57

 大空の声を聞く耳は。
 広がる波紋を眺める瞳は。

 

 ユリアという名の姉ちゃんの家から東へちょっと進むと、人の気配が感じられない洞窟の前に辿り着いた。それは森の中に不格好に存在しており、上を見上げれば崖のような岩が見える。洞窟の中を覗いても真っ暗で何も見えず、いつか歩いた魔物だらけの洞窟のことをふと思い出した。
「ここに時の砂があるらしいが……」
 エースは先頭に立ち、すっと洞窟の闇の中へ消える。それに続いてカチェリが入り、残された俺とヴィノバーも慌てて後を追った。
「あれ」
 洞窟の中に入ると、辺りがぱっと明るくなった。どうやら上から光が差し込んでいるらしい。その光の元を探って上を見上げると、洞窟の天井に光り輝く鉱石のようなものが大量にくっついているのが見えた。あれが自発的に光を放っているのか、あるいはどこかから放たれた光を反射しているのか。どちらにしろ、あの鉱石みたいな石の塊が自然の蛍光灯を作っているようだった。これはなかなか気分がいいな。真っ暗じゃ何も分からなくて、落し物をしても誰も気づかなかったんだから。
「どうやら道が二手に分かれているらしいな」
 斜め前から聞こえたお頭の声にはっとし、そっちに顔を戻してみる。そこには確かに二手に分かれた道があった。一つは上の方に続いており、もう片方は地下へと続いているようだ。
「いちいち両方を探すのは面倒だな。よし、ここは二手に分かれるか」
 振り返ったエース殿は何やら危なっかしいことを言っていた。
 確かに効率を考えればそれが一番の得策かもしれない。けど、なんだかとてつもなく不安だ。何が俺に不安を感じさせているのかなんて分からないけど、何事もないかのような提案の裏で、静かに笑う罠がひっそりと息をひそめているような気がするんだ。
 とはいえ、そんな確証もない不安をさらけ出しても意味がないことも分かってる。だから俺はまた黙っていようと思った。
「俺はカチェリと共に行く。お前らはそっちに行け」
 案の定と言うべきか、お頭は勝手にメンバーを二つに分けた。それこそ誰もが考えそうな普遍的な分け方で。
「断る! 私は貴様などと共には行きたくない」
「なっ、カチェリ――」
「おいお前、私と来い!」
 ……あれ?
 はたと気づけば俺はカチェリに引きずられていた。そうして無抵抗なまま地下へ続く入口へ入っていく。慌てて自分の足で地面に立つと、もうすでにエースとヴィノバーの姿は見えなくなってしまっていた。

 

 水色の美しい光が周囲に溢れている。それを反射する鉱石は洞窟全体を構成しており、いつかの暗いだけの洞窟なんかより遥かに居心地が良かった。それはどこか神木の森を思い起こさせたが、あそこで感じた動的な自然とは全く違うものだということはよく分かった。
 この洞窟は静かだった。それは神木の森のような意図的な静寂とは違い、小さな音を立ててもその音が何かに吸収されて消えてしまうような、そんな不気味でもあり神秘的でもある静けさだった。
 俺の前を歩く人の水色の髪が揺れている。その人は立ち止まることもなく、ただ前へ向かって無心に歩いていた。俺はそれを静かに追い続けるだけ。どこか見えない場所に向かって、大人に手を引かれながら歩いている心地がした。
 そうして歩いていると、後ろの方から魔物の咆哮が聞こえた。張りつめた静寂が一気に破られ、なんだか耳がおかしくなったような気がした。
 カチェリは足を止め、さっと振り返る。その手にはすでに二本の剣が握られており、俺がぼんやりしている隙に戦闘体勢に入ったようだった。
 さて俺は、また見学でもするとしますか。どうせ俺が頑張る必要なんてないんだ、だったら最初から頑張らずに傍観していればいい。相手だってそれを望んでるはずだ。
「魔物か。ちょうどいい、かかってこいよ」
 カチェリの挑発的な声に反応したのか、俺が通ってきた道の方から魔物が現れる。そいつは森の中で会った魔物と同じ種類らしかった。オオカミのような獣に羽が生えたヤツが五匹ほど見える。俺はさっとカチェリの後ろに下がり、それでもいざという時のためにポケットから鍵を取り出した。
「おいお前」
「へ?」
 魔物と向き合ったままでカチェリが声をかけてくる。なんだか意外な展開だったので、軽く驚いてしまった。
「名前は何だ」
 一体どういう意図があってそんなことを聞いてくるのか。
「……皆にはアカツキって呼ばれてるけど」
「そうか。だったらいい」
 いや、何がいいの? 俺にはさっぱり分からないんですが。
 俺が何かを言う前に、魔物が一気にこっちに飛んでくる。それを見ても恐怖が湧き上がってくることはなく、ただ隔離された部屋の中から窓を覗き込むかのように、カチェリが剣を使って魔物を倒す姿をぼんやりと眺めていた。

