74

 見つからないものを探し続けている。
 どうしてだろう、それは必ずあるって分かっている気がしたんだ。

 

 草の緑は見当たらず、木の枝には若い葉っぱも存在しない。廃墟と化す世界の山には既に生気がなく、ただ枯れた木だけが周囲に散在しているだけだった。
「こんな山の姿を見たら、本当にここは破滅するんだって思えてくるな」
「それを止めるのが私たちの役目でしょ? キミもそれを手伝ってくれるんじゃなかったっけ?」
「それは、そうだけど……」
 坂になった道を歩きながら、ヴィノバーとサラの会話が聞こえてきた。山を歩くことに疲れ始めてきたのか、二人の中に静かな負の感情が認められる。私はそれが彼らをゆっくりと蝕んでゆき、最後には内から破壊しようと企んでいるのではないかと心配になっていた。
「ルイス、また顔が堅くなってるな」
 唐突に横から頬をつねられる。そちらに目をやると犯人はカチェリであることが分かった。相手は不機嫌そうな瞳で私の顔を見下ろしている。しかしその光は偽りの不機嫌さであり、腹の底では生き生きとした煌めきがぐるぐると渦巻いているようだった。どうやら彼女はこの山登りを充分に楽しんでいるらしい。だけど私はあまり楽しいとは思っていなかった。
「しかし本当にこんな場所に星の草とかいうものは生えてるのか? つーかここまでの道のりで草なんか一つも見かけなかったけどなぁ」
「きっと頂上に行けばありますよ」
「その自信はどこから出てくるんだ、お前」
 陽に照らされて輝く金髪が私の前で揺れている。パン屋のバイトをしているユリスという名の青年。彼の頼みでレヴァイム山を登ることになり、私はそれに付き合わされている。彼がいなければ私は今頃こんなことはしていなかったはず。私は彼に文句を言ってもいいはずなのに、彼に対して怒りを見せても構わないはずなのに、彼の青い瞳を見ていたら、その世界に吸い込まれて出て来られなくなりそうな気がした。自分を失うのは怖い。おかしなことだ、既に自分なんて扉の奥に閉じ込めたはずなのに、まだ未練がましく大事に抱え込んでいる。あの扉を開く鍵を見つけてくれる人が現れる刹那を待ち望んでいる。それは遠い昔から、まるで私が生まれるずっと前から続いている祈りのように感じられた。だから私はそれを正当化しているのかな。
「ねえ、ユリスさん。一つ聞いてもいいかな」
 変わらぬ景色を眺めながら、少し低く抑えた声でサラが問いを漏らす。
「あなたは自分の故郷が危機にさらされて、助かる見込みがないと分かったら、他の安全な世界に移住する? それとも諦めずに最後まで戦う?」
 深刻さを帯びたサラの言葉に誰もが黙り込んだ。その言葉の連なりを貫く刃を持ち出してはならなかった。だから私も何も考えず、ただ黙って前を見ていようと思った。後からどんな嵐が襲ってこようと、そんなものには気付かないふりをしなければならなかったから。
「……それは、この世界の現状を示しているんですね」
「そうだけど、どっちにしろ仮定の話よ。現実味はないから分かりにくいかもしれないけど――」
「僕は諦めて移住しますね」
 穏やかなのにその声は冷たかった。だけどユリスは非常に落ち着いた表情をしている。それは物語の続きがあることをはっきりと提示していた。ここにいる何人がその存在に気付いただろう。
「みんな本当はこの世界を守りたいって、そう思ってる人ばかりだった。だけどどうしようもないから、私たちの力じゃどうにもできないから、彼らは私たちに背を向けて立ち去った。でも私は知ってるの。彼らが背を向けながら泣いていたってこと。言葉にならない感情がそこには確かにあったってこと。……ねえ、私たちが諦めたら、他に誰が頑張るっていうの? それとも頑張ることは無意味だというの? 所詮人間が数人集まったところで、闇の意志には敵わないってこと?」
「おいサラ、闇の意志じゃなくて光の意志だろ」
「そうかもしれないけど、私たちにとっては闇の意志よ……この世界を壊そうとしてるんだから!」
 さりげないカチェリの指摘にサラは負の感情をあらわにした。そしてようやく私は彼女が『ルピス』ではなく『闇の意志』を恨んでいることに気付いた。
「あなたはこの世界を憎んでいる?」
 落ち着きを失わないパン屋のバイトは、あるいは優しげに見えたかもしれない。
「どうして! 私はこの世界を守ろうと思って残ったのに」
「しかしあなたのその考え方は、まるでこの世界が全ての元凶だと言わんばかりだ」
 ふと目を上げると青い空の下に途切れた道が見えた。知らぬ間に頂上付近まで来ていたらしい。だけど道は終わろうとも、彼らの問答は始まりを告げたばかりだった。そしてそのまま永遠に喰われはしないかと不安が遠くから笑っていた。
