタが襲ってきたよ。
 よくよく船を観察してみると、どうやらキーラの本を置いてある床が抜けているらしかった。おかげでキーラくんの大事な大事な本はびしょ濡れ。だから本なんか持ってこない方がよかったのに。
 ヴィノバーはキーラの本を使って穴を埋めた。しかしそれを見た大僧正様は涙目になりながら、本をばっと奪い取ってしまった。めげずにヴィノバーは他のキーラの本で埋めようとするが、それをことごとく邪魔する命知らずな大僧正。こいつは本気で船を沈める気か。洒落にもならないぞ、そんなの。
 っていうか本で穴を埋めようとすること自体が無謀なのかも。よし、俺は他の物で試みよう。
 そう腹に決めて船の上にある物をざっと眺めてみたが、使えそうな物など何一つとしてなかった。見えるのはただ、穴が開いて水が大量に流れ込んでいる、今にも沈みそうなぼろい木造の船底だけ。
 あー、もう無理だなこりゃ。
「キーラ、召喚でなんとか――」
 俺が言い終わらないうちに体が水に濡れた。どんどん海に吸い込まれているのが分かり、「げっ」と思う暇もなく船から足が離れ、気づけば海の上にぷかぷか浮いていた。
 あのさぁ。俺、カナヅチなんだ。泳げないんだ。最高記録は五メートル。そんな俺が海の上にぷかぷか浮いて、しかも重い服なんかも着て、藁すら浮かんでない海でどうやって生き延びろと?
 隣を見るとキーラが手だけ残して沈んでいた。どうやらこっちも泳げないらしい。さらに人の何倍も重そうな服を着てたから、浮かび上がってくる確率は低い。
 さらに隣ではヴィノバーがぷかぷかやっていた。こっちも腕を天にのばし、自作聖書を水から守っているようだった。こんな時にえらい余裕だな、この修行僧の兄ちゃんは。
 しかしどうすればいい? 俺はこんな所で死にたくないぞ。
「ヴィノバー、どうにかできないの?」
「どうにかできたなら、もうやってるって」
 そりゃそうだ。愚問だった。
 海だから波が来る。そのせいで大きく流され、ヴィノバーと離れてしまった。うう、そんな淋しいことをしないでくれ、海よ。本気で泣いちゃうよ、俺。
 でも海が俺の気持ちを分かってくれるわけがなく。再び大きな波が襲いかかってきた。いや違う、波じゃなくって風かな? それになんだか、足の下が変な感じ。
「おわっ!」
 なんだか知らないが突然上に吹き飛ばされた。そして空中に放り出される。そこから見えたのは海が変形していき、綺麗じゃない砂浜が現れたという光景だけ。
 こんな変なことができるのは魔法に決まっている。ってことは何だ、またルイスがちょっかい出しに来たのか? いやいやキーラの召喚術かもしれない。どっちにしろ、やばい状況に変わりはないけど。
 空中に放り出された後は落下するのが自然の摂理。俺の下には湿りきった砂があるだけで、なんかもう見てるだけで痛そうだ。抗う暇もなくぐんぐん落下していき、最後には何かに引っかかったような感覚が襲った。……って何だよそれ。
「大丈夫か?」
 すぐ近くから響く綺麗な声。それは全く聞き覚えのないものだったので、純粋に驚いてしまった。
「怪我はないか?」
 相手の顔を見て、ようやく状況を理解した。
 なんと俺は見ず知らずの相手に受け止められていたのだ。しかも俗に言う「お姫様だっこ」で。さすがに恥ずかしくて飛びのいてしまった。俺は女じゃねーっつの!
「アカツキ、大丈夫だったか!」
 後ろからヴィノバーが走ってくる。その手には全く濡れていない自作聖書と、すっかり気を失っているキーラが掴まれていた。
 なんか元気そうだね、君。
「どこのどなたか存じませんが、ありがとうございました」
 そしてぺこりとお辞儀をする。とりあえず俺も真似して頭を下げた。
「気にするな」
 頭を上げて相手の顔を見てみると、とても整った青年の顔があった。それがあまりに綺麗すぎたので、思わず一歩引いてしまう。
 だけどその顔は無表情だった。何の感情も映していない。どこかソルを思わせる表情に、ふと懐かしさを感じずにはいられなかった。
 少し濃い金髪に、深い青の瞳。全身をすっぽり包むような黒の上着を羽織り、下には白い服と黒の長ズボンを着用している。そして片手には木でできた曲がりくねった杖を持っており、目の前にいるこの人は、男の俺から見てもとても格好よく思えたんだ。
