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 勇気と正義さえあったなら。

 

 何かにつまづいて転ぶ。思いっきり地面に顔を打ちつけ、みっともないったらありゃしない。
「アカツキ、何やってんだよ」
 そんな俺を引っ張り起こすのは修行僧の兄ちゃん。もう立ち上がるだけで疲れてしまったけど、そんなこと言ったら言葉の鉄拳が飛んできそうなので、俺は何も言わずにただため息を吐くだけにした。
「おいこら! ぐずぐずしてんじゃねーよ、さっさと来ねえか!」
「はいはい分かってますよー」
 ちょっとぐずついただけで文句が飛んでくる。もうやだこんなメンバー。なんでこんなことになったんだよ。俺だってアジトでお留守番していたかった。
 数分前、俺たちはエースのアジトを後にした。なんだか知らないけどユリアって人に会いに行くらしい。当然未来人は全員連れて行かれるのかと思いきや、エース殿はついてくるのは二人だけでいいだなどと仰った。そうして指名されたのは俺とヴィノバー。どういうわけだか留守番となったキーラとルイスは、俺たちがいない間に一体何をしているのやら。まったくあいつらが羨ましいや。なんでこう、俺は厄介事に巻き込まれるんだろう。
 さらにお頭は何を思ったのか、あのカチェリって女の人まで勝手に同行させてしまった。そんなことをしたらまた怒られるんじゃないかと思ったけど、カチェリは外に出られるなら何だっていいと言い、結局すんなり同行が決まってしまった。怒りっぽい人であることは変わらないけど、とりあえず何でもかでもに怒りをぶつけることはないようなのでちょっと安心した。
 そうして歩いているのは森の道だった。地面には石でできた道が草に隠れながら細々と続き、俺たちはその上を堂々と音を立てながら歩いている。未来の世界でうろついていた森とは違い、ここは元々街道だったような面影を残している。まるで遺跡か何かの道を辿ってるみたいだな。そればかりは何もない森を通るより何倍も面白い。もう何もない森は飽きたしな。
 これでメンバーがこんなんじゃなかったらなぁ。
 ちらりと横を見ると水色の髪が見える。死体運びの兄ちゃんは黙々と道を歩いていた。反対側に顔を向けると、こっちにもまた水色の髪が見える。スタイル抜群の怒りっぽいカチェリ殿もまた、口を閉ざして前だけを見ながら歩いていた。今度は前に顔を向けると、黒いスーツ姿の男の背が見える。俺はすっかり三人に囲まれて、逃げることすら許してくれない雰囲気がむんむんと醸し出されていた。一体なんでこんなことになってるんだろう。
 なんてことを考えていると、進むべき道の上に魔物が通せんぼしていた。オオカミみたいな獣に羽が生えた奴が三匹いる。そいつらは俺たちがのんきに近づくと揃った動作でこっちを向き、何やら低い声で唸り始めた。もう襲う気満々だよあいつら。まあ今は神木の力があるから大丈夫だけどさぁ。
「ふん、魔物か」
 誰よりも先に前に出たのは剣を二本構えたカチェリさん。ああ、そいつら倒してくれるのね。いいよもう、俺は戦いたくないから適当にやっちゃって。
「アカツキは引っ込んでろよ」
「はぁい」
 ついでにヴィノバーが俺を守ってくれるらしい。修行僧の兄ちゃんは俺の前に立ち、いつものあの自作聖書を懐から取り出す。そういえば俺が神木の力を自在に操ってるのを見たのってルイスだけだったな。ということは、こいつらは俺の実力を知らないってことか。いや実力って言い方はおかしいけど、それでもこれは何気に都合がいいことかもしれない。このまま黙ってりゃ全員が俺を助けてくれるかもしれないな。ふむ。
「なんだよ、お前は何もしないのか?」
「俺は守られ役なの」
 お頭は片手にピストルを握っている。黒いスーツと言いピストルと言い、その出で立ちはまるでアメリカの映画に出てくる強面オジサンだ。
 魔物三匹は一度大きく咆哮し、こっちに向かって勢いよく飛んでくる。背中についている羽をちょっと羽ばたかせながら、重い図体を軽々しく持ち上げてきた。しかしそいつらは俺の元へ辿り着くことはなく、その前にカチェリの剣の餌食となり、またエースのピストルによって派手に心臓を打ち抜かれた。
 ……魔物とは言え、生命を殺すことには後ろめたさを感じる。今は自分で殺さなかったからいいものの、それでもそこにあるなまめかしさは消えないままで、風に運ばれてきた消えかけた鼓動が俺の頭の片隅に小さな宇宙を作り上げていた。

 

 +++++

 

