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11

 とても美しく幻想的な景色を見せてくれる森の中にも、どこか残酷な塊を抱く生き物が生息している。こちらから触れようとしなくても向こうからまっすぐに飛びかかってきて、息を呑む瞬間すら与えずに牙を剥く姿は確かに『魔』に染められたものなのだろう。しかしその脅威を相殺するのもまた彼らと同じ種族であった。種族は同じであるはずなのに、考え方が違うだけで何もかもが異なってくる。それは不思議なことのように思われがちだけど、実は私たち人間だって全く同じなんだから見下すことはできないんだ。
 それなのに、魂の少年の話によるとこの世界での魔物の地位は人間や魂よりもずっと下なのだと言う。なぜそんな結末に至ったのかという詳細は知らないらしいが、理不尽さすら感じさせる現状に、疑問を抱く人があまりに少なすぎるから変更される予定はないんだそうだ。それを聞いてもハウアーは何も言わない。彼はこちらに来てまだあまり経っていないと言っていたが、人から見下されても文句の一つすら吐き出さないのは、仕方ないと諦め切っているからなのだろうか。言っても無駄だと思っているのだろうか。そんなこと、誰にも分かるはずがないのに。
 私には自分の意見を言う勇気がなかった。もしも強い言葉で否定されると、自分の意志を貫き通せる自信がなかったからだ。情けないけれど事実なんだから、それを受け止めなきゃならない。だけど、この世界に来てから、なんとなく別の見方を発見できそうな気がしていた。
 それが何なのか分かるのは、もっともっと先のことだけれども。

 

「世界創造? そんなことできんのか?」
「知らないよ。でも二人の人が頼んできたんだから、できるんじゃない?」
 光の届く森の中、私たちは北へと続く道の上を歩いていた。その間にハウアーに私たちの目的を説明する。
「で、世界を創造する為には『鍵』って物を探さなきゃならないらしくって。でもそれがどこにあるかなんてさっぱり分からない、と」
「そりゃ大変だな」
 大変なのかそうでないのかよく分からないが、個人的には世界創造よりもキコの暴走の方がよっぽど心配だった。今では世界創造に加えて世界の平和維持という目的まで勝手に承り、この調子でいくと会う人会う人全ての事情に首を突っ込んでいきそうで非常に恐ろしい。そんな熱血漢は今は私の隣を歩き、周囲を気にしながらも上機嫌で静かにしていた。
「あてもない探し物なら、力石(りょくせき)の力を借りてみたらどうだ?」
「りょく……せき?」
 相手の口から知らない単語が出てきて首をひねる。ハウアーはなんだかにやりとした笑みを顔に浮かべ、少し小声になって内緒話のように話してくれた。
「力石ってのは強い魔力を内に秘めた石ころでな、小さな欠片でも充分使い勝手がきく代物なんだ。探し物くらいならそいつの力を使えばすぐにでも見つかるんじゃねぇのか? とは言っても、その探し物の価値が高けりゃ高いほど必要な魔力も増えてくるだろうがな」
「ふうん」
 力石とやらの話を聞いても、世の中には便利な石ころがあるもんだなぁというくらいにしか思わなかった。もちろんそれを手に入れて『鍵』がある場所まで行っても構わないけれど、そんなことをしている暇があったら直接『鍵』の場所を探す方がいいんじゃないだろうか。力石探しに夢中になって本来の目的を忘れたりしたら、それこそキコのことを悪く言うことすらできなくなってしまうんだから。
「そんな便利な石ころがあるんなら、ハウアーもそれ使って魔石を見つけたらいいんじゃない?」
 隣から口を出してきたのはのんきそうな顔をしたキコ。その言葉を聞いてハウアーは顔からさっと笑みを消した。
「あほか。そんなことできるならとっくの昔にやってる。それができねぇからこうして自力で探してんだろうが。力石と魔石は似たようなもので、でも根本的な部分から違うからな、互いに力を打ち消しちまうんだろうな。だから力石の力では魔石を見つけることはできねぇんだ」
「分かったけど、あほって――」
 のんびりとした時間は長く続くようで、にわかに破壊されるんだから劇的でもある。ハウアーの説明が終わりキコが文句を言おうとした刹那、私たちのちょうど真横から魔物が飛び出してきた。それにいち早く反応したのは間違いなくハウアーなのだろう。魔法で壁を作ってくれて私とキコは魔物の攻撃を受けなくなった。
 魔法で作られた壁にぶつかった魔物は、それだけで一瞬の隙ができる。相手は獣のような姿で狼に似ているなと思っていると、魔物は黒い光に包まれてどこか遠くの方へと吹き飛ばされてしまった。黒い光とはハウアーの放った魔法であり、吹き飛ばす意味は相手を殺さないようにする為だと彼は語っていた。
 これで魔物に会ったのは十回を超えたように思われる。魔物に遭遇する度に私とキコは壁の向こう側に避難し、ずっとハウアーに守り続けられていた。護身用にと持たされたサーベルも一度も使うことはなく、このまま頼ってばかりだと彼と別れた後の自分たちの姿が恐ろしく思える。
「毎回だけど、魔物って急に飛び出してくるからびっくりするよねぇ」
 胸の辺りを手で押さえながら、私と一緒に守られていたキコは言う。ここに効果音を加えるとなると「どきどき」と挿入するのが最も適切なんだろうな、なんてことを考えてしまった。そこには意味なんて全く存在しないが。
「案外びっくりしてるのはあんただけかもね」
「真は異常なんだよ。君の基準で決めたら天地がひっくり返っちゃうって、絶対。ハウアーはびっくりするよね?」
「俺か? 俺はもういきなり飛び出してくるのには慣れたからなぁ、びっくりすると言うよりか、『ああ、またか』って思ってばっかだな」
 どうやらここにキコの味方はいないらしかった。一瞬で孤独な少年になってしまった彼は、顔をむっと歪ませてなんとも分かりやすい反応を示してくれる。それを見てハウアーは声を上げずににやにやと笑った。このねっとりした感じの笑い方は彼の癖なのだろうか。
「お前、それくらいですねるなよ」
 笑い出すのをこらえるかのような声でハウアーは言う。それに対してもキコは「すねてないよ」と反論した。なんだか非常に子供っぽい。今まで気にしたことなんてなかったけど、キコって一体何歳なんだろうか。
 そんなことを考えながらも道を辿って歩いていると、太陽の眩しい光があたたかなオレンジ色に変わりつつあった。そしてふと宿で予約を入れていたことを思い出し、だけどもう引き返すことはできなくて、ああ損をしたなぁと考えてみたけどどうしようもなくて、結局は何も言わずに道の上を歩き続けることに決めてしまった。

