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13

 よく見てみると相手は女の子だった。
「こんな所に人がいるなんて考えてなかったから、ちょっとびっくりしちゃった」
 そう言って笑う姿からは警戒心が感じられない。
「ここに来てるってことは、何か……探し物?」
 核心に触れるような台詞を言った後でも、やわらかな微笑は少しも崩れない。
 多少完璧すぎるような相手の表情を見て、私は彼女を疑い始めていた。まだ会ってからほんの少ししか経過しておらず、相手のことなど何一つとして理解していないくせに。そうしてそのことに気づくとはっとして、何を馬鹿な真似をしていたのだろうと後悔した。
 いつからこんなに疑い深くなったのだろう、私は。

 

「私の名前はサク。ここには力石を探しに来たんだ」
 松明の炎の下、私たちとサクと名乗った少女の四人は暗い廊下を歩いていた。道はこの一本しか見当たらなかったし、サクの目的もまた私たちのものと似たようなものだったので、せっかくだから一緒に行こうと相手が言い出してきたのだ。特に断る理由もなかったから承諾したものの、ハウアーはともかくキコはあまりいい顔をしなかった。もちろんなぜそんな態度をとったのかという理由なんて私には分からないけれど。
 あるいはキコはあれで人見知りをする方なのかもしれない。なかなか考え難いことだけれど、そうだとしたら非常に頷けるんだから、事実である可能性だってある。
「あなた達の名前は?」
「私は真。で、こっちがキコとハウアー」
「そう。よろしく!」
 相手は絶えず笑顔を見せてくれた。私にとってはなんだかそれが真新しく感じられ、ふと不思議な感覚に襲われる。初めてサクと会った時はどうしてだかロイのことが思い起こされたけれど、それはきっと二人とも真っ先に見せてきたのが『笑顔』だったからなのだろう。しかしこうして落ちついて相手の顔を見ていると、サクの笑顔とロイの笑顔は根本的な部分から違っていることがよく分かった。サクはとても穏やかに素の部分を見せているけれど、ロイは陰を潜めた微笑を作り、少しも笑っていなかった――そんな気がした。
 いろいろと考えながら歩いていると周囲への注意を怠りがちになってしまう。そんなことをしてはキコと同レベルになってしまうので、私はさっと顔を上げて周りの景色を見てみることにした。たとえ他の誰が何と言おうとキコと同レベルなんて嫌だ。私はそんな、無駄な熱血漢になんてなりたくないんだから。
 と言っても周囲は真っ暗でほとんど何も見えない。松明の火で照らされている部分だけ眺めてみても、ぼんやりと天井が見えたり草が生い茂っているのが見えたりするだけ。とてもじゃないけどこれでは何も分からなかった。もしかしたらここは一本道じゃない可能性だってある。とにかく視界が悪すぎて、分かるものも分からないという状態だった。
「痛っ」
 隣から小さな声が響いた。周囲は耳が痛いほど静かだったので、とても小さい声でも異常に大きく響いてしまったらしい。その声を発したのは私の隣で静かに歩いていた魂の少年。横を見ると、相手の姿が消えていた。
 また穴に落ちたとか言うんじゃないだろうか。訝しく思いつつも後ろに視線をやると、今度は地面に座り込んでいた。
「何やってんの、あんた」
「いや、足に何か引っかかって……」
 少年のせいで他の二人の足も止まっていた。キコが立ち上がる時に松明を持ったハウアーは周囲を見回し、それが終わると次は地面にしゃがみ込んだ。一瞬彼は疲れて休憩したいのかと思ったが、ハウアーがそんな私やキコみたいなことをするとは考えにくい。何かを見つけたのだろうか。
「どうしたの?」
 いち早く彼に話しかけたのはサクだった。こんな時でも笑顔は忘れない。ハウアーは地面を見つめながら、独り言のように小さく呟いた。
「この辺りから魔力を感じるんだが」
 それは何かの暗示だったのだろうか。
 松明の炎がゆらりと揺れる。次の刹那には地面が揺れていた。地震とは違うことだけがよく分かった。揺れているのは、いや、動いているのは、床や天井や壁に生い茂っている大量の草だった。
「三人とも、こっちへ!」
 急にうるさくなった地下の道でハウアーの声が響き渡る。バランスを崩しながらも彼の元へ行くと、続いてサクとキコもよろめきながらやって来た。全員が揃うとハウアーは松明を地面に突き刺し、私から見て左側の壁を指差した。
