48

 目を閉じたって夢は見えない。
 目を開けたって真実は見えない。

 

 最近は本当に森ばかり見ている気がする。今もまだ森の中でさまよっており、これじゃルピスの森に突入したかどうかさえ分からないんじゃないかとどうしても思ってしまう。こんな適当にふらついててもちゃんと目的地に辿り着けるのかね。
 俺の前を歩く兄さんは、朝から一度も立ち止まらず前進を続けていた。そんな兄さんの後ろ姿を俺はただ無心に追う。これから起こるだろうことを予想したり不安に思ったりすることもなく、今の俺にできることをしようと考えたから。キーラも黙ってついてきていた。もうすっかりヴィノバーの持ち運びにも慣れ、手にバケツを持っていることが当然であるかのように歩いていた。
 兄さんの前進が止まると俺もキーラも止まることになる。それが訪れたのは昼になりかけた頃で、森から覗く太陽が眩しい光を頭上から降り注いでいる時刻だった。
「なんだ、あんたら」
 兄さんが立ち止まると同時に誰かの声が聞こえてきた。それはどこからどう聞いたって、ただのガキの声だった。
 ひょいと兄さんの横に顔を出し、相手の姿を確認してみる。そこには緑の髪をした子供が一人と、後ろの方に赤い髪をした子供が立っていた。そのうち、緑の方が兄さんの顔を見上げている。おそらくこっちの奴がさっき話しかけてきたんだろう。
「こっから先には小さい村しかないぜ。もしかして迷子か?」
 なんだか偉そうな口調で緑の方が言う。そういや俺たちはまだ村にさえ着いてなかったんだった。こいつらはその村の子供ってことだろうか。
「お前たちには関係のないことだ」
「あっ、こら!」
 子供を無視して兄さんは歩き出す。しかし緑の方が兄さんの服を掴み、おかげで前進が阻まれてしまった。
「あんた魔法使いだろ。そんな奴が堂々と村に入れると思ってんのか?」
「そんなことは関係ない」
「分かってんだぜ、俺は。どうせ目的はルピスの森だろ。でも森は村を経由しないと入れなくなってんだ。だからあんたは嫌でも村に行かなきゃならないってことさ」
「それがどうした」
 無感情な声が飛ぶ。
 しかし兄さんは若干苛ついているようだった。相手は背伸びしても大人になれない子供だというのに、鋭い言葉で脅して無理矢理遠ざけようとしている。何に対して苛ついてるのかは分からないけど、自分を見過ごしてくれないことだけが理由ではないような気がした。こんな山奥で、こんな子供に、自分の存在が知られているということは、なかなか苦痛なことなのかもしれないから。
「なんだよ、そんなに怒ることないだろ。せっかく俺がルピスの森まで案内してやろうとしてたのに」
 面白くなさそうに言う緑の髪の子供。その傍らで黙っている赤い髪の子供は、何を言うでもなくぼんやりと、大きな兄さんの姿を見上げているだけだった。
「俺の言うこと、聞く気になった?」
 ころりと表情を変えた緑の方は顔に笑みを浮かべ、試すような目で兄さんの顔を見た。兄さんは相変わらず何も映さない表情をしていたけれど、その中に潜んでいた静かな苛立ちは消え、逆に戸惑いや驚きのようなものが表に現れかけているように見えた。それを察したかどうかは知らないが、緑の髪の子供は頷き、ちょっと得意そうな顔で前を向いて勝手にすたすたと歩き出してしまった。その後を赤い髪の子供がゆっくりと追っていく。
 兄さんは少し俯いた。何か考えているようだった。珍しく顎に手を当て、考えている仕草を俺たちに見せている。こんなに分かりやすい仕草を見たのは初めてだったかもしれない。
「レーゼ殿、あの子供が行ってしまうぞ。追わなくてもよいのか?」
 そんなあからさまに考え事をしている兄さんに、空気を読まない大僧正様は容赦なく声をかけていた。お前なぁ。人の考え事の邪魔すんなよな。
「……もし」
「え?」
 小さな、風にさえかき消されてしまいそうな呟き。それが聞こえたことが奇跡と思えた。
 俺は耳を澄ませる。
「もし、ルピスを封印から解放し、ルピスが力を放出すれば、……生身の人間ではそれに耐えられないだろう。だから彼らは、森へ行くべきではない……と、思う」
 ぼそぼそとした声ではあったが、それは確かに兄さんの本音だった。
 なぜなんだろうな。こんな森の中じゃ、女王の目も届かないと考えたからだろうか。でもすぐ傍には俺たちがいる。俺たちが女王に告げ口したりする可能性を考えなかったんだろうか? それとも、ただ単に、もうすっかり俺とキーラのことを信用してしまったのだろうか。エアーがいた森の中で、全員の姿が見えなかったのは俺だけだったのかな。
「まあ、とりあえず今はあいつらを追おうぜ」
「あ、ああ……」
 俺の誘いに肯定した兄さんは、その辺りにいる普通の人間のように見えた。

