31

 名誉も栄光も何も要らない。
 欲しいのは光だけ。全てを照らしてくれる、あの。

 

『いきなり取り乱してごめん。でも今はまだ、それを教えることはできないから。だけどどうか心配しないでほしい。これからも今まで通りで接してくれると嬉しい、な』
 落ち着きを取り戻したヴィノバーはそれだけを言った。そして少し後ろめたそうに微笑んだ。
 たったそれだけで全てが報われた気がしたが、それでもやっぱり俺の中から影が消えることはなかった。
 もう二度とあんなことをしたくないと思う。けど、そう思えば思うほど、相手の隠していることを知りたいという気持ちが大きくなっていくんだ。自らを案じているのか、俺やキーラの身の心配をしているのか。本当のところなんて誰にも分からないけど、それでもやっぱり、彼がとてもいい人だということに変わりはないように思えた。
 目に見えるものだけを信じていたならここで終わりだろう。だけど見えない何かは俺の中にもヴィノバーの中にもちゃんとある。もちろん何も考えてなさそうなキーラの中にだってあるはずだ。それだけはどうしたって分からないから、俺は今後も悩まなければならないのだろう。彼が残したほんの少しの言葉から、一歩でも真意に近づけるというのならば。
 船に揺られていると風が通り抜けていく。このまま何もかもを連れ去ってくれたらよかったのに、と考えたりしたが、そんな逃げるような卑怯な真似はしたくないと気づいた。
 俺は人を傷つけたくはないんだ。
 嘘だと笑われるかもしれない。いつも他人を小馬鹿にするようなことばかり言っていたから、そう思われても仕方ないとも考えている。
 でも違うんだ。本当は俺だって、人を不幸にしたいわけじゃないんだよ。
 もしかしたらもう、誰にも分かってもらえないかもしれないけど。
「アカツキよ、元気を出すのだ」
 俺が落ち込んでいるとでも思ったのか、隣からキーラが声をかけてきた。いつもなら何か言うたびに反発したり呆れたりしていたけど、今は声をかけてくれたことがなんだか安心できた。それも変な話だと思うけど、慰めてくれる人というのは、いつだって自分の味方のように見えるから。
「何をそんなに悩んでいるのか知らないが、君が落ち込んでいると私まで落ち込んでしまうではないか」
 ぽんと肩に手を置かれる。そして見える素敵な笑顔。
 どこが落ち込んでるんだよテメー。
「別に落ち込んでなんかないっつーの。つーかお前の顔見てるとなんかむかつく」
「むか?」
 いちいち俺の言葉に反応してくれる大僧正様だ。こいつは若者言葉も知らないのかよ。どこの箱入り娘だ。
 キーラの相手は疲れるのでここまでにしておこう。一つため息を吐いてから顔を別の方へ向ける。船の上から見えるものといったら海と空の青だけだけど、今は景色に混じるように存在するヴィノバーの横顔も見えていた。
 彼は確か水がどうとか言っていた。何でもないのによく喉が渇くんだと。そしてそれは体質の問題なんだって。そんなこと言われたって俺は異世界の人間じゃないから、嘘だと思う他に反応のしようがなかったんだ。だけど結果としてそれが今の状況を作り上げたのなら、俺はもっと反省すべきなんだろう。もちろん多少は気に食わない部分もあるけど。
「見えてきた」
 ヴィノバーの口が小さく動く。そして放たれた言葉に秘められた意味とは。
「ついに到着したのだな。よかったではないか、アカツキよ!」
「なんで俺がよかったことになってんだよ」
 大僧正様は相変わらずズレていらっしゃるし。
「陸に上がったらすぐに洞窟に入ることになる。そこを通らないと目的地に着かないんだ。……いいよな?」
「何が?」
 どうしてだか心配そうに聞いてきたヴィノバー。それがあまりに不思議に思えたから正直に問い返してしまった。俺の間の抜けたような声を聞いたヴィノバーは一瞬硬直したが、すぐにぶんぶんと頭を横に振った。しかしそれは必要以上に振りすぎていた気がする。そんなに必死に振ることないのにさ。
 ようやくおさまったかと思うとぱっと顔を上げ、俺の目をじっと睨むように見てきた。何だよ、今度は喧嘩でもしようってのか? 明らかに俺、勝ち目なさそうなのに。心の内で素早く身構えてしまったが、相手に子供のような笑顔を見せつけられると、俺の心配も構えも何もかもが杞憂に終わったのだった。ああ、やれやれ。
 これが今まで通りで接する、ってこと?