「草に埋もれて見えなかったが、ここには扉があるみてぇだ。ちょっと待ってろよ……」
 彼が手をかざすと周囲の動きと異なった動作で草が曲がり始めた。ばきばきと音を立てながら曲がる様はなんだか異様な光景だった。壁から草が全て排除されると、確かに扉らしき模様の描かれた板が見えてくる。
「じゃあ、もうさっさと行こう!」
 いつも通り一番に扉を開いて中に飛び込んだのはキコだった。サクが来てからすっかり静かになっていたのに、危機に面したり使命に出会うと性格が変わるらしい。しかしもうそんなことはどうでもよかった。どうでもいいことをあれこれ考えていたって、危機は危機のままで私の前に立ち塞がっている。
 キコに続いて私も中に飛び込むと、ふっと周囲の雑音が消え去った。まるでどこかの神殿の中にいきなり放り込まれたような気分になる。急に視界が明るくなり、何もかもがよく見えた。後ろを振り返るとサクとハウアーも中に入ってきていた。全員が中に入れても、外で蠢(うごめ)いている草は入ってくる様子はない。
「なっ、何これ!」
 こういう場面ではお決まりの台詞を発したのは私の前に立っているキコだった。そちらに目を向けてみると、何か強いものを頭に打ち込まれたような感覚を覚える。
 目前に現れたもの。それは人間。だけどその人は幾重にも折り重なった草の中に埋もれ、さらには何か硝子(がらす)のような透明の物質の中に入っていた。まるで死んだように目を閉じ、固まったままぴくりとも動かない。
 とても綺麗な顔立ちをしている女性だった。髪は輝かしい金髪だが、今はその煌きが完全に失われている。白いシンプルな服と黒く長いスカートによって身を包み、物のように音も立てずにただそこにあるだけの存在になっていた。これでは人間というよりも、何者かによって作られた人形みたい。よく街で見かける綺麗なマネキンにそっくりだった。
「この人だ――」
 私の隣にやって来て、相手を見上げるのは魔物の青年。
「俺が感じた魔力の源はこの人だったんだ。力石でも、魔石でもなかったんだ」
「この人が魔力の源? それって、どういう……」
 キコの言葉を止めるように小さな音が静寂の空間に響く。女性を守るように生い茂っている草はそのままで、彼女を包み込んでいる氷のような硝子に罅(ひび)が入ったのだ。それは一つにとどまらず、何かを言う暇もなく急速に広がっていく。気がつけば硝子はあらゆる角度の物を映し、一斉に大きな音を響かせながら粉々に割れてしまった。
 支えを失った人形のように女性は倒れかかる。それに反応してさっと一歩踏み出したのはハウアーだった。今はもう魔物だとか魔力の源だなんてことは関係なく、ただ良心に従って動いた結果だったのだろう。彼がそうしてくれてよかった。女の人は、ちゃんとハウアーによって受け止められたのだから。
 彼の隣に行って女の人の顔を覗き込んでみる。目は閉じられたままで、硝子の中に入っていた時と同じように動かなかった。これだと本当に死んだ人みたいだ。でも、そんなわけないよね。きっと今は眠っているだけなんだろう。そうだよきっと――。
「誰なのかな、この人。こんな場所で、こんなことになってるなんて」
 そう呟いたのは魂の少年。こちらもまた心配が顔にはっきりと浮かんでいた。前はそれが分かりやすすぎて呆れてしまったものだけど、感情を表に出すことがいけないことではないと私にも分かってきた気がしていた。だからなのか、あまり不快に感じない。
「とにかくいつまでもこんな所でぼんやりとしていられねえ。どうにもここは変な場所で、魔法を封じる結界が張ってあるみたいだ。この人を安静にさせる為にもここから出なけりゃ――」
「ねえ」
 響くのは、後ろからの無機質な声。
「私、力石もそうだけど、その人のことも捜していたの。無事に見つかってよかった。だから、その人、私に渡してくれないかな?」
 少し目を放していた隙に別人のようになっていた。こんなにも人は変われるものなのだろうか。ううん、そうじゃない。この人は少しも変わっていない。ロイの時だって同じだったじゃない。結局は皆、上辺をうまいこと使い分けてるだけなんだから。
 いつもの笑顔でハウアーに話しかけていたのはサクだった。だけどその手には銀色に光る刃物が握られていた。刃は何の戸惑いもなくまっすぐにハウアーの喉に突き付けられ、私は思わず二人から一歩離れてしまった。
「おいおい、何の真似だよそりゃ。……冗談じゃねえぞ」
