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06

 汽車に乗っていてもただ退屈なだけだった。窓すらないので外の様子さえ見ることもできないし、何より乗ってからもう一時間以上経過しているように思われる。最初はもっと早くに目的地に着くかと思っていたのに、実際は待てども待てども汽車は走り続けるだけ。これを退屈と言わずして何と言えばいいのだろうか。
「暇」
 隣から声が聞こえる。この空間に人は私も含めて二人しかいないので、それが誰のものかだなんて考えるまでもなかった。
「こっちだって暇だって」
「でも暇でもいいんだ。新たな世界の扉をくぐったら、そこではやるべきことがあるんだから。いいよねぇ、こういうのって。まるで異世界から召喚された勇者みたいだ」
 なんとも好き勝手なことを言ってくれる魂さんである。何が勇者だって? 勝手に人を都合のいい人間に仕立て上げないでほしい。
「私じゃなくてあんたが勇者とやらだったらよかったのにね。あーあ、やる気起きない」
「なんでそんなにやる気ゼロなわけ、君は? こんなに素晴らしい役割を与えられているっていうのに!」
 また一人で熱くなっている。とりあえずこういう場合は無視することにした。
 天井にぶら下がって揺れているランプを見上げる。ぼんやりとしたオレンジ色の光を発しながら、ただ規則的にゆらゆら揺れる。何の変化も起きないランプ。決して逆らえない規則の真ん中。それは見ているだけで心が洗われるような気がした。
 心地いい。自然と笑みが漏れる。それでもランプは揺れるだけ。少しも変わらず、同じように。
 ずっとそれが続けばどんなによかっただろう。しかしこういう場合に限って余計なことが起こるものだ。なんだか知らないけど心地よさに浸っていると大きな音が聞こえてきた。それに伴って汽車全体が揺れる。ランプは不規則にがたがた揺れ、最後には床に落ちて天井には不自然な穴がぽっかりと開いていた。
「なっ何? あ……穴?」
 さっと立ち上がったのはキコ。慌てた様子で天井を見上げている。でも私はどうにも立ち上がる気にはなれなかった。
 車内に風が吹き込んでくる。しかしそれは入り口からではなく上に開いた穴からのもの。さらに同時に上から人が降ってきた。勢いよく降ってきたその人はちょうど私の目の前で綺麗に着地する。
「ん? あんた」
 よく見れば知っている顔だった。相手はつい先ほど出会ったロイという名の少年だった。黒い服に銀の髪が際立って見える。ロイはちらりと顔を上げ、私の顔を一瞥した。それから何も言わずにすっくと立ち上がり、穴の開いた天井を見上げる。
 また人が降ってくる。ロイの時より勢いよく降ってきたその人を、銀髪の少年は手を広げて受け止めた。それから片手をさっと上げると、ぽっかりと開いていた穴は綺麗に消滅し、元通りの何の面白みもない天井に戻っていた。しかしまだランプは落下したままで、車内は乗った時よりも薄暗くなっている。
「一体何なんだよ、ロイ! 上から降ってきたりして!」
 怒っているのか、困惑しているのか。キコは誰かを抱くようにして抱えているロイに大声を出した。しかしそれを聞いてもロイは何も言おうとしない。魂の少年の言葉を無視して抱えていた人を椅子の上に寝転ばせ、しばらくじっとその人の顔を見ていた。
 よく見てみるとロイが抱えていた人はルノスだった。水色の髪を持つ少女。私に世界を創造して欲しいと言ってきた二人目の人間。その人は今、椅子の上で目を閉じている。
「さっき話してただろ。僕のもう一つの目的ってやつ。それがこれなんだよ」
 銀髪の少年は影を潜めた顔でそれだけを言った。その表情には以前のあの不可思議な笑みは見えない。その代わりに彼の顔に幾つかの傷が見えた。白い肌が赤く染まっている。
 ロイはルノスの隣に座り込んだ。そこはちょうど私とキコの席と向かい合っていた。彼が座ったのを見てキコも座った。ルノスはまだ何の反応も示さない。
 いきなり上から降ってきたこの二人は、一体何をしていたのだろうか。なぜ二人とも怪我を負っているのだろう。なぜこんな走っている汽車の中に来たのだろう。そこに何らかの意味はあるのだろうか。それらの答えを、ロイは私に教えてくれるのだろうか?