 

 +++++

 

 暗い。
 恐ろしく暗い。
 こんな所を進めって? 冗談じゃない、もう帰ってやる。
 ……と宣言すれば帰れるってもんじゃないけどさ。いいさ、もう充分に分かったから。だけど分かってはいても、俺の本能が「帰るのだ!」と叫んでいるから落ち着けない。
 俺とキーラはヴィノバーに連れられて洞窟の中を歩いていた。洞窟といえばRPGに必ず存在する定番のダンジョンだが、実際に自分で歩いてみると恐ろしいことこの上ない。まず明かりなんて一つもないし――いやある方がおかしいんだって。周囲から何かがうごめく音が絶えず響いてくるし――いかんせん音響効果が素晴らしいからね。地面は濡れていて今にも転びそうだし――そして気づけば頭上から水滴が落ちてくる。そんな感じで俺は、指でピコピコ動かして進むだけのゲームでは決して味わえない生々しさを感じながら歩いているのだった。こんな現実を知るくらいなら、いつまでも夢を見続けられる子供でいたかった。……いやマジで。
 あのさぁ。ゲームってもっと楽しくて夢が溢れてて暗い道でも照らしていけるようなものじゃなかったっけ。目的のためなら洞窟だろうと塔だろうとなんのその! って感じでダンジョンを通り抜けていくものじゃなかったっけ。それがなんで現実ではこんなに希望の欠片すらないんだよ。世の中には知らなきゃいけないことと知らなくていいことがあるってよく言うけどさ、これって明らかに後者なんじゃないの?
「キーラくん、この暗さどうにかならないの」
「そうだな。私がなんとかしてみせようではないか」
 大僧正様に助けを求めるとやたら偉そうに答えられてしまった。もう慣れてはいたものの、やはり腹が立つことに変わりはないわけで。
 なんとかすると言っても何をするつもりなのか。いささか不審な目つきでキーラの様子を眺めていると、その場でぴたりと足を止め、口の中で何やらごにょごにょ言い始めた。どうやら召喚師であるキーラ殿は何かを召喚するつもりらしいぞ。なんて単純な。それしかできないのか。
「出でよ、ニヴルヘイムより来たりし魔の炎よ!」
 そして無駄に派手な文句で何かを呼び寄せた。
 現れたのは炎の塊だった。なんだか知らないが顔があり腕があり、どこぞのRPGに出てくる敵みたいな奴だった。そいつに何をさせるのかと思って見ていると、大僧正様は自分の持っていた木の杖の先端を炎の塊に向かって差し出した。それを見た炎の塊は口から火を吹く。ボッという音を立てて杖の先端の丸くなっている部分は燃え始めた。
 ……燃やして大丈夫なのか? あの杖。
「これで明るくなったはずだ」
 俺が杖に気を取られていると、いつの間にか炎の塊さんは姿を消していた。代わりに残ったのは燃えている杖。確かに少しは明るくなった気がしたが、進むべき方向は真っ暗なので、結局何も変わらなかったような気がして仕方がなかったのであった。
 まあ、それはもう忘れることにしよう。キーラの杖が燃え尽きようとどうなろうと知ったことじゃない。つーか他に燃やす物は何もなかったのかよ。
 再び歩き出すと足がやたら重く感じられた。気分のせいもあっただろうけど、何かに引っかかっているような感触もあった。ぱっと下を確認してみたが暗くて何も見えなかった。ちくしょー、役立たずの杖だな!
「うぇっ?」
 足のところにくっついていた何かの感触が上の方まで登ってきた。こりゃ間違いなく魔物だな。また集団で俺を飲み込もうとしてやがるんだろうか。何なの、俺って魔物に好かれてるの? 別に好かれたかねーっつーのに。
「大丈夫か、アカツキよ!」
 よく響く大僧正様の声と共に、明かりがこっちに向かって近づいてくる。あの野郎、まさかこの杖についてる火で魔物を払い落とそうとか考えてるんじゃないだろうな? 冗談じゃないや、俺まで燃やす気か!
「あ――」
 そうかと思うと今度はヴィノバーの声が小さく響く。そして、ベキッという効果音が聞こえてきた。
 …………。
 いや、何!? 何なのさっきの効果音!
 慌ててヴィノバーのいた方向へ顔を向けてみると、真っ暗で何も見えなかった。再びキーラの杖への怒りが込み上げてきたが、ヴィノバーがいるかどうか確かめるべく腕を伸ばしてみる。
 そうして掴んだのは空気だけ。
「ヴィノバー失踪事件勃発だ!」
「なんだと、それはまことか、アカツキよ!」
