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 今はただ、困惑を少なくしていたい。
 だからこそ、全てを知っておきたいと思ってしまうんだろう。

 

 ふらりふらりとあてもなく歩いていると、町の外側の方に遠くまで広がっている森の姿が見えた。異世界ってのはどこでも森ばかりが無駄に多いんだな。ゲームでは森より洞窟の方が多かった気がするが、実際に洞窟だか塔だかが大量に俺を待ち構えていたら、と考えると逃げ出したくなる。そう考えると森でよかったんだろうな。いやよかったかどうかは別問題か。
 とりあえず今は人気のない場所まで行くしかない。森の中なら一般人が普通に生活してるってこともないだろう。もしかしたら木こりとかがいるかもしれないけど、まあその辺は後から考えることにしよう。……なんて、そういうふうに考えていたから後悔する羽目になったんだけど、今は恐れを知らない果敢な精神で動くしかないんだろう。
 森に近づけば近づくにつれ、人々の生活の音が遠ざかっていった。話し声や歩く音、畑を耕す音や水車が回る音など、非常にのどかな音が次々と消えていく。それらが完全に聞こえなくなる頃、俺たちはすっかり別世界に放り込まれてしまっていた。上を見上げれば木々の葉に隠れた空が顔を見せ、下を窺うと踏みならされた緑の草や小さい花が揺れている。もう何度も見てきた景色だった。何もかも知ったつもりでいた、すでになくなった景色だった。
「さーてと」
 いつまでも過去のことを引きずってる場合じゃない。俺はくるりと振り返り、後ろからついてきていたルイスの顔を見た。
 俺が立ち止まったからルイスもまた立ち止まっていた。突然振り返ったからか、少しばかり戸惑っているように見える。
「そろそろ説明してくれないかな。もうここまで来ちまったんだから、俺だってルピスのこととか知っておきたいし」
 ルイスはちょっと目をそらした。しかしすぐに俺の目を見てくる。
 それでもその口はなかなか開かなくて。
「別に全部話せって言ってるわけじゃないさ。とりあえずさ、どうやってルピスをあの世界に持って行かれないようにするかってことくらいは知っておきたいんだよ。それが分からないとどうしようもないだろ?」
「――どうして」
 俺の台詞を強く拒むかのように、ルイスにしては珍しい低い声が返ってきた。
「どうして彼らがいなくなってから、そんなことを聞くんですか」
 ちょっとどきっとした。今更敬語かよ、と思ったが、そんなことを気にしてる場合じゃないことは分かっていた。だけど相手は少なからず恐ろしい雰囲気を醸し出している。それは強い力で無理矢理ねじ伏せようとする男の持つ覇気に似ていた。
 一呼吸置き、すうっと息を吸いこんでからゆっくりと吐き出す。やはり森に来て正解だと思った。
「あいつらがいたら話しにくいんじゃないかと思って。今だって、無理して喋って説明してくれなくたっていいんだぜ」
 ルイスは黙ってこっちを見ていた。特に感情の見られない顔をしている。そういうことされたらどうしていいか分からなくなるんだけど、それを底から理解する必要なんてこれっぽっちもないんだろうな。
 俺は懐から金色に光る鍵を取り出した。神木の力の宿ったこの鍵。俺が念じれば反応してくれるこの鍵は、闇の意志と呼ばれていたルピスを復活させた。それだけの力を秘めているというのなら、もっと小さなことなら何だってできる気がした。
 目を閉じ、少し念じた。すると全身に不思議な感触が走っていく。何もかもがざわざわして気色悪くて目を開けると、俺の前方の空中に紙とペンがふわふわと浮いていた。それらを手で掴み、ルイスに差し出す。
「ほら。これで説明してくれよ」
「あなた……」
 ルイスは戸惑っていた。そのままおずおずと紙とペンに手をのばし、それでもしっかりとそれらを掴む。
 口で話すのが嫌なら筆談すればいい。昔から分かり切っていた手法が使えるのなら、それをわざわざ無視することもないだろう。
 近くにちょうどいい木を見つけ、それにもたれかかるようにして地面に座る。それでもルイスは立ったまま動かず、じっと紙とペンを眺めていた。これは声をかけるべきだろうか。いやいや、変に反応を促しては相手に失礼だ。
 なんて悩んでいると相手からこっちの様子に気づき、ゆっくりと歩いて俺の前に立った。そして思いっきり見下ろされる。こういうアングルはやはり嫌なもんだな。途端に相手の嫌いな部分だけが甦ってきて、ぎゅっと手を握り締める。
 ルイスは俺から視線を外し、ちょうど俺の背中側の方へ行ってすとんと座り込んだ。あーあ。やっぱ俺って嫌われてんのね。顔も見たくないってことかよ。
 俺はしばらく黙っていることにした。ただ今は時が過ぎることだけを感じ、相手の手で教えてくれる事実を待っていようと思った。

