58

 大丈夫だと繰り返す人。
 仮面の奥の顔を知る人。

 

 水色の光に包まれながら、俺たちは長々と続いている道を歩き続けていた。
 俺がヴィノバーの為にと思って神木の力で水を作ると、気を利かせた神木の力は同時に白いカップも作ってくれた。それだけだったなら何の文句も必要ないんだけど、これを作ったせいで俺たちは、奥へと進まなければ許されなくなったんだ。
 つまり。時の砂とやらを入れるビンがないことをヴィノバーに話したら、だったらこのカップに入れて持ち帰ればいいじゃないか、という結論に至ってしまったのだ。修行僧の兄ちゃんは相変わらず真面目だ。こんなことなら水なんか作るんじゃなかったよ、まったく。
 なんて、それは冗談なんだけどさ。
「あのユリアニアって人、なんか神に似てたよな」
「は? 何だって?」
 道を歩きながら変なことを言うヴィノバー殿。俺は一瞬、自分の耳を疑ってしまったぞ。
「顔とか性格とかは全然違ってたけどさ、醸し出してる雰囲気がよく似てた気がしたんだ。アカツキはそう思わなかったのか?」
「い、いや……」
 いきなり胡散臭い神の話なんかを始めて、一体俺にどんな返答を求めてるんだ、この兄ちゃんは。
「なんだ、お前らは神の存在を信じているのか」
 横から口を挟んでくるカチェリ。信じるも信じないも、一応俺たちは神に会ったということになってるんだよな。すぐ怒ったり偉そうだったり無駄に若かったりで、ものすごく胡散臭い奴だったけど。あ、でも、ここは確かあの神の管轄外の世界なんだよな。それ即ち、この世界に神が存在してるかどうかは俺たちもまだ知らないわけであって。
「ヴィノバーの世界には存在してたみたいだけど、このティターンじゃどうなんだろうな」
 ちらりとヴィノバーの顔を見てみる。そこに見えたのは、普段と同じのよく変わる表情だった。
「確かに俺の崇める神はこの世界にはいないけど、それでも神は俺たちを見守ってくれてると思うよ。たとえ俺たちが別の世界にいても、神の目の届かない場所にいても、俺たちの中に神はきちんと存在しているからな」
「……はあ」
 かつて光を見つめていた表情で、ヴィノバーはなんだか難しそうなことを言っていた。正直言って、俺にはさっぱり理解できない話だ。これが日本人の疎さなのか。もしも俺がクリスチャンだったなら、ヴィノバーの意見に拍手を送れたかもしれないのにな。
「神、か……」
 意見を聞いたカチェリは少し俯く。それはどこか淋しげな表情に見えたので、なんだか話しかけてはいけないオーラが放たれているような気がした。
「もし私たちの世界に神がいるとしたなら、なんで私の記憶を消したりしたんだろうな」
 はあ。
「ついでにあのエースとかいう馬鹿を消してくれればよかったのに」
 いや、それはちょっと。
 どうやらこのカチェリさん、苛々してるせいか自分のことしか頭にないようだ。とは言え、そうだよなぁ。幸福を見出せない人からすれば、全知全能の神が本当に存在しているなら、なんで自分を不幸にするんだって問いたくなっちまうもんだよな。昔の俺だって同じことをするだろう。今じゃあのすぐ怒る神を知ってしまったから、なんかもう何も願わずにじっとしてるのが一番いいって思っちまうんだけどさ。
「まあとにかく、神なんて一般人が会える機会なんざ――」
 ずしゃり。
 耳のすぐ近くで砂浜で転んだような音が聞こえた。ついでに視界も暗転している。
「おい、何やってんだよアカツキ」
 倒れていた俺の体を引っ張り起こしてくれたのは、やはり世話焼き修行僧ヴィノバー君だった。
 しかし俺が倒れた地面には、確かにやわらかい砂があった。俺たちが今探している物体は『時の砂』と名付けられた物だ。それがこの地面に広がってる砂と一致してるかもしれない。
 とりあえずしゃがみ込んで地面の砂を見てみる。俺の視界の中にある物は、水色の光の中でも淡い緑を保っている砂の海だ。異様な色をしていることは確かだ。だけど、果たしてこれが本当に時の砂って物なのかどうか。
「こんなところに砂があったのか。全然気づかなかった」
 横にヴィノバーがしゃがみ込む。俺だって転ばなければ踏んづけて素通りしてただろうな。そう考えるとさっき転んだことが、何らかの逆らえない力によって転ばされたように思えてくる。
「それが時の砂ってヤツなのか? そうならそいつを拾ってさっさと帰ろうぜ」