「ねえ、ロイ」
 口を開いてから気づいた。私はなぜこんなことに興味を示しているのだろう。なぜ彼らに関わろうとしているのだろう。そんなことをすれば、平凡から遠ざかることは間違いないはずなのに。
「ルノスはちょっと厄介な人達に追われてるんだ。僕はどうにも彼女が可哀想に思えてね……それで手伝ってやったんだけど今度は僕が危なくなっちゃって。はは、可笑しいだろ。笑いたければ笑えばいい」
 彼の言葉から、初めて会った時とは比べ物にならない程の優しさを感じた。だけど同時に彼は自嘲していることも分かった。なんだか疲れているように見える。こんな時に人は何をすればいいのだろうか。
「あの……ロイは優しいね」
 言葉が勝手に口から出てきた。私には似合いそうもない言葉。だけどそうでも言わなければこの空気には堪えられなかったんだ。それに相手を非難するようなものじゃないんだから、この言葉を言ったところで気分は悪くならないはず。
 そうして相手の顔を覗き込んでみると、なんだか変な顔をしていた。最初はそう言われて驚いているのかと思ったけれど、どうにもそうじゃないらしい。なぜならその表情は以前にも増して陰りがあり、どこか迷惑そうで憤りを表していそうな――それでいて何かもっと別の感情も含んでいそうなものだったのだから。明らかに喜んでいたり照れていたりするものではない。どちらかというと、一方的に負の感情に偏っている。
「僕が優しいだって?」
 やがて痺れを切らしたのか、相手は早口に言葉を吐き出した。
「何も知らないくせによくそんなことが言えるね。君は僕の何を知っている? 何か一つでも知っていることを言えるかい? ああ、そういえば名前を教えたんだっけ。まあいい、そんなことは、どうでもいいことじゃないか。それより君は平気な顔をしておかしなことを言う人なのかい? だってそうだろ、優しいだなんて、そんな抽象的な言葉、目の前の人間に対して使うべき言葉じゃない。そもそも優しいという言葉自体おかしなところがあるんだから。一体君は何を基準として僕を優しいと言ったんだい? 僕が彼女を手伝ったから? でもさ、よく考えてごらんよ、もし彼女が法に反する犯罪人で、僕が彼女の犯罪に手を貸していたとなると、それでも君は僕に対して優しいと言うのかい? 言えるかい、言えはしないだろ、それと同じさ! 君は何も知らないのにまるで全てを知っているかのように僕を優しい人だと言った。そこにどんな意味が含まれているかほんの少しも考えもせずに。なんて軽率な! 馬鹿だよ、君。とんでもなく馬鹿だ! そんな人間を呼び出しただなんて、ルノスも一体何を考えているんだろうねえ? はは! こいつは面白い! とんだ茶番じゃないか。それとも物語って言えばいいのかな?」
 彼が言葉を吐き出し終える頃には、その顔には以前のような笑みが宿っていた。瞳には何か異様な光がぎらぎらと輝き、口から出てくる言葉はどれも、汚く思えた。
「何だよそれ、真はロイのことを褒めたのに。なんでそんな言い方しかできないわけ? 最低な奴!」
 今にも喧嘩が始まりそうな台詞をキコは吐き出す。しかしロイはそれに対して「ああそうだね」と言っただけだった。そして少し目を閉じて黙ったが、すぐに目を開けて「じゃあ別の言い方ならいいんだ?」と言った。その姿はとても落ちついているように見えた。だから余計にキコが不機嫌そうに見えてしまうのだろう。
 それでも今度はキコは反発しなかった。相変わらずむっとした表情をしていたが、もう何を言っても無駄だと思ったのか、それとも彼なんかに言う言葉なんて存在しないと思ったのか、それは定かではなかったが、ただそれ以来黙ったのだけは確かだった。
 ロイの方へと視線を移すと彼と目が合った。するとまたさっと元のように笑みを消した。その行為には脅迫的な意図が含まれているような気がした。そしてそれは、先ほど彼が言っていた言葉に連なるもののように思えてきた。
「ねえ真。君は今、僕はとんでもなく嫌な奴だと思っただろ。別にそう思われたって構わないさ、僕は君には関係ない人間だからね。だけどね君、それを口に出して言わないのはいけないことさ。腹の底では臆病なのだとばれてしまうんだからね」
 どこか怒ったような口調で彼は言う。どうしてこんなことになっているんだろう。私がいけないことを言ったから? それで彼を不快にさせてしまったから? だけどそれを、一体どうすれば避けられたというのだろう。
「君たちさあ。僕の正体なんてわざわざ説明しなくてもちゃんと分かってるんだろ。でもこれ以上うるさく聞かれても鬱陶しいだけだから、ここではっきりさせておくことにしようか。僕の名前はロイ・ラトズ。クトダム様の組織で働いている、泥棒で人殺しさ。信じているのはクトダム様だけ。趣味は人の弱みに付け入ること。嫌いなのは執拗に追いかけてくる警察の連中。そして――いや、やっぱりやめておこう」