 

 すっかり夜の帳(とばり)が下りた頃、私たちは森の中で野宿をすることになった。野宿と言ってもただ地面に転がって寝るだけであって、テントだの寝袋だのという便利な品物など存在しない。つくづく私の世界は平和で気楽だったんだなぁと思ったりしたが、そんな懐かしさを見事にぶち壊してくれたのが元自転車の少年だった。
「こんなところで寝るなんて、魔物に見つかったらどうするつもりなのさ? 危険すぎるって!」
 前にも一度聞いたことのあるような台詞を吐き出し、顔にはうっすらと赤みすら差している。そこまで気合い入れなくてもいいだろうに。
「だから、俺が魔法で壁を作っといてやるからよ、お前らはその中で寝りゃいいじゃねぇか。それの一体どこに不満があるってんだよ」
 少し苛ついたような口調で接するのはハウアー。なんだか怒り出しそうだけどあくまで冷静な態度で、不安を全身で訴えているキコの話を聞いていた。
「もしも壁が壊れたりしたら?」
「そん時は新しいの作ってやるよ」
「そうじゃなくて、壊れたらそのまま魔物が入ってくるじゃん!」
「魔物が入る前に新しいの作ってやる。これでいいだろ」
「でもそれが間に合わなかったら――」
「大丈夫だって。俺を信じろよ」
 にっと笑い、キコの頭をぽんぽんと叩く。頼りになりそうなハウアーの顔を見上げ、キコは言葉が続けられなくなったらしく、それ以来口を閉ざしてすっかり静かになってしまった。こうして見てみるとハウアーは私たちの保護者みたいに思えてくるから不思議なものだ。外見だけでは年もそこまで離れていないはずなのに。
 だけどそれもまた必然的な結果なのかもしれない。だって私もキコも、考え方が子供じみているんだから。
「まあ、ゆっくり寝ろや」
 上から聞こえたハウアーの声を最後に、私は地面に寝転んで目を閉じた。夜の森は昼とは違って恐ろしいというイメージがあったけれど、いざその状況に立たされてみても恐怖など少しも感じられなかった。そしてその理由すら、私の中でははっきりとしていたに違いなかった。
 誰かに守られるのは久しぶりだったけど。

 

 +++++

 

