53

 どうしてこんなことになった?
 時は戻ってくれない、過ちは本当に過ちじゃなくっても?

 

 あんなにたくさんの時間をかけて、あんなにたくさんのことをしてきたのに、たった一つの油断から全てが無に帰ってしまった。しかしそれは本当にあるべきことだったのだろうか。それは本当に必然なことだったんだろうか。俺たちは何も知らないし、今だって一つとして理解していない。ただ分からないことを盾にしているわけじゃなくて、自らの愚かささえ理解しながら、それでも納得できない事実を消し去ろうと懸命に叫んでいた。その叫びを聞くべきなのは誰なのだろう。その叫びを聞くことができるのは、本当に自分自身だったんだろうか?
 町から離れた森の中を歩くこと一時間弱。俺とルイスはいかにも怪しげな小屋の前に辿り着いた。時間はどうしたって戻ってこない。だったらもう悩んでる暇なんてなくて、ただ前へ突き進んでいくしかないんだろう。だから俺はその小屋の観察などすることもなく、ドアノブをぐっと掴んでぐるりと回した。
 ドアに鍵はかかっていなかった。かつてドアを破壊した青年の姿を思い出しながら、ゆっくりとドアを開ける。
 小屋の中は薄暗くて、中に入って行かなくては何も分からなかった。小屋の中へ一歩踏み出すと、途端に足元で埃が舞った。まるで掃除してないんだな。さすがは悪役の居城だ。
 目を凝らしてよく見てみると、床に赤い絨毯が敷き詰めてあることが分かった。しかしその絨毯が不自然に膨らんでいる部分がある。あまりにも怪しすぎる。きっと隠し階段とかがあるんだろうな。
 疑ったまま決めた標的を確認するべく、俺はしゃがんで絨毯を思いっきり上へと引っ張った。するとさして重さは感じられず、絨毯はすぐに埃を吐き出しながら俺に床を見せてくれた。そこには、はたして、地下へと続いている階段が口を開いているのであった。まったく予想通りで面白くないな。何かを隠すんならもうちょっとネタをひねった方がいいぞ。
 なんて、今はそんなことを考えてる場合じゃないか。
 ふとルイスの様子を確認してみると、相手は入口のところで立ち止まったままだった。何をしているのかと思って顔を覗き込むと、何やら暗い表情で下に俯いている。しかしそこに恐れはないようだった。かつて神と呼ばれた青年に会った時は恐れ以外のものは見えなかったのに、今じゃそれ以外の負の感情だけが表に出ているようで、しかしそれが相手にとっての普通であることは分かっているので安心できた。
 この暗闇を嫌っているのか、ルイスはなかなか中に入ってこようとしなかった。もしルイスがこの暗闇に打ち解けられないのなら、俺が相手の緊張を和らげてやるべきなんだろうか。だって俺は相手にとって仲間だし、協力者であるのだから。確かに相手から望んできたことではなかったけど、それでも今のこの事実だけは変えられない。俺はいつになく真面目になっていることに気づいた。それはどこから来た感情なんだろうか。
 俺はちょっと微笑んで、相手に向かって手を差し伸べた。微笑んでみてようやく笑うことの難しさを思い出した。ルイスは俺の目をじっと見た。また無視されるのかと思ったが、相手はじっと目を見たまま動かない。顔に掘りつけられた表情は無であり、人間の最も恐ろしい表情を見せられた気がした。
 やがてルイスはゆっくりと歩き出す。やはりと言うべきか、俺の手には触れなかった。だけど相手は俺のすぐ隣に立った。ずっと俺の斜め後ろにしか立たなかったのに、こんなに近くで同じ目線を持てるようになるなんて、一体誰が想像できたことだろう。
 ちょっと珍しい現象だったので俺はルイスを観察してみることにした。暗闇の中で金髪が光を失っている。それは肩に垂れるくらいの長さで、前髪はちょっと俯いたら目が隠れるほどの長さだった。その容姿は男のようにも女のようにも見える。そういえば、こいつって初めて会った時から性別すら教えてくれてないんだよな。今まではそんなに気にしてこなかったけど、せっかくだから今ここではっきりさせてもらうことにしますかね。
「なあ、ルイス」
 話しかけてもこっちを向いてくれなかった。しかし俺の視線は感じてるはずだ。
 だから容赦なく続けることができる。だってこんなに近くにいるんだから。
「お前ってさ、実は女の子だったりして」
 俺がそれだけを言うと相手はゆっくりと顔を動かし、こっちを見てきた。
 その瞳は深い闇に染まっており、しかし奥に潜む光を俺は見逃さない。
「図星?」
 相手は黙ったままでまばたきをした。そして少し間を置いてから、闇に染まったままの唇を動かす。
「性による区別など、つまらないものです」
 ほほう。
「じゃあお前は男として扱われても、女として扱われても、どっちでも同じくらいに納得できるってことなんだな」
「ええ」
 最後にはいつになくはっきりとした声が聞こえてきて、俺はちょっと戸惑ってしまった。