「しっかし、すげーな。こんなのどうやったんだ?」
 上を見ながらヴィノバーが驚嘆の声を上げる。つられて俺も上を見ると、青い空に混じって海が見えた。
 これは、そう、かの有名なモーセと同じだ。
「なんてことはない、ただ、魔法を使って海を割っただけのことだ」
 消えそうな声で相手は答える。よく見てみるとこの人は、すごく格好いい人なのに、何か不自然なものがあるように見える。
「ふうん。じゃ、あんたは魔法使いなのか」
「ああ……」
 ヴィノバーはちょっと驚いた様子だった。この時代でも魔法使いってのは珍しいんだろうか。俺からすれば何もかもが珍しいんだけど、いちいち驚いてる暇なんてないからな。
 相手はおもむろに砂の上を歩き出した。その行動に見とれていると、すっかり気を失っているキーラの前で足を止めた。
 しゃがみ込んでじっと顔を見つめる。そしてすっと手をキーラの胸に当て、そこから淡い光が溢れ出した。何をしてるのか知らないけど、きっと魔法でも使ってるんだろう。
「船は?」
 立ち上がって聞いてくる相手。しかし、行方不明になっている物についてどう答えていいものやら。
「多分もう使い物にならなくなってると思う。こいつの本と共に」
 キーラが聞いたら泣きそうな台詞をさらりと言うヴィノバー。何気に酷いね、君って人は。
 そんな薄情な言葉を聞いた黒服の相手は、ほんのちょっとだけ目を細めた。そこにどんな意味があるかなんて知らない。でもそれは明らかに、俺が見た相手の最初の「表情」だった。
 ぶんっ、と杖を一振りする。たったそれだけで光が溢れ、気づけば目の前に小さな船が現れていた。
「見た目は脆弱そうだが、魔法で強化してある。安心して使ってくれて構わない」
「あ、ありがと……」
「分かったら早く乗ってくれ。少し、急いでいるんだ」
 真面目そうな人だった。
 気を失ったままのキーラを船に放り投げ、ヴィノバーは素早く船に乗り込んだ。慌てて俺も船に乗ると、前の船とそんなに変わっていない船底が目に入った。
 ゆっくりと船が浮上を始める。なんかもう、魔法って何でもありなんだなって思った。充分に浮かび上がると海が元に戻り、砂浜はすっかり海の底に消えてしまった。そして船は何事もなかったかのように海に浮かんでいたんだ。
「気を、つけて」
 隣にさっきの人がいた。彼は船に乗っているわけではなく、金色に光る何かに一人で乗っていた。その金色に光るものは宙に浮いており、さしずめ魔法の鳥ってとこだろうか。
 それすら美しく感じられる。
「あの、あんたの名前は?」
 去りかけた相手にヴィノバーが聞く。それを聞いた相手は動作を止め、こちらを振り返ったが、ただ綺麗な微笑を見せただけで、何も答えずに去ってしまった。
 ……なんて綺麗な微笑み。背筋が凍りそうなくらい、怖ろしく、痛く、そして美しい、一つの煌めき。
「あの人、ラットロテスの方向に飛んで行ったみたいだ」
「そーなの?」
 俺の問いに頷いたヴィノバーは片手にコンパスを持っていた。よくさっきので流されずにすんだな。
「ま、悪い人じゃなさそうだから、大聖堂に来たとしても大丈夫だろーな。後で会ったらちゃんとお礼しないとな」
 無邪気に笑うヴィノバーは眩しく見えた。けど、そうだよな。俺も後で会ったら、もう一度ちゃんとお礼を言おう。物をやる気はさらさらないけど。
 なかなかいい人に巡り合えたから、よかったと思う。もし人情も知らないような人が通りかかっていたなら、俺は今頃あの世でさまよっていただろう。そう考えたらこの時代の人間も、そう捨てたもんじゃないって思えてきたんだ。
 異常なのはラットロテスだけだったのか――そんなことはまだ分からないけど、集団の中で過ごしていると、何事にも感化されやすくなってしまうから。あの人がどこで何をしている人なのかは分からないけど、少なくともラットロテスの連中のような、みっともない臆病者じゃないことだけは確かだと思った。

 

 

前へ  目次  次へ

inserted by FC2 system