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12

 決して気持ちがいいとは言えない朝を迎え、私たちはまた森の道を歩き出すことにした。昨日の夜に起こったことは私の中ではぼんやりとした記憶になり、だけどどこかはっきりした感覚だけが残っていて、非常に不快でもあり魅力的なものでもあった。ハウアーに頼んだとおりキコには全く知らせておらず、熱血漢になる少年は何も知らないまま私の隣を歩いている。
 仲間なんだから知らせてやるべきだと言われるかもしれないが、世の中には知るべきことと知らない方がいいことがある。キコはロイのことを嫌っていたようだから、きっと言わない方が彼の為にもなるんだと思う。だから私は何も教えない。ハウアーもそれを知っているのか知らないのか、魂の少年には別の話ばかりをしているようだった。
「なんだか、強い魔力を感じるな」
 歩き出してずいぶん経ったと思い始めた頃、ハウアーの口から気になる言葉が漏れた。相変わらず周りの景色は変化に乏しかったが、彼の言葉からすると目的の場所に近づいているのかもしれない。
「もうすぐなのかな、その、マエなんとか学園跡地って」
「マエストーソ学園ね」
 相変わらずなのはキコも同じだった。のんきそうな顔をして、今向かっている場所の名前を忘れていたらしい。とは言っても、目的地の名称なんて忘れたところでどうなるというものでもないから、彼だけを責めることなんてそれこそ理不尽なことであった。
「何なんだ、その、マエストーソ学園ってのは」
「魔法を教えてくれる施設らしいけど、詳しくは知らない」
「人間が教わるのか? 人は魔物と違って魔力が少ないから苦労するだろうな」
 なかなか面白みのある情報をハウアーは呟いてくれた。やはり魔法というものは『魔』と付くだけあって、魔物に適した能力らしい。それをわざわざ不向きな人間が扱うということに対して疑問を覚えた人もいたかもしれないが、今となってはもう分からないことだった。だってその施設は何かによって崩壊してしまったのだから。
 少し歩くとすぐに目的地らしき場所に着いた。森の木々の列が途切れて視界が開け、太陽の光が広い大地を煌かせている場所に、煉瓦造りの大きな建物の跡が風にさらされていた。廃墟と呼ぶにはあまりに綺麗に残っているが、不気味なほどひっそりとしており人の気配はどこにもない。周囲の草は伸び放題で、建物の至る所に植物が巻きつき、しかしどこか神秘的な荘厳さを持ってそれは存在していた。
 一度足を止めて見とれてしまう。決して美しいとは言えないが、過去にここで多くの人がいろんなものを抱えながら生活していたことが、風の囁きによって聞こえてくるように感じられた。そうして風が泣き止むのを三人は黙って待っていた。慈しみすら感じさせるやわらかな風は、それでもなぜここが崩壊したのかということは教えてくれない。
「確かにこの建物の中から強い魔力を感じる。が……こいつは、魔石のものじゃねえ気がするな」
「そうなの?」
 ここまで来ておきながら目的の魔石ではなかったとなると、考えただけでもどっと疲れが押し寄せてきそうだ。無駄足だったとは思いたくない。でもハウアーがそう言うんだから、あるいはそうなのかもしれない。
「どうすんのさ、違うかもしれないって、このまま帰るわけ?」
 私とハウアーの前に出たキコは率直に聞いてくる。ちらりと横を見てみると、ハウアーは顎に手を当てて何やら考えている様子だった。
「いや、実物を見てみなきゃ分からねえ。前に言っただろ、魔石と力石は似てるって。もしかしたら魔石かもしれねえし、力石かもしれねえ。どっちにしろ実物を探すだけの価値はある。力石なら力石で、お前らの目的の助けにはなるだろうしな」
「じゃあさっそく中に入ってみよう!」
 一人で張り切っている奴が目の前にいた。それがあまりに分かりやすいので、逆にこっちのやる気はマイナスに向かっていく。
「あっ真、またそんなやる気なさそうな目なんかして! ほら、行くよ! ハウアーも!」
「お、おい……」
 キコは私とハウアーの腕を掴んで引っ張りながら歩き出す。とりあえず入り口らしき場所に着くと手を放してくれたが、こっちとしてはいい迷惑のような気がした。
「いざ行かん!」
 もうこうなったら止められない。
 仕方がないので一つの諦めと共に私も彼について行くことにした。そして頭の中ではなんでこんな性格になったんだろうと繰り返し、隣で呆れているような顔をしたハウアーと顔を見合わせてはため息を吐くのであった。

 

