第四話  英雄が生きた時代

 

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 この世に存在してしまった自分たち。
 終わらぬ世界の中で、生命を抱え続ける苦しみ。

 

 ふと光を感じ、俺は目を開けた。
 瞼が重く感じられる。もう長いあいだ眠っていたような感覚で、何かに強く呼ばれているような気がした。
 初めて見えたものは青い空。その中で白い雲が泳ぎ、周囲からは小鳥のさえずりが聞こえてくる。
 体を起こすと皆の姿が見えた。キーラもヴィノバーも地面に寝そべるように倒れ、唯一ルイスだけはちゃんと立っていた。とりあえず二人の頭を叩いて起こし、放心したように立ち尽くすルイスの前に立つ。
「それで? これからどうすればいいんだ?」
 俺は聞くべきことをルイスに聞いたが、当然のように相手は黙ったままだった。そんなことをされても何の解決にもならないわけだが、今はこいつだけを責めることはできない。それにどうしてだか今は苛々しなかった。だから俺は普段より落ち着いていられたんだと思う。
「確かアスターはティターンの世界に飛ばすって言ってたけど」
「ではここがティターンという世界なのか?」
 二人の青年はきょろきょろとせわしなく首を動かし、周囲を確認していた。そんなに慌てて確認する必要なんかないと思うんだけど、俺も一応確認しておくことにしようか。
 しかし俺たちが立っているのは何の飾り気もない、ごく一般的な町の片隅であるようだった。ちょっと遠くの方に誰かさんの家が建っており、すぐ傍にはレンガの壁、足元には雑草とその合間を縫うように生えている黄色い花々。切り取られた絵本の端の情景のごとく、俺たちは神によって無造作にここに放り出されたんだろう。初めに見えたものが大空でよかった。もし魔物の住み家の洞窟とかに放り出されたなら、このティターンとかいう世界をいきなり嫌いになってそうだったから。
 太陽は真上に見える。暖かい光が全てを包み込み、のどかな雰囲気を作り上げていた。耳を澄ませば小鳥の声の他に、子供たちが遊んでいる無邪気な声さえ響いてきた。
 一時の平穏に酔いしれる刹那、あの無を思い出すんだから怖い。
 俺は首を何度も横に振った。いけない。あんなものを思い出してる場合じゃない。あれはすでに歪んで消えてしまったじゃないか。あんな不協和音を奏でるような景色は、今から俺たちが否定できるようにしてしまえばいい。あれに囚われてばかりではいけない。全ての生命や物質の為にも、この過去の世界でやるべきことを成功させなければならない。
「しっかし、ルピスを俺たちの世界に持って行かせないようにするって言っても、一体何をどうすればいいのか全然見当もつかないな」
 何でも正直に言うヴィノバーはもっともなことを言ってくれた。いや、それは俺でも分かってたことだけど、わざわざ口に出して言う必要が感じられなかったから黙ってたんだ。だってそんなことを言ったところで解決策が見つかるわけじゃないだろ?
「ルイスは何か知らぬか?」
 そして何でも正直に言う人がこっちにもまた一人。ずっと黙ったままのルイスに大僧正様は何のためらいもなく質問する。つーかさ、さっき俺も似たような質問したんだけどな。こいつはまた人の話を聞いてなかったんだな。まったく、どこにいても相変わらずなんだな。
 なんてことを考えてると、壁のずっと向こう側の方からがやがやと騒ぐ音が聞こえてきた。この町の人たちだろうか。こんなふうに町の人たちが集まって騒いでるのって、大抵この先にはろくなことがないんだよな。ラットロテスでもペオルムでもそうだった。野次馬の連中は人の不幸で腹を満たして、決して誰かを救おうとはしない。そんな分かり切ったことを今更どうにかしようとは思わないけど、なんだか人々の顔を想像するだけでため息が出てしまうんだ。
「よしアカツキ、あそこへ行ってみよう」
「なんで。別に俺たち関係ないじゃん」
「関係ないかどうかはまだ分からないだろう。見に行ってみても損はないはずだぞ。さあ」
