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02

「だからつまりだね、真、この世界とは別の場所にはもっと違う世界が存在しててだね、『ボク』はそこから来たわけだよ」
「うーん。それで?」
「それで、『ワタシ』はそんなに詳しいことは知らないんだけど、『オレ』はその別の世界で生まれた魂であることは間違いなくて、きっとこの世界のどこかに向こうの世界に繋がる道か何かがある筈だと思ってるんだ」
「……やっぱあんた、一人称なしの方がいいんじゃない?」
 誰もいない山道の中を喋る自転車と共に歩くこと一時間。自転車は聞いてもいないことをぺらぺらとよく喋ってくれた。その内容は普通では考えられないようなことばかりで少しも面白くなかったが、とりあえず相槌を打ちながら適当に聞き流すことにした。
「あのさ、真、ちゃんと話聞いてた?」
「うん? 聞いてたよ」
 ほとんど聞き流したけどね。
「じゃあなんでそんなに平然としてられるわけ? もっと驚くものかと思ってたのに、この世界の人ってそんなにのんびりしてるの?」
 そういうことって普通、私に言うだろうか。
「そりゃ一般の善良な常識ある人々なら驚いて、開いた口が塞がらないって状態になるだろうねぇ」
「なるだろうねぇって、真はならないの?」
「そうだね」
 実際に私は少しも驚いていなかった。自転車が喋ろうと変な事実を突きつけられようと、全く心に変化は起こらなかったのだ。そしてその理由すらはっきりしている筈だった。私はきっと、驚くことに疲れているんだろう。
「それで?」
「いや、それでと言われても、もう言うことは言ってしまったというか、何というか……」
「だから、なんであんたはその異世界とやらからこっちに来たわけ?」
 自転車は自分は異世界から来たのだと言う。異世界というのはつまり、ここじゃない世界のこと。なんだかやたら話が飛んでいるような気がするが、まあ普通に考えて自転車が喋るなんてことは有り得ないんだから嘘ではないんだろう。だけど分かっているのはそれだけで、それ以上のことを私はまだ耳にしていなかった。ただ単に言い忘れているだけかもしれないが。
「何故と言われても理由なんて知らない」
 返ってきたのはなんとも微妙な返答だった。
「あんた、自分がなんでここにいるのかってことも知らないくせに、なんで異世界があるってことを言い切れるわけ?」
「え、だって、そんな記憶が頭の中に残ってる……気がするから」
 気がするだけで実は全然そうじゃありませんでした、なんてこともあると思うんですが。
「だったら、魂ってのは一体何?」
「魂は物に宿ることができる者のこと」
「ふうん。それで?」
「それでって、……それだけだけど」
 どうにもこの魂さんは説明が下手で、必要なだけの知識がなくて、穴だらけで、何が言いたいのかさっぱり分からない。しかしそれではいつになっても話が進まないので、私は仕様がなくなって空を見上げるのであった。

 

 空はいつもと変わらない色をしている。引っ越す前に住んでいた空間と同じ色。どこにいてもそれは変わらないんだと誰かが言っていたような気がする。そしてそれは時代についても同じだ、と。私はそれを否定しない。だけど、この自転車が言うような異世界とやらでもその常識は通用するのだろうか。それだけは誰にも答えられないだろう。
 なんてことを考えると少しだけ興味が沸いてきた。別に私は今の世界が気に入らないってわけでもないし、それなりに充実した生活を送っているんだから、わざわざ得体の知れない危険極まりない怪しげな場所に行こうだなんて気持ちはさらさらない。そんなところに行くくらいなら、ずっと何事も起こらない平凡な日々を過ごしていたいくらいだ。何一つとして変化がなく、同じ作業を繰り返していくだけの毎日。それをつまらないと言う人は確かにいるだろうけど、最後にはきっとそれだけを望むようになるんじゃないかな。
「……まあ、いいか。もう帰ろう」
 自転車君には悪いけど私には私の生活がある。異世界に全く好感を持てない人で悪かったね、とは思うものの、それもまた事実であるから仕方がないことでもあった。
 そうして帰路につく。

 

 +++++

 

「おや、あなたは」
 ――誰かの声が聞こえる。
「こんなところで何をしているわけ? 誰かを呼ぶとか言っていたのに、誰もいないじゃないか」
 なんだか意地悪そうな少年の声。その声だけは澄んでいて綺麗なのに、そこから醸し出される雰囲気は正反対のものだけだった。
 視界にはぼんやりとした何かが映るだけで、それが何なのかは見当さえつかない。ただ分かることといえば、それは灰色をしているということだけだった。
 ああ、きっとこれは夢なんだろう。
 私は自分で自分の姿が見えない。だけどそれもよくあることの一つだった。夢なんて不確かでぐらついていて、いつも決まったことなど何一つとして存在し得ない。だけどこれが夢だと分かることは久しぶりで、なんだか初々しい。
「呼びかけてみたけれど邪魔されたの。向こうの世界でも、こちらの世界でも。……あなたは何も知らない?」
 少年の他にも誰かがいるらしい。それは少女の声だった。少女と言っても子供なんかじゃなく、むしろ大人に近いような、そんな感じの。聞いているだけで分かる上品さというか、貫禄というか、そんなものを持っている声だった。まるでその声に心を奪われてしまうかのような錯覚を覚える。静かだけど、あまりに大きすぎて、吸い込まれてしまいそうだ。
「知ってる。あいつらだろ。あんたのこと捜してたそうだけど、知らないって言ってやったさ。それでも見つかっちゃった、となると」
 相当間が抜けてるね、と続けて少年は少し声を上げて笑った。
「それで、まだ続けるつもり? そんなに大事なことなの、それって?」
「あなたには分からないでしょうけど、必要なことよ」
「ふうん。ま、頑張ってね」
 まるで心にもないことを言ったような台詞を最後に、何の音も聞こえなくなる。そうして灰色は徐々にその姿を変え、最後には闇のような漆黒の姿を私の前にさらしていた。
 そこからは儚さなんて感じられない。

 

 

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