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 永遠は形作られるものじゃない。
 瞬間は彩られるものじゃない。

 

「あれが世界樹だ」
 かつて訪れたことのある街の中。俺たち四人は胡散臭いお頭に連れられ、世界樹が見える場所まで来ていた。
 俺たちの周囲には誰もいない。あるのは家の壁や樽や花壇だけで、この空間の音はどこかに置き去りにされたようだった。隣にある家もどうやら空家のようで、ひょいと窓を覗きこんでみると、薄暗い部屋にクモの巣が張っているおぞましい姿が見える。俺はクモが嫌いなんだ。もう見ないようにしておこう、と思いつつ視線を元に戻す。
 ここから見る限り、世界樹はやはり木だった。とても大きな木。それ以外の説明は不要なほど、とっても立派な木だった。
 しかしここは遠かった。もっと近くまで行けばいいものを、このお頭は遠い場所で世界樹の姿を見せてくれる。これだと神木とどっちが綺麗かさえ分からない。おそらく神木の方が綺麗なんだろうけど。
「いいか? お前らは囮になるんだ。お前らが騒いで門番を引きつけている間に俺が世界樹の傍まで行く。今回の仕事はたったそれだけだ。簡単だろう」
 そりゃあんたにとってはね。
 やはり俺たちは囮として扱われるらしい。俺の予想は見事に的中。そんなもん的中してほしくなかったんだけどな。
「そういうわけで、さっさと行ってこい!」
「いてっ」
 四人並んで世界樹を観察していたら、お頭の非情な蹴りによって前へ押し出されてしまった。そんな乱暴することないだろ、もう。しかもなんで決まって俺を蹴るんだ。せめて偉そうな大僧正様でも蹴りやがれ。
「仕方がない、世界樹の前まで行くぞ、アカツキよ」
「面倒臭いな」
「そんなこと言っても仕方ないだろ? とにかく行こうや」
 のんきな青年二人はすっかりお頭を信用しているらしい。俺と同じでお頭に疑いの眼差しを向けているのはもはやルイスのみ。ああ、ルイス。今はお前だけが味方だ。
 そうやってルイスの顔を見ると、さっと顔を別の方へ向けられてしまった。またかよ! どんだけ嫌われてんだ俺。はあ。

 

 そんなこんなで俺たちは、世界樹の前までやってきた。
 世界樹はその周囲を高い壁に囲まれており、その背の半分くらいまでしか姿が見えなかった。
 改めて世界樹を見上げてみると、やはりでかい。しかしでかい以外には特別変わったこともないようで、しかも神木と違って街の中に一本だけ生えてるんだよな。なんだかそう考えるととても不自然なように感じられる。まるで後から取って付けたような、そんな感じに。
 世界樹の前にあるたった一つの入口の前には二人の門番がいた。赤い鎧を着こんだ女戦士が並んで立っている。一人は痩せていて背が高く、もう一人は普通の体型で背が低い。両者ともむすっとした表情をしており、何を言っても聞いてくれなさそうな印象を受けた。
 俺たちのいる場所は門番の二人からは見えないらしい。まあこれで見えたりしたら意味がないんだけど。
 ……で、俺たちは何をすればいいんだっけ。
「なあキーラ」
「ふむ。ここはひとつ、私に任せてはくれないだろうか」
 そう言ってどこからか杖を取り出す大僧正様。ああこいつ、また召喚する気だ。何を呼び出すのかは知らないけど、こいつにできることって言ったら召喚しかないもんな。
「出でよ、星の精霊エミュよ!」
 キーラの言葉と共に周囲がぱっと光る。そしてその光が消えた頃には、俺たち四人の前に見知らぬ少女が立っていた。
「何かご用でしょうか、キーラさん」
 その子は可愛かった。
 声も可愛らしい。顔もふわりとした笑みをたたえていて、金色の髪が風になびく様は美しいとしか言い様がない。若草色のローブはスカートのように風に乗り、何よりその少女には後光が煌めくように薄く光をまとっているようだった。
 キーラの野郎、こんな可愛い子まで雑用に使ってたのか。畜生。
「エミュよ、我々はあそこにいる門番の目を引き付けねばならない。何か派手なことをしてくれ」
「分かりました!」
 は、派手なことって。何頼んでんだこの大僧正。
 大僧正様にいい加減なことを頼まれた少女は、片手をすっと空に掲げた。また魔法か、と思っていると少女の手から光が溢れ出す。
「流星よ、メテオ!」
 そして次にまばたきをした時には、空の彼方から何やら巨大な物体が降ってくるのを目の当たりにした。
 ……何これ。
 降ってきた物体は俺たちの隣に立っていた家を破壊した。轟音によって思わず耳を塞いでしまう。ついでに衝撃波がこっちまで飛んできて、体重の軽いルイスは驚く暇もなく吹き飛ばされてしまった。
「何事だ!」
 しかし作戦は成功らしい。何も知らずまんまとやってきた門番は二人で、世界樹の前はがら空きになってしまったようだ。
 俺たちが何か答える前に、さっき吹き飛ばされたルイスが門番たちの後ろに立つ。そして恐ろしい表情を作って、どこからか取り出した黒い玉で二人の頭を殴ってしまった。それによって門番二人は気絶して倒れる。なんともあっけない展開だな。
「これで俺たちの仕事は終わり、なのか?」
 しゃがみ込んで門番の様子を確認しつつヴィノバーが言う。気づけばさっきの可愛い少女は姿を消しており、ルイスの手の中からは黒い玉が消えていた。ずいぶんおっかない二人だった。それだけは確かなことであり、誰にも否定できない事実であるようだ。
 後はあのお頭がどうにかするだけだな。どうにかできればの話だけど。
「アカツキよ、少し様子を見に行ってみようぞ」
「一人で行けよ」
「君も来るのだ」
 できる限りの抵抗はした。最低限の努力はした。だけどこの輝かしい笑顔を作り出した大僧正様には効果がなく、結局いつも通りの展開になってしまったのであった。
 腕を引っ張られて世界樹の元へ引きずられる。ヴィノバーとルイスは門番の横から離れようとせず、俺とキーラの二人だけで様子を見ることになってしまった。いざという時には神木の力があるから大丈夫だとは思うけど、この大僧正様が何をやらかすかと考えると心配で仕方がない。できれば傍観するだけで終わってほしいんだけど。
「何をする、離しやがれ!」
 ふと耳に入ったのは無駄に聞き覚えのある声。
「世界樹を見せろ、いちいち隠してんじゃねえよ、こら!」
 そうして視界に入ってきたのは、門番につかまって世界樹の外に放り出されているお頭の姿。なんだよ、つかまってんじゃん。何やってんだよあの人は。全然駄目じゃねーかよ。
「……あ」
 そして目が合う。
 地面に座り込んでいるお頭の後ろでは、新しい門番二人が無言で綺麗に並んだ。その表情は相変わらず無表情。無表情こそがデフォルトだと言わんばかりの顔だ。お頭のことなどまるで眼中にないらしい。
「か、帰るぞ!」
「えー」
「さっさと来い!」
 さっと立ち上がったお頭は俺とキーラの手を引っ張っていく。途中で門番の様子を見ていたヴィノバーとルイスに合流し、俺たちは一つの家を壊してアジトに帰っていったのだった。

