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 それは遠い思い出の中。
 限りなく美しく、儚げで。
 残った失望が集まって、何かを形作っていく過程。


第三幕 芸術家と透った世界


15

 終わりなく続いていくだろう平穏は何の突拍子もなく崩されてしまい、自分の故郷とは異なる世界での生活を強いられてからどれほどの時間が経過しただろう。――こう言ってしまえばなんだかもうずいぶん時間が経ったように聞こえるかもしれないが、実際はまだほんの数時間しか流れていないという状態だった。それでもここで感じるのは『家族』の懐かしさと、あまり慣れてはいなかったあの街の香りだけ。
 私は一体、こんな所で何をしているのだろう。



 目覚めた女性はぼんやりとしていた。そう表現するのが最も適切であるかのように、ただひたすらぼんやりとしていた。赤い瞳も、動かす手足も、ブロンドの髪も、彼女の全てが霧に包まれているかのようにぼやけて見えた。
「まぁまぁ、たくさんの人が集まって……」
 姿や動作がぼんやりしているだけでなく、声まで別世界のもののように聞こえてしまう。常人よりも高いキーを持つその声は、周りの空気まで包んでしまいそうなほどの独特の響きを備えていた。
 室内には目を覚ました女性の他に、ずっと付きっきりだった魔物の青年と、のんきそうな顔をした魂の少年、それに真面目そうな表情の警察の男がいた。部屋全体はとても狭いので私たちは女性のベッドのすぐ傍に立つことになっている。おかげで小さい声でも全てが筒抜けになり、私にとっては多少不愉快でもあった。しかし今はそんなことを言っている場合ではない。
「お目覚めになって早々ですみませんが、お名前は?」
 彼女の作り出した空間に負けないような、厳しくてやや形式ばった質問を投げかけたのは警察であるヤウラさんだった。相手の女性は彼の顔を覗き、少しだけ顔を強張らせた。
「ええっと、何だったかしら」
 真顔で言う女性。
「そうそう、思い出した思い出した。私の名前はリンゴ・ウィラルよ。それで、あなた達は、一体?」
 ふわりとした笑顔でこちらを見てくる。何とも言い様のない穏やかな雰囲気だ。傍から見れば幸せな絵として映るかもしれない。だけど、実際は私も相手も何一つとして許し合っていない。
「私はヤウラ・アシュレーと申します。警察の者です。そしてこちらの三人があなたの第一発見者となります」
「まぁ」
 少し驚いたように女性は口に手を当てた。とても女性らしい仕草で気品がある。そうして誰もが黙り込んでしまったので、私は仕方なく自己紹介をすることにした。
「私は河野真。それで、こっちはキコとハウアー」
 言い終わった後、とりあえず礼をしてみた。なぜなら隣に立っているヤウラさんがそうしないと許してくれないような気がしたから。
「ご丁寧にどうもありがとう。ところで、今って何年なのかしら」
 にこにこと笑いながら私には答えられない質問を真正面からぶつけてくる。それにはさすがに焦りと気まずさを覚えたが、横に目をやると警察の男の人は私の意図を汲みとってくれたようだった。
「今は第十七期の二百五年だ」
 異世界の事情を知らない人間にとっては意味不明な年号を聞いた女の人は、ぱんと両手を打ち合わせてさらなる笑顔を作った。
「ちょうどぴったりね」
 一体何がぴったりなのか。だけどそれは一種の暗示でもあるので文句は言えない。
「なあ、教えてくれねぇかな。あんたは何故あんな場所で、あんなことになってたんだ」
 皆が疑問に思っているだろうことを言ってくれたのはハウアーだった。彼の隣ではすっかり静かになっている魂の少年がこくこくと頷いている。誰も知らない真実を私も彼らも求めていた。ヤウラさんは腕を組み、狭い部屋の壁にもたれかかった。
 一同の注意を集中させている女性は少し戸惑い、それでも穏やかさは漂わせたままで、ただ今の状況を理解しようとしているようだった。あんな状態だったのだからそれも仕方のないこと。誰も彼女の行為を咎めることはできないだろう。
「私はある人から狙われているの。その人、どこへ行っても追いかけてきて大変で――だから、私は自分を封印することにしたの。ちょうど千年が経過すれば目覚める封印を。私、あなた達をびっくりさせちゃったかしら。ごめんなさいね。あの場所ならきっと見つからないって思ってたんだけど、それが結果的に人を呼び寄せる元になってしまってたのね。ところで、ヤウラさん? 警察の方ならご存知かと思うけど、あなたはスーリという人を知ってる?」