 

「止まれ!」
 階段を下りた先に伸びている廊下を歩いていると、背後からどすのきいた脅すような男の声が聞こえてきた。正直止まりたくなかったが、ルイスが後ろから思いっきり強い力で引っ張ってきたので止まらざるを得なくなってしまった。何しやがんだこの野郎は。もしそのまま転んで頭とか打ったりしたら、普段は決して見せないとても素敵な笑顔で笑われそうで怖いな。まあそんなことはありえないんだろうけど。
 嫌々ながらも振り返ってみると、ルイスが立っているその先に、いかにも体を鍛えてそうな男が立っていた。そしてその瞳は異様なほど鋭くなっており、顔はガッチガチに硬く、俺とルイスは子供のように見下ろされていた。
「何か用っすか?」
 とりあえず軽く聞いてみた。そうしたら相手ってば、ますます顔を強張らせるんだから面白い。
「貴様ら、我々のアジトに無断で侵入したこと、すぐに後悔させてやる!」
 ほう、アジトとな。やはり海賊か何かみたいな言い方だな。
「来い!」
 なんてのんきに構えていると、相手は俺の腕を掴んでさっさと歩き出してしまった。そんなことされたら俺は、引きずられるようについていく他はない。ちょっと後ろを確認してみたら、ルイスも慌てた様子でついてきてるのが見えてほっとした。あいつを一人にするのってなんか怖いしな。
 そうして連れてこられたのは一つの部屋の中だった。そこにはガラの悪そうな男がいっぱいいる。しかし男しかいない場所だな。姉ちゃんがいっぱいだった魔法王国に帰りてえや。
 俺とルイスの姿を確認したガラの悪い連中は、無駄に揃った動作でさっと立ち上がり、その辺の床に転がっていた各々の武器を手に取って構えた。うっわぁ、治安悪いな。この人たち、今から俺とルイスをボコボコにしようと企んでやがるんだ。
 ま、俺だってそう簡単にやられる気はないんだけど。
「かかれ!」
 俺を無理矢理ここへ連れてきた男が叫ぶ。俺は咄嗟にポケットから鍵を取り出し、ルイスはさっと顔色を変えて片手を前に突き出した。
 ガラの悪い連中は武器を握り締めたままこっちに走ってやってくる。どいつもこいつも不細工な顔の男で、レーゼ兄のようなイケメンは誰一人としていないようだった。
 ――吹き飛べ!
 奴らがすぐ近くまで来て武器を振り上げた時、俺は鍵に強く念じた。と同時にルイスの呪文も発動し、金色と白色の二つの光によって、ガラの悪い連中は一人残らず見事に吹き飛ばされた。
 しかし諦めが悪いのか、奴らはすぐに起き上がって立ち向かってくる。こうなりゃ動けなくしてやる他はないんだろうか。でもどうやって? まさか身動きできなくなるまでボコボコにするわけにもいかないだろうし。
 よし、ここはひとつ、麻痺させてやるか。
 そう思ってちょっと笑ったのがいけなかった。俺がまた鍵に念じようとしたら、横からルイスが俺の鍵を取り上げてしまったのだ。
「なっ、何しやがんだよ!」
 これにはさすがに驚いた。しかしルイス君は黙って前を向いたまま、俺の声さえ聞こえていないように振る舞うだけ。
 はっとしてガラの悪い連中の姿を確認すると、その瞬間にルイスの呪文が発動した。それは白の中に緑色が混じったような色合いの光で、男たちの隙間をするすると流れるように滑っていく。それが奥まで辿り着くと、連中はぴたりと動作を止めて動かなくなった。
 なんだなんだ、また恐ろしい呪文でも使ったのかと思ったけど、俺と同じ発想で麻痺でもさせたのか? だったら俺の鍵を取り上げる必要もなかっただろうに。
「なっ、き、貴様……」
 後ろの上の方から声が降ってきた。そっちに目をやると、さっきの男が驚いた表情で立っている。俺はじっと目を見つめてやった。ルイスもじっと相手の顔を見ている。それに気づいた相手はこっちを見下ろして、半開きになっていた口を慌てて閉じ、額に一筋の汗を流した。
「……お前ら、何の用だ?」
 いくらか落ち着いた調子の声が聞こえた。なんだよ、普通に聞けるんじゃん。
「ここに俺の仲間二人がいるはずなんだけどなぁ。おっちゃん知らない?」
「お、おっちゃ……」
「ねー知らない? 知らない?」
「も、もしかしてあいつらのことか?」
「あいつらじゃ抽象的すぎて分かんないぜぇ」
「そ、それもそうだな。よし、そこまで案内してやる」
「へっ、最初からそうしろってんだよ」
 調子に乗って話していると横から思いっきり腕をつねられた。そうした犯人は考えなくても分かる、間違いなくルイスだ。本当にこいつは、どれだけ俺が嫌いなんだよ、まったく。