 俺の斜め後ろに立ったままでカチェリが急かしてくる。
「って言ってもさぁ。時の砂がどんな物なのか、俺は分からないし」
 よく考えればそうじゃないか。ユリアって人に時の砂を探してきてと頼まれたはいいものの、その探そうとしている実物がどんなものなのか分からないままに放り出されたんだよな。ヒントは「時の砂」という名称のみときたもんだから、それっぽい砂を探せばいいということになるんだろうけど。
 さてはあのお頭の野郎、俺たちに説明するの忘れてやがったな? きっとユリアはお頭が知ってるから説明を省いたんだろうから、俺たちが今ここで困っている原因としては、全てあのお頭の責任ということになるんじゃなかろうか。
 ……本当に駄目駄目じゃねーか、あのお頭! あんなんでよく部下に慕われてるよな、まったく。本当に異世界ってわけの分からん場所だ。もう帰りたいわ、俺。
「もう何だか知らないけどさ、とりあえずこの砂がそれっぽいからさ、お頭の威厳の為にもこれを持ち帰ってあげようぜ」
「それはそれで嫌だな」
「まあまあ、いいじゃねーか! とにかく持って帰ってみれば分かるさ!」
 お頭という単語で機嫌を損ねたカチェリと、なぜだかやたら機嫌の良いヴィノバー。俺はそんな二人に囲まれながら、神木の力で作ったカップに緑の砂を入るだけ入れた。それを持って立ち上がり、元来た道の方に踵を返す。
 すると、誰かが立っていた。
「……ん」
 相手は見たこともない人だ。お頭が淋しくなって俺たちを追ってきたというわけでもないらしい。
 黒いマントを羽織った長髪の男が道を塞ぐように立っている。その髪は水色の光に染められてよく分からないけど、どうやら銀色のような気がするな。しかし黒いマントはいい思い出がない。通りすがりの旅人さんなら大歓迎なんだけどなぁ。
 俺がじろじろと相手を観察していると、ヴィノバーとカチェリも振り返って相手を凝視し始めた。とにかく声を上げるより先に姿を確認するらしい。俺はその隙にとりあえずポケットに手を突っ込んだ。何気に失礼な行動ではあるが、相手が敵だったら怖いもんな。
「お前たち、その砂をどうする気だ」
 相手は喋った。なかなかに低い声だ。あのお頭と同じくらいの年齢に見えるけど、声だけはこの人の方が年上のように感じられるな。
「どうするもこうするも、俺たちは別にこの砂に用はないんだけど」
「だったらなぜそれを持ち帰ろうとする?」
「別の人がこれを必要としているから」
 真面目に答えると相手はちょっと黙った。しかしその瞳の奥に鋭い光が見え始めた気がする。これは、なんだか嫌な予感がしてきたぞ。
「それを置いて帰れ」
 やがて出てきた低い声は、俺たちを脅しているようにも聞こえる。
「残念だけど、約束して来てるから――」
「問答無用だ、今すぐ帰れ!」
 も、問答無用ですと!? 誰だか知らないけどなんで四字熟語を知ってるんだこいつ!
 なんて動揺してる場合じゃなかった。相手はこっちに向かって片手を突き出し、いかにも魔法を使いますよという体勢に入っている。それを確認するとカチェリはさっと剣を抜き、ヴィノバーも本を懐から取り出した。何なのもう、この人たち戦う気満々だよ! もっと穏やかに話し合えないのかね、異世界の人々ってのは。
 俺が止める暇もなく、カチェリは地面を蹴って相手に正面からつっこんでいった。相手は相手で魔法の光を手の平に集めている。こうなったらもう止めようにも止められないだろうな。俺は後ろに隠れて戦いの行く末でも見守ろうかね。
「待って!」
 ふと遠くの方から声が聞こえた。それは横から聞こえたような、上から聞こえたような。そっちに目をやっても鉱石だけで、誰の姿も見えない。再びカチェリと怪しい男の方に顔を向ける。
「なっ、何だ貴様は!」
 同時に聞こえたカチェリの声。視界に映ったのは三人だった。剣を振るったカチェリと、魔法を放とうとしている長髪の男、そしてもう一人の誰かさんがカチェリの剣を止めていた。
「落ちついて。僕らは君たちに危害を加えるつもりはないから。デルフェ、君もおやめ。その魔法は破棄するんだ」
 二人の殺気立った人間に囲まれながら、突然現れた得体の知れない人は落ち着いて話していた。なんだかそれが途方もなく落ち着いていたので、その声を聞いているだけでこっちまで落ち着いてしまったような気がする。