 慣れない場所で寝たせいか、目を覚ました時の空はまだ暗黒に染まっていた。それでも地球と同じように煌く星屑がいくらか気分を和らげてくれる。月の姿はどこにも見当たらなかったが、私の知る世界ととても似た環境なのでほっとせずにはいられなかった。
 体を起き上がらせてみると周囲に魔法の壁があることを思い出した。試しに触れようと手を伸ばすと、ひんやりとした冷たいものに当たったような気がした。手で触っていても冷たさを感じるだけで、自分の手が固体にぶつかった感覚はない。まるで麻痺しているかのようで、気持ち悪くなって手を引っ込めた。
 隣ではキコが静かな寝息を立てながら眠っている。顔を上げてハウアーの姿を探したけれど見つからなかった。彼の話からすれば私たちから離れるなんてことは考えられないが、こんな時間に一体どこへ行ったのだろうか。
 しかしあまりそれを追究したいとも思わなかったので、私はまたおとなしく眠ることにした。地面に寝転び、目を閉じる。風や木々のざわめきを聞きながら、疲れを癒す為に深い眠りにつくように。
 ――眠れない。
 眠れなかった。なぜなのかなんて知らない。ただ単に、眠れなかっただけだから。
 再び目を開くと同じ景色が映る。変わらない景色。黒く染まった全てのもの。その中でも輝きを失わない、遠い場所で光っている星たち。ゆっくりと体を起こすとさらによく見えた。
「……真?」
 聞き慣れた声で名前を呼ばれる。声の主を探すように周囲をぐるりと見回すと、闇の中で見たものと同じように光る綺麗な銀髪が目に入った。
「なんでこんな所にいるの、君」
 銀髪と言ってもそれはハウアーのものではない。暗黒の中でも煌きを失わないほどの綺麗な白銀は、そう簡単に手に入るものじゃないのだろうから。
 目の前にいる相手は、暗い廊下で知り合ったロイだった。
「あ、そうか魔法を教えてくれる施設に向かってる途中なんだね。いや、ずいぶんゆっくりと進むんだねぇ、君たちって」
「そんなにゆっくりしてるかな?」
 相手は私の横にしゃがみ込んだ。その距離が予想以上に近くて、つい体を離そうと努めてしまう。私のそんな失礼とも言えるべき行為を知っているはずなのに、ロイは何も言わずに優しい笑みを浮かべていた。
「これで一日が終わるね。君が異世界に来てから一日が経った。そろそろ家が恋しくなってきたかい? いっそのこと、今から家に帰ってみる?」
 親しい友人と話すように、とても優しい言葉遣いで彼は言う。しかし何を言っているんだろう相手は。こんな場所から帰ることなんて、本当に可能なことなのだろうか。
「……帰れるの、ここから?」
「もちろん! 僕が送っていってあげるよ。だけど、そうだね、帰ったらまた誰かに呼ばれない限りここには来れないだろうね。でも、ま、そんなことはどうでもいいんでしょ? こんな世界に勝手に呼ばれてさ、いい迷惑だって思ってるんだろ? だったら何もかも捨てて故郷に帰って、ずっと見知らぬふりをしていればいいんだよ。大丈夫。ルノスのことは、僕に任せておいてよ。きっと巧くやってみせるからさ」
 彼の顔からは何も見えてこなかった。ずっと優しそうな笑みを浮かべているから、本心が隠されてて何一つとして分からない。優しい言葉は甘い言葉で、綺麗な瞳は心を映さない。
「よし、じゃあ、帰ろう! 誰かに気づかれる前に帰ってしまおう」
 ぐいと腕を引っ張られ、否応なしに立ち上がらされる。そういえば私の周りには魔法の壁があったはずなのに、それがどうしてなくなっているの?
「待ってよ、私は帰らないから。ここに残るから」
 声を上げるとすぐに相手は手を放してくれた。そうしてくるりと振り返ったかと思うと、先ほどとは別の種類の笑みを顔に浮かべていた。
「なあんだ、残念。君の連れの二人を困らせてやろうと思ったのに」
 背筋が凍るような気がした。