 

 連れてこられた場所は薄暗い部屋だった。と言ってもこの小屋の中はどこも薄暗いから、薄暗いという情報だけで全てを区別できるわけじゃないんだけど。
「おお、アカツキにルイスではないか!」
 そうして出迎えてくれたのは懐かしい偉そうな声だった。
「二人とも、俺たちを捜してくれてたのか。いや、無事でよかったよ」
 そう言って胸をなでおろしているのは死体運びの兄ちゃん。キーラもヴィノバーも相変わらずだった。
「言いたいことは山々ある。けど、今はそれを言わないでおいてやるよ」
 俺がそう言っても相手二人は何も理解していないようで、きょとんとした無駄に可愛らしい顔を作るだけだった。本当にこいつらは。俺の苦労も知らないでさ。
「ボス、そいつらがこの二人の言ってた仲間って奴らか?」
 よく見てみると、この部屋の中には多くの人がいた。あのキーラとヴィノバーと共に消えたバンダナ男や眼帯男、さらに顔に傷があるいかにも悪そうな男など、とにかくそういう連中がたくさんいた。そして女の子は誰もいなかった。悲しいくらいにこの部屋の中はむさかった。
 ああ、華が欲しい。サラとかエーネット姐さんに戻ってきてほしいよ、俺は。
「せっかくここまで来てくれたんだ、ボス、そいつらにも計画を手伝わせようぜ」
 なんだか奥の暗い方からバンダナ男が勝手なことを言っていた。何だよ計画って。とてつもなく怪しげな響きだな。
「うむ、それがいいかもしれんな。悔しいがこいつらの実力は本物だ」
「ほーう、そいつはまた」
 俺たちを連れてきた男がここのボスらしい。なんだよ、ボスとかいうくせに、俺とルイスの力を見て思いっきりびびってたよな。こいつら偉そうにしてるけど、全然大したことないんじゃねーの?
「おい、お前たち」
 今度はこっちに話しかけてくる悪役のボス。相変わらず見下ろされる形になって、いい気はしない。
「お頭を呼んでくるからここで待ってろ」
「……は?」
 なんだか変なことを言って、ボスは足早に部屋を出ていった。

 

 +++++

 

「お前たちが俺たちの邪魔をしたっていうガキか」
「はあ」
 ボスと呼ばれていた男が部屋を出ていった後、三十分くらい待たされた先に現れたのは、なんだかここにいる誰よりも真面目そうな一人の男だった。
 相手は黒いスーツ姿だった。さらに頭上にはシルクハットが乗っかっている。髪は黒、目も黒で、パッと見では日本人のようにも見える。年齢は俺たちより年上だが、あのボスとかいう奴より遥かに若そうだった。こいつがここのお頭だというんだろうか。
「ふん、どいつもこいつもひ弱そうなガキじゃねえか」
 そして相手は偉そうだった。さらには口が悪い。相手は部屋の隅に不格好に置かれてあるソファの上にどっかと座り、思いっきりリラックスした姿勢で俺たちを睨んでいた。その前で俺たち四人は綺麗に並ばされている。
 まあ、態度だけは「お頭」に見えなくはないな。
「あなた方は一体何をしようとしているのだ? 街であのような騒ぎを起こして、どんな目的を掲げているのだ?」
 怖いもの知らずのキーラ君はここでも健在だった。まあこいつに限っては、どこでもこのペースを貫き通すんだろうけどな。
 しかしこいつらに目的なんか聞くだけ無駄だろ。こんな悪そうな顔してるんだ、どうせ人攫いとか泥棒とかを生業として生きてんだろ。さっきだって俺とルイスを問答無用で片付けようとしちゃってくれたし。
「世界樹だ」
 なんて勝手に一人で考えていると、相手の男は表情を厳しくして一言吐き出した。
「俺の名はエース。お前たちをここに連れてきたのは他でもない、世界樹の様子を共に見てほしいためだ。なに、心配はいらない。計画はちゃんと練ってある」
 厳しい表情の裏には、どこか楽しんでいるような面影も見えて。
「やってくれるな?」
 口元に笑みを浮かべたその姿は、有り余る自信によって彩られたものだった。

 

 

前へ  目次  次へ

inserted by FC2 system