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 どうにかしようと頑張っても、何も聞いてくれない人もいる。そんな人には何を言っても無駄だって思うのは、俺の勝手な考えなんだろうか。だけどその人が耳を傾けてくれない限り何も変わらないわけであって、そうなったらもう他の人がどれほど頑張っても事実は歪められることなく佇んでいる。
 少なくとも俺は飽きてしまった。だから何も言わないでおこうと思ったのに。

 

 慣れない瞳で光を見ると、世界が無色のように思えた。しかしそれは一瞬のことだけで、次にまばたきをした時にはもう見慣れた景色が広がっていた。
 俺たちは暗闇から脱出できたらしい。洞窟内では幾度か魔物に襲われたけど、そんな奴らはヴィノバーや姐さんにとってはただの雑魚だったようだ。それだけなら俺は今、大いに喜んでいられただろう。だけど現実はそう簡単にはいかなくて、無駄に試練を与えるのが神様の大事なお仕事であるようだった。
「すまぬな、アカツキよ」
「うっさい黙れ」
 俺はキーラを背負っていた。理由は簡単、こいつの体力が尽きたから。まったくどこまでモヤシなんだよと言いたくなってくる。つーかなんで俺が背負わなきゃならないんだ、俺は生粋の現代っ子なんだぞ。こんなことしてたら俺の体力までなくなっちまうじゃねーか。
「なに顔をしかめてんだ?」
 機嫌を悪くしていたらヴィノバーに顔を覗かれた。この野郎、俺をからかってんのか? ちょっと考えれば分かりそうなことを平気で聞いてくる。
「俺は体力に自信がないって言ったはずですけどねぇ」
「なんだ、そんなこと気にしてたのか。そう心配すんなよ、もうちょっとでジェファスの町に着くからさ」
 いつ誰が何の心配をしたというのか。ああ、もう。ため息ばかりが出てきて止まらない。この悪循環から誰か俺を救ってくれ。
 そういえばまた変な横文字の単語が増えてた気がするな。まあどーでもいいや、とりあえず休憩できる場所があるなら、それだけを考えていればいいんだから。新種の横文字についていちいち考えてたら、頭が痛くなって空腹にまで襲われそうでやってられないや。
「ほらもう見えてきた」
 え、早くない?
 俺の斜め前を歩くヴィノバーは前方を指差し、その方向を自分の目で確認してみた。そこには確かに色とりどりの家の群れが見えなくはなかった。周囲は森の木々で囲まれており、道に沿って歩いていないと見つけられないような町らしい。確か俺たちってナントカ教の偉い奴に会いに来たんだよな。そいつがこの町のどこかに陣地を構えてるとでも言うのだろうか。
「ジェファスの町か。いろいろ回ったつもりだったけど、ここに来るのは初めてだな」
 隣を歩いていた姐さんの声が聞こえた。そーいや家出したとか言ってたもんな。家出したら世界を回ることも自由にできるだろうし、顔が広くなるのも当然の結果なのかもしれない。いや、そりゃ隠れてない場合のことだけど。
「俺も来たことないんだよなー。だから今からわくわくしてるんだ」
 そして目を輝かせるヴィノバー君。はいはい、よかったね。それは分かったから、そろそろこのキーラ君を背負ってくれないかね。
「では早速手紙を渡しに行こうぞ」
「お前が言うなっ!」
 今や完全にお荷物と化した大僧正様は、俺の背中の上でこれまた偉そうなことを言っていた。いい加減慣れてきたとはいえ、やっぱりむかつくものはむかつく。でもどうしてだか俺以外の人がこいつに怒ってるところをあまり見ないんだよな。異世界の人ってこんな偉そうな言葉遣いをされても、そんなに気にしないようなのほほんとした奴らばっかりなんだろうか。
 なんてことを考えつつも町の方へと歩を進めていった。近づくにつれて町の様子が鮮明になってきたけど、どうにも壁があって入口は一つしかないことが分かってしまった。何なんだよこれは。レーベンスと一緒かよ。つまんね。
 さらによく観察してみると、壁と同じ色の服を着た民間人らしき人が二人ほど並んで立っていた。普通に考えれば門番ってところだろうけど、でもあの人々はどう見ても一般人のようにしか見えないぞ。この町の人間は「皆で町を作るのだ!」という開拓精神旺盛なアメリカ寄りの人々の集まりなんだろうか。
 かなり近くまで歩いていくと、門番のお二人さんがこっちをすごい目で睨んでいることに気づいた。さあ敵がやって来ましたよ。はたして彼らはどのような判断を?
「止まれ。この町に何の用だ?」
 門番の一人が口を開いた。先頭を歩いていたヴィノバーは彼の命令に従い、ぴたりと足を止めてこっちをちょっと振り返ってきた。
 彼の動作の意図はよく分からなかったが、とりあえず重かったのでキーラを地面に下ろすことにした。そしたらこの大僧正様、何事もなかったかのようにすとんと着地できるんだから悲しくなっちまう。もう怒る気力もないさ。何でも好きなようにやっちゃって。
