偽っている。俺は仲間を偽っている。
 だけど言えない。それは信じてないからじゃなく、信じているから言えないんだ。
 偽り続けるのはつらい。いつか全てがばれてしまいそうで怖い。
 それよりも怖いこともあるけど、こうして出会ってしまったらこれが一番怖い。
 先の見えない未来なら……。

03

「私が覚えてるのは、それだけ」
 風が栗色の髪をなでていく。同じ色の瞳を持った少女は堅い表情のまま、目の前にいる二人に全てを話した。
「私には何も分からない。だって心当たりなんてないし、私がこんな場所にいなきゃならない理由だってないんでしょ?」
 強い言葉が飛ぶ。
 赤い髪の少年、アクロスはそれを聞いて難しい顔をした。
「だけど来ちゃったのは、本当じゃない」
「それは……そうだけど」
 少女は否定できなかった。なぜなら少年の言っていることは嘘ではなかったから。
「まあまあ。そんなに暗い顔してないでさぁ。せっかく会えたんだからもっと楽しくいこうよ。ね? ほら、アクロスも」
 この場でにこやかな顔をしているのは青い髪の青年ただ一人だった。ロウはアクロスの肩をばしばしと叩きながら陽気に言う。
「表の世界へ行く方法。手がかりがあってよかったじゃないか」
「……手がかり?」
 少年の難しい顔がさらに難しくなる。それを見てロウは笑顔を崩さないまま指を一本立て、得意げに胸を張って二人に言った。
「分かんないかなぁ。サキちゃん、君がここに来たのは汽車みたいなものに乗って来たんだよね?」
 いきなり話題をふられて戸惑いつつも、サキは一つ頷く。
「そう。だったらその汽車ってやつを探せばいい。そりゃあそんなに簡単に見つからないとは思うけど、あそこに行ってみる価値はあるんじゃねえの?」
「あそこって……駅?」
 やっと青年の言いたいことが分かったのか、アクロスはすぐに答えた。青年はそれを聞いて嬉しそうに続ける。
「そのとおり。とは言っても、今は誰もいない廃墟なんだけどなぁ」
 一人で納得しながら勝手にロウは歩き出した。二人の少年と少女は慌てて青年の後を追う。
 軽い口をしてふざけたような印象を受けたが、サキにはこの青年が頼もしく思えた。

 

「ここが、駅?」
 サキには全てが新しかった。
 白と黒しかないと言えども、見たことのないものばかりだった。空も、地面も、人も、何もかも。
 駅にはぼろぼろになって使われなくなった汽車が何体も放置されていた。すっかり風化してしまい、今から使うことは無理に近い。こんな汽車が走っている姿など到底想像できなかった。
「本当にここに手がかりがあるの? ロウ」
「さあな。それを今から探すんだろ?」
 軽くあしらわれるアクロス。
 ロウは勝手に止まっている汽車の中に入り込んだ。当然だが中には誰もいない。青年はしばらく汽車の中をうろついていたが、やがて外に出てきた。
「何かあった?」
 少年の問いに首を横に振る。
「俺じゃ、分からないな。サキちゃん、君が行ってくれたら助かるんだけど……」
「私が? いいよ」
 サキはあっさりと承諾した。どうせ動いたりしないから危険じゃないと思ったのでそうしたのだ。
 ゆっくりと汽車の中へ入る。少年と青年はその後ろ姿を静かに見送っていた。
 何もおかしいものはない。それに、覚えているものもなかった。少女にとってこの汽車は初めて見るものの一つにすぎない。
 手がかりじゃなかった。
 一つため息が出る。サキは仕方がないので降りることにした。
 汽車の入り口に手をかけ、足を下におろそうとする。が、そうすることはできなかった。
「……え?」
 強い風が顔に吹きつけてきた。汽車が走り出そうとしているのだ。
「ちょっ……」
 声を出しても汽車は止まってはくれない。ゆっくりとだが、スピードは確実に増していっていた。
「助け――」
 その時。
 少女は気づいた。

 どうして私は、あの人達に助けを求めるの?
 この世界で初めて会った人だから?
 この世界で唯一の協力者だから?
 確かに、私が叫べば助けてくれるかもしれない。
 あの人達は、きっと私のことを見捨てたりはしない。
 けど、それって違う。
 そう、違うんだ。
 私はただ単にあの人達に頼っているだけ。
 私が人に頼っていい理由なんて、ないんだ。
 それよりも、このまま遠くに行ってしまう方がいいかもしれない――。