 まことも何も、いないんだからそうなんだろ。そうこうしているうちにも魔物らしき奴らは俺の体を這い上がってくる。いい加減重くなってきたので手で払いのけようとすると、何かふさふさした物に手が触れた。……ふさふさ? 何それ。
 近くに迫ってきていたキーラの杖が俺の周囲を明るく照らした。真っ先に目に飛び込んできたのは巨大な魔物の姿。巨大と言っても別に天井に届きそうなくらい高い図体をしているわけじゃないが、俺の身長と同じくらいの高さの体を持つアリみたいな奴がそこにいたんだ。身体は真っ黒でテカテカと光っており、六本の足には黒く細かな毛が隙間なく生えている。そうかさっき触ったのはこの毛だったんだな。なるほどなるほど。
 うっ、そう考えたら一気に背筋がぞわぞわしてきた。俺、こーいうの苦手なのに。
「出でよ、ニヴルヘイムより来た……じゃなかった、間違えた」
 ついでに近くから聞こえた間の抜けた台詞。こんな時に何やってんだよって言いたくなる。
 それを見計らったかのように後ろから何かに突き飛ばされる。あまりに突然だったのでそのまま前にふらふらとよろめき、視界がぐるんと回ったような気がした。これは以前にも体験したことがある。あの時は、そう、自転車から落っこちたんだったっけ。
「いてっ」
 前方の床には魔物はいなかったらしく、冷たい地面に顔ごとぶつけてしまった。いくら俺の体が鋼鉄でも、痛いものは痛いらしい。つーか本当に鋼鉄なんだろうか。あれはあの時代だけとかいうオチだとしたら、俺はこの上なく悲しくなってしまうだろう。
 なんてことを考えてる場合じゃなかった、とにかくこんな馬鹿みたいにいつまでも転がっていてはならない。少し濡れた地面に手をつきながら体を起こす。うう、もう体じゅう泥だらけだろうな。まあ司教様のお洋服だからそれほど心配ないけどサ!
「起きるな!!」
 はいぃ!?
 どこかから響いてきた若干怒ったような声に圧巻され、再び地面にぺしゃりと倒れ込んでしまった。何だ何だ、今のは誰の声? 一瞬だったから全然分からなかったぞ。もしかしてヴィノバー? 失踪したのに、それは敵を倒す機会を窺っていたとかそういう格好いい演出だったとか? それならそうと言ってくれればよかったのに。いやいやもしかしたら偶然ここを通りかかった優しい旅人さんが俺たちを助けてくれようとしているのかも。
 いろいろ考えていると近くから「バキャッ」といういかにも怪しげな音が聞こえてきた。そして俺の顔の真横に黒い物体が音を立てて降ってくる。よくよく観察してみると、そこにはさっきの魔物のふさふさした黒く気色悪い毛があった。ってことは何? 魔物の足をちぎって捨てたってこと?
 おそるおそる顔を持ち上げてみると、真っ暗な洞窟の中できらりと光る何かが見えた。それが素早く動き回って黒い物体をふっ飛ばしまくっているらしい。キーラの明かりは壁の隅っこの方へ移動していた。燃える杖を持ったまま大僧正様は呆然とした表情で、絶えず動き続ける銀色の光を見つめているようだった。
 さすがにこれはヴィノバーじゃない……だろうな。ということは、やっぱり偶然ここを通りかかった優しき旅人さん?
 起きるなと言われたのに起き上がってしまったのがいけなかったのか、持ち上げていた顔面に魔物の体が直撃してしまった。しかもぶつかってきた部分は腹。そこには足と同じような気色悪い毛がたくさん生えていて、背中がぞわぞわして倒れてしまいそうだった。
 うう、気持ち悪いよー。もう魔物なんか嫌いだ! それにしても、魔物が恐ろしいものじゃなく気持ち悪いものだなんて知らなかった。知りたくもなかったのに!
「――大丈夫か?」
 はっとすると周囲は静かになっていた。あの不気味な魔物のうごめく音も消えている。
 目の前には誰かの手。暗くてよく見えなかったが、この手もどうやら泥で汚れているようだった。
 とりあえず誰かの手を借りつつ立ち上がると光が見えた。赤い光は洞窟内を少しだけ照らしている。それを持ち歩いているキーラはこっちに近寄り、俺のすぐ傍まで杖の炎を近づけてきた。
 おかげで目の前の相手の顔が見えた。そこにあったのは俺の全く知らない人の、泥や血で少し汚れた真剣そうな顔だった。
「大丈夫そうだな、よかった」
 そう言うとちょっと表情が和らぐ。特に意識はしなかったが、それは暗い洞窟内で見た最初の安堵だったんだ。
 ああそっか。俺たちはもう、安堵すら忘れていたんだな。

 

 

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