前へ  目次  次へ

 

14

 掴もうとしていたのは新しい風だったのだろうか。
 それとも、懐かしさすら感じさせる郷愁だったのだろうか。



「止まれ」
 聞こえてきたのは男性の声だった。左右は森の木々に囲まれ、背後には歩いてきた道だけが残っている。
 話しかけてきた人は私たちの前に続く道の上に立っていた。見たこともない人で、顔に表されている表情は一般人が持つものよりも遥かに厳しい。そんなものを真正面から見せられると、なんだか訳も分からないままに罪悪感を感じてしまった。
 その何とも言い様のない威圧感に圧されてか、私の隣を歩いていたハウアーとキコは素直に相手の命令に従った。それがあまりに迅速だったので逆にこっちは呆れてしまう。それでもハウアーの腕の中で眠ったように目を閉じたままの女の人のことを考えると、それもまた仕方がないことなのだと判断できるので不思議だ。
 二人にならって私も立ち止まると、相手の男の人は静かにこちらに歩いてきた。かなり堂々とした動作と少しも崩れない表情を見ていると、どうにも偉そうな印象しか受けないから困ったものである。しかしそう思われることも相手は充分に熟知しているのだとすると、今度は羨望さえ抱きそうでなかなか複雑だ。
 相手は肩まで垂れた金髪と金色の瞳を持ち、何かの制服のような青い服を上下にきちんと着込んでいた。そこにしわが一つとして見当たらないことから、かなり几帳面である性格が窺える。もちろんそれだけでは相手がどんな人なのかなんてさっぱり分からないんだけど、それでもなんとなく、悪い人ではなさそうな気がした。
 いつも感じる。新しい人と出会う度に、この人はいい人なのか悪い人なのかと考えてしまうこと。それがいけないというわけではないんだろうけど、それでも心のどこかでその行為を非難している自分がいることも確かだった。
 なんて。そんなことは今はどうでもいいか。
 ふと気づけば相手は目の前に立っていた。そうして何か言うのを待っていたが、何も言ってこない。訝しく思って瞳を覗き込んでみると、なんだか人を値踏みするかのようにじろじろと三人の姿を観察しているようだった。
「あの、何か」
 最初に痺れを切らしたのはキコだった。何とも形容し難い表情を顔に貼り付け、少し不安さえ混じった声で相手に尋ねる。尋ねられた相手はそれでも観察を続けていたが、ハウアーが抱えている女の人に目を留めるとそこでぴたりと動作を止めた。
「何か用事ですか?」
 再びキコは問う。それによって相手は何かに驚いたように顔を上げ、さらに一歩近づいて腕を組んだ。
「その手に持っている物を見せてもらいたい」
 相手の目線の先にはハウアーがいた。ということは、手に持っているものというのは誰だか知らない女性のことなんだろうか。
「人のことを物扱いするのはよくないと思うがね」
 うっすらとした笑みを浮かべながらひそかなる嫌味を言ったのはハウアー。そんなことを言うだけあって、素直に女の人を相手に手渡したりはしなかった。
「そっちじゃない。俺は手の中で握っている物のことを言っているんだ」
 少し苛ついた調子で相手はハウアーの言葉を否定した。手の中で握っている物となると、あのロイから預かった変な赤い石のことなのだろう。ハウアーの話によると力石の力があるらしいけど、普段はただの石ころ同然なのであまり使えそうにないあの石。それでも今会ったばかりの相手に女性を手渡すより、泥棒からの預かり物を渡す方がいくらかましなような気がした。だってまだ目が覚めてもいない人を他人に渡すなんて、それこそ無責任にも程があるもんね。少なくとも私たちが彼女の第一発見者ということになるんだから。
 ハウアーはこちらを見てきた。そこから相手の意図を読み取って一つ頷いてみせると、魔物の青年は相手の要求通りに石を手渡した。
「ふむ……」
 石を受け取った後、男の人はいろんな角度からそれを見始めた。どうやら本物かどうか確認しているらしい。そんな動作を見せられるとますます罪悪感が積もっていく。別に悪いことなんてしてないはずなのに。そう思わせるのはやはり、相手が着込んでいる青い制服のせいなのだろうか。
「失礼ですが、これをどこで手に入れましたか?」
 次に飛んできたのは、最も答えにくい質問だった。
 これだけは素直に答えることができない。理由は簡単。質問に対する答えが平穏からこの上なく遠いものだから。
「いや、質問を変えよう。君たちはロイ・ラトズという名の罪人を知っているか」
 そうして現われたのは救いだったのだろうか。
 呆気にとられて一つ頷くと、相手はほんの少しだけ顔の表情を崩した。
「やはりな。悪いが少し話が聞きたい。一緒に来ていただけないだろうか」
 すっかり静かになってしまった魂の少年と、金髪の女性を抱えたままの魔物の青年と顔を見合せ、結局私たちは相手の要求通りに動くことになってしまった。確かにここがどこなのか分からないままさ迷うよりも得策なのだろうけど、こんなに簡単に相手のことを信用してしまってもいいのだろうか。
 などと考えていても時間は止まってくれるわけがなく。なんだか後ろめたい感覚だけを残して三人と一人は森の中から姿を消した。