 

 +++++

 

「あのエースとかいう野郎は何なんだ? 私の名前を勝手に知ってやがるし、薄汚い部屋に無理矢理閉じ込めてきやがるし」
 水晶のような鉱石でできた道を踏みしめながら、カチェリは聞いてもいないことをぺらぺらとよく喋った。
「私はあんな奴は知らない。それなのに奴は私を知っているとか言いやがる。そのくせ奴は私のことを教えてくれない。私が何も思い出せないのを面白がってやがるんだ!」
「はあ」
 なんだか知らないけど、エースはカチェリのことを前から知っているようだった。だけどカチェリはエースのことなんか全く知らない、と。
 確かに知らない奴に「俺お前のこと知ってるぜ!」とか言われたら鬱陶しいよな。その相手が全く知らない奴だったら、そいつを疑いたくなる気持ちはよく分かる。もしかしてカチェリが怒りっぽいのはそのせいか? 全然知らない相手が自分のことを知っていて、さらにそいつがなぜ自分を知っているか説明してくれなくて、それで苛々して怒りっぽくなってるのか? なんかそんな気がしてきたな。そうだとすれば、この理不尽な怒りっぽさも理解できそうに思えてくるな。
「お前はあの男のことをどう思う?」
 そして今度は足を止め、質問される。
 しかしどう思うって聞かれてもなぁ。俺はまだあのお頭のことをよく知らないし、どう答えればいいのやら。
「とりあえず勢いだけで空回りする、ちょっと間が抜けてる人のように見える」
「間が抜けてる人ぉ?」
 俺が正直に答えるとカチェリは顔をむっと歪めた。何がそんなに不満なんだよ。俺は自分の意見を言っただけだぞ。
「はっ、そいつぁいいや!」
 かと思えば急に笑顔になり。
 なんだか人を小馬鹿にしているような顔でカチェリは笑った。これじゃせっかくのナイスバディーが性格のせいで台無しだ。いや、美人って結構こういう性格の人が多いよな。自分さえよければ他の奴らがどうなろうと知るもんか、って感じの。
「私はな、アカツキ。過去の記憶がないんだ」
「ふうん」
 カチェリは腕を組み、何やら壮大そうな事実を語ってくれた。だけどそれについていちいち驚いてちゃやっていけない。記憶喪失なんて現代でもよくあるネタじゃないか。そんなもんが異世界にあったとしても、何も不思議なことなんてありゃしないんだから。
「気がついたらあの町の近くに倒れていて、わけも分からないまま町に入っていったんだ。そしたらあの男の部下みたいな二人組につかまって、あのクソボロ小屋に押し込められたってわけさ」
「そ、そう」
 カチェリはとことんエースを嫌っているらしい。しかしそんな、小屋にまで文句言うこともないような。
「まったく私が何をしたって言うんだ。言いたいことがあるならはっきり言いやがれ!」
「それについては俺も同感。わざわざ隠してもどうせ後でばれるんだろうし、だったらさっさと事実でも何でも教えやがれって思う」
「だろ? だろ?」
 道を歩きながらカチェリと意気投合してしまった。過去の人は分かりやすくていいやねぇ。これが大僧正様とかルイスだったなら、きっと俺に反対意見を無理矢理押し付けてきたんだろうな。ヴィノバーだったらどうなるか分からないけど。