 彼は聞いてもいないのに自己紹介した。そんなことが聞きたくて彼と向き合っているわけじゃないのに、聞きたくもないことをはっきりと言ってきた。それに対して少し、ほんの少しだけ、腹が立った。
「泥棒で人殺しだって? 真、やっぱりもうこいつとは関わらない方がいいよ!」
 キコの言葉に同意したくなる。だけど、それは少し言いすぎのような気がした。
「素直で結構! 嫌いじゃないよ、そういうの。そして真、君はどうするんだい? 彼の言葉を肯定するか、それとも否定? あるいはもっと別の――」
「人として最低」
 声を出すと視線を感じた。痛くはない視線を。
「やってることも。性格も。あんたより下の人間はいない。……そんな気がしたんだ、ごめん」
 言い終えると下に俯いた。相手の顔が見えなくなっていた。次に聞こえたのは舌打ちした音だった。誰がしたのかは分からない。
「そうそう、忘れてたけどさ」
 気持ちが暗くなっている時だというのに、急に明るい声が聞こえてきた。だけど誰かが割り込んできたとかそういうのではなくて、先ほどまで私が話していた人と同じ人が言っただけだった。その口調や雰囲気が全く別のものになっていたので、久しぶりに少し驚いてしまった。顔を上げて相手の妙な姿を見つめてみる。
「本当はもっと早くに言いたかったんだけどうっかりしてたよ。君たちはあの隔離された世界から来たんだから、魔法なんか使えないよね?」
 そうやって何事もなかったかのように喋っているのはロイ。顔の裏に潜む影も薄くなっている。
「私の世界には魔法なんてなかったから、使えるわけないけど」
「うん、そうだと思ったから。それで、実はここから一番近い世界には魔法を教えてくれる施設があってね。君もそこへ行けば使えるようになったりするんじゃないかい? といっても、今はもう廃墟だけどね」
 廃墟なら行っても意味がないんじゃないのだろうか。なんだか彼の言うことは怪しかった。しかしその顔を見ると自信があるように見える。それがさらに怪しさを強調していた。
 それで、これを私にどうしろと?
「あっ君、僕の言うことを疑っただろ。いけないねぇ、何でもかでもすぐに疑ったりするのは。なんて、僕も人のこと言える立場じゃないんだけどさ」
 ロイは機嫌がよさそうににこりと笑う。それだけを見ると、とても最低な人間のようには思えなかった。むしろ別人のように思えてならない。少し目を放した隙に誰かと入れ替わってしまっただなんてオチじゃないのだろうか。
「どうしたんだい、変な顔をして」
 本当に人の良さそうな顔になっている。口から出てくる言葉の連なりも、他人に見せる仕草や態度も、とても落ちつきのあるやわらかなものに変わっていた。
「えーと」
 今まで黙っていたキコが口を開いた。こちらはこちらで相当混乱しているらしい。さっきまではロイとは関わらない方がいいだなんて言っていたのに、彼に言葉をかける様はとても不思議なものに見えた。
「つかぬことをお聞きしますが、あなたはロイ・ラトズさんですよね?」
 そして投げかけた質問も不思議だった。
「何を言っているんだよ。僕はロイだってさっき自分で言ったじゃないか。聞いてなかったの?」
「き、聞いてたけどさぁ! 性格変わりすぎだよ、あんた!」
「どこが変わったって? 僕はいつも通りだけど」
「な……」
 ちょうどそんな時を見計らってか、汽車の速度が遅くなっていくのが手に取るように分かった。大きな音を周囲に響かせながらスピードを落としていき、止まるべき場所でぴたりと止まって動かなくなる。
「よし真、降りよう!」
 なぜか気合いが入っているキコに引っ張られ、ロイとルノスを車内に残して汽車から降りた。外は相変わらず真っ暗で、所々見えるランプも私の知っているものばかり。
「真にキコ」
 汽車の中から声が聞こえた。振り返ってみると入り口のところにロイが立っている。
「じゃあね、ばいばい。気をつけてねー」
 そうして輝かんばかりの笑顔で親しげに手を振ってくる相手。
 なんだかそんなことをされると、何も言い返す気が起きなくなってしまった。
 もしかすると元々彼はこういう性格なのかもしれない。俗にいう二重人格という、あの性格。だとしたら非常に頷ける。そうでないならもはや理解することは不可能だ。
 とりあえずあの二人とはここで別れ、次に目指すべき場所へ向かって足を進めることにした。これ以上ロイのことについて考えると頭がこんがらがりそうだったので、もうこの際全て忘れてしまおうと自分の中で結論づけた。

 

 

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