 俺の意見に賛成してくれるはずがない大僧正様は俺の腕を引っ張り、いつものように強行突破を始めてしまった。こうなったらもう逆らう気力もない。ヴィノバーとルイスも当然のようについてきて、完全にキーラが一人でこのメンバーを仕切っていた。
 壁に沿って歩いていくと、たくさんの人が集まっている場所に辿り着いた。どうやらここは町の広間のようで、周辺には整備された花壇が広がっている。さらに遠くの方には巨大な木が生えているようで、この町はレーベンスのような植物園じみた町なのかもしれないな。
 人々の集まりの中央には二人のガラの悪そうな男たちがいた。そしてその二人に腕を掴まれている水色の髪の女性。いやぁ、どこからどう見ても悪役と人質にとられる女性の図ですよ。ここって確か過去だよな? こんな時代からこの図は存在してたのか。ふむ。
「世界樹への道を我々に開け! これは一刻を争う事態なんだ!」
 頭にバンダナを巻いた男が民衆に向かって叫ぶ。しかし町の人たちはざわめくだけで、誰かが何かを彼らに言う気配はなかった。そんな中、腕を掴まれている女性はぐったりとしており、すでに意識はないようだった。まさかとは思うけど、死んじゃったりなんかしてないよな? この世界に来ていきなり人の死を見るなんて嫌だぞ。まあ生きてないと人質にはならないから、あの男二人が腕を掴んでるってことは生きてるんだろうけどさ。
「アカツキよ、世界樹とは何だろうか」
「俺に聞くなよ。神木みたいなもんじゃね?」
 ゲームとかでよく聞く世界樹。この世界にはそんなものがあるというんだろうか。もしこの名前で木じゃなかったりしたら驚くけど、俺はすでに神木を見たからどれほど巨大な木でも驚いたりはしないと思う。
「世界樹への道を開かないというのなら、こいつの命を持って行っちまうぞ!」
 どこへ?
 というつっこみは置いといて、いかにも悪役な二人組は女性の腕を高く上げた。女性はとても軽そうな服装をしており、腰には二本の剣が吊り下げられていた。髪はちょっと長く、頭で一つに束ねている。そして何より『ないすばでぃー』だった。とんでもなく『ないすばでぃー』だった。世の中の全ての男がはっと振り返るような、モデルも顔負けの抜群なスタイルをしている。顔はよく見えないから分からないけど。
 とにかくこういう典型的な悪役は昔から、正義の味方によってあっけなく倒されるというのがお決まりの展開だ。でも俺は正義の味方じゃないから何もしない。ただの野次馬連中その一としてただ後ろから見てるだけ。余計なことに首を突っ込んだりしたら、それこそ本来の目的を見失って暴走してしまうんだから。
「おいこら、なんだかよく分からねーけど、その人を巻き込むってのは筋違いじゃないのか?」
 暴走する役は俺じゃなく、俺の信頼すべき仲間であったようだ。
 まあこうなることは分かってたさ。だから諦めの精神も出てくるってもんさ。真面目で馬鹿正直な修行僧の青年は真っ先に野次馬を押しのけて、二人の悪役の前に立ちふさがっていた。片手にはいつもの聖書を抱え、今にもそれで殴りかかりそうな勢いである。そしてどうしてだかヴィノバーの隣にはキーラも立っていた。自分では何もできなくて召喚しかすることのない大僧正様が前に出ているんだ。
 俺は前に出る気にならないから野次馬に混じってるだけにしようか。ルイスも野次馬の中に混じっていて、ちょっと驚いた表情で俺の傍に立っていた。こうして見てみると普通の奴なのにな。
「なんだお前ら。俺たちの邪魔をするっていうのか、ああ?」
 本当にガラの悪い奴らだな。一人は頭にバンダナを巻き、もう一人は片方の目に眼帯をしている。どこぞの海賊の一味みたいな外見だな。それとも過去にはこういうファッションが流行ってたのか? 俺には理解できないけどな。
「その人を放せ」
「なんでそんなことを命令されなけりゃならないんだ」
「一般人に手を出すなんて外道だろ」
「はっ、俺たちを止められるもんならやってみな!」