「スーリ?」
 女性の目線の先にいる警察の男は、驚きと憎悪の念と共に誰かの名前を吐き出した。その背後には確かに存在する憂鬱が潜んでおり、第三者でも分かるほどの反応でなんだか少し奇妙に感じられた。
「あなたはあの男に狙われているのですか」
「ええ、そうなの。それで今、彼は――」
 なんだか知らないけど私にはついていけない話になってしまった。そんな話を真面目に聞いていても理解できるわけがないので、とりあえず別の方向へ目を向けてみることにした。
「ねえ、キコにハウアー。スーリって誰?」
「さあ」
「知らねぇ」
 尋ねてみてもこの返事。どうやらスーリという人は一般人には無関係の人間らしい。ただ単にこの二人が世間に疎いだけなのかもしれないが。なんて、私だって同じなんだから人のことを言える立場じゃないんだけど。
「なんだ、君たちは奴を知らないのか」
 女性と話をしていたはずのヤウラさんが口を挟んでくる。その表情がさも意外そうなそれだったので、ほんの少しだけ反発したい感情が溢れてきた。
「スーリはいわば、罪人だな。世界の各地であらゆる悪さをしている。我々も奴を捕まえようと努力しているのだが、並大抵の人間では敵わない力の持ち主なんだ。警察の上の人間たちはほとんど諦めているようだが……いや、その話は無しだ。ところで、ウィラル殿だったか、あなたはこれからどうするのですか」
 さっと話題を切り替えてしまう相手。もっと詳しく教えてくれてもいいだろうに、何か言えない事情でもあるのだろうか。それともそのスーリという罪人は私たちの想像以上の人物だと言いたいのだろうか。分からない。
「これからどうするかって? そんなの決まってるじゃあないの、また逃亡生活の始まりよ。できればもう一度同じように封印を施したいんだけれど、今の私にはそれだけの力が残っていないから、昔と同じように逃げ回るしかないみたいねぇ」
 聞こえたのは声ではなくため息だった。
 いろんなものが私の周りで渦を作っている。私はその近くで佇んでいながら、渦の中央へと手を伸ばそうとは思えなかった。だってそんなことをしたら最後、疑いだらけの異世界の事情に巻き込まれるに決まっている。私にはそれだけの事情だとか理由なんかを真正面から受け止める力がない。むしろ受け止める前に押し潰されてしまうだろう。だから私はよそ見をせずに、ただ自らの目的だけを見つめていなければならないんだ。そうすることこそが、私に与えられた命令であり、ここに存在する意義だから。
 なんだか可笑しくなってきた。異世界へ連れて来られた時は世界創造なんてやってられないと思ってたくせに、今ではその目的を盾に他のものから逃げようとしている。これって狡猾なことだろうか。でも、アスターとルノスから頼まれたことを成し遂げようとすることって、私にはいけないことのようには思えないんだけどな。たとえその為に他人を見捨てても。
 見捨てる。見捨てる?
 ――私は何を考えている?
「じゃあ、ありがとう、皆さん。私もう行かなくっちゃ。いつまでも同じ場所にとどまっていられないの。私は常に動いていなくっちゃあ。だから、さよなら。さようなら」
 立ち上がったのは金髪の女性だった。そして彼女を止めた人もまた、女性と同じ金髪を持っていた。
「あなたをこのまま送り出すことはできない。私は警察です、民間人を守るのが私の務め。あなたをこのまま放っておくことは、私の正義に反することです」
「いけないわ、あなた、それじゃ私はあなた達に迷惑をかけてしまうもの」
「迷惑だなんて!」
 二人の様子を傍から眺めていると、ふと金髪の女性と目が合ってしまった。真っ赤な瞳がこちらを見ている。何の汚れもない瞳が、困ったように煌いていた。
 彼女の名前はリンゴ・ウィラル。赤い瞳を見ていると、なんだか妙に納得してしまうものがあった。
「だったらこうすればいいんじゃない?」
 唐突に背後から明るい声が響いてきた。しかし私の場合、それは耳の中に入るというより頭を殴られたように感じられた。この場に似つかわしくない明るさが眩しすぎたのか、それとも。
 声の主は今まで黙っていたキコだった。普段通りの表情で、同じような口調から表される言葉とは、一体どんな意味を含んでいるのか。
「実は真は世界を創造するように頼まれて、『鍵』って物を探してる最中なんだ。そしてハウアーは世界を危機にさらさない為に魔石を探してる。つまり一ヵ所にとどまるなんてことはないんだ」
 えーと、これは。
「要するに私たちと一緒に来ないかって言いたいわけ?」
「そのとおり」