 

「ここがルピスの森だぜ」
 緑の髪のガキが偉そうに語る。しかし、どこからどう見たってさっきまでの森と何も変わっちゃいなかった。唯一違うと分かるのは、人が使っているだろう道具だとか切り株だとかが並んでいるということくらい。
 結局俺たちは子供二人に案内されるがままに、森の中の道なき道を歩いたのであった。もともと道じゃない場所を通ったんだから多少の疲労は仕方ないとしても、草むらをかき分けたり木をよじ登ったり川を飛び越えたりなんかして、もうあらゆる意味で大変だった。そもそも俺は根っからのインドア派の現代っ子なんだ、そんな野性児のような真似ができるかっつーの。とか言いつつついて来ちゃったんだけどな。
 そうして辿り着いたのが普通の森だから面白くない。もうちょっとエアーの森みたいな何かが欲しいよな。本当にこんな場所にルピスは封印されてんだろうかって疑いたくなっちまうや。
「それで、ルピスはどこにいるんだよ」
「こっちだ!」
「えっ」
 早いとこ終わらせようと口を開いたら、緑のガキに腕を引っ張られてしまった。とりあえずさっきまでとは違って道があるから安心だけど、なんで俺を引っ張っていくんだよ。ここは普通に考えて兄さんだろ。
 ずるずると引きずられた先には何やら洞窟のようなものの入口が見えた。しかしその入口を怪しげな木箱が塞いでいる。とはいえ、そんなもん蹴り飛ばしたら終わりだよな。なんて意味のない木箱なんだ。まさかこれがルピスの封印だなんてことは言わないよな。……よな?
「この木箱が邪魔でこの先に入れないんだ。だからこの洞窟の中に何か秘密があるはずだと俺は思ってるのさ」
 そう言ってエヘンと腰に両手をあてる子供。それは誰が見ても子供の背伸びにしか見えないかもしれないけど、こういった背伸びを含めての姿がこいつなんだと考えたら、それもまた当然のことなのかもしれないと思った。まあ言ってることは滅茶苦茶なんだけど。
「おいこら。こんなぼろそうな木箱がなんで邪魔になるんだよ。中に入りたいならこんなもん焼き払っちまえばいいじゃんか」
「アカツキよ、そんなことをしてはこの森がなくなってしまうぞ」
「いや冗談だって――」
 いつの間にか俺の後ろまで来ていたキーラにつっこまれてしまった。なんだか背中から冷水を浴びせられた気分だ。
 よく見てみると兄さんともう一人の子供もちゃんと来ていた。これで役者は揃った、とでも言うべきなのか。しかし行く手を邪魔しているのがこんなぼろい木箱だからいまいち締まらない。ここに封印を守る魔物とかがいたら物語的にも面白いのになぁ。現実はただの箱かよ。
「この先にルピスが封印されているのか」
 兄さんが静かに木箱の前に立つ。片手をそっと木箱に添え、しばらくじっとしていると、ボンという派手な音を立てて木箱が爆発した。……いや、誰も爆発させろなんて言ってないんだけど。無残に爆破された木箱は灰となり、風に運ばれてどこかへ連れ去られてしまった。
 とはいえこれで洞窟の中に入れるってもんだ。このガキはこの箱が邪魔だとか言ってたけど、どの辺が邪魔になったってんだよ。すぐに壊れたじゃないか。嘘ばっかり言いやがって。
 なんてことを考えていると、ポンという間の抜けた音が聞こえてきた。そして目の前には見慣れた木箱の姿が。
 ……何この展開。こんな主人公を困らせるような設定はいらないって!
 復活した木箱を無言のまま眺める一同。同じようにそれを眺めていた兄さんは、これまた無言のままで再び木箱を派手に爆発させた。なんだか星が見えた気がした。しかし一つまばたきをすれば木箱は元通り。負けじと木箱を破壊する兄さん。すぐに復活する邪魔な木箱。目に見えた変化といえば、兄さんの魔法の派手さが増していったということくらいで、最後には悪役の好きそうな禍々しい模様が宙に浮いている怪しい魔法までお披露目してくれたのであった。しかし木箱は無傷のまま、平気そうに現れるから腹が立つ。
 兄さんはくるりと振り返った。しかし目が座っている。そういやこの人には体が弱いとかいう設定があったんだったっけ。まさか、魔法を使いすぎて疲れちゃったとか?
 いや、この目、俺を見ている。じっと俺のことを見ている。口で話すのが面倒だから視線で分からせようという魂胆が見え見えな目で凝視している。もしかして疲れたんじゃなくって、この木箱にキレたのか? そしてその怒りを俺にぶつけてるのか? なんでそんなことしてくるんだよ。本当にそうだとしたら、いくら俺だって悲しんじゃうんだぞ。
「アカツキよ、今こそ鍵を使うのだ」
「え……あ、そうか」
 横からのキーラの言葉によって一気に現実に呼び戻された。危ない危ない。兄さんの気迫に負けて潰されちまうところだった。つーかレーゼ兄さぁ、鍵を使ってほしいんならちゃんと口で言ってくれよな、もう。おかげで変な汗かいちまったじゃないか。
 ごそごそとポケットをあさり、金色に煌めく鍵を取り出す。しかしこの鍵も最初はただの拾い物だったのに、なんでここまで重要な役割を押し付けられたんだろうなぁ。というか持ち主は困ってないんだろうか、今更だけど。……いや、よく考えたらこれって、俺がこの鍵を盗んだってことにもなりかねないんじゃないのか? おいおいおいおいちょっと待ってくれよ、そんなの冗談にしても厳しすぎるぞ! そりゃ道端で拾った物を交番にも届けず持ち歩いて、しかも勝手に神木の力を鍵に加えたりなんかしたら間違いなく泥棒と同レベルなんだろうけど、でももうこれしかルピスを解放できる鍵はないわけだし――ああ、なんてこった! 頭が混乱しちまってる。世界がぐるぐる回ってる。うおお、もう何も考えられねえ! 封印だか何だか知らないけど、この際何でもいいからぶっ壊れちまえ!
 そうやって頭がくらくらする中、視界の中にちらついたのは、木箱の消え去った洞窟の入口がこっちに向かって口を開けている姿だけだった。

