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 美徳なんて知らない。
 不自由なんて知らない。

 

「おお、アカツキよ! ようやく帰ってきたか!」
 お頭のアジトに帰ると、なんだか非常に懐かしく感じられる声が出迎えてくれた。
「お前はいつでもハイテンションだな」
「そんなことはどうでもいいのだ、私は暴れようとするルイスを抑えるので大変だったのだぞ」
 この人の話を聞かない態度も久しぶりだ。腹が立つことに変わりはないが。
 まだ朝なのに地下だから薄暗い。俺たちは初めてお頭に会った部屋まで下りてきていた。どうもここが彼らの会議室らしい。明かりもろくにない質素な会議室だけどな。
 しかしルイスはまた暴れようとしたのか? 俺もいないのに誰に怒りをぶつけようとしたんだろ。まさかこのモヤシな大僧正様を俺の代わりに殴ったとか? いや、キーラはルイスを止めてたんだっけ。
「それで、ルイスは?」
「今は落ち着いているぞ。奥の部屋に一人でいる」
「ふうん」
 一人なら落ち着いていられるだろうな。俺にもその気持ちはよく分かる。
 しかし、人と関わる度に負の感情が表に出るのなら、あいつはもう他人と隔絶した場にいた方がいいのかもしれない。あいつ自身も他人と関わることを好いてないようだし、一人でいる方が気楽にしていられるなら、無理にあいつを人の多い場に追いやることもないだろう。今回はエースに指名されなかったから留守番をさせられてたけど、あの時俺が一言でも言えばよかったんだろうな。そして強引にルイスも連れて行けばよかったんだ。少なくとも、アジトに残るよりは少ない人と関わることになったんだから。
 俺はもっと気を遣うべきだったのか――もっと周りを見なければならなかったのか。そんなこと、久しく気にかけてなかったから、もうすっかり忘れていたことだ。だけどその方法は知っている。大昔から、今になるまで知っているものだった。
「おい、そのルイスという奴をここへ呼んでこい」
 駄目お頭の声によってはっとする。命令されているのはどうやらキーラらしかった。あの偉そうな大僧正様に果たして命令が通じることやら。とはいえ、この大僧正様ってわりと素直なところがあるんだよな。
「ルイスを呼んでくるのだな。よし、私に任せておきたまえ」
 何やら強気な笑顔を見せ、キーラは奥の部屋に消えた。
 今の言い方は明らかにお頭より偉そうだった。どう考えても、あいつはお頭を自分より下の人間だと断言しているようなものだった。それについていちいち腹を立ててたらきりがないんだけど、見下されてるのが駄目お頭だから、なんだかちょっと笑えてしまう。
 キーラはルイスを連れて俺たちの前に立った。ルイスは相変わらず暗い表情をしている。その目は俺をじっと見ているようだけど、目線を合わせても何も言ってくれない。
「よし、じゃあこのメンツで世界樹に乗り込むぞ」
 エースは決意を表明し、俺たち未来人の顔を順に見ていった。俺にヴィノバー、キーラにルイス。ついでにカチェリの顔も見たが、お頭の視線に気づいたカチェリはさっと背を向けてしまった。
「本当なら夜にこっそりと行きたかったんだが、今はぐずぐすしてる暇はない。すぐに世界樹に向かうぞ、ついて来い!」
 そう言ってお頭は一人で廊下へ出た。仕方がないから俺もついていく。俺が廊下へ出るとヴィノバーもついて来た。それに続いてキーラとルイスも廊下へ出て、一番心配だったカチェリもちゃんとついて来ていた。
 またあの町へ行き、世界樹の様子を見るのか。今度はどうか成功してほしい。もうこれ以上世界樹のことで時間を費やしたくないんだ。俺たちにはルピスを追うという目的があるのだから。
 だけど、なんでだろうな。こうして平穏な時を過ごしていると、ルピスのことなんて忘れて、何もかもなかったことにしてほしいと思ってしまうんだ。もう後悔したくないことは嫌というほど分かったのに、こんな自分勝手なことを考えるなんて、それは非常に可笑しなことだった。
 だけど俺は口に出さないから、誰も笑ってくれない。
 この負の感情は俺にしか分からないから、きっと誰もが自分を追い詰めるしか方法がないんだろう。それが分かったところでどうしようもない。どうしようもないから、俺はまた生きることに悩まなければならなくなる。……

 