 何を言い出すのかと思いきや。のんきそうな魂の少年は顔つきだけでなく心の方も楽観的だった。そもそも金髪の女性は他人に迷惑をかけることを避けようとしているのに、それじゃヤウラさんと同じことを言ってることになるじゃん。そんな誘いに乗ってくれるだなんてことは考えられない。これでもし快く「はい」だなんて言ったりしたら、ヤウラさんのあの厳しい顔がさらに険しくなるに違いない。それは嫌だ。とんでもなく嫌だ。
「あのね、君、私が君たちと一緒に行動したら、君たちに迷惑をかけることになっちゃうわ。スーリって、君たちが思ってる以上に怖い人なのよ? 目的の為なら何だってするし、気分次第で行動を変えてみたりするお茶目さんなんだから」
 やはりと言うべきか、女性はヤウラさんの時と同じ方法でキコの提案を否定した。なんだか最後の方に変な言葉が混じっていたような気もしたが。
「大丈夫だって。もしそのスーリって人が追いかけてきても、全速力で逃げればいいじゃん」
「お前、簡単そうに言うよな」
 自信過剰なキコの台詞にハウアーの鋭い言葉が飛ぶ。しかしその表情はキコの提案を否定するどころか肯定していた。彼もまたとてもお人好しだから、きっと彼女のことを放っておけないのだろう。
「一人より四人の方がいいに決まってる。そうでしょ?」
 歯を見せて笑う顔はとても輝いていて。
 私は、彼はまた普段どおりの姿勢で話し始めたのだと思っていた。適当に諭せば落ち着く態勢だと思っていた。だけど、本当にそうなのだろうか?
 世界は沈黙して待っている。
「そう言ってくれるのはとても嬉しいけど、私は――」
 赤い瞳の中に宿る光。それは戸惑いと焦りと愛だけだと思っていた。しかしその裏の方には確かに、別の感情が静かに潜んでいた。
 私にはそれが何なのか分からない。それでも一つだけ予想できるものがあるとすれば、彼女は常に助けを求めていたのだろう。だけどそうすれば必ず迷惑をかけることに繋がってしまう。助けてもらいたいけど助けてもらいたくない。いや、助けてもらうことができない。他人に迷惑をかけたくないから、他人の幸福を奪い去りたくないから、だから誰にも近づかずに孤独で走り続けるしかない。そういうことなのだろう。
 見たところ、彼女は二十歳を超えている。三十歳、あるいは四十歳前後かもしれない。それまでずっとこんなふうに生きてきたのだろうか。他人の親切を否定せざるを得なかったのだろうか。
 私には何ができる? 何もできやしない、無知だから。
 おまけに無力でもあるから、十字架に祈るほどの力もない。
 それでも。
「リンゴ、さん」
 名前を呼んでみると、とても綺麗な響きを感じた。
「私たちと一緒に来ない?」
 手を差し出してみる。相手の美しい顔に驚きが混じった。聞き分けの悪い子供だと思われただろうか、戯言ばかりを吐き出す人だと思われただろうか。それでも構わない。誰も危険を望まないなら、彼女を受け入れることができないなら、私たちが彼女の手を取らなければならない、そう思ったんだ。
「駄目よ、そんなの、あなた達はまだ子供じゃない。子供を危険な目に遭わせるなんて、大人として最も恥ずかしい――」
「行きなさい」
 女性の、リンゴさんの言葉が終らないうちに命令が遮る。
「彼らと共に行きなさい」
「でも」
「いいから。何よりあなたは守られるべき命なんだ」
 それだけを言って背を向けたのは、ずっと変わらない表情をしていたヤウラさんだった。
「まったく、なぜ子供はこう頑固な奴が多いんだ」
 次に聞こえてきたのはため息で。
「えっと……」
 とりあえずこれで決まったのだろうか。リンゴさんは不安げにこちらを見てきたが、今だけは不安などどこにもないように思えたので、私はごく自然に笑うことができた。すると相手も安心したのか、赤い瞳をふわりと和らげた。暗いものは何も見えない。見えるのは、安堵を示す光だけ。
「じゃあ、一緒に行ってもいい、かしら?」
「もちろん」
 真っ先に喜びの声を上げたのはキコだった。何がそんなに嬉しいのか分からないが、私もおそらく彼と同じ気持ちだったのだろう。リンゴさんと握手を交わすと強い力を感じた。強く握られたとかそういうことじゃなくて、ただ何か、私には分からないようなものを感じた気がしたんだ。
 同行者が増える。近くにいる人数が増える。そんな人たちのことを世間では仲間と呼ぶのだろう。
 ――ああ、こんな幸福な瞬間には、深淵での誓いすら頭の片隅から追いやられていたんだ。
 私はそれに気づいている。だけど気づかないままでいさせてほしい。
 それはいけないことなんだろうか。


