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 偏見は偏見にしかならない。
 逃亡はいつになっても変わらないまま。

 

第二幕 新しい者と未来の覚醒

 

08

「人との付き合い方その一。どんな人とも真心を持って接しましょう」
 それほど眩しくはない太陽の光を浴びながら、雑草の茂った地面を踏みしめ歩く。聞こえる足音は自分のものともう一人のものしかなく、風によってざわめく森の木々は周囲にその存在をアピールしているかのようだった。私と魂の少年はよく晴れた空の下、あまり深くはない森の道を辿っている。
「人との付き合い方その二。たとえ相手が他人でも親切に接しましょう」
 男にしては少し高い、声変わりしていない声が響く。今ではすっかり聞き慣れたそれはすぐ近くから聞こえてくるので、聞き流そうと思ってもどうしても耳の中に入ってきて非常に騒がしい。しかし逆に相手の言い分に反応すると間違いなく倍以上の文句が飛んでくるので、静かに聞いて相手の理想どおりにさせておくのが最も無難な方法なのだろう。
「人との付き合い方その三。困った人には手を貸してあげましょう」
 ちらりと相手の顔を盗み見してみると、輝かんばかりの笑顔が貼りついている。それがたとえ一時的なものにしろ、私には到底真似できないような輝き様は、目を痛める太陽の光より強いような気がした。
「人との付き合い方番外編」
 あれ、番外編とかあるんだ。
 ふと耳に入った言葉に小さく反応すると、相手――キコは先程よりも気合いの入った声で続きを吐き出した。
「明らかに怪しい人物には近づかないようにしましょう」
 ちょっとした矛盾を発見する。その一で『どんな人とも』真心を持って接しましょうとか言ってたのは無視するのだろうか。
「あっ真、今なんかものすごい反抗的な目でこっち見ただろ!」
「別に反抗なんてしてないけど」
 声を上げて騒がしくするキコをよそに、私は改めて自分の前に続いている道をぼんやりと見てみた。思えばずっと同じような場所ばかりを通ってきて、最初に立った位置からどれほど離れているのか予想もできない。それでも身体には容赦なく疲れがのしかかり、さらには気力も失われていくようだ。歩けば歩くだけやる気がなくなっていき、今ではもうゼロ以下のマイナスになっているに相違ない。
「番外編その二。怪しい人物には近づかないだけでなく、関わらないようにしましょう。そして必ず警察に連絡しましょう」
 こんな時に妙な演説を聞かされると、やる気のなさはさらに増倍してくる。隣で熱くなっているこの魂さんは、私の状況をさっぱり理解していないようだった。
「番外編その――」
「もういい」
 キコの言葉をぴしゃりと止める。そうしてどっと溢れてきた疲労を和らげる為に地面に座り込んだ。
 身体を落ちつかせるとなんだか眠気が襲ってきた。よく考えてみれば私はアスターに起こされて以来一睡もしていない。本来なら朝までぐっすり眠っているはずだったのに、理不尽な理由からこんな異世界に飛ばされて、私には睡眠すら許されないとでもいうのだろうか。いやいや、そんなはずはない。仮に誰かがそうだと言っても、構うものか、もう寝てやるもんね。
「ちょっと、真!」
 上から降ってきた言葉を完全に無視して地面に寝転ぶ。そのまま目を閉じると眠気と安心感に支配され、私はそれらに身を任せることに決めた。
 いい夢が見えるように祈って。

 