「いや、失礼。この言い方は悪かったみたいだ。僕があなたの言葉から感じ取ったのは、あなたが真に守ろうと思っているものはこの世界ではなく、この世界に残された何かのようだということですよ」
 大地を踏みしめる音が静寂に響いている。
「故郷の大地より、もっと大切なものがあるんじゃないですか? そしてあなたは故郷の危機を利用して、それを取り戻そうとしているように見えますね」
「それは――そうかもしれない。私はきっと……」
「無理もない、人間なんだから。多くの人がここに世界があることを当たり前のように感じている。空間と時間とが重なってはじめて出来上がる『世界』というものの概念を、失ってから理解することが一般的な解釈の仕方なんですから」
 ユリスはふわりと微笑んだ。それは私にはない表情だった。彼はサラに向かって微笑みかけていたけれど、ふとした瞬間に相手と目があって焦ってしまった。
 私はさっと目をそらした。かつて豊と目があった時と同じように、互いに別々のものを見ることが怖かったんだ。そうして怯えることで自分を保つことができるのなら、私は大いに苛まれ続けるべきなのだろう。しかし本当は、そんなことはどうでもよくて、私が知らない私の一部を私じゃない生命に見られることが嫌だったのだろう。私には見ることができない私の姿を、他の人の方がよく知っているというのは許せないことだった。自分のことは自分が一番に知っておくべきだと信じて疑わない私だからこそ、こういった些細なことで恐怖に飲み込まれてしまうのだろう。それが最も危ないことだと分かっているはずなのに、私の目は危険なことと安全なことの見極めさえできないようになってしまっていた。
「要するに、あれだ」
 一つの咳払いが私を現実に呼び戻す。隣を見るとカチェリが顎に手を当て、険しい表情を見せながら何やら考えているようだった。
「ここから逃げ出した人々は故郷の心配もしているが、それより大事なものの為に故郷を捨てたってことか」
「そしてサラにとっての大事なものは、まだこの世界に固執するように残っている……ってことか?」
 いつになく真面目そうなカチェリに続き、重い感情を隠したヴィノバーが率直な事実をサラに問う。二人の言葉をすぐ近くで聞いていたサラはちょっと困った顔を作り、だけど瞬時にそれを壊して幼い無邪気な笑顔を映した。
「そうね。私、きっとこの世界のことよりも、あの人の方が大事なの。あの人――この騒動を引き起こした張本人である、私の大事な親友のことが心配でね……」
 突然足が重く感じられた。これ以上先に進めない気がした。足に重りをつけられたように、足枷を引きずっているように、地面と一体化した足を無理に動かさねばならなかった。どうにか一歩を踏み出すと、足の重さはすっと消えてしまった。代わりに苛立ちとむかつきが眩暈となって降りかかってきた。
 一瞬間世界がぐらつき、傍にあった枯れ木にもたれかかってしまった。気付けばパリパリに乾いた木の幹が目の隣に存在していた。髪に何かが引っ掛かって小さな音が耳に届いた。ただ白くなった木は手で触ると温かかった。
「おいルイス、何やってんだ」
 カチェリに手を引っ張られる。するといつの間にか視界に広がっていた靄がぱっと消えてなくなった。
 ああ、私は、ここに居たんだ。
「疲れたのか? もうちょっとで頂上っぽいから頑張れよ」
「平気です」
 何の根拠もないのに、私はカチェリの心配を追い払う力だけを持っていた。木の幹から体を離し、自分の足だけで地面と向き合う。
 そうしてまた歩き出した。
「おいルイス!」
「何ですか」
 振り返るとカチェリがすぐ近くにいて、驚いた。
「平気なら、手を離せよ」
 相手に言われて初めて気付いた。私はカチェリの手を握り締めていた。さっと顔が赤くなったのが自分でもよく分かった。びっくりしたままで、私は相手の手から逃れて自由を背後に隠してしまった。
「まあ、別にいいけどさ?」
 少し面白くなさそうな顔をして、カチェリは背を向けて頂上を目指して歩き出した。他の皆もそろそろとカチェリの背を追って歩く。
 違っていた。それは違うはずだった。私は何も望んでいない。望んではいけないと分かっていたから。だからあれは何かの間違いだった。どこかおかしな方向へ走ってしまった、幻が見せる不安の煌めきだった。
 二度と頼らないと決めたのに、それを求めるのは愚かしいことだった。
 だから、まだ大丈夫。私はここに居ると気付いたから、何も知らなかった私より強いから。