 +++++


「それで、君たちは世界を創造する為に『鍵』を探しているのか」
 元の部屋へ戻ってきてから、私たちは自分たちの目的を二人の大人にすっかり説明していた。もちろんそれは情報収集のため。情報というものはあるだけで気が楽になるものである。聞いておいて損はないはず。しかし相変わらず部屋の中には椅子が三つしかなく、一つはヤウラさんの特等席へと化し、他の二つはキコとリンゴさんが使ってしまった。おかげで私とハウアーは立ったまま。いいよもう、慣れたから。悲しくなんかない。腹は立つけど。
「私たちって言ってもハウアーの目的は別だけどね。ヤウラさん、『鍵』がどこにあるか知らない?」
「ちょっと待て。お前は誰に向かって口を利いている」
「えっ」
 突然空気が変わった。ヤウラさんの金色の瞳が怪しく光る。
「確かに我々は民間人の為にある職種だ。民間人の問いかけを無視することはできないし、そんなことをするくらいなら首を吊った方が遥かにましだ。だがな、俺はお前らよりも上だぞ、歳は。敬語くらい使え」
 なんと命令されちゃったよ。しかしなんでそんなことにこだわってるんだろう、この人。
「す、すみません」
「分かればいい。最近は年上の人間に対して敬語すら使わない馬鹿な連中が多いからな、君たちはそんな愚か者になるなよ。それで、何だったか……ああ、『鍵』のことか」
 まるで警察らしからぬ台詞を吐き出した後、ようやく本題に入ってくれたらしい。今更だけどこの人ってあまり警察っぽくない気がした。敬語を使えと言ってきたり、馬鹿だとか愚かだなんて言葉を平気で使ったりして、真面目なのかそうでないのかだんだん分からなくなってくる。
「ふむ、どこかで聞いたことがあった気がしたんだがな、『鍵』に、創造……」
 独り言のように口の中でいろいろ呟き始める。顎に手を当てる仕草は前にも見たものだ。今はそれに加え、眼も閉じている。私はそれを黙って見ていることしかできない。
 何分間かそんな状態が続いた。いい加減飽きてきた頃にヤウラさんはすっと目を開け、硬い表情のまま口を開いた。
「駄目だな、さっぱり思い出せん」
 そうして腕を組む相手。
「思い出せんって、聞いたことがあったんじゃなかったの?」
 あまりに堂々とした態度で否定的なことを言う姿に不安を覚えたのか、隣からキコが口を挟んできた。ヤウラさんは驚くべき速さでそちらに顔を向け、少し顔を歪めて低い声を出す。
「貴様、俺がさっき言ったことをもう忘れたのか」
 だんだん二人称が酷い言葉になっているのは気のせいだろうか。
「ご、ごめんなさい」
「分かればいい。しかし、もう二度はないぞ」
 これじゃ脅迫みたいだ。いくら敬語を使ってもらえなかったからといって、そこまでする必要がどこにあるんだろう。私には彼の考えなど一つとして分からない。この場合、分かる方がおかしいのかもしれないけれど。
「俺だってこんな無責任なまま君たちの問いを葬ることなどしないさ。ただ、思い出す為に時間をいただけないだろうか。人から聞いたことではなく書物の中の話だったかもしれんからな、そうだとしたら確かな情報を伝えたいんだ。だが、調べるとなると最低でも十日はかかると覚悟していてほしい」
「十日? 十日間も暇をもてあそべって言うのかよ? 冗談きついぜ」
