54

 世界は俺たちを待ってはくれない。
 いつだってそうだったはずなのに、今更どうしてこんなに気にしている?

 

「世界樹?」
 目の前の偉そうな男から吐き出された単語に首をかしげる。それは明らかに知らないものであり、だけど俺にとっては聞き覚えのある単語だった。
「なんだ、お前ら世界樹も知らないのか? 一体どこのガキだよ」
 エースと名乗った相手はちょっと不思議そうな顔をしていた。どうやらこのティターンとかいう世界では、世界樹を知らない奴は問答無用で世間知らずと呼ばれるらしいな。
「我々はこの世界の者ではないのだ。知らなくてもおかしなことはないはずだ」
 俺の横から偉そうな声が飛ぶ。それを聞いた相手は小さい声で「ふうん」と呟いた。そしてなんだか疑っているような眼差しで顔を凝視される。
「世界樹はこの世界を支えている巨大な木。そいつがなければこの世界は安定を失い、瞬時に崩れ去ってしまうだろうな。お前らの世界にはそういうものはないのか?」
 さあ、少なくとも俺は知らないな。そういうのに興味はなかったし。
 ちらりと横を見てみると、キーラもヴィノバーも何やら困ったような顔をしていた。これは明らかに知らない顔だ。実際この二人っていつも家の中に閉じこもってた奴らだもんな。そうやって得られる知識に限界はある。
 さてそれが分かったとして、何でも知ってそうなルイス君はどんな顔をしているのかね。俺はちょっとキーラの横に並んでいるルイスの顔を覗き込んでみた。そこに張り付けられているのは無表情。それはどんな言葉すら容赦なくはねつけてしまいそうな、なんだかよく分からない何かが潜んでいるような表情だった。
「まあお前らの世界に興味はないからな。そういうものがあろうとなかろうと、今は何の関係もない。今回お前らを連れてきたのはその世界樹を見に行くため。どうやら俺が調べたところによると、世界樹に傷がつけられたらしい」
 皆にお頭と呼ばれているエースは偉そうに話す。態度は偉そうに見えて仕方がないものの、喋り方自体は大僧正様よりも遥かに普通だった。それほど偉そうには聞こえない。これなら安心して聞けるかも。
「もし傷がついてるとしたら、それこそ世界に関わる大問題だ。それなのに国の奴らは世界樹を隠そうとしてやがる。このまま放っておいたら、知らない間に世界が滅んじまうかもしれない。そんなことが許されると思ってんのか? 俺はそいつが気に食わなくて、世界樹に本当に傷がついているかどうかを確かめたいんだ」
 なるほどねぇ。
 確かに遊んでるうちに世界が滅んだりしたら、驚いたり嘆いたりするよりまず呆然とするだろうな。その後に襲ってくるのは大抵怒りだ。このお頭の言ってることはなかなか常識的なことであるようで、俺はなんだか嬉しくなってきたぞ。
 とはいえ、こいつ、自分で調べたことだとか言ってたよな。はたしてそれを信じ切ってもいいのかどうか。
「世界樹の前にはいつも見張りの兵がいる。そいつらの目をうまくごまかすことができれば、世界樹の元へ辿り着けるだろう。……お前たちの役割、分かったか?」
 何やら怪しげな光の宿った瞳がこっちを見ている。ああ、この人、俺たちを囮にして自分だけ世界樹のところへ行くつもりなんだ。他にも囮にできそうな人はここにいっぱいいるのに、部下を危険な目に遭わすわけにはいかないとか何とか言って、見ず知らずのどうでもいい人に危ない役目を押し付けるつもりなんだ。
 やっぱ悪役じゃねーかこいつら!
 ……はあ。なんかもう疲れた。寝たい。
 俺が一人でため息を吐いていると、横で顎に手を当てて何やら真剣に考えている大僧正様の姿が見えた。こいつはこいつで何も分かってないらしい。つーか分かれよな、もう。説明すんの面倒臭いんだから。
「おい、ボス」
 そしてお頭はボスを呼ぶ。
 ねえ君たち、やっぱそれっておかしくない? なんでここにはお頭とボスがいるんだよ。そしてどんな基準でお頭がボスより位が上なんだよ。もうわけが分からないんですけど。
「カチェリを呼んできてくれ」
「分かりました」
 一つ返事をしてそそくさと部屋から出て行くボス。なんかあの人、このお頭にいいように使われてる気がする。偉そうな人って人遣い荒いからなぁ。この隣でうんうん唸ってる大僧正様なんか見てたら本当にそう思う。まったく、偉い人ってのはろくな奴がいないよな。……あ、いや、ラットロテスの司教様はそうでもなかったか。恐ろしく情けない人だったけど。