 

「お前たちは家へ帰っていろ」
 兄さんの声が聞こえる。また冷たい無感情な声だ。
「やだよ、せっかくルピスの謎が解明できそうなのに、ここで引き返すなんて絶対嫌だ!」
 対抗してるのは緑の髪のガキだ。いや、ガキって言い方は失礼か。でもガキはガキだからな。大人なんかじゃない。
「レーゼ殿は君たちの身を心配しているのだぞ。この先は何があるか分からない。そんな場所に君たちのような将来性溢れる子供たちを連れて行くわけにもいかないだろう」
 やたらガキたちを持ち上げた言い方をしたのは意図的なのか、大僧正様が普段通り偉そうな口調で子供を諭しているようだ。
 そして俺はどうなっているんだろう。何をしているんだろう。
 何も分からない。何も知らないから。
 この先に起こることが簡単に予想できたなら、誰だって明日に怯えたり苦労を重ねることはないのだろう。それが不可能だと分かり切っているからこそ、負の感情が内から湧き上がってきてしまうんだ。
「……分かったよ。あんたらがそこまで言うんなら、俺たちもう帰るよ」
 ゆっくりと瞳を開く。
「そうだ。お前たちはここにいるべきではない。ここにいるべきなのは、本当なら一人きりで良かったはずだから」
 最初に見えたのは青だった。
 ……え、青って何。
「げっ!」   
 はたと気づけば俺はキーラの背中に乗っていたのであった。つまりおんぶされてるんだ。さっき見えたのは髪の青だったようだ。つーかこの大僧正、ヴィノバーはどうしたんだよ! まさかおんぶしながら持ってるのか? それとも置き去り? はたまた兄さんが運び屋に?
「お、アカツキよ、ようやく目が覚めたか」
「下ろせ!」
 とりあえず暴れてキーラから下りた。これでようやく安心でき……るわけじゃないけど安心できる。とりあえず地に足がついてる分マシだ。
 慌ててヴィノバーのバケツを探す。キーラの手の中にはなく、兄さんが持っているわけでもなかった。ということはこいつら、ヴィノバーを置き去りにしてルピスの封印を解こうとしてやがったのか? 俺がここまで来た目的を忘れたのかよ。
 なんてちょっとキレかかったが、結局俺はキレなかった。なぜなら俺のすぐ横でヴィノバーのバケツが宙に浮いていたからだ。
 この森に来てから変なことばかりに出会うな。木箱は復活するしバケツは浮くし。一体俺にどんな恨みがあるわけ? そんなに非常識な様を見せつけるのが楽しい? 俺はそんなもの、これっぽっちも望んじゃいない。
「なんでヴィノバーが浮いてんの」
 とりあえず聞いてやった。無視してもよかったけど、それじゃ可哀想だから。
「それはレーゼ殿の魔法によるものだ」
 まぁ、だいたいそんなところだと思ってたよ。まったく不思議現象ってのは全部魔法で片付いちまうんだから。
 周囲を見回すと子供の姿が見えなかった。兄さんや大僧正様の指示通りに家に帰ったんだろうな。天を見上げても太陽は見えず、左右は狭い土壁に囲まれており、いかにも洞窟といった洞穴の中にいることが分かる。しかしどこからか光が差し込んでいて、なかなか明るい洞窟だった。
 この奥にルピスが封印されてるんだろうな。そしてその封印を解いたなら、俺の目標も終わりを告げるのだろうか。

 

 

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