「私は別に自分が何者かなんて興味ないんだ。それなのにあの男は私のことを知ってる素振りを見せて、しかもそうしながら何も教えてくれやしない。そういうことされたらむかつくってことがなんで分からないのか、私には到底理解できないね」
 あのお頭ってたくさん部下がいたから、ソルお兄様のようなリーダー性のある人かと思ってたけど、これじゃただの不器用な男のようにしか見えないな。今回ばかりは俺だって、カチェリの苛立ちの理由は理解できるぞ。
「いっそこのまま逃げたら?」
「お、それもありかもな」
 にっと白い歯を見せて笑ってくる様は、どこか子供のような無邪気さを漂わせている。
 そういえば、すっかり話に夢中になってたけど、時の砂とやらを無視して歩いてたりしてないだろうな。もし素通りしてしまったならまた戻らなきゃならない。いや、どっちにしろお頭とヴィノバーに合流するには元来た道を戻らなきゃならないんだけど、通り過ぎた宝をもう一度探すってことは何気に疲れることなんだよな。そうならないように注意しないと。
「あれ?」
 唐突に思い出して立ち止まる。なんだか非常に嫌なことを思い出したような気がするぞ。
「どうした?」
 俺が立ち止まったからカチェリも立ち止まった。いや、どうしたと聞かれても、この先を言ってもいいのかどうか。
「俺たちって時の砂ってヤツを探してるんだよな」
「ああ」
「けどそれを見つけたとして、どうやって持ち帰るんだ?」
「そりゃ、ユリアって奴から貰ったビン――あ!」
 ビンなんか持ってねーよ!!
 あのお頭の野郎、ビンのことをすっかり忘れてんじゃねーかよ! 畜生、本当に部下以外の奴はどうでもいいって思ってやがるんだな! これじゃここまで探しに来た意味が皆無じゃねーか。マジで周りのことが見えてない駄目お頭だな、あいつは。
 はあ。なんか一気に疲れた。もう歩きたくねー。帰ってゴロゴロしてぇや。
「どうするんだよ、アカツキ」
「あー……」
 質問に答えるのさえ面倒臭くなってきた。とりあえず地面に座り込む。綺麗な鉱石はなかなか冷たくて気持ちよかった。カチェリも俺の正面に座り込む。
「とりあえず休憩しようぜ」
「ああ、それがいいかもな」
 幸いここには魔物は少数しか生息していないようだった。まだ洞窟に入ってから二、三回くらいしか出会ってないし、ここならゆっくりしててもそれほど危険なこともないと思う。
 それ以前に襲ってきた疲れが大きすぎて、俺はもう歩くことも話すことも、息をすることさえ面倒臭くなっていた。こんな状態で洞窟内をうろついてたって、時の砂とやらを素通りして果てに行き着き、それで何もかもおしまいだろう。探し物をする時はなぁ、ちゃんと気合いを入れてないとすぐに見落としちまうんだぞ。やる気がないなら駄目なんだ、そんな時は何をしても何もできやしないんだから。
 俺はばたりと地面に倒れた。天井では相変わらず大量の鉱石が光を放っている。そうして俺たちに差し込む水色の光はどこか冷たくて、ここは人間が来るべき場所じゃないということだけが分かってしまったような気がした。

 

 