「俺たちはラットロテス大聖堂からやって来た。ザイラー・イリュンデ司教からの手紙をイノスィール・シェオル殿に渡してほしい」
 ヴィノバーは若干威厳の見え隠れする物言いで、分かりそうでよく分からないことを言っていた。なんかまた横文字が増えてなかった? カタカナばっかで疲れてくるわ。
 台詞を言い終わるとヴィノバーは懐をごそごそとあさり、白い封筒を取り出して一般人門番の一人に手渡した。渡された紙を門番は注意深くチェックし、何の断りもなしに封を開けてしまった。一瞬ヴィノバーが怒り出すかと思ったがそれはなく、修行僧の兄ちゃんはじっと静かな目で相手の動作を眺めているようだった。
 その目はあの時とよく似ている。
 門番は封筒の中の手紙を読み始めた。こいつが偉い奴ってわけじゃないだろうに、そんな勝手に読んじゃっていいのだろうか。後で怒られたって知らないぞ。つーか常識知らずは怒られちゃえ。
「……少し、ここで待っていてください」
 しばらくした後に門番はそんなことを言ってきた。さっき止まれと言ってきた時とはえらい態度が違うよな。これってやっぱラットロテスっていうブランドのおかげ? それはそれは、便利な名称でございますこと。
 礼儀正しくなった言葉を残し、一人の門番は手紙を持ったまま町の中へと消えていった。それでももう一人の門番が道を塞いでいる。こいつはどうやら意地でも俺たちを町に入れたくないらしいな。やっぱここはナントカっていう宗教が浸透してる町なんだ。だからラットロテスから来た異教徒を、彼らが呼吸する空間の中に混ぜたくないんだろうな。
「それにしてもこの町は静かだな」
「は? 何言ってんだお前」
 ぼーっと門番を眺めていると、横からキーラがわけの分からないことを言ってきた。
「静かだなんて、まだ町の中にも入ってないのになんで分かるんだよ」
「いや――これほど近くまで寄っているのに、全く人の声が聞こえてこないからそう思ったのだ」
 理由を聞いてもいまいちよく分からない。結局何が言いたいんだ?
「あの壁が音を遮断してるんじゃないの?」
「そう、なのだろうか」
 意味不明なことを言うキーラのことが気になったのか、姐さんまでもが会話に参加してきた。さすがに姐さんは常識的なことを言ってくれて、俺は地味に嬉しくなった。しかしそれさえキーラ殿には通用しないようで。
「レーベンスの町ではこのようなことはなかったのだがなぁ……この町の壁の方が防音性が高いということなのだろうか」
 今度は壁の性能について悩んでいるようだった。なんかもう聞くだけで疲れてきたな。こういう場合は無視するに限る。
 一つため息を吐いてから町の入口の方に視線を戻すと、ちょうどさっきの一般人門番の一人が戻ってきていた。どうやら誰かを呼んできたらしく、彼の後ろに知らない兄ちゃんが立っている。そいつはかなり肌が白くて不健康そうだった。おまけに髪の毛は白っぽい灰色で、服装もいささかウチの大僧正様に似ているダラダラしたローブを身にまとっている。見てくれはキーラ二号だな、こりゃ。
 俺がじろじろと新たに現れた兄ちゃんを観察していると、彼は門番をずいと押しのけて前へ出てきた。その動作を見てなんだか嫌な予感がした。ちらりと横にいたキーラの顔を見てみると、やたら不思議そうな表情で相手の顔をじっと見ていた。
「君たちがラットロテスからの使者か」
 相手は口を開いて俺たちに質問をぶつけてきた。だけど想像していたよりも偉そうじゃない。嫌な予感がしたんだけど、それは見事にはずれてくれたのだろうか。
 代表としてヴィノバーが一歩前へ出た。
「そうです。俺たちはラットロテスの司教より、あなたに手紙を渡すよう頼まれたのです」
 あなた。
 ……やっぱりそうだったの?
 でもおかしいな、この兄ちゃんはそんなに偉そうに見えない。確かにラットロテスの司教様もかなり情けない人だったけど、でも人前ではそこそこ偉そうに振る舞っていたもんな。あの司教様でもそうしていたんだから、こんな異教徒の前で偉そうにしていないと、周囲から非難されたりしそうな気がするんだけどなぁ。
「そう。手紙は確かに受け取った。だから君たちはもう帰ってよろしい。これ以上ここにいる理由などないはずだ」
 なんて思ったけど、ほんのちょっとだけ偉そうな気がしてきた。せっかく苦労してここまで来たっていうのに、休憩もさせてくれないでさっさと帰れってか? あーなんかむかついてきた。俺はさっきまでキーラを背負って疲れたんだよ、理由なんか知らないから休ませろや。
「確かにもうここですることは何もねーけど……」
 不満なのは俺だけじゃないようだった。ヴィノバーは潔く引き下がらないで、何か言いたげに頬を掻いている。異教のボスを相手にすると気を遣うのか、なかなか言いたいことをはっきり言えないようだった。まあ俺も人のことは言えないけど。
「なあ、シェオルさん。あたしは魔法王国の人間なんだけどさ、あんたらが全国の教会に対して戦争をおっぱじめようとしてるってのは本当なのか?」
