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07

 なんだか孤独感を感じる。私は独りぼっちでしかないんだと。私には何も与えられないんだと。私の前には頼るべき人など現れないんだと。それらはすでに知り尽くした事実でしかなかったものの、この言葉について考えてみるとうんと虚しさが込み上げてきた。そうして息が吐き出せなくなって歩けなくなるくらいなら、いっそこのまま光も届かない混迷の中でさ迷っている方が楽なのではないかと考え出した。もちろんそこでは楽しいことなど一つもないだろうけど、世間の人々から全てを忘れられてしまうくらいなら、こっちから全てを消してしまった方が双方に都合がいいのだろう。紅色の微笑よりも、新緑色の手枷の重みの方が私には似合っている。
 いつも奥の方で感じていたそれらの感覚が再び甦ってきたのは、ランプの光しかない暗闇に放り込まれたからなのか、それとも全く見知らぬ場所に連れ込まれて不安になっているからなのか――そんなことは誰にも分かりはしない。
 普段通りの私でいられたなら、その程度で動揺などしなかったはずなのに。

 

 上を見上げても真っ暗で何も見えなかった。視線を下に向けると暗闇の中でぼんやりと形を示している巨大な扉が見える。キコの話によると、これが異世界へ繋がっている扉であるらしい。つまりこの扉を開いて一歩を踏み出すと、そこには私の世界のような異世界が広がっているのだと言う。
「言い忘れてたけどここは『廊下』と呼ばれている場所で、一言で言っちゃえばたくさんの世界を繋ぐ通路のような場所なんだ。汽車を使って移動できて、いろんな世界を行き来できる唯一の場所なんだ」
「ふうん」
「じゃあ説明も終わったことだし、さっそく新たな世界への扉をくぐろうじゃないか!」
 一体なぜそうなるのかと思ったが、そんなことを聞いたところで何の意味も持たないと考え直すと何も言う気が起きなくなってきた。一人で張り切っちゃって、まあ。本当にキコが私だったらよかったのに。それなら私は何もしなくていいし、キコも憧れの勇者とやらになれるんだから。そっちの方が私たちにとって都合がいいことは明らかだった。だけど、それはもう叶わない。私は重荷を背負わされてしまったんだから。
 扉は大きかった。とてつもなく大きかった。幅は十人ほどの人数が横に並んでも通れそうで、扉の上方は天にまで届きそうなほど高い。これほどまでに大きな扉は見たことがない。すごく立派そうな扉。それだけならいいのだが、問題はこのいかにも重そうな扉を二人だけで開けられるかということだ。ここまで来たけど扉が開けられませんでした、なんてオチになるのはこの上なく間が抜けている。私はそれでも構わないんだけど、きっと隣にいる魂君はそれだけは絶対に嫌だと言いそうだ。
「開けられるの、これ?」
 とりあえず聞いてみることにした。使命に燃えている相手はこちらを見てにっと笑った。そうしておもむろに歩いて扉の前に立つと、すっと片手を上げて黒い表面に触れた。特に力を込めているようには見えなかったが、たったそれだけで扉は音も立てずにゆっくりと開いた。
 先に見えたのは周囲と同じような暗闇と、床に眩しく光る白い模様だけ。
「あの模様の上に立つと異世界の指定された場所へ飛ばされるんだ。そこにもあれと同じ模様があって、ここへ帰ってくる時はその上に立てばいい。さあ、いよいよ異世界だ」
「そうだね」
 私にはどうしてそこまで気合いが入っているのか分からない。それでも相槌だけは打っておいた。決して相手に気を遣ったわけではなかったが、自分にも関係のあることらしいからか、どこかそうしないと許されないような心持ちになったのだ。だから私はキコから離れることができない。
「これからだっていうのに全然気合いが入らないんだね、君は。せっかく特別な使命を与えられたというのに!」
「どうでもいいから早く行かない?」
「え? あ、うん」
 妙なところで素直なキコを横目に、私は白く光る模様の上に立つ。すぐにキコが隣に立ち、白い光はそれに反応するかのように輝きを増した。これからはこれを嫌というほど見なければならないらしい。光は白くて綺麗なのかもしれないけれど、私にとっては少し眩しすぎる。
 視界が暗黒から純白に変わっても、私の中では何一つとして変化するものはなかった。

 

 +++++

 

 全てを信用していないわけじゃない。ただ単純に興味が持てなかっただけだから。

 全ての人間が忘れたわけじゃない。だけどあまりに粗末に扱われてきたから。

 ただ一人しか信用しない。そしてそれはこの世の中で最も美しいことだと思っている。

 人は自然に逆らうべきではない。彼らは欲望のままに生きすぎたのだから。

 どんな隔たりがあろうと壁は超えられる。そう信じる者の数は減ってしまったけれど。

 たとえどんなに傷ついても愛さなければ。深淵を心地いいと感じるその前に。

 

 +++++

 

 やわらかい風が頬に当たって目を開いた。青い空と白い雲、そして緑の草と茶色い地面。遠くの方には深緑色の森の姿も見える。
 異世界とは、私の知っている常識も通用しそうな場所だった。
「まずは人のいる場所を探そう。情報収集の為にね」
 嬉しそうに笑う顔は、今にもこの景色の中へ駆け出していきそうな子供の姿に他ならない。
「さあ、行こう」
 それだけを言って相手は先に歩き出す。
 まあ、こういう雰囲気もたまにはいいのかもしれない。
「そうだね」
 一言この場に残してから、私も彼と同じように未知の空間の中へ溶け込んでいった。

 

 

――第二幕へ続く

 

 

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