 朝が来たのだろうか。自然に目を覚ますと薄い光が目の中に入ってきた。しかし思い返せば目を閉じたあの時が夜だったかどうかは分からない。むしろ昼だった記憶の方が強かったりするけれど。
 体を起こすと目前には見覚えのある景色が広がっていた。あれから場所を移動していないのかと思ったが、この森の中はどこを通っても同じようにしか見えなかったので、これだけの情報では推測するにしろ結論づけるにしろ不可能に近い状態だった。
「やっと起きたね、真」
 いささか不愉快そうな声が近くから聞こえる。私が眠っている間ずっと起きていたのだろうか、不機嫌さを顔に貼りつけた分かりやすい表情で立っていたのはキコだった。そんなに不機嫌になることないのに。ちょっと眠っただけなんだし。
「おはよう」
 とりあえず挨拶はしておいた。それで相手の機嫌が直るとは思っていないけれど。
「おはよう、じゃない。勝手に一人で寝たりして、この!」
「だって疲れたんだもの。あんたは知らないかもしれないけど、人間にとって睡眠というものはこれ以上ないというほど重要な行為なんだから……」
「それは分かってるけど、こんな森の中で寝るのは危険だって言ってるんだよ! 盗賊とか魔物なんかが出てくるかもしれないし」
 ついに異世界ならではの単語が飛び出してきた。ゲームなんかではお馴染みの魔物という存在はやはりここにも生息しているらしい。しかしそんな事実を突きつけられたところで、私はそれをどうにかしようとも思わなかった。
「君、人の話聞いてた?」
「聞いてるよ」
「なんか胡散臭いんだよなぁ……」
 失礼な。聞くだけは聞いているんだから。
 立ち上がって次に目指すべき方向を確認し、再び私とキコは終わりのなさそうな道を歩き出した。またそれが延々と続いていくのかと思ったが、気持ちがいいほど見事に遮断される結果となった。なぜならついさっき気にとめた魔物らしき生き物が目の前に現れたのだから。
 それは一目見ると魔物だと分かるほどありきたりな格好をしていた。外見としては獣より人型と呼ぶ方がしっくりくる、RPGではよく見かける容姿をしている。頭は深くフードを被っていてそこから二つの瞳が怪しく光り、体は薄汚れた青色のマントですっぽりと覆われている。ただ一つだけ不釣合いなことに、そいつの後ろからは竜のような尻尾が出てきていた。さらに尻尾の先の方には剣のような物が刺さっている。それは明らかに誰かから攻撃を受けた結果なのだろうけど、どうもそれだけが妙に気にかかった。
 しかし、なんだかやたら劇的な展開でやる気がなくなってくる。これじゃまるでどこぞの物語みたいだ。私はその物語でたとえるなら主人公なんだろうけど、ありがちな流れとして勇敢に立ち向かったりする気力もない。もう一つの選択肢としては逃走するということが挙げられるが、そちらもまた疲れそうなのでやる気が起きなかった。
 どうにか楽に解決しないかと考えてみるものの、隣では突然現れた魔物にキコが大変驚いていらっしゃる様子だった。唖然としてものも言えないのか、じっと相手の姿を凝視したまま微動だにしない。普段からずっとこんな調子ならうるさくなくていいのに、とは思うものの、魔物を相手にびっくりするのはとても普遍的なことなんだろう。私が平然としすぎているということはよく分かっていた。
 そうしてしばらく黙っていたが、両者とも少しも動こうとしない。キコに関しては特に疑問に思ったりしなかったが、相手の魔物がじっとしていることはなんだか不可解だった。よくある話ではすぐに訳も分からないまま襲いかかってくるのに、私たちの目の前にいる相手はそんな雰囲気でもない。私は一度顔を別の方向へ向けて、また相手の姿を見た。何も変わっていない。
 これは、光が見えてきそうだ。
「ねえ、その剣、人間に刺されたの?」
 言葉が通じるかどうかは分からないが、とりあえず試しに話しかけてみた。その勢いで一歩相手に近づく。
「まっ、真! 魔物に話しかけたって無駄だって! それより逃げないと!」
 反応してほしい相手より先に別の人が反応してくれた。違う。あんたは今はどうでもいいんだ。頼むから黙ってて。
 騒ぐキコを無視して相手の反応を待っていても、相手はじっとしているだけだった。これでは言葉が通じているのかどうかも分からない。それでも私たちにとって危険な相手ではないように感じられたので、逃げよう逃げようと連呼するキコとは逆に相手にそっと近づいてみた。
 本当に目の前まで近づいても攻撃してくる気配はない。どうやら私たちは余計な偏見で魔物の姿を見ていたようだ。確かにキコがイメージするような、人に危害を加えてくる魔物の方が一般的なのかもしれない。だけど少なくとも今対峙している魔物はそうではなく、とても温和な性格をしているのではないかと推測できるほどだった。世の中にはそういう魔物もいる、ということなんだろう。
 背後に回り込んで尻尾に突き刺さっていた剣を抜く。意外とあっさり抜け、傷口から赤い血が流れ出てきた。しかしそれはすぐに止まり、深い紫色の光を発して尻尾と共に消えてしまった。それでも剣には血がついている。
「大丈夫?」
 相手に声をかけてから気づく。私は今、とても穏やかな心持ちになっていた。相手はくるりと振り返り、一つ頷いてみせてきた。その拍子にフードの中から青みがかった銀の髪が垂れてきた。顔は見えないままだったけど。
「なら、よかった。これからは気をつけてね」
 一つ笑顔を贈ってから歩き出す。尻尾に刺さっていた剣を握ったままだったが、ここに捨てていく気にもなれなかったのでとりあえず持っていくことにした。私が歩き出すと慌てた様子でキコが追いかけてきて隣に並んだ。そうして何か言いたそうな顔をこちらに向けてくる。
「ありがとう」
 それは誰の言葉だっただろう。少し低い、青年のような声。
 振り返ったり確かめたりすることはやめておいた。私たちはそのまま歩き続けるだけ。
 思い出したのはキコが言っていた『人との付き合い方』だった。キコは人間に限定して語っていたのだろうけど、それはもはや軽率な偏見からくる意見に他ならないことがよく分かった。相手が人間だろうと魂だろうと魔物だろうと、分かり合えないことはないのかもしれないんだから。
 風が通り抜けても清々しい心地になり、やる気も今ではプラスに向かっているように感じられる。名前も知らない魔物のおかげで素敵なことを学んだ気がして、私は人知れず相手に感謝せざるを得なかった。
「一瞬もう駄目だと思ったけど、魔物にも大人しい奴っているんだね」
「相手にだって意志はあるんだから、魔物だからって何でも決めつけちゃいけないってことだよ。現に私は今こうして生きているんだから」
「ふうん」
 いつの間にか体の疲れも忘れ、目の前の世界がすっかり変わってしまっていた。気持ちの持ち方次第でこれほど変わってくるのかと思うと、この世界もそれほど悪いものでもないように感じられた。
 それでも変わらない道は続く。
「確かに勝手に決めつけたらいい迷惑だよね。よし、じゃあ、『人との付き合い方・改』を作成しないと――」
「それはもういい」
「な、なんで!」
 疲れるから。なんてことは言わない。
 光が見えてきたことが嬉しかったので今はキコのことを騒がしいとは思わなかった。むしろこの雰囲気を楽しむほどの余裕が出てきて、ほんの少し戸惑っている自分がいることに気づいただけだった。
 見上げた空はよく晴れている。

 

 

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