 アルーという名の赤い鳥は、六人の人間を軽く乗せられるほど大きな鳥だった。
 レーゼ兄さんが魔法で作った光る鳥は、人を乗せるとしてもせいぜい三人が限界だったんだろう。しかしこの赤い鳥は大きい。これだけ大きかったら世界樹の門番も気づきそうなものだが、一体何を間違ったのか、上空から世界樹に近づいても誰も気づいていないようだった。なぜならあっさりと世界樹の根元まで下りることができたからだ。
 無理矢理正面突破しようとしていた頃が懐かしい。あの時に壊しちゃった家の持ち主は気の毒だな。俺が直接壊したわけじゃないから頼まれたって弁償はしないけど、同情の気持ちだけは大いに送ってやってもいいや。
「これは……」
 世界樹の真正面にエースは降り立つ。俺はその後ろに立ち、ちょっと巨大な世界樹を見上げてみた。しかしそのあまりのでかさに驚くより先に、首が痛くなりそうだったからすぐにやめた。
「やはり俺の睨んだ通り、世界樹には傷がつけられているじゃねえかよ」
 駄目お頭は怒ったような口調でそれだけを言い、すたすたと歩いて世界樹に近づく。確かに世界樹の根元には大きな傷がつけられていた。何かの刃物で切られたようなざっくりとした切り傷が広がっており、世界樹を間近で見れば誰だって気づきそうな傷だ。門番の連中、この傷に気づいてないってことはないだろうな。ということはやはり、エースの言ってたように、この国の奴らが故意に隠そうとしてたってことか?
 俺ももうちょっと近づいて見てみようか。ちょっと歩いてエースの横に並ぶと、世界樹につけられた切り傷がよく見えた。好奇心から触ってみる。硬い幹に大きく開けられた穴は、なかなか想像以上に深そうなものだった。
「一体何者がこのような乱暴をしたのだろうか」
「んー、やっぱこの国をよく思ってない連中なんじゃね?」
「それは誰なのだ」
「俺に聞くなよ。今来たばっかで何も分かってないんだし」
 後ろでキーラとヴィノバーが何か言っている。俺はその会話を聞き流し、そっと穴に手を突っ込んでみた。
「豊、いけない!」
 手に感触がなくなるのと同時に、後ろから誰かに体を引っ張られた。それによって俺の体は後ろに倒れる――ことは、なかった。
 なんと穴に突っ込んだ手が内部へ引っ張られているではないか。まるで世界樹が俺を吸い込もうとしているようだ。うひゃあ、こんなことなら珍奇な好奇心になんて従うんじゃなかった。なんて後悔しても遅いんだけどさ。
「アカツキよ、何をしているのだ!」
「何をって、俺は穴の中はどうなってるのかなーって思っただけで……」
「だからって傷に手を突っ込む奴があるか!」
 いつの間にやら俺の体は全員に掴まれていた。総力戦の綱引きでもやってる感じだな、これは。俺の体を真っ先に引っ張ったルイスは後ろからキーラに体を潰され、そのおかげで相手の金髪が俺の髪に混じっている。
 そうやって余裕をかましながら世界樹と力比べをしていたが、徐々に世界樹の引っ張る力は強くなっていった。あれ、これやばいんじゃない? と思った時にはすでに手遅れで、すごい勢いで周囲のものを吸い込もうとしている傷は突然大きくなり、あれよあれよという間に俺たちは世界樹に飲み込まれてしまった。――いや、世界樹の傷の穴にぶち込まれてしまったんだ。
 何気なく穴に手を突っ込んだだけなのに。なんでこんな展開になってるの?
 傷の中へ吸い込まれると視界が真っ暗になり、強い力でぐいぐいと内部へと吸い込まれる。そうすると後ろから支えていた手も離れてしまった。吸い込まれつつぐっと入口の方へ顔を向けてみると、あの鳥以外の全員の姿が暗闇の中でよく見えた。どうやら全員が同じ方向へ吸い寄せられているらしい。入口は少しのあいだ光を見せていたが、唐突にぱたりと蓋を閉じたように小さくなり、世界は完全な闇に支配された。そんな感覚さえ頼りにできない空間に放り込まれ、俺は一つの点へとひたすらに吸い込まれていく。
 それは長くは続かず、向かっている先に一つの小さな点のような光が見えた。それは近づけば近づくほど大きくなり、あっという間に俺の体より大きくなり、今度はその中へと容赦なくぶち込まれてしまう。
 白い光が見えなくなると、次に見えたのは紫色。

 

 +++++

 