 

 +++++

 

「もうやめだ、正面から行ったっていいことなんかありゃしねえ!」
 どうやらお頭は荒れているらしい。元の薄暗いアジトに帰った俺たちは、お頭の空っぽな文句を延々と聞かされていた。それはどこか酔っぱらいの言葉のようにも聞こえる。どこのサラリーマンだよこの若い兄ちゃんは。
「国の奴ら、俺たち国民をなんだと思ってやがんだ。世界樹を隠すだなんて、いい度胸してるじゃねーかよ、ええっ!?」
 そう言って机を叩く。
 俺の目の前の白いカップにはコーヒーが入れられている。どうやら俺たちは正式な客人として扱われているようで、とりあえず椅子には座らせてくれたので落ち着くことができる。俺とルイスとヴィノバーはお頭と向き合う形で座っているのだが、なぜか偉そうな大僧正様はお頭のすぐ隣に座っていた。
「おいボス!」
 今度は乱暴にボスを呼ぶお頭。相当苛々しているらしい。そんなに失敗したのが嫌だったのかね。俺なら別に気にしないんだけどな。
「ユリアは家にいるか?」
「この時期ならいると思います」
「よし、だったらカチェリを呼んでこい。ユリアの家まで行ってくる」
 ボスはすっと部屋を出て行く。そう命令したお頭は頭に手をやり、ずっと被ったままだったシルクハットを机の上に置いた。そこから見えるのはやはり黒髪で、俺にとっては非常に懐かしい人のように見える。
「お前ら、今度は正面から入るようなことはしない。空から行く」
「……何それ」
 お頭は妙なことを言う。空から行くって、だったら空を飛んで行くって言うんだろうか。いやそりゃそうなんだろうけど、このお頭は魔法も使えるのか?
 ふと過去の記憶が呼び覚まされる。金色に光る鳥に乗った時のこと。口数の少ない兄さんの背中を見ながら、高く高い空を飛んだこと。
 あの頃俺を動かしていた感情はまだ内にあるだろうか。俺の中の俺の思いは、いつしか誰かにかき消されてしまってはいないだろうか。それほど薄く飛ばされやすい思いだったなら、俺はここまで来ることができなかったはずだ。そうだと分かっているんだけど、あの頃の気持ちは不安定だったから、どうしたってそれは不明瞭な記憶としてしか甦らない。
 幾度否定されても意志を貫き通す強さ。対立者と和解できなくとも決して主張を曲げない勇気。
 望むだけなら誰でもできる。それを実行できた者だけが、本当の意味で素晴らしい人となる。
 俺にもそんな意志があっただろうか。今でも持ち続けているだろうか。そんなことは誰にも分からない。分からないけど、分かってしまうことだってある。
「豊」
 はっとすると誰かが俺の服を掴んでいた。そしてすぐ傍から聞こえてくる、消えそうなくらいに小さな声。
 そちらに目をやると闇に染まった金髪が見える。しかしその顔は前へ向けられており、服を掴んでいる手は机の下に隠されていた。誰も気づいていないようだった。だけど俺にははっきりと分かった。
 だからなんだろうな、俺はその手がかすかに震えていることに気づいても、言うべき言葉をぐっと飲み込んだまま何も口にしなかった。
 そうやって作られた時は永遠のようにも見える。
「あまり、悩まないで……」
 最後にそれだけを言ったルイスは口を閉ざし、普段と変わらない瞳で眼前の空間を見つめた。

 

 

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