 さすがにこの状況ではハウアーも驚いている様子だった。彼の話だとこの部屋の中には魔法を封じる結界があって、彼が得意とする魔法は使えないらしい。それに今は両手で女性の体を支えていて、動こうにも動けない体勢になっていた。こんな時に頼りになるのは私とキコなんだろうけど、私たちには何もできないことなど目に見えて分かることだった。私は一体何をすればいい? できるのは、この場面を眺めることだけだというのに。
「サク、どういうこと? その人を一体どうするつもりなの? それにその刃物は何? そんなの、まるで、まるで……」
 この中で最も驚き困惑しているのは間違いなくキコだったのだろう。普段から驚きやすくて慌てやすい彼のことだから、こうなることも無理はない話だった。だけど驚きながらも相手に話しかける様は、あるいは勇敢だと言えるのかもしれない。私にはとてもじゃないけどそんなことはできないんだから。
「まるで、何?」
 笑っているのは女の子。
「……まるで泥棒みたいだって、思って」
 絞り出した声はあまりに小さすぎて、近くに寄らないと聞こえなかっただろう。それを発したキコは少し俯き、とても悲しそうな顔をした。
「うん。確かに私は泥棒って呼ばれる人間なのかもしれない。私の名前はサク。クトダム様の組織で働いている、泥棒だよ」
 笑いながら言う言葉とは思えないものだったけれど、直接耳の中に響いてきたのだから仕方がないことだった。
 クトダムという名前を聞くのは二回目だった。そして私はありもしない推測を裏切られたみたいな心持ちで、相手の少女の顔を睨むように見た。
「なんだよ、まさかとは思ったけど、やっぱりロイの仲間かよっ!」
 やっぱりとは何だったのだろう。キコはそれだけを言うと懐から銃を取り出して銃口を相手に向けた。一度も使ったことがないはずなのに、その姿は勇敢だとかそういうことを抜きにしてよく似合っていた。
「おい、待てよ! 銃なんか人に向ける物じゃねえだろ!」
「だってサクはハウアーに刃物を突き付けてるじゃないか、こうでもしなかったらハウアーが――」
「だからって人を傷つけていいっていう理由にはならねえだろ!」
 こんな状況なのに、いやこんな状況だからだろうか、人の好いハウアーはそんなことを平気で言ってくれた。私は彼がそこまで徹底した意志を掲げているとは思っていなかった。キコの行為を否定するつもりはないけれど、それでもやっぱり私だって、できれば誰も傷つかずに解決すればいいと思っている。それはもう無理なんだろうか。サクは何も分かってくれないのだろうか。
「ねえ、もうどうでもいいから、その人をこっちに渡してよ。じゃなきゃ私、あなた達を殺さなくちゃならなくなるから」
 嫌な言葉。否定したい。でも声が出なかった。私は臆病者なんだ。
「ハウアー、絶対にサクにその人を渡しちゃ駄目! あのロイの仲間なんかに渡したりしたら、悪いことに使うに決まってるんだから!」
「酷いなぁ。それって偏見じゃない」
「うっ、うるさいよっ!」
 銃を握ったままのキコと、刃物を突き付けたままのサク。その間で挟まれているハウアーはぎゅっと女の人の身体を抱いた。彼に何ができただろう。この状況を平和に解決するためには、誰かも知らない女性を暗い組織の一員に渡すしかないのだろうか。
 だんだん頭が痛くなってきた。前進も後退もできない狭間。自由に動けるのは私だけになってしまった。でも自由だからといって、私にできることなんてたかが知れている。助けを呼んでみようか。でもこんな場所に、誰が通りかかる? それにこの世界で私が知っている人なんて、指で数えられるほどしかいない。ルノスはここにいない。アスターもいないだろう。ロイならいるかもしれない。でも、あいつを呼んでも状況が悪くなるだけだろう。あいつはサクの仲間だって分かってるんだから。もしかしたら助けてくれるかもしれないけど、そんなのあまりに都合がよすぎる。
 そういえばあいつは、ロイは、仕事は他の人に任せることにしようと言っていた。その仕事というのはこのことだったのだろうか。もしあそこで私と会わずにまっすぐここへ来ていれば、今の相手はサクではなくロイだったかもしれない。そう考えるとぞっとした。わけもなく震えを覚えて、空気が寒く感じられてきた。
 目の前の状況から逃げたくなって下に俯く。
 するとおかしなものが見えた。服のポケットから赤い光が漏れ出している。そっとポケットの中に手を入れると、何か硬い物があるのが分かった。これは、そうだ、ロイから無理矢理渡された石ころだ。返せと言ってきたけど結局私が持ったままだった石。何やら重要な物だと言っていたことを思い出す。