 はたと気づけば俺は空中に投げ出されていた。しかし地面は近い。これなら大怪我は免れられる……かな?
 しかしいくら地面が近いとはいえ、俺が華麗に着地できるわけがない。努力はしたが足が「ぐきっ」と鳴ったようで、そのままぺしゃんと地面に倒れ込んでしまった。
 それにしても一体何がどうなってるんだ? 一気に事が起こりすぎて、もう何が何だか分からない。俺は確か世界樹についてる傷に手を突っ込んでみただけだよな。それがなんであんな、ブラックホールにでも放り込まれた体験をしなければならなかったんだよ。
 よいしょと体を起こすと、上からルイスが降ってきた。とりあえずすとんと受け止めると、続けざまにキーラとヴィノバーが降ってくる。そいつらはさっと身をかわして無視した。最後にお頭が遅れて降ってきて、地面に寝たままだったキーラの上にぐしゃりと落ちた。変な音がした気がしたが、それはきっと気のせいだろう。
「おいお頭! これは一体どーいうことなんですかい!」
「な……お、俺に聞くな! そもそもお前が手を突っ込んだからこうなったんじゃ――」
 とりあえずお頭に文句を言うと、相手はすかさず反論してきた。しかし途中で何かに気づいたように驚き、きょろきょろと周囲を見回し始める。
「カチェリ!? カチェリはどこだ!」
 ああ、またカチェリかよ。本当にこの駄目お頭はカチェリしか頭にないんだな。
 周囲はおどろおどろしい紫色の世界だった。地面には枯れたような草が申し訳なさそうに散在し、遠くには禿げ山が頭を突き出している。なんだかここはRPGの魔界みたいな雰囲気だな。でも確か世界樹の中なんだよな? これって。
「くそっ、カチェリはここに来てな――」
 がつん。
 鈍い音と共にお頭は前のめりに倒れる。その後ろに見えたのは、いつか見た黒い玉を持ったルイスの姿だった。
 その瞳はぼんやりとしており、怖ろしげな空気を持っている。
「あまり……喋らないでください」
 そ、そう。分かった、そうする。
 暗い表情をしたままでルイスは俺の横に立ち、口の中で何やらごにょごにょと言い始めた。これだけ近くにいるのに何を言っているのか分からない。手に持った黒い玉をローブの下に隠し、ルイスは片手を前に突き出した。そこから溢れるのは白い光。
 光は俺たちが立っている地面に円を描いた。ちょうど全員が中に収まるように描かれると、それはすっかり消えて見えなくなってしまう。それと同時に上からカチェリが降ってきた。ずいぶん遅い到着だな。今まで何やってたんだ。
「ん……何だここは」
 カチェリはちょうど倒れたお頭の上に着地した。駄目だ、もうお頭が情けなさすぎて泣けてくる。ラットロテスの司教様とはまた違った情けなさだ。どちらかというとこっちの方が質が悪い。
「カチェリ、そこをどけ……っ」
「あ?」
 足元からお頭の消えそうな声が聞こえてくる。カチェリは自身の足元を確認すると、思いっきりお頭の背中を踏みつけてから地面に下りた。ずいぶん暴力的な行動ではあったが、これまでの態度を思い返すと妙に納得できてしまう。それがまた悲しくもあったりするものなんだけど。
「ルイス、ここがどこなのか知ってるのか」
 魔法を使い、俺たちに背を向けているルイスにとりあえず聞いてみた。話しかけてもこっちを向くことはなかったが、相手は一つ頷いて見せてくれた。
「ここは……魔界。人間が住むべき場所じゃない」
 それだけを言い、くるりと振り返る。先ほどまでの恐ろしげな気配は感じられない。逆に周囲からその気配が溢れ出ていて、突然恐ろしく思えてきた。
「……鍵を」
「鍵?」
 目を合わさないままで相手は話してくれる。以前とは違ってちゃんと口で説明してくれるらしい。それはとても喜ばしいことだけど、口数が少ないことは改善されないようだった。
 相手の望む通り俺はポケットから鍵を取り出した。右手でそれを掴み、ルイスの前に差し出す。しかし金色に光る鍵を見つめた相手はそれを受け取ろうとはせず、ただじっと睨むように眺めているだけだった。
 ……で、これをどうしろと?
「なあ」
「許されないなら。息をすることも、あなた達にはできないこと」
 ぼそぼそと口の中で相手は呟くように言う。それはどこかレーゼ兄さんを思い起こさせた。まるで相手が別人のように見える。我を忘れ、ぼんやりとしたままで、見せようともしていなかったものを曝してしまっているような、そんな感じに。
「念じなければ。望むなら、美徳さえ蹴落とさねば。鳥は卵から抜け出せないまま――」
 どうにも相手の話は一貫性がない。何が言いたいのかも分からないし、それがルイスの口から放たれているかどうかも分からないことだった。
 そこから推測できる事実とは、つまり。
「とりあえず望んで、念じればいいんだな。ここから抜け出せるように」
 相手は一つ頷く。それがやけにはっきりとした動作だったため、俺はまた不意をつかれたように驚いてしまったのだった。

 

 

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