 バンダナを巻いた悪役の一人が女性から手を放し、懐から短剣を取り出した。それに対してヴィノバーは本を構える。なんかやっぱり変な図だが、本でどうやって刃物に対抗する気なんだろうか。
 刃物がきらりと光った途端、野次馬たちのざわめきが大きくなった。全体的にゆらりと揺れて、静寂の中に何かが入ってきた時のように熱が発せられる。その鼓動を聞いてちょっと慌てた。このまま俺とルイスはどこかに流されてしまうんじゃないかって。
 バンダナの男は短剣をヴィノバーに向かって投げた。修行僧の青年はそれを本で地面に叩き落とした。何気にすごいことだったのでちょっと感心する。しかし相手は再び短剣を取り出し、さっきよりもスピードのある投げを繰り出してきた。
「町の中で刃物振り回すなんて、あんた警察にお世話になるぜ」
「俺たちは警察など恐れていない」
 あれ、ここって異世界だったよな。異世界にも警察なんてあるんだ。知らなかった。
 なんてことを考えていると視界がぱっと白く染まった。何事かと思ってまばたきをしてみても白から変化はなく、そのまま呆然と立ち尽くす他に俺にできることはなかった。
 いきなり白くなるだなんて、一体何が起こったんだよ? まさか急に目が見えなくなったとか、そんな恐ろしい冗談じゃないだろうな? しかしよく耳を澄ましてみると何の音も聞こえてこない。いや風の音は聞こえる。だけど誰の声も聞こえなくて、急に不安になってきた。また何か怪しいことに巻き込まれているんじゃないだろうか。この白い景色――あれ、待てよ。この感覚はどこかで覚えているような気がする。どこか遠くじゃなく、ずっと近くの方から感じる感覚。これは、そうだ、これは鍵だ。鍵の力に触れた感覚だ。
 ふっと風が吹くように白い全てが消え去った。次に見えてきたものは決して安心できるようなものじゃなかったけど、通常の視界が戻ってきたようだからほっとせずにはいられなかった。
 しかしそこにヴィノバーとキーラはいなかった。ついでにあの悪役二人と囚われていた女性もいない。さっきと変わらないのは野次馬の連中だけで、横を確認するとルイスもちゃんといた。
 消えた一団を目の当たりにして町の人たちは再びざわめき始めたが、やがてそれは過去の出来事に変わり、今を生きる為に人々は散っていった。するすると気持ちいいくらいにいなくなった住民に取り残され、俺とルイスはぽつんと虚しく立ちつくしている。こんなことってあるだろうか。別の世界の過去に来て、これからどうするかも分からないまま、典型的な悪役に喧嘩を売った仲間が消え、野次馬にもなり切れずに二人で虚しく取り残される。これを俺にどうしろっていうんだ。どうすればいいかなんて少しも分からない。
 ルイスはこっちを見た。俺もルイスを見た。でも何も言葉が出てこなかった。どうしていいか分からないから、何も言えなかったんじゃなかったんだ。
 とりあえず歩き、花壇から離れてみた。近くにはたくさんの家が並んでいる。それはどこか中世ヨーロッパのような古臭さがあり、決して綺麗とは言えない景色が俺の目に映った。しばらく歩いてみて急に立ち止まった。何か立ち止まらなくてはならない理由が欲しかったけど、そんなものが都合よく落ちているわけがなかった。
 後ろを振り返るとルイスがついてきている。本当ならあと二人必要なのに、ここにいるのはたった二人のみ。
 たくさんの人が俺たちの横をすれ違ったが、その誰もが俺たちに声をかけてくることはなかった。別の人との話し声なら聞こえるけど、こっちに向けられる視線は一つとして存在しない。こんなに大勢の中でいるのに、まるで期待もされていないような、消えても誰も気付かない存在であることを強く感じさせられた。
 二人でいるはずなのに孤独を感じる。そしてそれは本当に一人きりになった時よりも、うんと辛くてやるせないものなんだということが改めてよく分かった。

 

 

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