 足音が聞こえた。
 ガバリと起き上がり、そっちに顔を向ける。反射的に右手は鍵に触れており、いつでも相手を破壊することを念じられるように準備が整っていた。
 静かに相手が近寄ってくるのを待つ。
 それは明らかに人間の歩く音だった。靴の音が異様に周囲に響いている。カチェリも俺の行動に気づいて目を覚まし、俺と同じ方向をじっと見つめているようだった。
 やがて壁の奥の方から、誰かの靴が姿を見せる。
 そうして見えてきた相手とは。
「……あれ?」
「あ、アカツキ」
 なんと現れたのはヴィノバーだった。せっかく緊張してたのに、なんだか拍子抜けだ。相手も相手でなかなか驚いているらしく、何やらわけが分からないといった様子でこっちに歩いてくる。
「なんでヴィノバーがここにいるんだよ。つーかエースは?」
 俺は再び鉱石の地面に腰を下ろし、ヴィノバーは俺の横にすとんと座り込んだ。彼と共に行ったはずのお頭の姿は見えない。まさかあの人を置き去りにして勝手に進んでいったとか? いやいや、ヴィノバーに限ってそんなことはしないはず。
「いや、途中で道が二つに分かれててさ、そこで別れてきたんだよ。けど、まさかあんたらの進んだ道に繋がってるとは思わなかったなぁ」
 俺だってヴィノバーに会うとは思ってなかったさ。
 しかし、これは。
「なんかあのお頭、みんなにのけ者にされてるみたいで不憫だな」
「へっ、当然の報いじゃねーか」
 横から満足げな声が聞こえる。カチェリはこの展開を非常に面白がっているらしい。反面俺は、さすがにお頭が可哀想に思えてきたな。あの人だってあの人なりに頑張ってるんだろうに。まさかあの人、かなりの不幸体質なんじゃあ……。
「喉、渇いたな……」
「は?」
「あ、いや」
 ヴィノバーはヴィノバーでのんきなことを言っていた。でも、そうだった。確かヴィノバーは喉が渇きやすい『体質』なんだっけ。けどこの鉱石の洞窟に都合よく泉があるとも思えないし。
 ちらりと右手に握っている鍵を見る。金色に光るそれは、傍から見ればただの綺麗な鍵だ。俺が念じれば何でもできる鍵。エアーから授かった、ルピスを封印する為の神木の力。
 ――どうか、ヴィノバーに水を。
 目を閉じて短く念じると、手の中に白いカップが現れた。その中には透き通った水が入っている。水は天井の鉱石と俺の情けない顔を映し、本当にこれで良かったのかと問いかけているようだった。
「ほら、これ」
 俺はヴィノバーにカップを手渡す。
「あ、ありがとう……」
 戸惑った表情のヴィノバーは、それでも望んでいた水を受け取り、形ばかりのお礼を俺にくれた。
 金色の鍵はその場に不釣り合いな色合いで、ただ俺の手の中で隠れて光るだけだった。
 間違ったことでこの力を使ったなら、誰が俺を止めてくれるだろうか。誰もが止めようと思っても、神木の力は強すぎて、誰の手にも負えないような気がしてきたんだ。だから俺がしっかりしなければならない。そうなんだけど、今の俺のままでは、善悪を判断することさえできない子供のようにしか思えなかったんだ。
 俺は誰かに頼ることになるのだろうか。また誰かに頼らなければならなくなるのか。その誰かというのが俺を嫌っている人だったなら、その人は俺を見捨ててしまいそうで怖くなってくる。そんな恐怖、どうにもならないものなのに、目に見えない幻影に怯え始めたら、それすら現実のもののように見えてまた逃げ続けようとしてしまう。
 自分から逃げることはみっともないことだ。それでもあの深い青色の瞳は、俺の全てを映しているようで、立ち止まってもまた逃げ出してしまうことになったんだろう。
 それを正してくれるのは一体誰? 俺を元の場所へ導くのはどんな力?
 今はただ、友達の幸福を共に祝おう。
 過去に救えなかった代償として。

 

 

前へ  目次  次へ

inserted by FC2 system