 ヤウラさんの説明に対し、悲鳴に似た文句を上げたのはハウアーだった。相手の特等席へと一歩近づき、その前に設置されている机を両手で叩く。
「悪いけど俺はこんな人間だらけの建物の中にいるのは苦手なんだ、こんな場所では待ってられねえ。なあ、警察の旦那、魔石の在り処は知らねえのか? それを教えてくれりゃ、旦那が調べている間にそっちへ向かうことができる。どうなんだ?」
「敬語くらい――いや、まあいい。……その、なんだ。正直言って俺は魔石の存在すら今まで知らなかったんだ。力になれなくて申し訳ない」
 また敬語を使えと命令するのかと思ったら、冷静さを損なわないままでヤウラさんは頭を下げた。礼儀正しさだけは敵わない。そう思った。
「代わりにと言っては変かもしれんが、一つ頼まれてくれないだろうか」
 相手はハウアーが口を閉ざしたのを確認してから口を開く。しかしその内容はなんとも奇妙なものだった。全員の注意を自分に集めた後わざとらしく咳払いし、一同の顔を見渡してからヤウラさんは続けた。
「実は今、俺の上官の意に反してある事件を調べているんだ。上官はその事件はもう終わったものとして片付けてしまったが、俺はまだ真相を見つけていないと思っている。なぜならその事件の影には例のクトダムの組織が関連しているらしくてな、奴らのことだから警察の目を盗む方法で事件を操作したんだと推測している。しかし上官は俺がその事件を調べることを好く思ってないんだろうな、他の仕事をひっきりなしに持ってきてことごとく邪魔しようとするんだ。おかげでくだらない事件に埋もれて動けなくなってしまった。今も上官の目が光っていて迂闊な行動はできないんだが、君たちの問いの答えを探すことくらいなら問題はない。そうだな、これは取引といったところか。俺が『鍵』のことを調べる代わりに、君たちは俺の追っている事件について調べてほしい。無論、引き受けるかどうかの判断は君たちに委ねるが」
 長い台詞を詰まることなく言ったヤウラさんは、私たちの顔を確認するかのように一人ずつ見ていった。私はちらりとキコの顔を見てみる。そうすると、またしても変なものを見たような気がした。
「ということは、つまり、警察の仕事の手伝いができるってことだよね」
 ああ、そういうことか。でもこれは警察の仕事ではなくてヤウラさんの仕事なんじゃないのだろうか。
 思い出すのはつい先ほどのキコの様子。相手が警察だと分かった途端に憧れを交えながら褒めまくり、本来の目的すら忘れたかのような目でヤウラさんのことを見ていた。そこに新たな仲間を加え、身動きができないという条件までが揃ってしまった。もはや止められない。止めても止まってくれないだろう。
「おそらく自動的に手伝うことになると思うよ」
 隣に立っているハウアーに小声で知らせてみると、「そうだろうな」という返事が返ってきた。ハウアーもキコの性格をよく分かっているらしい。何と言うか、本当に単純なんだから。
「ヤウラさん、是非とも手伝わせてください!」
 元気よく発したその言葉に最も驚いていたのは、彼の性質をあまり知らない二人の大人だけだった。それでも万事うまくいくと確信していそうなヤウラさんは、驚きを顔の上に出すことを抑えているようだった。

 

 

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