 

 +++++

 

 まだそれほど時間は経っていないと思う。そんな早い時に、ルイスは俺に紙切れを手渡してきた。
 俺が紙を受け取ると相手は俺の斜め後ろ側に座った。あくまでも隣には座りたくないらしい。それって地味にいじめだよな。本当にこいつは、なんでこんなにも俺のことを嫌ってるんだろう。
 そんな疑問の答えは誰も教えてくれなくて、今は渡された紙に目を向けてみた。そこにはわけの分からない異世界の言葉ではなく、ちゃんと日本語が綺麗な字で書かれてあった。何気に字が上手いからちょっと嫉妬する。上手いだけでなく読みやすい字だから尚更。
 小さな紙切れには書ききれなかったのか、紙の面積いっぱいを使って文章が書かれていた。

『ルピスは闇の意志ではなく光の意志と呼ばれるべき存在です。しかし闇の意思が世界を滅ぼすものという意味合いで使われるなら、その表現もあながち間違ってはいないでしょう。しかし、我々はルピスのことを光の意志と呼んでいます。なぜなら彼女はその胸にとてつもなく強い正義感を抱えているからです。正義はとてもいいものとして世の中では通っていますが、度が過ぎるとそれはあらぬ方向へと暴走してしまいます。そして歯止めがきかなくなった姿が、ルピスのあの封印されていた姿でした。我々がルピスを封印し、その封印を解かれないようにしていたのは、彼女の行き過ぎた正義によって世界が滅ぼされることを避ける為でした。しかし一般人はルピスのことを闇の意志や光の意志と呼び、本当の姿を知らないままだから、彼女を復活させるにしろ封印するにしろ、どうしていいか分からないままでした。だからあの時になるまでルピスは眠り続けていて、世界は安定した生活を送っていました。しかし魔法王国の人間によって魔法の研究が進み、エアーが守る神木の力に気づき、それを使ってルピスを復活させようという動きが見られた。それに気づいた神は自ら動こうとしましたが、私がそれを止めました。どうあってもルピスのことは私がどうにかしなければならなかったのです。ですが、私一人ではルピスを止めることも、魔法王国の人々を止めることもできませんでした。あと一歩のところがどうしても踏み出せなくて、その迷いが私から全ての力を奪っていってしまったのです。今更言い訳をする気はありません。悪かったのは私なんです。本当ならあなたの手を借りたくはないのですが、私一人ではどうにもできないことなど最初から分かっていましたから。私が私でいる為には、どんな手を使ってでもルピスを止めなければならないのです。汚い奴だと罵っても構いません。理解できないと言っても構いません。だけど、今は私と共に来てほしいのです。そしてその神木の力でルピスを完全に消滅させてほしいのです。ルピスはこの時代ではまだ石の状態でしょう。ルピスは元は源石と呼ばれる石に宿る魂だったので、人間の手によって簡単に持ち運びができるのです。その状態ならば過剰な正義に目覚めることもなく、眠ったままで葬り去ることができます。或いはその方がルピスにとっても幸福なのでしょう。それに、私にとっても』