「ここがユリアの家だ」
「地味な家だな」
 森の中をしばらく歩いていると、とんでもなく地味で小さな家の前に着いた。なんだか木を適当に積み上げたような家だ。これじゃ台風には耐えられないだろうな。周囲を見回しても木しか見えず、どこぞのお頭のアジトとよく似た雰囲気を感じる。まさか「類は友を呼ぶ」ってヤツで、ユリアって人もエースやカチェリみたいな怒りっぽい人なのか? それだけは勘弁してほしいんだけど、その名前だけは綺麗な人は、はてさて一体どんな人物なのか。
「……それはいいが、どうやら結界を張っているみたいだな。ちょっと下がっててくれ」
 ぼろい家を見つめながら、何やらファンタジックなことを言ったお頭。とりあえずそれに従って数歩後ろに下がる。俺がどれほど目を凝らしても結界とやらは見えないんだけど、このお頭にはそいつが見えているらしい。心がすさんだ未来人には見えないってか? 確かに過去には純粋さが残ってるもんな。
 お頭はすっと片手を家にかざす。そして一瞬間だけぱっと光が溢れた。
「これで大丈夫だ」
 はあ。なんかあっけなかったな。どうせならもっと派手なのがよかった。もし結界を解いたのがお頭じゃなくレーゼ兄さんだったなら、これさえ感心してしまうほど派手に演出してくれたんだろうな。
 エースはドアを開けて堂々と家の中に入り込む。「ごめんください」の一言もなしだ。そんな勝手に入って怒られないんだろうか。なんて、俺だってこいつらのアジトに勝手に入ったんだけどな。
 そんな不法侵入を何とも思わないカチェリ殿もまた、エースに続いて堂々とした様子で家に足を踏み入れる。残ったのは俺とヴィノバーだけ。過去の人は不法侵入って単語を知らないのか? なんてことを考えつつヴィノバーの顔を見てみると、何やら困ったような表情をしていた。いや、俺だって困りたいんだけど。
「なあ、アカツキ」
「なんだよ。俺は後から入るからな」
 いつもならこんなふうに取り残されるのは俺とキーラの役目だった。それが今回はヴィノバーだ。まさかヴィノバーがキーラみたいな意味の分からない順番にこだわるとは思ってないけど、一応先に意思表示をしておくことにしたんだ。
 相手はちょっと不思議そうな顔を作ったが、俺が何も言わないのを見て、それをさっと消してゆっくりと口を開いた。
「俺さ、司教のおっさんやコルネスに教えられたんだけど、他人の家に入る時は『ごめんください』って言わなきゃならないんじゃないのか?」
 そして聞こえてきたのはとてつもなく常識的な台詞であって。
 ああ、やっぱり司教様やコルネス司祭は常識のある人だったんだ。二人ともどこか変なところもあったけど、それでも普通の常識を理解してくれていて俺は嬉しい。こんなことで嬉しくなるってのもどうかしてるとは思うけど、それくらいこの異世界って所は常識が壊滅している場所なんだ。そんな中で美しいままに残っている常識を発見できたなら、嬉しくて思わず安堵の息を吐いてしまうものだろ?
「あの、アカツキ、俺が教えられたこと、間違ってるのか?」
「え? ああ、間違ってなんかいないぜ。それこそが普通。それこそが常識。まったくあの二人組は何考えてんだろうな」
「そっか。じゃあ、俺たちはどうしようか」
「勝手に入って怒られるのも嫌だし、俺はここで待っていたいんだけど」
「そうだよな。誰かを怒らせるのは嫌だよな。うん、俺も一緒に待ってるよ」
 あれ、なんだか微妙に意見が違う気がするぞ。
 ヴィノバーは近くの木の傍に行き、そこですとんと座り込んだ。その姿を見て俺は、俺の隣に座ることを拒んだルイスを思い出した。もしあの時の相手がルイスじゃなくて彼だったなら、相手は俺とちゃんと向き合って、俺の横に並ぶことを拒んだりはしなかっただろうか。
 俺はヴィノバーの近くまで行った。ヴィノバーは気持ちよさそうに森の風を受けていた。こんな姿を見ていると、本当に裏表のない人間のように見える。自然の全てを愛せるような、とても優しい青年のように見える。彼なら許してくれるだろうか。俺が隣に座っても、何も言わないでいてくれるだろうか。
「どうしたんだよ、お前も座れよ」
 ぼんやりとしていると相手から声をかけてきた。なんとなくちょっとびっくりして、慌ててヴィノバーの横に座り込んだ。俺はどうしてこんなに隣に座ることを気にしているのか、自分で全く分かっていなかったんだろう。それでもルイスが俺を避けた事実が忘れられない。あいつは俺を嫌ってて、そうすることが当然のことだったはずなのに、なんで俺はこんなにも気にしているんだ。なんでこんなにも悔しいんだよ。
 悔しい? そうか、俺は悔しかったのか。嫌われてることが悔しくて、だから少しは心を開いてくれるようにと、相手のことを気にし始めたのだろうか。だけどそれって、それって――。
「何をしている、さっさと入ってこい!」
 遠くから聞こえた声にはっとする。顔を上げると小屋の入口に立つお頭の姿が見えた。その表情は相変わらず怒っているようで、俺の体は勝手に立ち上がってしまっていた。
 同じように立ち上がったヴィノバーとちょっと顔を見合せ、小屋の中へと足を向ける。木でできた扉をくぐると暖かい光が溢れ、いつか見た暗闇よりも居心地の悪い空間が広がっていた。
「それで全員?」
 小屋の奥の方から女の人の声が聞こえる。それはどこか怒っているような声で、まさか俺の予想が再び的中してしまったのではないかと一瞬ひやりとした。
 そっちに目を向けると知らない人が立っている。その傍らにはカチェリとエースが並んで立っており、俺とヴィノバーはその三人に睨まれるようにして出迎えられたのであった。