 少女は静かに目を閉じた。入り口で立ったまま風を浴びながら、自分の故郷である『表の世界』の景色を思い出しながら。
 白い世界は冷たい。
 独りで生きるには、少女はまだ幼いのだ。
「――サキっ!」
 風の中から聞こえた声にはっとする。目を開けても見えるのは白と黒だけだったが、それでも少女にはもっと別のものが見えた気がした。
「サキ! 今助けるから!」
 同時に、抑えていた感情が溢れ出す。
「……アクロス」
 声の主の名前を呟く。それは赤い髪の少年の名前。自分と年の似通った、どこか無理をしているように見える少年だった。
 どうして助けてくれようとするのだろう。
 どうして放っておいてくれないのだろう。
 それでもその気持ちが嬉しくて。
「アクロス、ロウっ! 助けて!」
 気がつけば、サキは外に向かって叫んでいた。
 身を外に乗り出し、落ちそうになりながらも姿を一目見ようと体をはる。
「助けて――」
 もう一度叫ぶ。
 そのまま、誰かに後ろに倒された。
 少女は意識を失った。

 

「アクロス、お前は下がってろ!」
 走り出した汽車を見た二人はすぐに異変を察知し、汽車を止めようと試みた。
 しかし二人に止める方法など分かるはずがなかった。二人は汽車を操縦したことなど一度もない。アクロスなどは汽車に乗ったことすらなかったのだ。
「何する気だよ、ロウ!」
「何をしてでも止めるんだろっ!?」
 汽車を追って走りながらの会話。ロウは背中から大きな荷物の袋を取り、それを腕の中に抱いた。
 古い袋を開ける。中から出てきたのは黒い物体だった。
「アクロス、耳、塞いでろよっ!」
 黒い物をぐっと前に突き出してロウは足を止める。アクロスも真似をして止まり、分からないままだったが言われたとおり耳を塞いだ。
 直後に、轟音が響く。
 少年の耳にもそれは届いた。耳を塞いでいても聞こえるほどの轟音。それを発したのは青年の手の中で煙を吐いている、黒い一丁の銃器だった。
 銃器と言えども手の中に収まるようなものではない。かなりの大きさがあり、両手で持たないと支えきれないようなものだった。
「ロウ、それは……」
「話は後だ、行くぞアクロス!」
 戸惑いが抜けきれないアクロスだったが、ロウの使った銃のおかげで壊れて止まった汽車を見た。走り出す青年の姿を確認すると、少年も後に続いて走り出した。

 

「これは何の因果なのか。まさかこんな理由で世界が変わるなんて……」
 汽車の中には黒い影。意識を失ったサキは、影の足元で倒れていた。
「もう少しここにいる必要があるのか? それとも、今ここで終わらせてしまおうか?」
 黒い布を全身に纏い、性別すら分からない影は一人で呟いている。頭に被った布の下からは輝かしい金色の髪が見え隠れしている。
「全てはあなたの為に――」
 言葉と同時に入り口に誰かの影を見た。
 それは鮮やかな色彩を持った少年と青年だった。
 影は、少しだけ表情を曇らせた。

 