 文章はそこで終わりを告げていた。裏を見てみても、真っ白で何も書かれていない。
 ルイスのおかげでルピスは『光の意志』だということが分かった。そしてこの時代ではルピスは石ころの状態だってことも。でも、まだまだ理解できないことが多すぎる。なぜルイスがそんなにも過剰にルピスのことを気にするのかも分からないし、どうして行き過ぎた正義が世界を滅ぼすことに繋がるのかもいまいち分からない。そういう細かい部分をもう少し説明してもらいたいところだが、あまり多くのことを聞きすぎると相手に失礼だってことは承知している。それに今はこれだけ分かってれば充分だとも思うから、あんまり先を急ぎすぎて転んでしまわないようにする為には、これくらいの情報量でちょうどいいのかもしれないな。
「それじゃあ、そろそろあいつらを探しに行くか」
 地面に手をついて立ち上がり、思いっきり伸びをする。久しぶりにのんびりできたように思えるのはどうしてだろう。
 俺が立ち上がるとルイスもまた立ち上がった。相手の顔を見てみると、さっき話していた時よりさらに暗い表情をしている。いや、これは暗いと言うより、恐ろしいって感じだろうか。なんだかよく分からないが、とんでもなく睨みつけられているような気がするんだよな。何がそんなに気に入らなかったんだ。俺の存在自体が気に入らないとか言うなよ?
「な、なあ。あの二人がどこに行ったか、分かってたりしない?」
 俺は目を見て話しかけた。それなのに、相手は素っ気なく顔をふいとよそに向けた。
 ……この野郎。
「仕方ねえな、地道に探すか」
 別にいいもんね、俺には神木の鍵があるから。ルイスくんの力なんか借りなくたって人探しくらい一人でできるもんね。
 などという子供みたいな意地を張りつつも、再び鍵を握り締めて念じてみた。あの二人の姿を強く意識しながら。
 そうして瞼の裏に見えたのは、何やら薄暗い家の内部の様子だった。大僧正様と修行僧の青年はランプで照らされた机の前に並んで座っており、その向かいにはあの悪役二人がきちんと行儀よく座っている。そして彼らは真面目そうな表情で何やら話し込んでいた。会話の内容はさすがに聞こえてこないが、どうやら話は穏便に済まされそうでほっとする。
 それらを確認してから目を開くと、手の中に一枚の紙切れが現れたことに気づいた。そいつを見てみると地図のようなものが描かれている。これも神木の力の賜物なのか。なんともまあ、便利な能力を手にしちゃったもので。
「とりあえずここへ行ってみようか」
 地図の右端に丸印がついている。ご丁寧に目的地を教えてくれてるんだから、わざわざこれを無視するってこともないだろう。独り言のように言った言葉はルイスにも届いているはずなのに、相手は相変わらずそっぽを向いたままだった。でもそれもまた受け止めていかなきゃならない事実なのかもしれない。
 こんなことでいちいちへこんでても仕方ないもんな。誰だって嫌いになる人はいる。逆に会う人全てを腹の底から愛せる人なんて、胡散臭いにも程があるもんな。嫌われたから好きになってもらおうとしたって、それって結局、自分で自分の首を絞めてることと同じだと思うから。
 でも仮にも一緒に行動するんだから、少しくらい好いてくれたっていいだろうに。
 ため息が出る。こっちに来てから今まで誰にも嫌われてなかったから、余計にダメージが大きいようだ。日本にいた頃ではこういうことって結構あったんだけどな。いつから免疫なくなったんだろ、俺。
 一人で歩き始めると、後ろからルイスがついてきているのがよく分かった。ふいに立ち止まって振り返ってみると、その場で足を止めた相手が俺じゃない何かを見ていることに気づく。何を見てるんだろうと思って前を向いてみると、そこにあったものは、何の変哲もない空と森の景色だけだった。物言わぬ景色なら、何もかも許してくれそうな気がするから?
 俺はどうしようか。何に身を委ねていれば、この空虚から抜け出せるだろうか。でも今は歩いていよう。自分で言い訳するくらいなら、少しでも理想に近づけるように、一人で頑張らなきゃならないから。自分でやらなきゃ意味がないし、誰も自分の代わりはできない。それが分かっているからこそ、ルイスはルピスのことを気にしているのだろうか。

 

 

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