 

 流れるような緑と青が混じった色彩の長髪、身を包むふわりとした純白のドレス、深淵さえ覗くことを恐れないような翡翠色の瞳。そんな女性が俺の目をじっと見ている。
「こいつが俺の知り合いのユリアニアだ。呼ぶ時はユリアでいい」
「あ、どうも……」
 横からお頭が相手を紹介してくれた。とりあえずお辞儀をしておこう。
「あなたたち――この時代の人間じゃないわね」
 顔を上げた瞬間、どきりとするようなことを相手は言ってきた。思わず動作を止めてしまう。
「ああ、いいわ。詳しくは語らないで。私はあまり干渉しないようにしているの。それで、エース。あなたの目的は何?」
 俺が返答に困っていると相手は軽く流してしまった。なんだよ、自分で言っておきながら話を終わらせるなよ。びっくりして損したじゃんか。しかしこの人は、なんだかあのレーベンスにいたルーチェとかいう科学者を思い起こさせるな。急に不安になってきたぞ。
「俺たちは世界樹の様子を見に行きたいんだ。それなのに国の奴らが無駄に厳重に警備してやがって、正面から突破することに失敗しちまってな」
「なるほど。それで空から行くことにしたのね」
「ああ。だから――」
「ちょっと待ちなさいよ。あなた何か勘違いしてない?」
 俺やヴィノバーを置いて話は勝手に進んでいく。この二人はどうやら顔見知り以上の関係らしいな。そういう場合はいい返事が返ってきたりするものだけど、このユリアって人はどうしてもルーチェに似ている気がする。そしてそれはどう考えても危ないことだった。あの無機質科学者に似ているということは、世の中の全ての危ないことを集めても勝てないくらいにおっかないことのように思えたんだ。
「私があなた達の頼みを聞いて、私に何かメリットがあるのかしら? あなた達は私に何をもたらしてくれるのかしら? もし私にとって利益になるようなことがないのなら、私はあなた達の頼みなんて聞かないわ。私にはあなた達を助ける義務なんて、これっぽっちもないんだから」
「う……わ、分かった。分かったから、お前の頼みを言え」
「ふふ、よく分かってるじゃない」
 ユリアという名の姉ちゃんははきはきと喋る人だった。しかもその内容は相手を打ち負かすようなことばかり。こうして見てみると、お頭はカチェリにもユリアにも頭が上がらないような駄目男にしか見えない。最初に会った時は他の誰よりも偉そうにしてたのに、今はどことなくラットロテスの司教様に似てるような気がするから不思議だ。異世界の偉い人ってのはみんなこうなのか? もっと頑張れよ男性陣。
「ちょうどね、時の砂を切らしてしまったの。ちょっと東の洞窟まで取りに行ってくれない? このビンに入るだけの量でいいから」
 ユリア姉ちゃんは懐から手のひらサイズのビンを取り出した。まるで最初から用意していたと言わんばかりの準備のよさだ。さてはこの人、エースがここに来ることを事前に予測してたな。時の砂とやらを「ちょうど」切らしたってのもなんだか嘘っぽい。
 何やら面白くなさそうな表情で、エースは渋々とビンを受け取った。反面、ユリア姉ちゃんはそれを見てにっこりと笑う。笑顔はなかなか綺麗な人だけど、その腹の中は今まで会った人の中でダントツで黒そうなのは気のせいだろうか。
「さあ、いってらっしゃい。なんにも思い出せない世界の子と、未来から来た小さな旅人さん」
 不思議な台詞と共に家を追い出される。だけど再び森の風を全身で受けると、ここは全く俺の知らない世界なんだってことが改めて認識されたように感じられた。

 

 

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