 汽車の中に入ると知らない人物がいた。全身を黒い布で隠し、頭からもすっぽりと布を被っていて顔が見えない。アクロスとロウは入り口の辺りで立ち止まり、その影のような人物をまじまじと見つめていた。
 影は、布に隠されて見えない顔を二人に向ける。
「誰だ、お前は」
 口を開いたのは青年で。
「さあ、誰でしょう」
 答えた相手はおどけていた。
 それでも相手は隙を見せない。足元で倒れているサキを見るように二人に促す。
「お前、サキに何をしたんだよ!」
 怒ったようにアクロスは言う。彼は青年の後ろに隠れるような場所にいたが、青年よりも少女を助けたいという気持ちは強かった。
「まあ、そう怒ってくれるなよ。俺はただ、様子を見に来ただけなんだから……」
「様子を、見る?」
 影の言葉に反応したのは青年だった。訝しげに影の黒い布に隠された顔を覗き込もうとしている。影はその行動を見て何かを察し、すっと一歩後ろへ退いた。
「――決めた。こうしよう」
 いきなり喋り出す。影は、人目も気にせずに両手を広げて大声をあげた。
「聞いてください、皆様! 聞いてくださいよ、俺をとことん馬鹿にしてきた愚かな従僕たち! 俺はあなたたちに背きます! 俺は、自分の意志でものを決めることにしますよ!」
 風のないはずの車内に風が吹きぬける。それは影の黒い布を翻し、頭にかかった物さえ吹き飛ばした。
 黒い布の奥に見えたのは、金色に輝く髪と瞳。
「な、なんで――」
 その色を見て一番動揺したのは、青い髪の青年だった。
 この世界で色を見ることは滅多にないが、二人にとってはサキとの出会いでそのことについては慣れてしまっていた。だからそう簡単に動揺するようなことなどなかったはずなのに、ロウは戸惑いを隠し通せなかった。
「なあに、ただ気絶してるだけですよ。俺は何もしてません。そして俺は何もしませんよ。今は、ね」
 全身に纏った黒い布が風になびく。影は足音を立てながら青年と少年の隣を通りすぎると一度振り返り、前を向いたまま動けなくなった二人に静かに声をかけた。
「またどこかでお会いできることを祈っていますよ」
 以後、影の姿は消え去った。

 

 少女が目を覚ますと、黒い天井が見えた。
「ここ……は」
「あっ、気がついた?」
 降ってきたのは少年の、アクロスの声だった。サキは体を起こし、その場に座り込む。
 ここは少女が気を失った汽車の中だった。
「私、気絶してた……」
「うん、でも無事でよかった」
 一つ一つ答えてくれる少年は、少女のすぐ隣に座っていた。
 サキは思い出す。つい先ほどまで考えていたものの数々を。
 自分は人に頼る資格なんてない。自分は人に甘えすぎているんだ、と。
 それでも少女は見捨てられずに少年の傍にいる。
「……どうして」
 次第にその気持ちは大きく膨れ上がっていって。
「どうして私を助けたの?」
 聞かずにはいられなかった。どうしてだか分からなかった。
 どうして会ったばかりの人を助けてくれるのか。どうして見ず知らずの関係ない人を助けてくれたのか。少女には理解できなかった。
 少年は大きな目をぱっちりと開けて驚いていたが、やがて穏やかで若々しい力に満ち溢れた顔になる。
 そっと少女の手に少年の手が重ねられた。
「だって僕ら、友達じゃない」
 サキは胸が熱くなるのを感じた。
 やっぱり分からなかった。なぜ少年はそんなことを平気で言えるのか。なぜ躊躇することもなく自分のことを友人だと言えるのか。
 違う。
 違っていた。本当はそんなことを考えているんじゃなかった。
 少女は寂しさをずっと抱いていた。その寂しさがこの少年の手によって溶けていくようで、少女にはそれが理解できなかっただけなのだ。
 すっと心に掛かっていた闇が消えていく。
「――あり、がとう……」
 感謝の気持ちは素直なものだった。
「私、きっと嬉しかったんだ」
 少女は少年の手を握り返す。
「今はただ、頭が混乱してるだけなの。だから、なんにも分からないの。でもお願い、私を見捨てたりしないで」
 それは純粋な心の内。
 少年は一つ頷いて見せた。
「駄目だ……」
 ふと誰かの声が二人の耳に届く。
 しかしそれは二人にとっては聞き覚えのある、親しみを持てる声だった。
「ロウ? 何してんの?」
 アクロスは声が聞こえた方へ顔を向ける。汽車の奥の方から聞こえた青年の声は、少年の問いに答える気配はない。
 訝しげに少年は再び問いかける。
「ロウ、こっちに来なよ?」
 やはり返事はない。
 少年は立ち上がり奥へと歩いていく。青年は一つの扉を開けた先に一人で立っていた。
「ねぇ、ロ――」
 話しかけようとして、止めた。
 青年の独り言がアクロスの耳に入ってくる。
「駄目だ、このままだと……早く、なんとかしないと駄目になる。だけど、一体どうすれば良いんだ。今は俺一人じゃないし、何よりも……」
 少年は静かに扉を閉め、サキのいる車両に戻った。少女の傍まで寄り、近くにあった汽車の椅子に座る。
「なんだかロウは考え事してるみたいだから。もう少し待っておこう」
「……そう」
 青年はこの会話に気づかなかった。

 

 

前へ  目次  次へ

inserted by FC2 system