 

 +++++

 

 「おいおい、嘘だろ……」
 異世界の神様は驚嘆の声を上げる。普段より大きく開かれた瞳に映っているのは、艶やかな緑色をした生命力の溢れる草が一面に広がっている光景だった。
「レヴァイム山の頂上に、こんなにたくさんの緑が残っていたなんて……全然気付かなかった。もっとちゃんと探しておけばよかったな」
「すごいな。なんだかよく分からないけど、すごい生命力を感じる。ここにある草全部が星の草ってやつなのか?」
 隙間なく広がっている草の絨毯に一歩踏み出し、バイトの青年はしゃがみ込んだ。そっとした手つきで草を一つだけ摘み取り、その手触りを少しのあいだ確かめているようだった。
「これらは全て星の草のようです。やはりまだ残っていたんだ、よかった……」
 立ち上がって振り返ったユリスの顔は晴れやかだった。これまでに見たどの表情よりも美しく、陰りのない、開けっぴろげな正の感情だった。それは私を苦しめる要因にしか成り得ない。
 隣から風が吹きつけてきたかと思うと、どうしてだかカチェリが全速力で草の絨毯の上を走っていた。草原には終わりがあるはずなのに、彼女が走る様を見ていると、そんなものは最初から存在しなかったように永遠を感じさせる。子供のように走り回るティターンの神様の姿を見て、無邪気なヴィノバーとサラも追いかけっこを始めてしまった。それがあまりに楽しそうで、なんだか私も走りたくなってきたけど、ここにきて再び先ほどの足枷が私を捉えていた。地の底から伸びた手が私の足をしっかりと掴み、二度と離さないと言わんばかりの力で私をここに束縛していた。
「あなたは走らないんですか?」
 懐かしいユリスの声が金色に煌めいていた。ふと気付くと空はオレンジ色に染まっている。もうそんなに時間が経っていたのかと驚いて、ただそれがなんだか不思議に感じられた。私は短い時を一つ飛ばしに渡ってきた気がしていた。
「あの三人は見た目よりずっと幼かったり、逆に表面の時間が逆戻りしていたりする。きっとたくさんの苦悩が彼らに降りかかったんでしょうね」
 ユリスは落ち着いた様子で座り込んだ。私は座ってはいけない気がしていた。
「それに比べて、あなたはまるで――」
 彼の青い瞳がオレンジに染まる。それは綺麗なガラス越しに見る景色よりずっと恐ろしく、だけど脅威さえ振り払う剣は隠されたままで、私の中に眠る一つの感情を呼び起こしそうな郷愁を湛えていた。
「……ユリス・カーライズ?」
 ひとりでに出てきた記憶は、ただひたすらに淡かった。
「アスターさんを助けていた、古代の英雄?」
「そうですよ」
 私はしゃがみ込んだ。そして相手の顔をじっと見つめた。
「だけど、どうかそのことは秘密にしてくれないかな。あのヴィノバーという青年はどうやら僕の話を知っているみたいだ。英雄なんて過ぎた言葉だけど、僕がそう呼ばれていることに変わりはないのだから」
「……あなたも、あの人と同じことを言うのですね」
「え?」
「英雄なんて過ぎた言葉だ、って」
 褒められているはずなのに否定する。もてはやされるのが窮屈に感じられる。それは頂点に立った者しか理解できない悩みに他ならない。たくさんのものは手に入るけど、自分が本当に望んでいるものだけがすり抜けるように逃げていく。それを手に入れなければ満足できなくて、あらゆるものがちっぽけに感じられてしまう。そして周囲は自分を祭り上げ、神のように崇拝され、すがるように愛を差し出し、腹の底で救いの手を待ちわびている。