 連れていかれた場所は一つの部屋の中だった。移動手段は魔法だったので、その部屋の外がどんな様子なのかは何も分からない。部屋には必要最低限の物しか置いていないらしく、見当たるのは机と椅子と紙の山、それに一つの大きな本棚があるくらいであった。壁には扉もあるけれど、この部屋の中にはこれだけしかなかった。言っちゃ悪いが、かなり質素だ。
「適当に座ってくれ」
 男の人はそれだけを言い、私たちと机を挟んだ場所にある椅子にさっと座り込んだ。そこが彼の特等席なのだろう。それに比べて、私たちの前に置いてある椅子の数はただの二つ。明らかに一つ足りない。これでどのように適当に座れと言うのか。かなり無理があるんじゃないでしょうか、そこのお兄さん。
 こんなところで喧嘩をするわけにもいかないので、とりあえずずっと女性を抱えているハウアーとわがままそうなキコは座らせることにした。こうなったら我慢だって必要だ。つまらないことで言い合っていても何も始まらないんだから。
「では、早速だが、奴とはどこで会いましたか」
 赤い石を机の上に置き、相手の男の人は率直に尋ねてくる。彼は三人に対して尋ねたのだろうけど、この中でまともに答えられるのは私しかいないように思われた。ハウアーはロイのことなんて知らないし、キコに関しては余計な感情さえ織り交ぜて語ってくれるから。
「彼に初めて会ったのは廊下でした。その時にその石を渡されたんです」
「なるほど。それで、奴は何か言ってませんでしたか」
「えっと、それはとても重要なものだとか、決して他人に渡すなとか、いつか取りに来るからそれまで預かっててほしいとか」
 私がそれだけを言うと、相手は椅子の背もたれにもたれかかり、顎に手を当てて何やら考えている様子だった。それでも彼の金色の瞳は鋭さを失わず、ずっとこちらを見続けているから恐ろしい。
 こんなことをしてくる職業といえば、私には一つしか思い浮かばなかった。
「ねえ、なんでロイから渡されたものだって分かったの?」
 横から響いてきたのはのんきそうなキコの声だった。これまでの経験からしてキコはロイに関する話題を嫌っているものだと思っていたけれど、本人がいない時には別にどうだっていいらしい。だけど彼が嫌っているのはロイというよりもむしろ『悪者』である気がしてきた。これは正義感が強いと言えばいいのか、それとも。
「何故分ったかだなんて、簡単なことさ。以前からあいつが漏らしていたんだ、この石を狙っているとな」
 そう言って腕を組む相手。しかし、なんだか変な話だ。
「それより、もう一つ聞かせてくれ。そちらの女性は一体どうしたんだ」
 都合の悪いことを避けるかのように相手は話題を変えてしまった。今度は目線を私からハウアーへと変えている。聞かれた魔物の青年は椅子の上で窮屈そうに女性を抱いていた。綺麗な金髪を持つ女性は、まだ瞳を開いていない。
「ずっとこんな調子で困ってたんだ。ちょっと場所を貸してもらいたいんだが」
「ということは、君たちも彼女が誰なのか知らないということか」
「まあ、そんなとこだな」
 これで話は終わってしまう。こんな時、私は何を言うべきなのだろうか。
 男の人はさっと立ち上がり、ハウアーの前に立つ。そのまま手を伸ばして女性を魔物の青年の手から受け取ると、質素な壁に取り付けてある扉の方へと歩いて行った。
「――忘れていたが」
 扉に手をかけながら相手は言う。
「私の名前はヤウラ・アシュレー。警察の者だ」
 厳しい表情を少しも崩さないままで、相手――ヤウラさんは扉の奥へと消えていった。