 ポケットから取り出すと光はいっそう強さを増した。同時に床が揺れ始めた。これもまた地震とは違って、女性を守るように生い茂っていた草が動き出したのだ。それによって緊張に包まれていた三人の注意がそちらに向く。
「マスター、そいつを貸してくれ」
 サクが草に注意を向けている隙にハウアーが小声で呟く。言われた通り赤く光る石を手渡すと、そのまま彼に掴まるように言われた。咄嗟のことだったので何も考えずにそれに従う。
「キコ、俺に掴まれ」
 同じようにキコにも声をかけ、魂の少年はそれに素直に従った。それによってサクは再び注意をこちらに向けたが、それはすでに遅かったらしい。ハウアーの手の中で赤い石が光る。光は赤から白へ変化し、私たち三人をすっぽりと包み込むように眩しく輝いた。
 あまりに眩しかったので目を閉じてしまったが、しばらくすると周囲の音がすっかり変わっていることに気づいた。あの草が動くざわざわとした音ではなく、小鳥や虫の歌が響く大地の音が聞こえてくる。それにつられて目を開くと、場所は森の中に移動していた。
「ふう、危なかった」
 ほっと息を吐いているのは女性を片手で抱えたままのハウアー。もう片方の手には赤い石が握られているのだろう。
「今のって移動の魔法? なんか、魔法は使えないみたいなこと言ってたと思ったんだけど、違うの?」
 私とは反対側にいたキコが聞く。確かに彼はそんな話をしていたし、何よりそのせいで危機に面してしまったのだ。今更あれは勘違いだったと言われると泣きたくなってくる。そうではないことを祈りつつも、相手の言葉に耳を傾けてみた。
「この赤い石から力石の魔力を感じたんだ。力石ってのは何者にも干渉されない性質でな、魔法を封じる結界だろうと何だろうと敵じゃねえんだ。それでこいつの力を借りて移動の魔法を使ったんだが……変なんだよな。この赤い石、今は全くと言っていいほど魔力を感じられねえ」
「そうなんだ。でも、まあ、助かったのでよかった! ということで」
 輝く笑顔が戻ってくる。きっとさっきの光よりも勝っている笑顔が。
「マスター、こいつをどこで?」
「どこって言われても……ロイに渡されたんだ」
「そういやそのロイってのは誰なんだ」
 ああそっか。ハウアーにはロイのことを教えてなかったんだっけ。以前一度会ったこともあったけど、名前は教えずに終わらせてしまったんだよね。
「別にあんなヤツのことなんて知る必要ないって! いいよねハウアーは何も知らなくてさ。世の中知らなくていいこともあるってことなんだよ」
 いつの間にやら笑顔はため息に変わっていた。
「なんかよく分からねえが、その前にこの人をどうにかしねえと」
「あ、そうだった」
 ハウアーの腕の中には目を閉じたままの女の人がいる。せっかくサクからこの人を守ったんだから、どこか安静にできる場所にでも連れて行きたいんだけれど。
「っていうかここはどこ?」
 疑問を吐き出したのは魂の少年。見える景色は森特有のもの。こんな景色だけでここがどこかなんて分かるようなものではない。森なんてどこも同じような景色をしているんだから。
「ハウアー」
 魔物の青年の顔を見ると、何やら難しそうな表情をしていた。
「悪い。適当に『安全な場所へ』って唱えたから、ここがどこかなんて分からねえんだ。ここがあのマエストーソ学園のあった世界だとも限らねえし」
 ということは、私たちは完全に迷子になったということですね。
「とりあえず……人でも探してみる?」
 私の提案に二人は揃って頷いた。そうして適当に向かう方向を決め、のろのろとした足取りで歩き出す。
「ハウアーの安全な場所の基準は森の中なんだね。さすが魔物だ」
「うるせぇな」
「まあまあ」
 なんだかんだで助かったのでよかった。私の隣を歩く二人も少し喧嘩をしていたけれど、実際はそれくらいがちょうどいいのかもしれない。
 先が見えない場所へ向かうのは非常に億劫なことだったが、二人と共に行くことができるならそれでも構わないと私には思えた。嬉しいことより嫌なことの方が多いこんな世界の中で、二人は私に光を届けてくれる存在なのだから。
 いつかは私も彼らのように、純粋でまっすぐでありたいと心の中で静かに祈った。

 

 

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