「そうしてあなた達は、自分が欲しいものはこんなものではないと言い、否定を続けることで生命を延長させ、やがては深淵に辿り着く。衰退が恐ろしい? 自分で作った結果なのに、なぜ恐れるの?」
「恐れは常に持ち続けているよ。いつかこの時と空間が消えはしないかって、そればかりが恐ろしくて仕方がない」
「押し潰されないの……恐怖に、畏敬に、責任に、自由に?」
「自由って、押し潰すものなのかな。それは解放のように響くけれど、所詮自由でしかない僕らは、逆にそれを利用するべきだと思うんだけどね」
「利用する……?」
 自由を利用する。自由でしかない私自身が、逆に自由を利用してやる。
 そんなこと、考えたこともなかった。本当の自由がない時点で、私たちはいつも自由に押し潰されているものだとばかり思い込んでいた。それを利用するだって。利用するって、どうやって? そんなことが可能なの? だけど私は、自由を利用する以前に、自由を持たない身だからどうしようもない。
 オレンジの光が緑の草を照らしている。それはあたたかな記憶の光景だった。とても静かな、誰かと誰かの記憶。私の胸で光る金色の鍵が、彼らの顔を覚えていると主張していた。
「さて、そろそろ帰ろうか。町に帰ったらこの星の草を使ったパンを作ってあげるよ。君の大切な友達にも持っていってあげてほしいな。ずっと君のことを待ち続けているようだから」
 立ち上がったユリスは不思議なことを言う。私を待ち続ける人なんていないはず。アイザックはこの時代には存在しない。そしてあの人ももう自分の家に帰ってしまったんだから――。
「今日の夜、神木に会いに行ってあげて」
「神木には、誰もいないはず」
「いいや、ただ隠れているだけだ。君の幸福を思って隠れているんだ。しかし君は会うべきだ。会わなければ君の幸福は本物にならない」
 彼は神木に会えと言う。それが意味することは、アイザックに会えということなのか、それとも神木を持つアナに会えということなのか? 分からなかったけど立ち上がった。どうしても立たなければならなかったんだから。
「ね、ルイス」
 あまりにも近い場所から声が届いて、私は驚いた。そしてそれが聞こえたのは、小さな接吻の後だったことをなかなか認められなかった。
 しかし私はどうもしないでおいた。幾度も首を振ったけれど、実際に起こったことは弱々しく再生されるだけだった。私はあるがままを受け入れるしか方法がない。世界を変える力なんて、いつだって乱暴なものだったから。
「おーい君たち、そろそろ帰るよ!」
 鮮やかなオレンジの下にユリスの澄んだ声が響く。
 カチェリとヴィノバーは緑の草に埋もれ、限りない天を見上げているようだった。夕日は既に沈みかけており、うっすらとした月の姿が確認できる。空に近いこの山の頂上で、生い茂る星の草は枯れる気配が微塵もなかった。たとえ世界が滅んだとしても、ここにこの山がある限り、星の草だけは存続するのだろう。他の全ての生命が地の底に沈んだとしても――。
「なんだよ、もう帰るのか? 面倒臭いな」
「そんなこと言わないで、ほら、キーラ達が待ってるから帰りましょうよ」