 ボスはすぐに戻ってきた。その後ろに誰かの姿が見える。無理矢理ボスがその人を部屋の中に入れると、小さなランプの光によって相手の顔がさっと照らされた。
 その人はキーラやヴィノバーと共に連れ去られた女の人だった。相変わらず抜群のスタイルをしている。しかし肝心の顔はむっと歪んでおり、とてつもなく機嫌の悪そうな表情をしていた。
「久しぶりだな、カチェリ」
 お頭は偉そうなソファから立ち上がり、女の人の前に行く。水色の髪を一つに束ねている女の人は、そんな相手の様子をじっと睨むように見つめていた。なんだこいつら、知り合いだったのか? それならなんであんな乱暴な方法でここに連れてこようとしてたんだ。
 なんて、理由なら想像できるけど。
「誰だ貴様は……私をこんな場所に閉じ込めて、一体何をするつもりだ!」
 女の人の口から鋭い言葉が飛ぶ。今にもエースに噛みつきそうな勢いだったが、後ろからボスが彼女の腕を掴んでそれを阻止しているようだった。しかしカチェリと呼ばれた女の人はボスの手を力ずくで振り払い、体が自由になった瞬間に腰に吊るされている二本の剣をさっと抜いた。そして片方の剣の切っ先をエースの首筋にぴたりと当てる。……この世界の人もまた、やたら攻撃的で危険であることがよく分かった。できるだけ逆らわないようにしておこう。うん。
 あ、でも今は神木の鍵もあるし、それほど心配することでもないかな?
「……やはり、忘れてしまったか、カチェリ」
「うるさい! 私は貴様など知らん! 気安く私の名を呼ぶな!」
 刃物さえ持ち出された喧嘩はそれでも穏やかなものだった。女の人はもう誰が見てもかんかんに怒っているんだけど、対するエース殿は非常に落ち着いたままで、何やらがっかりしているようだった。こちらもまた目で見て分かってしまう始末なので、なんだかこの二人は似ているような気がするぞ。いや、過去の人はみんなこうなのかもしれない。過去は今と違って、自分を正直に表現できるってことかもな。
「なあキーラ」
 そんな過去の二人組の喧嘩はいいとして。俺は隣でまだ悩み続けている大僧正様に声をかけてみた。すると相手ははっとした表情を作り、こっちを見てくる。
「今のうちに逃げちゃおうぜ。ここにいたら明らかに世界樹見学ツアーに強制参加させられそうだし」
「何を言っているのだ、アカツキよ!」
 なんてことを話してみると、無駄に気合いの入った大声が横から響いてきた。なんでそんなでかい声で話すんだ。お頭に聞こえちまうじゃないか。
 ちらりとお頭の様子を窺って見ると、女の人と向き合ったまま何やら真剣そうに話している。しかし女の人は怒っており、真面目に話を聞いている姿勢には見えない。やれやれ、今の声は聞こえてないようだな。よかったよかった。
 で、このどこでもフリーダムな大僧正様は、一体どんな素晴らしいことをお考えになっていらっしゃることやら。
「この世界の世界樹とは、おそらく我々の世界における神木と同じようなものなのだろう。アカツキよ、君は神木の番人から力を受け取ったのだろう? ならばこの世界の世界樹にも番人はいるはず。その者からならばルピスがどこにいるか聞き出せるかもしれないではないか」
 大僧正様は相変わらず偉そうに話してくれた。しかし、いい加減な話だな。俺はそんな薄っぺらい理由だけで動きたくないんですけど。
「ヴィノバーはどう思う?」
 今度は真面目な修行僧の兄ちゃんに意見を求めてみる。
「俺は別に何だっていいぜ。あんたらが行きたい場所に行けばいいと思う。今は何も分かってない状況だしな」
 これまたいい加減な。結局は人任せかよ。
「じゃあルイスは?」
 最後に博学なるルイス君に訊ねてみた。こいつならなんでも分かってそうだけど、ルピスの居場所だけは分からないそうなんだよな。つーかあの胡散臭い神様も細かい位置は教えてくれなかったし、それくらい居場所を特定するのは難しいってことなのか?
「…………」
 ルイスは黙っていた。またかよ、と思ってひょいと顔を覗き込んでみると、今度は驚かされることになってしまった。だってこいつ、なんだか知らないけど怒った顔をしてるんだ。この展開でなんで怒るようなことになるんだよ。
 なんてルイスの顔を観察していたら、相手の目がさっと動いてこっちを見てきた。一瞬で目が合う。え、何だよ、と言う暇もなく、次に目の前にすごい勢いで飛んできたのは、ルイス君の渾身の力による馬鹿正直なパンチだった。