 俺たちがぼーっとしてると、横から姐さんがかなりストレートかつ馴れ馴れしく相手に質問した。いいのかね、そんなふうに話しちゃっても。一応この兄ちゃんがここのボスなんだろ? いくら姐さんが魔法王国って所のお姫様とは言え、きっとこの兄ちゃんもしまいには怒り出すぞ。
「戦争?」
 ほらみろ怒りの前触れが現れた。うう、もう逃げようかな。姐さんって初めて会った時はいい人のように思えたけど、本当はとんでもなく冒険好きな勇猛果敢な人のような気がしてきたぞ。
「確かに君たちから見れば、我々の行為はそう認識されるのかもしれない」
 静かに相手は言葉を漏らす。その静けさに似合わず、言葉の意味はとても動的なものだったけれど。
「分かってほしいとは言わない。しかし、居もしない神を信じ、神に救われると勘違いしている人の目を覚ますには、こうする他に方法はないんだ。だから私はラットロテスに宣戦布告をした。それを覆すことは決してないだろう。――そして、明日。我々はラットロテスに攻め入る」
「そんな! ちょっと待ってくれ!」
 慌てたヴィノバーの声が頭に響いてきた。でも今はそれどころじゃなかったんだ。
 どうなってるんだ、これは。戦争が始まるって? それも明日? 相手は神に現(うつつ)をぬかした人の目を覚ます為と言った。でも戦争になったら、人が死ぬんじゃないのか? なんかわけが分かんねーぞ。なんで戦争をすることが目を覚ますことに繋がるんだ? どうせろくな結果しか生まれないだろうに。
 つーか神を信じるとか信じないってのは人の勝手じゃないのか? ヴィノバーは修行僧だから信じてるだろうけど、俺は神とかそういうのは全然信じないタイプだ。そりゃたまには神頼みとか言って神社にお参りに行ったりもするけど。日本人ってのは基本的に宗教には疎すぎるほど疎くて、でも自分の信じてることを他人からとやかく言われると、日本人である俺だって腹が立たずにはいられなくなるんだ。
 こいつ、それすら分かってないんじゃないのか? それでもナントカ教のトップかよ。はっ、大したことない宗教だな。こんな奴ら、ラットロテスに潰されちまえばいいや。
 ……あ、でもラットロテスにはむかつく修行僧やら司祭やらがいっぱいいるんだった。前言撤回。こんな奴ら、ヴィノバーと司教様に潰されちまえばいいんだ。
「戦争なんかしたって、人々の中から神の存在が消えるわけじゃないだろ! あんたらが神を信じてないのは知ってるけど、でも俺たちはあんたらをどうにかしようだなんて考えちゃいない。そうやって今まであんたらに干渉したりしなかったのに、戦争だなんてあんまりだろ!」
 そうだそうだ、もっと言ってやれ、ヴィノバー! 俺も影ながら応援するぞ! 心の中だけで。
「私は君の意見など聞いていない。ラットロテスの司教殿がどのような手紙を私に寄こしたのかは知らないが、私は明日に必ず君たちの元を訪れるよ。必ず、ね」
 怪しくそれだけを言い残し、若い兄ちゃんは歩いて町の中へ入っていった。そうすると門番が入口の前に素早く立ち、さっさと立ち去れと言わんばかりの目でこっちをじろりと見てきた。
 何なんだよ、これ。本当に戦争が始まるのか?
「どうすりゃいいんだ――あいつ、本気でラットロテスに攻め入るつもりだ」
 落胆のあまりか、ヴィノバーは地面にすとんと膝をついてしまった。……なんだか可哀想だ。
「ヴィノバー、ぼんやりしてる暇なんてないよ。こうなりゃあいつらより先にラットロテスに帰って、司教って人にこのことを伝えないと!」
 姐さんはぐいとヴィノバーの腕を引っ張り、無理矢理彼を立たせてしまった。俺は哀れみの目で見てたってのに、すごい行動力だな。さすが姐さん。
「しかし彼らより先に帰ると言っても、どのような方法で素早くここから帰るのだ? ここに来るには一日以上かかったではないか」
「あ、そういやそうじゃん! どーするんだよ姐さん」
 珍しくまともなことを言ったキーラと意気投合し、姐さんの答えを待つ。でもそれは、俺たちが心配するべきことではなかったようだった。
「大丈夫さ、ラットロテスには行ったことがあるんだ」
 そう言って腕を前にのばし、姐さんの周囲に光が集まっていく。これはきっと魔法だ。どこまで便利なんだ、こん畜生。
 苦労が一度だけで済むのなら、魔法に頼りたくなる気持ちも分かる気がした。一回行った場所に飛んでいくっていう文句はゲームの中でよく目にしたけど、それを実際に目の前で行われると、そういったことがさらに現実味を増して感じられてきたんだ。
 眩しくなって目を閉じて、もういいかなと思って目を開けると、視界の中にはちょっと古めかしい感じの大聖堂が建っていた。
 俺たちは戻ってきたんだ。とんでもない失敗を引き連れて。

 

 

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