 サラに連れられたカチェリは苦い顔をしている。心なしか山を登っていた時よりも表情が重い気がした。何かが彼女の心を取り巻いているように、苛立ちとは違う感情が心の奥底でくすぶっている。
「どうかしたのか、カチェリ。さっきはずいぶん気持ちよさそうに走ってたのにさ」
 そうした小さな変化に気付いたヴィノバーが心配を表に出していた。裏のない言葉は底のない優しさに包まれている。
「お前だって子供みたいに走りまくってただろ」
「だって俺は……こんなに広々とした場所に来たことがなかったから、つい」
「私だってこんなにだだっ広い場所に来たことなんて……」
 片手で顔面を押さえ、長く長い息を吐く。
「来たことなんて、なかった気がする。何か思い出しそうだけど思い出せないんだよ、この景色――」
 彼女の記憶が呼びかけているのだろう。記憶を持つカチェリが記憶を持たないカチェリに呼びかけている。それでも思い出すことをかたくなに拒否するのはどうして? 分かってる、思い出したくないことなんて、世の中には石ころのようにごろごろと転がっているんだから。
 逆に忘れてしまいたいこともある。手違いで知ってしまった汚いこと、醜い争い、奈落の色。欲望の渦巻く聖地も、嫉妬の徘徊する天上も要らない。地の底に埋めてしまいたい知識も感情も、知らなければよかったと後悔したところで変えられなくて、それらは執拗に追いかけ回してくる。その刃の傷が深ければ深いほど、容易には忘れられなくて苦しくなるから。
「焦らなくてもいいのではないですか?」
 なかなか消えない刃の切っ先が、きらりと光る刹那は美しい。
「それがあなたにとって大切なことであったとしても、焦りは結果を粗くするだけです。落ち着いて、滑らかな結果を導き出すことがあなたの為になるように思えます」
「言われなくたって!」
 子供のように怒ったカチェリはユリスを押しのけ、足早に元来た方向へと歩き始めた。それを追うようにサラも歩き出す。
「僕らも行きましょう」
 変わらぬ瞳でユリスは微笑む。それは確かにいつか見た青年の姿だった。
「ユリスって司教みたいだな」
 相手が二人を追い、背中が遠くなった頃、取り残されたヴィノバーは小さく私に話しかけた。
「いつもにこにこと笑顔を振りまいてて、しかもその中に嘘っぽさが含まれていない。ついでに他人に説教はするけれど、人と接する時に壁を作って常に一歩離れたところから傍観してる。まるで司教や司祭みたいだって思ってさ」
 彼の言いたいことはなんとなく分かった。だけど、それに対してどう返事をしていいかは分からなかった。だから私は黙っているしかなかったのかもしれない。いつだってその繰り返しだったのかもしれない。
 少し遅れてヴィノバーと二人で山を下り始める。オレンジの夕日に染められた木々が淋しげに揺れている。さよならだけど、ここには緑が残されているよ。レーベンスの街にしか残ってないと思ってたけど、この山の頂上にはあんなにたくさんの草が生きていた。そう、生命は、まだルピスに喰われてはいない。それが消えてなくなる時は、あの街が終焉を迎える時に他ならないから。
 夕日に照らされた金色の鍵は綺麗だろうと思った。だけど私はそれを確認することが怖かったから、聞こえてきたような声に返事をすることさえ間違いだと思い込んでいたのだろう。
 私はまだ、右にも左にも顔を向けられなかった。

 

 

前へ  目次  次へ

inserted by FC2 system