 体が吹っ飛ばされる。このヤロ、前から意味不明な行動が多かったけど、最近さらにわけ分かんねーぞ! つーかこいつってこんなに力強かったっけ? お前魔法使いなんじゃなかったのかよ。なんかもう考えるだけで疲れた。誰か俺を常識という名の檻へ連れ戻してくれ。
 よいしょと起き上がろうとすると、俺と同じように吹っ飛ばされてきた何かにぶつかる。おかげで俺はそいつの下敷きになってしまった。もう何なの、何が起こってるわけ? 渋々と上を確認してみると、なんだか知らないけどお頭が俺の上に乗っかっていた。片手でシルクハットを押さえており、もう片方の手では腹を押さえている。
「どけ!」
 とりあえず暴れるとお頭はさっさと飛びのいてくれた。やれやれである。
 なんてほっとしたのも束の間、立ち上がるとさっきの女の人がお頭を蹴り飛ばした。そしてまた吹っ飛ばされるエース殿。いや標的が俺じゃなかったのはいいけどさ、なんかもう、同情するよ。可哀想だ。
 ってのんきに構えてる場合じゃなかった。俺にとっての脅威はカチェリって人じゃなくルイスなんだ。そしてその肝心のルイス君の様子を確認してみると、怒った表情でまた俺に殴りかかろうとしているのをヴィノバーとキーラに止められている図が見えた。なんだよもう、なんでいきなり怒るんだよぉ。別に俺、怒らせるようなことなんか言ってないだろ? ただ意見を聞こうとしただけじゃないか。それすら許さないって言うのかよ?
 うう、柄にもなく悲しくなってきた。せっかく俺が心を開きかけてんのに、その相手がここまで俺のことを嫌ってたなんて。こんなことを知ったら、もうこれ以上頑張っても何も変わらないような気がする。そうやって諦めてしまうことこそが最大の恐怖であるはずなのに、この現状を目の当たりにすると、俺はそこへ逃げ込みたくなってしまうんだ。駄目だ、駄目だ。そんなことをしたらいけない、また後悔してしまうから。それは分かっているんだけど、俺の中で彷徨う負の感情は、諦めて楽になればいいと執拗に俺に囁いてくる。視界の端にまた黒いものが見え始めた。こいつら、俺の葛藤を面白がって見に来たのかな。冗談じゃない、こんな奴らに呑み込まれてたまるかよ。
「ルイス! 俺はお前のこと、嫌いじゃないぞ!」
 この状況でルイスに必要な台詞。それがこれだと思った。さすがに「好き」とは言えなかったけど。
 それを聞いたルイスははっとした表情を作った。顔から怒りが消えて、やっと大人しくなったようだ。抱えるようにしてルイスを止めていたヴィノバーが手を離しても、ルイスは俺に殴りかかってくるようなことはなかった。
 はあ。これで大丈夫だろ。
 ちらりと横を見てみると、カチェリに蹴り飛ばされたエースは片手でシルクハットを押さえながら立っていた。そして彼に牙を剥いていたカチェリさんはどこにもいない。ついでにボスの姿も消えているから、おそらく元いた場所に連れていかれたんだろう。
「いや、見苦しい姿を見せてしまったな」
 あまり落ち着いていない様子でエースは言う。見苦しいと言うか、俺は同情してしまったよ。
「しかし君も大変だな……」
 そう言って哀れみの目でこっちを見てくる。なんだ、同情してたのは俺だけじゃなかったのか。っていうか、なんでお互い同情し合わなけりゃならないんだ。何やってんだ俺たち。
「よし、遊びはこれまでだ。今から世界樹に乗り込むぞ、お前たち!」
「ええー」
「ええーじゃねえ! 来い!」
 そう言って無理矢理腕を引っ張られる。また引っ張られるのかよ。なんで異世界の人はみんな腕を引っ張りたがるのかね。現代社会じゃこういうことはあんまりないんだぞ。
 こうして俺たちはお頭に連れられ、世界樹とやらの見学に強制的に参加させられることとなった。結局カチェリって人の正体や、ルイスの突然の怒りの謎は解明されないままになったけど、そんなことを考えたところで世界は止まってくれないから、俺たちは走り続けなければならないんだろう。
 ふとルイスの顔を見てみても、普段通りのちょっと暗い表情をしている。その顔がなんだか急に美しく見えて、俺は自分で言った言葉を一つ一つ思い出してしまったのだった。

 

 

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