 カチェリは素直に剣を鞘に収め、黒マントは手の中から魔法の光を消した。とりあえず戦いは免れたってところか。それはよかったんだけど、あの人は一体何なんだよ。
 いきなり現れた相手はこっちを向いた。二十歳前後の若い青年だ。髪は茶色を帯びた黒色で長いが、手入れをしてないことが一度見ただけで分かるくらいにぼさぼさだった。服装はどこぞの旅人さんのような質素なもので、その表情には優しさと威圧感を浮かべているように感じられる。
「驚かせてしまってすまない。僕はエイシスというんだ。君たちのことはユリア姉さんから聞いているよ」
「姉さん……?」
 エイシスと名乗った相手は何やら興味深いことを教えてくれた。しかし、相手は茶色を帯びた黒い髪を持っている。確かユリアは青と緑が混じったような色の髪だった。どう考えても姉弟には見えないんだけどなぁ。
「彼――デルフェはこの時の砂を守る者なんだ。君たちを排除しようとしたこと、どうか許してやってくれないかな」
「はあ」
 分かりやすく説明してくれるエイシスさん。許してと言われても、別に俺は何もしてないから何でもいいんだけどな。
「やっぱりこれが時の砂だったのか。よかったな、アカツキ。これで帰れるぞ」
 ぽんと肩に手を置いてくるヴィノバー。まあそれに関してはよかったと言わざるを得ないけどさぁ。
「時の砂はもう取ったよね?」
「おかげさまで」
「うん。それならいいんだ。せっかくだから僕が入口まで送っていってあげるよ。デルフェが迷惑をかけたお詫びも兼ねて、ね」
 なんだか知らないけどエイシスって兄ちゃんはノリノリだった。始終笑顔を見せ、どことなく怪しい気がする。何か企んでるんじゃないだろうか。
 というか、このままエイシスに入口まで送ってもらったら、あの可哀想な駄目駄目お頭エース殿はどうなるんだろう。俺たちが時の砂を見つけたことも知らずに、一人きりで永遠に洞窟内をさまようことになるんだろうか。……いや、さすがにそれはないと思うけど、いくらなんでも可哀想すぎるな。カチェリやヴィノバーはお頭のことなんてすっかり忘れてるだろうから、俺がしっかりしてないと。
「あのさ、エイシスさん。俺たちの他にももう一人この洞窟に入った人がいるんだ」
「ああ、分かってるよ。エース君のことだろ? 彼は僕の相棒が迎えに行ってるから大丈夫だよ」
 なんと手際の良いことか。やはりユリアの弟ということは本当の情報なんだろうか。
「あ、ほら。こっちに来た」
 そして顔を横に向け、そっちを指差す。反射的にそちらに顔を向けてみると、目を閉じてすっかりのびているお頭が大きな赤い鳥の背中に乗せられていた。
 赤い鳥、か。また兄さんを思い出してしまった。もしかして俺、兄さんのことについてまだ後悔してるのかな? 女王にすっかり束縛されてたあの人を、どうにかして救ってやりたかったんだろうか。
「なんで気絶してるんだ?」
 ふと聞こえたヴィノバーの声によって我に返る。
 鳥に乗せられたままのエースの頬をヴィノバーはぐいぐいと引っ張っていた。何気に力の強いヴィノバーに引っ張られても、お頭はその黒い眼を見せる気配はない。俺はちょっとシルクハットを頭からひょいと持ち上げてみた。それでもやはり反応はなくて、完全に意識が遠い地へ旅行してしまっているようだった。
「こんな奴、一生起きなければいいんだ」
 ついでにカチェリもお頭いじりに加わった。お頭が大嫌いなカチェリ殿はシルクハットの消えた頭をげんこつで殴り、黒い髪をぐいぐいと引っ張る。そんなことしたら髪が抜けるんじゃないかと思ったが、お頭の髪はなかなかに強い生え際をお持ちのようだった。
「こらこら、君たち。気を失っている人にいたずらはいけないよ」
 エイシスは子供を優しく諭すように注意してきた。しかし、なんだか知らない大人に怒られた気分だ。仕方なくいたずらはやめるけど、心の底では納得できないような、そんな感覚に陥る。
「さあ、もう帰ろう。ユリア姉さんが待っているだろうから」
 黒い髪を少し揺らし、エイシスは穏やかな表情でそれだけを言った。そして俺たちの周囲に白い光が溢れ出し、ぼんやりと立っているだけで洞窟の入口まで連れ戻されていた。
 その先にあるものは、横たわる暗黒だっただろうか。

 

 

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