 建物の内部は自然によって支配されていた。ここがいつ崩壊したのかは知らないが、この様子では崩壊してからもう何十年もの月日が流れたように推測される。ありとあらゆる所に植物が生い茂り、まるでここは自分たちの領地だと言わんばかりに堂々と広がっていた。足下は隙間なく緑で彩られ、どこぞの植物園よりもうんと植物園っぽい雰囲気を醸し出していた。
「で、ここのどこに魔石があるって?」
 きょろきょろと周囲を見回して顔をよく動かしながらキコは言う。そんなにせわしなく動いても見えるものは変わらないんだから、少しはじっとしていてほしい。
「そうだなぁ……あっちの方から魔力を感じるな」
「あっち? よし行こう!」
 先陣を切って飛び出すのはキコ。ハウアーが示した『あっち』へ向かって素早く歩き出してしまった。本当に緊張感がないというか、張り切りすぎというか。確かにあれも一種の才能なのかもしれないが、もはや呆れを通り越してしまう。
 なんてことを考えながらキコの後ろ姿を追っていると、唐突に彼が消えてしまった。それは一瞬の出来事で、ぱっと消えてしまった。跡形もなく消えてしまった。突拍子もなく消えてしまった。そして残るのは沈黙だけ。
「ハウアー」
 振り返っても魔物の青年はいつもの顔をしていた。
「心配するこたぁねえよ、マスター。あいつ、穴に落ちてやがる」
 キコが消えた手前まで進んでみると、なるほど地面にぽっかりと穴が開いていた。上には地面と同じように緑の草が伸びていたので、穴があることも見えにくくなっていたのだろう。しかしこの穴、覗き込んでみても真っ暗で、予想以上に深そうに思われる。とてもじゃないがこんな穴には落ちたくなかった。
「ハウアー」
 また魔物の青年の名を呼んでみる。彼はさっきと少しも変わらない表情をしていた。
「大丈夫だって。マスター、ちょっと下がっててくれ」
 言われた通り穴から遠ざかって立ち止まる。同じように穴から少し遠い場所に立っているハウアーは、片手を前に突き出して他の動作をぴたりと止めた。
 地面の揺れを感じたのと穴が広がっていくのは平行して起こった。おまけに上に被さるように伸びていた草は穴を避けるようにぐいと曲がり、頭上で伸びていた丈夫そうな草が束になって下に落ちてきた。それは天井から垂れ下がったロープのようで、先端の方は見事に穴を通って暗闇の中へと消えていった。
「魔法にもこういう使い方があるってこった。さあ、そいつにつかまってくれ」
 ロープ代わりの草に手を触れると、束から何本かのツルがはみ出してきて何かを形作っていく。そしてツルに背中を押されたり手を誘導されたりしていると、いつのまにか私は草でできたブランコのようなものに座っていた。それに気づいた頃にはブランコは下降を始めており、暗い穴の中を一人でゆっくりと下りていくこととなった。
 一分間くらいじっとしていると足場が見えてきた。ついでに黄緑色の髪も見えて少しほっとする。地面に降り立つとブランコはすごい勢いで上昇し、目の前には気を失って倒れている魂の少年の姿があった。
 この様子だと頭か何かを打ったらしい。当然だ、こんな深い穴に落っこちたんだから。何とも運のない少年である。ああ可哀想。
 キコを哀れんでいるとハウアーが降りてきた。私とは違ってブランコには乗らず、ただ草を片手で掴んで降りてきただけだった。彼が地面に立つと草はまた上へ戻り、その後どうなったかは私には分からない。
「あーあ、のびてやがるなぁ」
「このままにしといた方がうるさくなくていいかもね」
「それは言えてるな」
 そう言って二人で笑っていたものの、やはりこのままでは申し訳なかったので、結局キコが気がつくまで待つことにした。私もハウアーもどこか人が好いところがあるらしく、これを他人はお人好しと呼ぶのだろう。だけどそういう意味ならキコだって同じだった。私たちは種族こそ違えど、妙なところで共通点があるらしい。それもまた可笑しなことだった。
 種族を超えて笑い合える今。それは実はとんでもなく素敵なことなのかもしれない。同時に、あまりにも壊れやすいものなのかもしれない。私たちはそれを守ることができるだろうか。維持することができるだろうか?
 質問ばかりするのはやめておこう。……

 

「ふあっ」
 変な声と共にキコが気が付いたのは、三分くらいが経過した後のことだった。ちょうどカップラーメンが食べられるようになる時間である。
「あ……あれ? ここは?」
「穴の下だぜぇ」
 からかうような口調と表情になったハウアーがキコに説明する。起き上がっても相変わらずな少年は、また凝りもせずにきょろきょろと周囲の観察を始めた。
 一階から落ちたのだからここは地下なのだろう。落ちてきた時は真っ暗で何も見えなかったが、ハウアーが松明(たいまつ)を魔法で作ってくれたので、今ではその炎によって周囲がうっすらとだが見えるほどになっている。
 よく見てみるとここは一つの部屋の中であるらしく、すぐ近くにどこかへ続いているはずのドアがあった。取っ手がついているだけの質素なドアだったが、部屋の中をぐるりと見回してみてもそれだけしか発見できなかった。そのドアの先以外に道はないらしい。
「まあいいや。そこにドアがあるからとにかく進もう!」
 キコはすぐに復活した。また勝手に一人で暴走しようとしている。食い止める手段を持たない私たちはもとより、こんな所で立ち止まっていてもどうにもならないので、先に歩き出したキコについて私とハウアーもそろそろと歩き出した。
「さあてこの先には何が待っているのかなー?」
 本当に気楽そうな声。まったくこっちの気も知らないでさぁ。
 キコはドアノブに手をかけ、開こうとする。ちょうどその瞬間に背後で大きな音が響いた。またしても劇的すぎるタイミングだ。やっぱりこの異世界という所は何かがありそうで、大変しらけてくる。
 後ろを振り返ってみると人がいた。ちょうど穴が開いている下なので上から落ちてきたのだろう。しかしその人はキコとは違ってきちんと着地していた。ハウアーのように魔法を使ったわけでもなさそうで、なんとなくそれだけで感心してしまう。
「あ……」
 顔を上げて相手はこちらを見てくる。暗くてよく見えないが、私と同い年かそれよりも下の子供であるようだった。髪は短くて肩にかかる程度で、その色は闇の中なのではっきりとは分からないが明るそうだ。服装はいたってシンプルかつ質素なもので、それだけを見てみても何も分からない。
「こんにちは」
 私が観察し、周囲が黙っていると相手はにこりと微笑んだ。そうして私は相手の笑みを眺めながら、笑顔にどんな効果があるのかということをロイの笑みと共に思い起こし始めていた。

 

 

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