 この部屋の中にはどうやら変な人が一人だけいるらしい。何が変なのかと言うと、ある一つの部分における異常な興味の持ち様なのだろう。私はそれを否定はしない。だって、そんなことをしたら疲れるに決まっているのだから。
 変な人とは誰のことを指すのか。そんなの簡単すぎる。
「いや、もう、警察って素晴らしいよね。悪い奴をどんどん捕まえていってくれるんだから。本当に、今この世界が平和なのは警察のおかげだよね」
 同じ部屋の同じ空気を吸う仲間の中に、警察のことをやたらと褒めまくっている魂さんが一人いた。相手の正体が警察だと分かってからずっとこんな調子だ。正体が分かる前は相手のことを疑い尽くしていたんだろうけど、こっちはこっちで鬱陶しい。よって、私が言うべきことは何もない。口を挟むこと自体が恐ろしく思えるから。
「世界もまだまだ平和だとは言い切れんがな」
 対する警察の男の人は非常に落ち着いている。
 目を閉じたままの女性を別室に移してからは暇を持て余していた。とにかく彼女が目を覚ますまで待つことに決め、それまでこの部屋の中でお世話になることになった。話によるとここは警察の本部の一室で、ヤウラさんの自室でもあるらしい。彼はここ以外に家を持っておらず、いわば彼の自宅に転がり込んでいる状態だ。
「ちょっとあの人の様子見てくるね」
 さっきまで警察を褒め称え続けていたキコは気分が変わったのか、それだけを言ってさっさと女性を休ませている部屋へと向かった。ちなみにあの女性の傍にはハウアーがついている。誰かが傍にいないと目が覚めた時に混乱を伴うだろうから、とは温厚な魔物の青年の言葉だ。つくづく彼は魔物のようには思えない。
 こうして部屋の中には私とヤウラさんだけになってしまった。
「……あの、一つ聞いていいですか?」
「何だ」
 相手は最初に会った時と変わらない厳しそうな表情をしている。そんな顔されると言いにくいんですけど。
「えっと、ロイのことについて教えてほしいんですけど」
「クトダムの組織の一員。それだけだな」
「そういう意味じゃなくって」
 何と言えばいいのだろうか。でも、そもそも私はあいつの何が知りたいのだろう。
「あまり奴にかかわらない方がいいと思うがな、俺は」
「でも、なんとなく気になって」
「おそらく君は」
 そこで一度言葉を止める。ヤウラさんは目線をそらし、何か別のものを眺めているように思われた。
「君は何も知らないんだろう。まだ若いのだから、ああいう人種に興味を寄せるべきではない。今からでも遅くないから離れるんだ。でなければ、いずれ本当に深淵(しんえん)を覗くことになってしまう」
 相手は私に対してそう言ったのだろうけど、それはどうしてだか、私を通してもっと奥の方にある何かに対して言っているような気がした。あるいは自分自身に言っていたのか、その深淵という響きから隠された郷愁が漂っていた。
 言われなくてもそれくらい分かっている。あいつはあいつで好きなことをやってるんだから、私にそれを邪魔する権利はない。それでもあいつのことが気になってしまう原因とは何だろう。あいつに近づくと平穏から遠ざかることくらい、嫌というほど分かってるはずなのに。
「――奴とは古くからの知り合いでな」
 私がまだ納得いかないことを覚ったのか、どこか諦めたような雰囲気を見せながらヤウラさんは静かに語り始めた。