「ついでにルノスも。あともう一人、誰だか知らない奴も。君が帰るって言っただけでたくさんの人が困るんだ。もしかしたら、世界中の全ての人間や魂や魔物が困ったかもしれない。世界創造? 何それ? 世界を創るの? 創ってどうするの? そんなことを言う奴らが大勢いるだろうけど、いざ世界を創らなきゃならないようになると、今度は自分たちではどうにもできないことに気づいて創造主にすがりつくんだ。そこで創造主が自分の役目を放り出してのんきに私的生活を楽しんでいるとなると、ああ! 楽しいだろうに。そうしてしまいたかった。だけど君はどこのどいつに影響されたのか、すっかり世界の救世主気取りか! ふうん、まあいいか、それはそれで面白いかもしれない。なんだか久しぶりだよ、他のものに目を向けるっていうのはさ。僕さぁ、他人の事情とか世界のナントカっていうのには全然興味が持てなくてさぁ、ルノスに言われたんだよね、他のものに目を向けるべきだって。最初は気分が乗らなかったけど、まったく、君と知り合えて良かった! おかげで少し楽しくなってきたよ。組織ではいろいろ仕事を命令されるけど、そんなことやってられるかって感じでさ。だけど……ああ、忘れてた! 何の為に来たのか忘れるところだったよ。馬鹿だなぁ、僕って、別の話から入ると目的を忘れがちだってことくらい、充分分かってたはずなのに。そうだよ、真、君に用事があって来たんだよ。ほら……」
 長い演説の途中なのか、同じ表情のままロイは私の前に手を差し出してきた。何かを求めているのは分かるが、私には何をすればいいのか分からない。
「忘れたなんて言わせないよ、さあ、あれを返して」
 あれと言われても。それだけで分かるほど私は都合のいい人間じゃない。
「おや、困ったな。返してくれないっていうのか。だったら力ずくで奪っちゃうけど、そんなことしたら君が困るだろ。うん、きっとそうだよ。僕は君を困らせる為に来たんじゃないんだから。お互い困らないように、素直に返して欲しいんだけどなあ?」
「返せって言われても、何を返せばいいの?」
「なんだ忘れてただけか」
 だったらよかった、と続けてロイはにこりと笑った。それはとても都合上の愛想笑いのようには見えない。
「ほら、初めて会った時に渡したものがあっただろ、あの――」
 言いかけて止める。なぜ彼がそうしたのか私にも分かった。後ろから音が聞こえたからだ。振り返ってみると、今まで姿を消していた魔物の青年が目に入った。
「こんな真夜中に、マスター、そいつは誰だ?」
 ハウアーは特に警戒もせず近づいてきた。魔法の壁がなくなっていることも、夜遅くに知らない人と話していることも、彼はほんの少しも怪しいと感じなかったのだろうか。いいや、もしかしたらそう思わせるものがここにはあるのかもしれない。たとえばロイの優しげな笑顔や、私とロイとの距離が近すぎることなど。
「この人は、えっと――」
「どうもはじめまして。僕は彼女のちょっとした知り合いさ。もちろんそっちの魂君のことも知ってるよ。今日は仕事でこの世界に来たんだけど、真の姿が見えたから顔を見せておこうかなって思って。なに、危害を加えるつもりはないよ。それにそろそろ行かないといけないから。うん……そうだね。そうだよ、きっとそうだ。やっぱり帰るよ。仕事は他の人に任せることにしよう」
 話しているうちに主旨が別の方向へ向かっていくことが彼の癖なのかもしれない。単純に何も考えずに喋っているだけかもしれないが。それでもこれを初めて聞いた人にとっては効果があるようで、ハウアーは訝しげな顔で相手の姿を見ていた。
「じゃあ、僕はもう行くよ。真、元気でね。キコにもよろしく伝えといて。魔物のお兄さんも、さよなら。道中いろいろあるだろうけど、気をつけてね」
 かつて見たことのある輝かんばかりの笑みを顔に貼りつけ、ロイは機嫌がよさそうに手を振って森の中に消えていった。後に残ったのは変な感覚だけで、これについて考え出すと夜が明けてしまいそうなので徹底的に無視することが最善の方法なのだろう。
「マスター」
「ん?」
 まるで嵐が去ったかのような静けさの中、ハウアーは普段より小さな声で話しかけてきた。
「俺、この姿で魔物だって気づかれたのなんて、初めてだ」
「そうなんだ」
「あいつ何者だ? 勝手に壁まで壊しちまってるし」
「さあ、私にもよく分からない」
 嘘は言ってない。それだけは事実。
「とりあえず、彼がここに来たことはキコには言わないでね。きっと機嫌が悪くなるだろうから」
「ほう、それはまた……」
 そこで話を切り上げて私はまた眠ることにした。だけど体を横にして目を閉じ、光のない暗闇を見つめてみても、ロイと会う前とは違う別の感覚によって、なかなか眠りにつくことができなかった。それは明らかにロイのせいだった。彼と会ったことで、私は不思議なものを手にしてしまったんだから。
 あの人は、本当に、何なんだろう。私にいろんなものをもたらして、一体何をしているのだろうか。
 そう尋ねてみても、闇は何も答えない。

 

 

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