「何か複雑な事情が、彼をあんなふうに変えてしまったんだと思う。普通ならあり得ないことなんだが、あいつはクトダムのことだけを尊敬し、彼の命令にだけ従って生きている。一体何が彼をそうさせたのかということは聞いたことはないが、あの組織で生きていなければ素直で優しい人間になることは間違いないだろうな。しかし、それはもはや夢物語にすぎない。我々は現実を見据えなければならないんだ。分かっているだろう? だから、奴にはかかわるな。会うことがあれば充分すぎるほどに警戒しろ。君が奴と会って今も生きていられることは、奇跡と言っても言い過ぎではないくらいなのだから」
 相手は何か不思議な事を言っているように聞こえた。ロイに会って生きていられることが、どうして奇跡に繋がるというのか。 確かに彼は自分で自分のことを泥棒で人殺しと言っていたけれど、だからといって何の関係もない少し話をしただけの相手を簡単に殺すような真似はしないだろう。それ以前に、たったそれだけの理由で殺されたりしたら本当に惨めすぎる。惨めなのは、私じゃなくて、親族でもなくて、彼のことだけれども。
 その惨めさを彼は知らない。きっと、ただ目の前に広がる景色だけを見て生きてきたんだろう。私だって同じだった。だけど、同じだったのはそれだけで。
 どんな理由があるにしろ、人を殺すことなんて簡単なことじゃない。それに慣れることだって限りなく不可能に近いはず。私はそう考えているからヤウラさんの言葉がとても不可思議に聞こえてしまった。事実かどうか確かめもしないで、聞こえる音声と心の中の信念だけがフルに働いていたんだ。
「君が渡されたこの石だが」
 手に赤い石を乗せ、ヤウラさんはこちらに見せてくる。
「これは力石を加工したもので、普段は魔力を発することなく持ち運びができるようにした物だ。使う時に力石の魔力が溢れることが欠点だが、泥棒の連中はこいつをよく使うんだ。ロイがこれを狙っていたのもそういう理由からだろう。だが――そうだな、今後奴に会った時の為に、これは君が持っているといい」
 説明を終えると相手は赤い石ころを手渡してきた。特に断る言い訳も思いつかなかったので、私は素直に受け取ることにする。手の中に再び戻ってきた石はどこからどう見ても『綺麗な石』程度で、これが光を放っていた時のことが嘘のように思えてならない。
 石をぼんやりと眺めていると、ハウアーやキコがいる部屋に連なる扉が開いた。そこから現れたのはキコで、何やら手招きしている。
「どうやら、目が覚めたようだな」
 私より先にヤウラさんが立ち上がり、扉へ向って歩き出した。彼に続いて私も扉の奥へと向かう。新しく訪れた部屋の中にはキコとハウアーが立っており、その傍らにはベッドの上で座っている金髪の女性がいた。
 長く伸ばされた髪は三つ編みで一つに束ねられており、長いまつげの下に隠された瞳はぼんやりとした光を宿している。彼女は何度かまばたきをし、首を動かして静かな空間を見回し、最後には私と目が合ってしまう。
 そしてその瞳が、私にはあり得ないもののように見えてしまった。
「ここ、は……」
 小さく呟いた言葉も聞こえない。
 なぜなら相手の目の色が、絵の具で塗ったような真っ赤な色に染まっていたのだから。

 

――第三幕へ続く

 

前へ  目次  次へ

inserted by FC2 system